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088 落命が間近

 実際には、目が合っていないのかもしれない。元々の目的がこの建物だったから、此方を見た時に目が合ったように感じただけかもしれない。いや、多分そうだろう。



 ……だが、俺はその一瞬で、生命の危機というものを感じた。


 今までに金級の魔物は見た事があった。白金級のでかいドラゴンも間近で見た事がある。なんなら会話もした。

 その時は、確かに怖いという感情はあったが、そこそこの慣れと経験、ゲ―ム感覚である程度誤魔化す事ができていた。


 しかし、今は。


 体に力が入らなくなった。辛うじて立ってはいるが、身体が小刻みに震えて止まらなくなった。

 奥に無惨に転がっているカーム達が視界に入って、声を出すこともできなくなった。

 どれだけ動けと指令を出しても、身体は動こうとしなかった。


 それだけ、このオークの威圧感は常軌を逸していた。魔物として、生物としてあいつを測ろうにも、あれ以上に見られただけで身の危険を脅かす生き物を俺は知らなかった。


 戦おうにも、俺には戦闘のセンスが欠片もない。こいつには俺の魔法は効かないだろう。それを封じられるだけで、俺にできる事は何も無くなる。

 こいつの前では、俺はここに座り込んで震えている村人と何も変わらない。


 ゆっくりとオークが近づいてくる。

 逃げられないと分かっているからだろう。逃げられても問題ないと分かっているからだろう。

 目の前にできた障害を叩き潰し、邪魔をするものが無くなった今、あいつが歩くのを止めることはない。


 扉の目の前にやってきた。見上げる程に大きい猪のような顔の生き物が、鼻息を荒くして血のついた棍棒を握り締めている。体にも血がついているが、それは自らのものなのか、それともカーム達の――



 ……気づけば俺は吹き飛ばされていた。


 激しく床を転がったと思えば壁に激しく打ちつけられて止まり、肺の中に残っていた空気が強引に吐き出された。


 無意識に閉じた目を開ければ、扉があったところには少し前に見た大きな影があった。

 視線だけをゆっくり動かすと、同じように吹き飛ばされた人達が転がっている。


 音があまり聞こえない。間近で扉を破壊された為に、耳がやられてしまったのだろうか。……ただ音がないだけか。


 埃が落ち着いてきた頃、大きな影の主は前進を再開した。倒れて動かない人達を探して、棍棒を叩きつけてまわる。

 ぐちゃりと嫌な音が響くが、思ったより音が遠い。やはり耳がやられているらしい。


 オークが俺の前に立った。木の幹のような太い腕で、真っ赤な棍棒を振り上げているのが見えた。次は俺の番のようだ。



 ……ああ、これで俺は死ぬのか。


 結局、俺は何もできなかったな。人を助けに来たのに、なんの抵抗も出来ぬまま転がされて、呆気なく殺されて……

 ……まあ、自転車に撥ねられて突然死ぬよりはまだマシか……やる事はやったと思えるからな……


 俺はなんとなく満足して、目を閉じ、迫り来る死を受け入れた。




 ……レーブくん……




 ……声が聞こえた気がした。この声は……俺の、今の俺にとって一番大事な……

 ……ああ……あの子には何もしてやれなかったな……あの子は、俺が死んだらどう思うのだろうか……



 また目を開けた。まだ死んでいなかった。目の前のオークは動きを止めていた。

 そして、俺ではない何かを見つめていた。


「レーブくん!!!」


 今度ははっきり聞こえた。オークの視線の先からだった。

 オークは顔に下劣な笑みを貼り付け、俺を放置してそちらに歩き出した。

 ……新鮮な獲物を見つけたとばかりに。



 ……おい……それはやめろ……やめてくれ。せめて先に……俺を殺してくれ!


 そう思った瞬間、身体が湧き上がるように熱くなった。身体中の魔力の流れが速くなったように感じた。

 頭も妙に冴えている。集中力が段違いで、魔力がいつもより精密に練り上げられていく。

 痛む腕を少し上げ、あまり感覚のない手を開く。

 息を吸い込んだ拍子に肺がずきりと痛むが、お構いなしに空気を吐き出した。

 

「……<麗夢(ドリーム)>」


 声にならない声によって手が光り出し、光の玉を生み出す。

 それは俺に背を向けたオークの頭に向かって飛んでいき、ふわりと包み込む。


 するとオークが脱力し、片膝をついた。が、意識を失ってはいないようで、唸り声を上げながら襲い来る眠気と戦っていた。


「<突風砲(エアブラスト)>!!」

『ブァッ……!?』

 

 その隙を逃さず、セレノが風魔法を撃ち込んだようだ。突然の風圧に押されて、オークは後ろ向きに勢いよく倒れた。


 畳み掛ける絶好のチャンスだった。



 ……だが、今俺達は、こいつを死に至らしめる(すべ)を持ち合わせていない。

 セレノも俺も、魔法師だ。魔法にかなりの耐性があるこいつに対して、どれだけダメ―ジを与えようと努力したところで、すぐに治癒されてしまう事は明白だった。

 それも、二人とも魔力を殆ど使い切った状態。魔法を使うだけ無駄だと、そう思わざるを得なかった。


 今こいつに決定打を与えるには、強烈な物理攻撃が必要だ。ベイルの大きな戦斧での一撃や、それこそナツキの……


 ……そうだ、ナツキだ。どうして、こんな時に勇者は居ないんだろうか……



『ブアァァァッッ!!』


 起きあがろうとしていたオークが唐突に悲鳴を上げた。

 赤い飛沫が舞う。近くに何かがボトリと落ちた。見ればそれは……オークの腕だった。


 気づけば、目の前には黒い髪の男が俺に背を向けて立っている。俺のすぐ傍には頭に猫耳がついた女。


「なんとか間に合ったね」

「大丈夫!?」


 ……いや……間に合ってねぇよ……全然大丈夫じゃねぇよ……

 そう悪態づきたかったが、乾いた息を吐き出すことしか出来なかった。なので代わりに、頭を左右に小さく動かして質問に答えた。


「ミーナ、レーブを安全な所に」

「分かった!」

「こっちです!」


 年下の女の子にヒョイッと担がれる。……はは、なんて情けない状況なんだ……

 しかし笑いが込み上げてきた事で、緊張が一気に和らぎ……


 俺はそこで意識を手放した。

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