42 涔々とドライブを
陽が高くなる前にやってきた路を、陽が沈んでから戻る。
「一日拘束しちゃって、ごめんね。すごく助かったよ、ありがとう。」
謝罪と感謝に続き、朝丘は更に「疲れたでしょう?」と労いも付け足す。
(人間できてんなー。)
此花は素直に感服するような、もしくは小馬鹿にするような所感を懐いたが、どちらに当て嵌まるのかは有耶無耶だったので、とりあえずの「どーも」でやり過ごした。
「此花ちゃん、意外と子供に好かれるタイプなんだね。」
「意外かよ。」
「あ。ごめんごめん。」
「いーよ。結構楽しかったし。」
「だと思ったよ。」
「あ?」
「ごめんごめん。」
穏やかに笑う彼から目を逸らし、都会へと向かう景色を眺めた。景色とはいっても、外は既に夜の色。見えるのは、闇をベースにした窓ガラスに薄っすらと映る自分と、運転席の朝丘だけだ。
「……。」
来たとき同様、気づかれぬように彼を観察する。今度は横目ではなくて反射を使って監視する。今度は確信を持って、しかと見つめる。
彼を見つめながら、此花は、『さんざし園』での大河内艶子との一連を思い起こしていた。
朝丘道臣と『さんざし園』。
『さんざし園』と“東京アリーナ火災”。
“東京アリーナ火災”と朝丘道臣。
朝丘道臣と、日生果恋――――
艶子から打ち明けられた度重なる情報量には眩暈を覚えた。気を取り直して作業再開! と簡単にはいかないほどに、精神的な疲労が邪魔をしていた。
(いやいやいやいや……ここからすぐに整理整頓作業はキツいって。あー……切り替わんねー……)
服をたたむという作業は、無心が肝となるものである。と、持論のような言い訳を胸に、此花は部屋を見渡した。
気分転換も兼ねて視線を隅々まで走らせたはいいものの、興味を引くものはみつからない。……というより、視線はどうしても、とある一ヶ所に落ち着いてしまう。
それは、本日の打ち明け話の主役と言っても過言ではない、入相美冬。
大広間にひっそりと飾られた葉書サイズの写真は、常に此花の視線を捕らえていた。
「……。…………?」
開き直ってまじまじと写真をみつめるうちに、此花はある事に気づく。
入相美冬を囲む少年少女の中、彼女の隣で満面の笑みをみせている少女が、
「……艶子。これ、もしかしてあんた?」
かの有名な天才子役、『つやちゃん』であることに、気づく。
「ええ。」
「仲……良かったのか?」
写真のなかの『つやちゃん』は、他の誰よりも入相美冬の近くで、寄り添うように笑顔を輝かせていた。その表情は決して、天才子役が齎すものなどではなく、ただの一少女が親愛の上でみせる屈託のないものであった。
「ええ。
入相は、あたしの姉だったわ。」
写真とは正反対に、『つやちゃん』の進化形であるはずの艶子は無表情で告げる。
「姉……」
「正確には、姉として慕っていた人。」
『つやちゃん』の面影を一片たりとも見せずに、艶子は淡々と続けた。
「あたしも昔からここには馴染みあったし、入相もあたしも芸能界に身を置いていたし、先輩として、友人として、姉代わりとして、彼女はあたしを可愛がってくれていたわ。」
「そんなおまえが、日生果恋の姉になろうとしてるんだな。」
めざとく、此花は言い放った。
「当然でしょ。」
対抗するように、艶子も断言する。
「芹澤るるなで不幸になる女は、もうたくさんよ。」
自身の拘り、目的、理由を、
「あたしは、果恋の姉として、あの子を幸せにしてみせる。」
包み隠さず曝け出す。
どこまでも謎の女だ。
生真面目で大真面目で、表情も喜怒哀楽も薄くて、顔だけはパーフェクトの清楚系ドスケベザエッチセックスな珍獣。
しかしながら、けっこう嫌いになれない奴なわけだ、これが。
「もひとつ、いい?」
此花はいたずらに、人差し指を立てる。
「どこかの特命係みたいな台詞ね。」
艶子は笑い所なのか真面目なのか判別しにくい返事で受け容れる。
「大女優・大河内凪子が孤児院出って、公表されてねーんだろ?」
「ええ。」
「いいの? 私、超言いふらすかもよ?」
ここでもまた、悪戯ににやける此花へ、艶子はきょとんと小首を傾げた。
「しないでしょ。あなたは。」
「可愛くねー女。」
「そうでもなくてよ?」
「自覚あんのかよ。」
未開封の衣類はまだまだ数箱分も残っている。大親友の二人は本腰を入れて作業を再開し始めた。
調べてみるか……だなんて、提案したのはいいものの、話の糸口がみつからない。
状況だけでいえば、まさしく今が絶好の機会だ。元々顔を合わせることも稀な朝丘と、兄の介入無しで腹を割って話せるという好条件。
しかしこうも早く好機が訪れたとなると、どうも慎重になってしまう。軽率に動いていいものか、多少のリサーチで固めてからのほうが得策ではないかと悩んでしまう。
彼の腹の内だけでも、せめて本性だけでも探れないかと、此花は更に鋭く、窓ガラスに反射する朝丘を凝視した。
何の変哲もない物腰柔らかな優男だ。
此花の人生において、まず印象に残らない類いの人種。最上級につまらない男。
休業日に孤児院でボランティア活動をし、親子ぐらい年の離れた子供たちに「みちお」なんて呼び捨てられて、怖いくらいに人間ができている、男。
今日の今日までは、兄を介した『知り合い』程度で済んでいた存在。
しかし、
「…………。」
違和感が生じてしまったのだ。
この男の行う『ボランティア』と、子供たちに対する聖人君子のような振る舞い。
彼の行動が、そんな、単純な理由だけではないという、予感が、
あの、背中の古傷を目撃してしまった、あの瞬間から、
違和感が、予感が、ぬぐえない。
加えて、“東京アリーナ火災”……
『朝丘道臣は、“東京アリーナ火災”の関係者よ。』――――
(……逆にすごくね? 私。)
不覚にも冴えていた自身の勘を恨む。何故こんな事ばかり当たってしまうのか。いいや、そんなことはどうでもいい。
今は見極めなくては。
朝丘道臣が今後、日生果恋に接近させていい人間かどうかを。彼女の平穏を脅かす存在になり得るか否かを。
隠し子という事実がある以上、必要以上の懸念は不要かもしれないが、彼のこの七年間にも及ぶ活動に、どんな意味があるのか。
東京アリーナ火災に……芹澤るるなにどんな感情を懐いての行動なのか。
それだけははっきりさせなければならない。不安の芽は摘み取っておかなければ。
日生果恋の、今後の人生のためにも。
「――――朝丘、」
「ん? なに?」
芽は摘み取っておかなければ。火の粉は振り払っておかなければ。
「あんた、東京アリーナ火災の関係者?」
運転中の彼の横顔めがけて、視線と声をぶつけた。
上げっぱなしだった朝丘の口角が一瞬だけ平らになる。下がっていたはずの目尻も皺を消す。しかし寸秒と待たぬうちに、表情はいつもの彼を復元した。
「はは。こんなにダイレクトに聞かれるの、初めてだなあ。」
いつもの笑顔で、いつも通り穏やかに笑い飛ばすその様子に、此花は音の無い舌打ちを鳴らした。
「私だって普段はもっと空気読むっつーの。」
「ふだんは、ねえ。」
車も彼自身も、一向に平常運転を崩そうとしない。
「じゃあ、なんで今は『ふだん』をやめたの?」
こいつ。
今度はわかりやすい舌打ちを鳴らし、睨みつけた。
「それ答えたらあんたも答えるってのか?」
「おれ、そういう駆け引きみたいなの、苦手だからなあ。」
正面の信号が青から黄色へと変わった。このまま、すり抜けることも可能なはずのタイミングにも関わらず、二人を乗せた車は赤を待つよりも先に、停止した。
「お察しの通りだよ。
背中の傷は、あの事件のときのものだよ。」
停止してすぐに朝丘はきりだした。ハンドルを握ったまま、助手席の此花を穏やかな目で、見据える。
「でもね、見た目より大したこと、なかったんだ。」
相も変わらず穏やかに、物腰柔らかく、
宇喜多此花の人生において最上級につまらない男のまま、
「おれの友だちは、もっと酷い傷、負ったし。」
嘘の色をともさない声で、自分を語る。
「…………。
……悪かったな。変なこと聞いて。」
これ以上はよそう。直感的に此花は退いた。……いいや、この直感が確かならば、充分な収穫だ。これ以上の深追いは得策じゃない。
「ううん。此花ちゃんだって、あんな傷見てびっくりしたよね。無防備に着替えてて、ごめんね。」
配慮と謝罪に続き、朝丘は更に「今度から気を付けるから」と反省も付け足す。
「……あんたってさ、」
つまらない。
なんてつまらない男なんだろうか。兄はこいつの何処に惚れ込んでいるんだか。
まったくもう、面倒なことになってくれやがって。
「人間できてんな。」
つまらない男のままで良かったのに。
「? そうかなあ。」
間もなく信号が青に変わる。
軽やかに発進した車が、夜の都会へと向かってゆく。
いつもお読み頂きありがとうございます。
今年最後の更新(活動)となりますので、こんな所でご挨拶失礼します。
去年の秋頃に連載開始しました本作『アメカレ』ですが、今年は私生活の急変によりなかなか安定した更新が出来ず、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
GL/百合モノのくせにエモさも尊さも甘さも無く、
そもそもGLタグを付けていいものなのか、
百合を名乗っていいものなのか、
どうせなら前作『最愛なる猛毒』とは真逆の作風でやっていきたい…!
……と、不安いっぱいで始めた本作ですが、今日までなんとか続けられたのも、ひとえに読んで下さる読者様のお陰であると深く感謝しております。
未熟で至らぬ点も多い筆者ではありますが、どうぞ来年もよろしくお願いいたします。
良いお年を。
2020/12/30 ぎぐ