31 テリトリーは間も無く戦地
三連休最終日。日生果恋は覚悟を決めていた。
立ちはだかるのは住み慣れたマンションの、見慣れた玄関先の、開け慣れた扉。
なんてことはない。およそ半年前、高校入学を機に一人暮らしを始めた、慣れ親しんだ我が家だ。この鍵穴にも、何度鍵をさし込んだことだろう。
しかし今は自ら開錠すべきか、はたまた鳴らした記憶の無いチャイムを押すべきかで、せっかくの覚悟に迷いが生じている。
いやそもそも、何故自宅に帰ってくることに覚悟が要るのか。
冷静に考えれば変な話なのだが、自分に降りかかっている現状は特例中の特例なのだ、と、諦めてしまえば納得もできた。
この扉の向こうに、果恋の住むマンションの一室に、彼女はいる。
三連休を無断外泊で留守にしたこの一室で、果恋の帰りを待っているに違いない。
(…………よし。)
悩んだ末、果恋は開錠を選ぶ。そうだ。ここは自宅なのだ。これは帰宅なのだ。チャイムを鳴らすという行為は、本来一人暮らしには不要であるはず。憶測上の待ち人・留守人を公認する必要なんて、無い。
二重ロックの、まずは上部から開錠する。がちゃりと鍵を回したその瞬間、ドアを隔てた向こう側から気配が接近してくるのを感じた。
果恋が下部の鍵穴にさし込むよりも先に、せわしく開錠する音が聞こえる。
咄嗟に一歩退いたその刹那、内部から勢いよく開いた扉が接触すれすれに果恋を掠った。
「危な……」
思わず溢すより先に、彼女は飛びついてくる。
「果恋っ!!!!」
暴力的な包容力による抱擁。力ずくな慈愛に満ちた出迎え。
この三日間、無断外泊で家を空けた、連絡先も知らない『妹』を、どんな思いで待ち続けたのだろう。
大河内艶子は最早柔術と紛うほどの力で果恋に抱きつき、一方的な感動の再会を果たす。
「ちょっ……つやこっ、くるし……」
「どこに行っていたの連絡もしないで! お姉ちゃんどれだけ心配したと思ってるの!?」
おちる、おちる。つやちゃん、艶子さん、おちついて。その方向性がひん曲がった姉妹愛の末に日生果恋が十六年の短い生涯に幕を閉じようとしていますよ?
こんなアホみたいな死因があってたまるか。果恋は文字通り命辛々に艶子の腕をほどく。
「げほっ……あのさ、艶子。その、『お姉ちゃん』についてなんだけど、ちゃんと話したいから一先ず中に…………」
人目につきやすいであろう玄関先でのごたごたは避けようと、速やかに室内への誘導を企んだが、対面した艶子の表情に、果恋は言葉を失ってしまう。
先週末までの、幾度となく果恋を怯ませた美しすぎる無表情が、そこにはない。
「よかった……帰ってきて、くれて……」
あったのは、膨れ上がった不安を安堵の針で破裂させた、脆く儚い憂い顔。
「あなたに何かあったら……あたし……あたし……」
「艶子……」
『姉』による天井知らずな慈愛に、果恋の覚悟が揺らぐ…………
…………わけにはいかない!
果恋は絆されかけた心臓を戒めるように、瞼を固く閉じて首を小刻みに振った。
(チョロい、チョロすぎるよ私! ラノベの有象無象ヒロインでももっと身持ち固いよ……!)
深呼吸しながら艶子の肩に手を乗せ、双方を落ち着かせる。改めて対面する艶子の憂い顔は、彼女の代名詞だった無表情とは対照的なものの、美しさに変わりはなかった。
そもそもこの美人レベルが悪い。果恋は理不尽に思うことで冷静さを取り戻す。
ほんっとクッソ美人だなこの人……その素材で憂いなんて駆使したら誰だって絆されるわ。よく考えたらなんでさも当然のごとく留守番しているんだ? 家にあがっているんだ? 美人だからか? 美人だから不法侵入程度なら『心配性が過ぎるお姉ちゃん系ヒロイン』ってことで免罪になるのか? 人生イージーモードだなあ実は乳首がどす黒いとかだったらいいのに。
とにかくこの美貌は凶器だ。力尽くな慈愛に与えられた金棒だ。
艶子のペースに流されてたまるかと今一度果恋は気を静める。一呼吸置き、あえて堂々と彼女の目をみつめた。
「心配させてごめん。連休中はさ、友達の家に行ってたんだ。」
「ともだち……?」
「うん。」
見据えていた視線を促すように流す。
果恋の視線に誘われ、艶子が向いたその先では、
「おいっす~。」
奇抜で妙に垢抜けた美少女が、某コントグループリーダーを彷彿させるポーズで、暢気かつふざけた初対面の挨拶をかましていた。
「……?
…………おいっすー?」
力尽くな慈愛と手荒な愛の、ゴングが鳴る。