01 ラブストーリー未遂
手荒な恋がはじまるまで、あとすこし。
長い前髪の隙間から映えるロープの輪が、生前最後の景色なのかと日生は途方に暮れた。
もとより、くそみたいな人生だったのだ。いまさら後悔も絶望も無い。ただただ情けない自分の最期に、呆れ返るしかなかった。
真夜中の都立公園。桜の名所として名高いこの場所も、明日以降は心霊スポットにクラスチェンジだ。東京中の頭スカスカな連中が、肝試しと称して自分の亡霊を拝みに来るのも悪くない。
その際には文字通り、全身全霊を注いで呪ってやろう……と、くだらない野望にほくそ笑んでしまうあたり、日生は自分が生きる価値のない人間であると再認識する。
陰湿だなあ、自分。名前負けしているとよく評されたけれど、そのとおりだ。
冷静に吹っ切れる。
そうだ、やはり死んでしまおうと。
大丈夫。都立公園なのだ。朝一番に誰かしらが発見してくれる。トラウマを与える相手は最小限で住むはずだ。
報道はどの程度だろう。
新聞記事はどのくらい占めるだろう。
ネットやSNSで特定拡散くらいはされるだろうけど……きっと顔写真が載った瞬間に、「はい解散」で終わる気がする。こういう事件ってのは、美男美女でないと祭りにはならないのだ。
……もうやめよう。
死の間際、無意味に沸いた承認要求に、日生はまた自己嫌悪する。
とりあえずスマホとパソコンの全データは消去したのだから、黒歴史が暴かれないだけ良しとしなくては。
今度こそ前向きに吹っ切れる。よし死ぬぞ。さあ死ぬぞ。
前向きに最期へ臨むと、無駄に長い前髪が幕引きのように視界を遮った。
生にしがみ付くつもりなど更々無かった。
ほんとうに死ぬつもりだった。
今度こそ、本当に今度こそ、ロープで首を括るつもりだったのに、その輪を潜り抜けることが、出来なくなってしまった。
……少女だ。
首吊り用の輪の向こうで、少女が此方を見上げている。
まぼろしか、もしくは死後の先輩となる亡霊なのか。非現実的な憶測を巡らせながら、前髪の隙間から少女を凝視する。
齢はおそらく日生と同じくらいの、十代半ば。
丈の短いスウェットワンピースに底の厚いスニーカーを合わせ、グレーのメッシュが入った無造作な三つ編みを垂らした、妙に垢抜けたその少女は、今まさに「死にますよ!」と言わんばかりの日生を、驚きもせず止めもせず、まじまじと眺めている。
いつから傍観されていたかは判らないが、視線が合ったのはたった今。
「ねー、死ぬの?」
その、「たった今」が起きるなり少女は、ふつうに話しかけてきた。
あまりにもごく自然に切り出された会話に日生は固まる。自分の意に反して、死への一歩を踏み止めてしまう。
「……その、予定……」
しまいには変な受け答えにまで応じてしまう。
しかし返答を聞くなり少女は、「おおー」と、効果音のような感嘆を口にし、目を輝かせ丸く見開いた。
それだけじゃない。なんとその場に座り込み、引き続き日生を見上げ眺めた。まるで観客だ。となれば、踏み台にしているプラスチックコンテナはステージと言ったところか。
ちがう。そうじゃない。
日生は小刻みに首を振り、余念を振り払う。
「いや……なにしてんの?」
至極まっとうな疑問を少女へ投げかける。
なんで見てるんだ? とか、なんで座る? とか、見せ物じゃないんだが? とか、そもそも驚けよ! いやとめろよ! 等々……、質問や意見はいくつかあったのだが、総合すると「なにしてんの?」が最も妥当で単純明快であった。
本当に何をしているんだ、この女は。
「首吊り自殺ってさー、顔の穴という穴から色々出てくるって本当かなー?」
そして何を言い出すんだ、この女は。
日生の顔面がぴくりと麻痺する。
「あと、うんことおしっこ垂れ流しになるってのも本当なのかな~?」
更にぴくぴくと、顔を強張らせる日生と対照的に、少女は表情明るく声を弾ませた。
「都市伝説的に有名な話でしょ? せっかくだから検証しちゃおっかなって思いまして。」
この屈託のない謎の神経……途端に日生は察した。
よもやこの少女は、凄惨な言葉を用いて脅かすことにより、そしてあえて飄々と振る舞うことにより、自殺を食い止めようとしているのではないだろうか……と。
自分を、助けようとしているのでないか、と。
決心が揺らぐ。
ああ、我ながら情けない。
こんな、見るからに舞浜あたりでネズミの耳付けてバケツサイズのポップコーンを食べ歩いていそうな女に、手を差し伸べられるなんて。
こんな、くそみたいな人生に、一条の光を期待してしまうなんて。
もう一度、輪を通して視線が合う。少女はにこりと笑い、立ち上がる。短いワンピースの地についていた部分を、あどけないしぐさでぱっぱと掃う。
ロープを握り締めていた手が震えた。
前髪の隙間から光が差す。
少女の微笑みが、尊い。
情けなさ、悔しさ、惨めさ、切なさ……すべてが混ざり合う負を打ち消してしまう、言い様の無い温かな感情に、胸が熱くなった……
……────次の瞬間である、
「せーっの! どーんっっっ!!」
屈託のない笑顔から繰り出される軽快で粗雑な素人の蹴り。
少女は一切の躊躇い無く、日生が踏み台にしていたプラスチックコンテナを蹴り飛ばした。
ただでさえ不安定に積み上げられた二台のコンテナは容易く崩壊し、日生は「うぎゃあッ」と漫画みたいな声をあげてロープにぶら下がる。
しかも安物の縄プラス自身の体重が災いし、握り締める手の中では耐え難い摩擦熱が畳み掛けてくる。熱を帯びた痛みに負け、日生は地面へ落下した。
怪我を負うには足らず、打ちのめされるには充分な高さからの落下。
なさけない。なんて情けないんだ。……いいや、そんなことより、
なにしてくれてんだこのクソ女。
「なにしてくれてんだこのクソ女……!」
心の声がそのまま言葉に出た。
本日一番の声を張る日生を見おろしながら、少女は愉しそうに腹を抱える。
「あはー。ぜったい死ぬ気ないやつじゃーん。」
悪びれず無邪気に笑う少女が、数秒前の救済の女神から一転、命を弄ぶ死神にみえた。
さっきまでは愛らしいおみ足として捉えていた丈の短いワンピースも、今じゃパンツ丸見え下品なアバズレ装備だ。
やっぱりこんな、夢の国でネズミの耳付けてチュロス咥えて頬張って歩いていそうな女、ろくな奴じゃない。
はっ倒すぞ。今度は声にならず口をぱくぱくした。
止まりかけた心臓が動悸を強める。冷や汗で前髪が不快にくっつく。摩擦で掌がまだひりひりする。地面に打ち付けた尻も痺れている。
……ああ。痛いほどに噛み締めてしまう。「生」の実感を。
「生きておられますなー。」
エスパーかこいつは。心を読まれたのか? と、隙をみせたせいかもしれない。
体勢を立て直すよりも先に、少女は腰を抜かした日生に跨り、きわどい体位で接近してきた。
動揺で硬直する日生の顔へ、大胆に触れてくる。されるがまま、日生は問答無用で前髪をかきあげられ、開けた視界のど真ん中に少女が現れた。
「おおー。」
露わになった日生の顔面を見据えるなり、少女はまた効果音みたいな感嘆を溢す。
日生のほうも、不覚にも内心「おお……」と感嘆していた。
付け加えるのなら赤面もした。
しぐさ、言動、表情……どれを取っても幼さが残るあどけない少女だ。しかし、一見不釣合いに見える濃い目のアイシャドウと、マットなリップに全く引けの取らない華やかな顔立ちをしている。
美少女だ。些か、個性的で派手な身なりをしてはいるが、まごうことなき美少女である。
「ねーねー。おなまえは?」
見とれる猶予も与えてくれずに、少女は距離感を弁えない質問を迫ってくる。
「えっ……あ、……ひなせ。」
その弾んだ声と無垢すぎる瞳に圧し負け、日生は短直すぎる自己紹介をしてしまった。
とたんにまた、少女は「ほほう」と、あざとくうなる。
「「ひなせ」くん、どういう字書くの?」
「……へ? あっ……曜日の「日」に、……生物の「生」で……日生。」
「へえ~、名前までイケメンだあ。」
いけ……めん?
生まれて十六年。一度も賞されたことのない単語がダイレクトに脳を殴る。嬉しさや照れよりも、疑惑と、少々の軽蔑も交えた妙な眼差しで、日生は少女を見据えた。
「あ! あのね、アメリはね、アメリっていうの。」
疑惑の眼差しもなんのその。少女は無邪気に名乗った。
はい。もう覚えました。二回言いましたよね、名前。日生は胸の内でのみ丁重に突っ込みながら、唖然と無言を貫く。
アメリ、と名乗る少女は続けた。
「一応名前は漢字で書けるんだけど、片仮名で「アメリ」って呼んでほしいな。ほら、昔の映画であるじゃん。女の子がスプーン持ってるやつ。あんな感じね。」
存じあげません。また胸中でのみ呟く。
そろそろこの、力技なコミュニケーションにも疲れてきた。そして今さらながら、もしかしたらとんでもなく面倒な相手に捕まってしまったのではと、日生は考える。
自殺直前の遭遇。容赦無い阻止。距離感のおかしい会話。羞恥の欠片も無い接近接触。
跨ぐな、初対面の相手を。そんな短いスカートで跨いでくっ付くな。いかがわしい。
手荒な出会いに朦朧としてくる。
「あのね、あのねあのね! 日生くんっ、」
そしてさも当然に呼んでくれるな。
日生がたじろぐ一方で、物理的にも精神的にもアメリは詰め寄った。
「日生くんって、変な宗教ハマってたりする?」
なんの脈絡のない唐突な質問。この短時間で思い知らされた彼女とのやりとりを考えれば、最早驚くほどでもない展開だ。
「いや……ない、けど……」
日生はどこか降参する形で返答した。
「ギャンブル好きでお金遣いが荒いとかは?」
休みなく次の質問が続く。
「……ないけど……」
流れに乗せられてまた返答する。
「女の子殴ったり、DVの気は?」
「……ないけど。」
「ハンドル握ると性格変わるとかは?」
「……ない。」
「下半身がだらしないとかは?」
「ない。」
「彼女いる?」
「いるわけない。」
「よっしゃっ!」
不覚にも徐々に良くなるテンポに、最後あたりは素で答えていた。お陰で頭も冷静になってくる。何が言いたいのだこの女は。
あらためて眉を顰めるのも束の間、やわらかな両手が日生の頬を挟んだ。
「じゃあさ日生くん、」
アメリは無遠慮に粗雑に日生を包み込むと、充分に接近した真正面で、表情と声を甘くとろけさせた。
「死ぬくらいならアメリを彼女にしてよ。」
無垢な瞳が艶めく。
周囲の空気が色づく。
二人の時間が、とまる。
「え、無理。」
日生の即答により現実世界はあっけなく通常運転を取り戻した。
情緒的な雰囲気を醸していた(つもり)のアメリの表情が、乙女から一転、ひな壇を飾る若手芸人となる。
「ええー! なんでなんでなんでー!?」
リアクションにも、最早乙女は気配すらない。
そもそも何故良い返事がもらえると思ったのか。日生は未知の生物を見る目で、あくまで真剣に、理解に苦しんだ。
無理に決まっているだろう。自殺者を傍観して、あまつさえ他人様の糞尿が垂れ流れる(かもしれない)ご遺体を拝む気満々だった女なんかと、どこをどう間違えて恋に落ちなければならないのか。
「だって日生くんって絶対モテないでしょ!? 自殺考えるくらいだし! そんなときにこんな可愛い子に告られたらオッケーしない? 普通!」
自分で言うか普通。
日生は更に更に不可解な眼差しでアメリを眺めた。
眺めるうちに思い出す。そういえばこいつ、踏み台蹴り飛ばしてくれたよな。下手すれば死んでたよな、あれ。いや死ぬつもりだったのだけど。
……やはりだめだ。考えられない。美少女とはいえ、こんな相手とロマンチックドラマチックその他諸々を始めるのは、土台無理な話である。
それに、だいいち……
「アメリ身持ちめっちゃ固いよ! 超一途だよ! 超尽くすしー!」
「いや、そういう問題じゃ……」
どうあがいても無理なのだ。
理由も説明も聞く耳持たず、諦めきれないアメリは、強硬手段なのかはたまた勢い任せなのか、ただでさえきわどい体位から、押し倒すように抱きついてきた。
「なんでなんでいいじゃんケチー! とりあえずお試しでオッケーしてくれたっていいじゃ…………ん?」
何が身持ち固いだよ、このアバズレが。日生が反論を発するより先に、アメリの反応に異変が起きる。
アメリは気づいたのだ、違和感に。
抱擁により感じ取った、肉体の繊細さ、柔らかさ。
自分と同じ箇所に、同じ二つの膨らみが、日生にも、在る。
瞬時にがばっと身を離したアメリは、そのまま躊躇いなく日生の胸を両手で掴んだ。むしろ握った。遠慮無く揉んだ。
「……日生くんって、…………日生ちゃん、なの?」
「おせーよ。」
降参か、疲れきったのか、日生は揉まれたまま淡々と突っ込んだ。
真夜中の都立公園。
自殺未遂者と殺人未遂者。
きわどい体位で胸を揉む女と、揉まれる女。女同士。
変な空気が充満したのは、言うまでもない。
ロマンチックドラマチックその他諸々、
恋がはじまるわけがない。
「うんっ! 全然問題ないです。付き合ってください。」
「問題だらけだから、無理。」
どうやら断念するにも、早いらしい。
日生果恋および、雨宮アメリ。
手荒な恋を創めるのは、まだすこし。




