家族三人の食卓
一人一膳。
それなのに、藤吾の膳がこの家には無い、のだ。
私が藤吾を誘拐同然に連れて来てしまったからか、今まで藤吾の為に藤吾の伯母の家に運んだ藤吾の荷物の一切を返さないと伯母本人が衛に言い切った。
――どうせあんな小娘、藤吾を虐めぬくに決まっている!おれの家を藤吾の逃げ場所にして悪いか!
私は虐める気は無いから私には侮辱でしかない言葉だが、でも、藤吾にとっては良い伯母なのかもしれない。
また、この言葉は衛がそのまま私に伝えてきたから知ったのではなく、取りあえず藤吾をヨキに預けた私が伯母宅に取って返して盗み聞いただけだ。
そして衛はその言葉に対して笑顔で静かに言い返してくれた。
「お気持はありがたく頂戴しもす。そんまま藤吾のものをそけ置いてくださって結構。ただし、ガラクタにないもすよ、妻はそげな意地悪な女じゃありもはんから。」
ええと、これはきっと、お気持ちはありがたく頂戴します。
で、そのまま藤吾のものをそこに置いてくださって結構。
それでもって、ただし、ガラクタになりますよ、妻はそんな意地悪な女じゃありませんから。
……そう!そう言ってくれたに違いないのだ!
一緒に行ってくれた下男の和郎さんだって、そんな感じの事を衛様が言っていたと言ってくれたのだし!
「でも、どっちの家でも落ち着けるように、もともと二つ用意しておけば良かったじゃないの!全く!衛様は何をなさっているの!」
「奥様?」
「ああ、私の膳を藤吾に使わせてやって。私は今日は盆で構いません。」
「それはいけない。俺が盆で構わない。」
台所にひょいと顔を出した衛に、私は数十分前の恐ろしい男と同一人物なのかと疑いそうになった。
私達が藤吾を連れ帰ったは良いが、その数時間後、今から数十分前だが、この家に藤吾の伯母の友人という男が数人の男達を引き連れて藤吾を取り戻しに来たのだ。
いや、今後養育費として搾り取れない金を奪いに来たのかも。
だからって、私が藤吾を痛めつける具体的な方法を家の前で騒がないで欲しいものだ。
頭にきた私は、奥にいなければいけない奥様という身分も忘れて表に出て、そして大声で言い返していた。
「そっちが藤吾の面倒をしっかり見ていたと言い張るなら!渡していた養育費をどのように使っていたかの明細を出しなさい!藤吾に玩具の一つもないとはどういうことなのか、今すぐに弁明なさいな!」
うん、私は藤吾とお話しするうちに、あの伯母にはかなり大きな怒りを抱いてしまっていたのよ。
玩具一つも、お洋服一枚だって、今まで藤吾が新しいものを買ってもらった覚えが無いなんて!
ああ、血の繋がりのない私を慈しんでくれた桐生家、あそこはなんと素晴らしき人々しかいない楽園であった事か!
しかし、女の身でしかない私は、男達の一人に突き飛ばされた。
地獄の世界が展開したのはそのすぐ後である。
突き飛ばされても私は尻餅突くどころか優しく体を受け止められ、そして私を支えた男が私の前に立ち、私の視界を真っ暗な影として立ち塞がったのである。
「俺の大事な人に何よした。地獄に行っ方が楽な目に遭わすぞ。」
低い低い声は地獄の底で恐ろしい鬼が唸ったようでもあった。
まあ!有言実行者の恐ろしい事よ!
衛はその五人を簡単に痛めつけてしまったのだ。
「りま?あの、俺が怖じか?」
ポケっと数十分前の事、衛の勇姿を思い出していただけだったが、衛の頼りない声に吃驚して白昼夢から目が覚めた。
まあ、目尻が下がって、なんと情けない顔付になってしまわれたの?
「えっと、おじか、おじ、ええと。」
「俺が怖いか?」
私は情けなさそうな顔で言い換えてくれた衛が好ましく、思い切っり吹き出して手まで降っていた。
「いえいえぜんぜん。でも、お盆でご飯は駄目ですよ。衛さまの威厳が消えてしまいます。この家の大黒柱様ですもの。」
私の着物の裾がひゅっと引かれた。
見れば藤吾であり、彼は申し訳なさそうな顔で私を見上げている。
「おれが盆でいい。おばちゃんの家でも膳はなかった。」
「何ですって!大事な藤吾に膳が無いと?」
「子供だからいらねって、伯母ちゃんが。」
「えっらそうなことを言っておいて!返せないだけだったのか!あの盗人は!」
私は怒りのまま飛び出しそうになったみたいで、私の身体は大きな体に笑いながら包まれて後に引かれた。
「いい、もういいから。ははは。今日は俺の膳で藤吾を喰わそう。な?」
「お黙りなさい!ではこうしましょう!私と衛様の膳をくっつけて、三人分の椀を並べましょう。」
衛は、それはいい、と、ハハっと大きく笑い声をあげた。
「明日は藤吾の膳もそうだが、畳でも使ゆっテーブル、ええと、ちゃぶ台とやらも買け行こ。今後は三人一緒き同し台で食事をとるのはどうだ?」
「まあ!なんて素晴らしい!衛さまは本当に何時でも素晴らしい方ですわ。衛さまのような方を仁のあるお方と申しますのね。」
あら、急に顔を固くされてしまった。
「どうかなさって?私が何か?」
「いえ。俺は学も教養もない男じゃっで。仁など。」
「まあ?仁は学や教養で生まれるものではありませんのに。」
衛は私をまじまじと見返して、自分には仁はあるのかと、もう一度尋ね返して来た。
「衛さまは仁のあるお方でございます。」
まああ!何と誇らしそうな顔をなさるのだ。