005 本来の用途
向かい合わせになったソファの端と端、対角線上に俺とセレノは座っていた。セレノの鼻をすする音だけが聞こえてきている。そんな状態が、もう数十分と経過している。
セレノは、強い子だと思う。たしかに、俺の記憶が無くなっているのを知った時は、声を上げて泣いていたが、ギルドについた時には既に泣き止んでいた。
しかも、そんなことがあったのに、自分がどうなってもいいことを覚悟の上での意見を出せるのだ。正直、俺にはできない。
今も、いろいろと考えているところなのだろう。なぜこうなったのか、とか、これからどうするか、とか。どれだけ真面目で頭がよく回っても、中々この状況で瞬時に答えを出すことは難しいと思うな。
……これ、俺から話しかけてもいいのだろうか。俺には妹はいなかったし、年下の女の子と接する機会すらもなかった。しかも、泣いていた、という状況だ、どう展開すればいいか全く分からない。まだ全然会話もしていないし。
ここまで思考して、セレノを横目で見ると、向こうもこちらを見ていたようだった。お互いに気まずくなり、同時に目を逸らす。……そして、また少し時間がたった頃。
「……本当に、何も覚えていないんですか」
ついに、セレノのほうから話しかけてきた。正直、助かった。
「……そう、だね」
「……そうですか」
……ん?これ、会話終わったのか?続けないと、一生この時間終わらないぞ。こっちも何か話しかけないと……
「大分、落ち着いてきた?」
「……まあ、そうですね」
……なんか他人事みたいになってしまった。本当にどうすればいいか分からないな。もういっそ、聞きたいこと聞いてみるか。
「セレノ……ちゃんは、これからどうするつもり?」
「え……」
あ、まずい、いきなりすぎて引かれたかもしれない。
「……そうですね、いろいろ考えてみましたが、想像できないです」
あれ、意外と答えてくれるみたいだ。しかも、既に考えているらしい。やっぱり強いな、この子。
「いろいろ、か。……聞いてもいい?俺は情報がないから、何も考えられなくて」
もうどうにでもなれとずけずけと聞いてみる。
「……はい。二択にはなりますが、まずは、旅を終わりにして、家に帰るということです。次に、レーブ兄……あ、レーブ、さんと、このまま一緒に生活していくということです」
「……なるほど」
今日ここに泊まることになって疑問には感じていたが、家自体はあるらしい。そして聞いた感じ、俺達は旅の途中だったらしい。ということは、この街には家はないのか。だったら、今すぐ家に帰ろうにも、金とか、俺の状態とかをどうにかする必要がある。
しかし、一人で二人分の金を稼ぐなんてのは無理がある。それに、記憶喪失をどうにかするのも、どうすればいいかなんて分からないだろう。はっきり言って、セレノの今の状況は、詰んでいるといってもいい。
ただ、それは俺でなければの話だ。記憶はゼロだが、無いのはこの世界でのものであり、すでに状況は察しているから、冷静に考えていられる。
「二択というよりは両方になるかな」
「……なぜですか?」
「何も知らない状態は不安しかないから、まずはいろいろ教えてほしい。そして、親がいるなら、顔は見せるべきだと思う。家に帰るのを前提に、俺が慣れるまでこの街でなんとかできればいいなと」
「……なるほど、ならそれがいいですね」
おお、飲み込みが早いな。それにしても、記憶喪失の件に関して、もう大丈夫なのか。
「……大丈夫なの?」
「……はい。レーブ兄には変わりはないですし、役に立ちたいので」
……はあ、つくづく強い子だと感じさせられる。
「……ありがとう。よろしくね」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
こうして、俺はしばらくセレノと行動することが決まった。
「それでは、明日はどうしますか?レーブに……レーブさん」
「ああ、呼びやすい呼び方でいいからね。あと、敬語でなくてもいい。こっちはいきなり敬語使ってないし」
「……じゃあ、レーブ兄と呼ばせてもらいます。敬語はもともとなのでお構いなく」
「……分かった」
兄妹なら、別にさん付けしなくたっていいように思うが……それはさておき、兄を亡くしたようなものなのに、当日のうちにして気持ちの整理を終えるなんて、この子何才なんだよ。見た感じだと、十六才ぐらいだろうか?聞くのはあれだから、少し大人びてるぐらいに思っておこうか。
「それでレーブ兄、明日は?」
「ああ、とりあえずはこの街のこととか、冒険者ギルドのこと、あとは、俺のことを教えてほしい」
「……っ、レーブ兄の……」
「辛いとは思うが、知っておくべきだと思うんだ」
「……はい、分かりました」
辛そうに俯きながらも、セレノは承諾した。それを聞くのは許してほしい。
「お願いする。一応それくらいかな。明後日からは、また明日考えるようにしよう。それでいい?」
「……分かりました。それでは、また明日話しましょう」
「うん、それじゃ、お休み」
「お休みなさい」
セレノは、そう言って一瞬目を伏せた後、ソファに横になって寝始めた。
元兄とはいえ、自分のことを知らない人間と同じ部屋で寝られるんだな。文句言ったって仕方ない状況ではあるけど、少しは警戒されてもいいんだけどな。
まあ、俺もどうこうする気はないし、多少なりとも今の会話で信頼されたなら、それに越したことはない。というか、召喚されてからいろいろありすぎて疲れ切っているので、もう寝たい気分だった。
そうだ、寝たいといえば、俺にはとっておきがあるんだった。ふっふっふ、俺はこの魔法を使えば、ぐっすり眠ることが出来るのだ。
自信満々に、俺は一つの魔法の名を声に出す。
「<麗夢>」
…………。
……ん?何も起こらない。なぜ?
「<麗夢>」
…………。
……やっぱり何も起こらない。困ったな。
「……なに言ってるんですか?」
俺の急な魔法行使に違和感を覚えたのだろう、セレノが訝し気に此方を見つめていた。
「……ああ、睡眠魔法が使えるんだ。これで、あの洞窟で少し自衛してたんだ。だけど、俺自身にはなぜか効果がなくてね」
「え、レーブ兄は魔法なんて使えなかったはずですが……」
「うーん、記憶の代償みたいなものなのかもね。セレノちゃんはどう?」
「……少し怖いですが、自分に効果があれば信じられると思うので、やってみてください」
……これ、気軽に言ってしまったが、なんかまずいことしようとしてる気分だな。眠ったら無防備になってしまうのに、なんで警戒している素振りを見せないんだ。ここは素直に聞いてみるか。
「……ごめん、自分で言っておいてなんだけど、警戒しないの?」
「……なんだか不思議なんです。記憶を失っているのに、こんなにも会話ができるなんて思っていなかった。レーブ兄が記憶を失っていないのではないかと思えて、戸惑ってるんです」
セレノは俺と目を合わせたり逸らしたりを繰り返しながらそういった。なるほど、もともと信頼しきっていた人物を警戒するのは難しい、という事か。というか、俺がペラペラとしゃべりすぎたのが問題なのでは。
「まあ、実際俺はセレノちゃんに危害を加える気は全くない。むしろお世話になるんだから、そんなことしていられない」
「……そうですか。なら問題ないですね。では、魔法を……」
「ありがとう。じゃあ、使うよ。……<麗夢>」
セレノは、淡い光に包まれた後、さっきまで起きていたのが嘘のように、静かに眠っていた。
やっぱり、効果はあるんだよな。なんで俺には効かないんだ……
それから俺は、結局朝まで満足に眠ることができなかった。




