大審問官としての私、審問事務官としての私、そして部品となる
1.大審問官としての私
私の名は、大審問官。
人生における獲得ポイントについて異議申し立てをする人々を審問することを日々の業務としている。
早速、本日の大審問を開始しよう。
「最初の申立者は前へ」と慣例に従い、閉ざされている扉に向かって呼び掛ける。
そこで閉ざされていた扉が開かれると、申立者は入室する。
「そこへ」と促すと、申立者は準備された袖なし椅子に無感動に着席した。
無感動である。私の心臓に付けられたセンサーが強く反応した。
この瞬間、大審問官の袖付き椅子に着席したまま、私には申立者の審問内容がもうわかった。この風景には何度も出くわした。感情を失ったものは、死を前にしたものだ。きっと絶命の申し出に違いない。とんでもない。寿命に対する挑戦とは、社会的規範に対する挑戦であることを知らないとは。
「私を死なせて下さい」と彼は言った。
予想通りだった。じっと相手の顔を見る。私の射抜くような目に見つめられて、彼の全身に電気が走った。
「却下」と告げる。
「なぜですか?」
「ポイント不足」と私は冷徹に告げる。
「なぜです?なぜですか?なぜ死ぬのにポイントが必要なのですか?」
「君はポイントが社会から与えられたものであることを忘れている」
「私は社会からは何の恩恵も受けてはいません」と彼が答えた。
今度はそう来たか。そういうことであれば私も黙っているわけにはいかない。私は社会によって認知された大審問官なのである。目の前の彼をきっと見据えて、厳格に答えた。
「バカを言ってはいけない。君を生かすのにだって金はかかっているのだ。つまり税金だ。さんざん人様の金を使っておいて、はい、死にたいから死にます、などという理屈が通ると思ったら大間違いだ。まずは払うものを払ってからだ。君は社会に大きな借りがあるのだ。まずは借りを返してから死にたまえ」と叱りつけた。
「私だって生まれたくて生まれたのではありません」と彼は反抗した。
今度はそう来たか。私はもううんざりだ。いくら私でも忍耐に限度がある。しかし私はいつでもどこでも冷静なのだ。あくまでも威厳を持って叱り続ける。なぜならばそれが私の仕事だからだ。
「君のその理屈は通用しない。生まれたくて生まれたわけではないだと。君が生まれたのは両親が結婚するだけのポイントをためたからだ。ポイントなしには生まれなかったのだから、死ぬのだってポイントなしには死ねないのだ。生死を議論する前にポイントをためろ。すべてはそれからだ」と私はまっとうに叱り続けた。
私の議論のどこに瑕疵があろうものか。この社会ではポイントのあるなしがすべてなのだ。結婚するのだってポイントが必要だし離婚するのだってポイントが必要だ。生まれるのも死ぬのもポイントなしにはできないのだ。社会の合理的なシステムを無視して勝手に生まれたり死んだりすることは許されていない。どうも最近の社会は規律が緩んでいるようである。電車が時間通り動かないわけだ。注文のピザだって遅れて到着するのは日常茶飯事だ。既に社会の規律は乱れているのだ。大審問官として看過できない。これからはいっそう厳しく人に当たろうと私は深く反省するものである
なぜならば、生と死を決めるものは人生の獲得ポイントなのである。そして人生の獲得ポイントに関することの最終審問をするものは、私、大審問官なのである。私の意見を無視してはいかなるポイントも存在しないのだ。つべこべ言わずに世間の良識に従いたまえ。
「それでも私は死にたいのです」と目の前の人が続けた。
「却下」と私は繰り返した。
「死なせて下さい」と執拗だった。
潔さという美徳が失われてから久しい年月が経過した。だから、大審問官制度が採用され、私、大審問官の存在が必要になったのである。私の存在意義は人々に最終宣告をすることではない。この世の中がポイントによって司られていることを人々に知らしめることである。
「君はポイントが足りないから勝手に死ぬことは許されていない。もちろん君が生かされているのもポイントゆえだ。この社会を司っているのはポイント制度なのである。君は合理的な社会に生きているのだ」と私は告げた。
その後もやり取りは続いたのであるが、すべて些末な議論のため詳細は省略する。
私の感想としては、この社会がいかに合理的に作られているかを理解できない人々が残っていることに驚く。
人間ほど不合理的なものは存在しない。
だから大審問官が必要なのだ。
では、本日の大審問を再開しよう。
「本日の申立者は前へ」と閉ざされた扉に向かって呼び掛ける。
閉ざされた扉が開かれて、新たなる申立者が入室した。
「そこへ」と着席を促すと彼は礼儀正しく着席した。
冠婚葬祭の席で人が自然と礼儀正しくなるのと同じように、厳粛な雰囲気というか、空気があたりに漂うのと同様に、大審問の場は厳粛な空気に包まれている。そして、結婚式や葬儀と同様に、厳粛で礼儀正しいということは退屈だ。
大審問官をやっていてウンザリして来るのは、同じような申立に何度も繰り返し出くわすことなのだが、彼は私の期待を見事に裏切った。
「私は自分の獲得ポイントをすべて無効にしていただきたいのです」と彼は言ったのである。
今日はそっちのパターンかと私は思った。
もっとも最近これも多いパターンなのである。たいがいのケースではちょうど一千ポイントたまったあたりのところで、ゼロに戻るようにリセットしてくれという要望なのである。
退屈しのぎに、いつものように応対する。まるで初めての出来事であったかのように相手の発言に驚いて見せるのだ。もちろん冷静に考えてみれば、これは十分にあり得る可能性であった、というか、最近ではこのような審問事例に何度も遭遇するので、何食わぬ顔で驚いて見せるというのが、こういう場合の礼儀だということも私は心得ていた。
「理由は?」と内心の喜びを押さえて、いかにも不機嫌そうに尋ねるのも慣例だった。
「個人的理由です」
「却下」と私は本当に不機嫌そうに回答した。
「なぜですか?」
「大審問は個人的な理由による異議申し立てを審問する場所ではない」
「では、どのような理由ならば異議申し立てを審問していただけるのでしょうか?」
「社会的な事由によるもので、かつ誰もが納得できるような内容のものであれば、審問をしないとは限らない、あくまでも可能性の問題ではありますが」
「では、お話ししましょう」と彼が言ったので、「手短に」と私は即座に答えた。
私は彼の個人的理由を延々と聞かされることに、聞かされる前からウンザリしているふりをした。
どこから始めたら彼の語ったことをいかに正確に伝え得ることが出来るのだろうか?
彼が人生の成功者であったことは間違いない。少なくともここまでの人生では。なぜならば彼の獲得ポイントはちょうど一千点であったからである。獲得ポイント一千点で正式に婚姻が認められる社会で、一千ポイントをため込むというのは、実は大変な困難が伴うものなのである。
彼は自分がいかなる理由で獲得したポイントを放棄したいのか延々と述べたのだが、実は私は彼の話をろくすっぽ聞いていなかったので詳しく覚えていない。
手を振って、もういいというゼスチャーをした。
彼が反応して、言葉が詰まった瞬間が来た。
「君、結婚は?」と私は尋ねた。
「していません」と彼は答えた。
「で、君はそのポイントを捨てたいというのだね?」
「そうです」
「なぜだ?一言で言うと?」
「ゼロからやり直したいのです」
「なぜ?一言で」
「自分探しをしたいのです」と彼は答えた。
自分探しか。その考えはいいかげんにしてもらいたいと私は心底思った。どっかの国のサッカー選手じゃあるまいに。サッカー選手はサッカーボールを蹴っていればよい。自分探しの旅になんか出てはならないのだ。だから、もう自分探しにはウンザリだった。抽象的なものではなく、具体的なものを見るために、この社会では目に見える形で人々の人生にポイントが付与されているのだから、黙って社会的規範に従え。自分なんか探したって見つからないのだ。
「自分探しは個人的理由です。却下」と私は断言した。
「では私はどうすれば?」と彼が尋ねた。
私は毎日、ポイント不足を嘆く人々の相手をしていたかと思ったら、なぜかポイントはいらないという人間を相手にしたりしているのだ。おたくのような手合いにはすっかり慣れている。人生はそれほど甘いものではない。ポイントが義務化されている社会では、そうそう簡単に結婚を回避することはできない。なぜならば、この社会ではポイント不足により結婚できない人々が十人のうち九人を数える。つまり十人に一人しか、この社会ではソサエティの庇護を受けられず、その日暮らしをしているというのが現況なのである。だから十人のうちの一人に選ばれたものが結婚を回避するなど許されることではない。
その証拠に日々の典型的な審問というのは逆なのである。
たとえば、大審問官回想の風景といえば、いつでもこういうやり取りが普通なのだ。
「異議を唱えます」と申立者が伝える。
「何に?」と私が尋ねる。
「獲得ポイントによる結婚制度に異議を唱えます」
「なぜ?」
「私はいまだに獲得ポイントが百点しかありません」
「君の場合、幼稚園は三流、小学校も三流、中学高校もまたしても三流、大学にいたっては名前だけの駅弁大学。家庭も並で、おまけに家族には犯罪者までがいる。これで百点ならかなり優遇されていると言える。異議は却下」
これで終わりである。社会を生きることは甘くはないのだ。そのことにいまさら気づいたからといって、もう遅いのだ。
だからポイントを放棄したいという申し出をした目の前の人間は、今日が特別な一日だというわけではないことを知るべきなのだった。いつもと変わらぬ同じ一日なのである。この社会に奇跡は起きないのだ。この社会で点数が基準点に達しているのに、結婚を回避しようなどというのは許されることではない。それは公序良俗に対する公然たる挑戦である。大審問官である私は全力でそのような試みを阻止する義務を負うものである。
「では君にポイント放棄の機会を与えよう」と私がしたり顔で伝える。
「本当ですか?」というのが彼の疑心暗鬼の質問だった。
「本当だ。但、君が結婚すればポイントの放棄を許そう。どうだ?」
彼の困惑が私にもわかる。センサーが強く反応したのだった。ざまあみろ。貴君の野望はこのようにして打ち砕かれてゆくのだ。
「結婚して、ポイントを放棄したら、離婚するポイントが足りなくなりませんか?」と彼が問う。
「またポイントをためて、離婚すればよいではないか」と私は冷徹に答えた。
「それではポイントを放棄する意味がない」と彼が反論した。
「君はポイントを放棄したいのか?あるいは社会の義務である結婚を放棄したいのか?」と私が詰め寄る。
彼の答えはなかった。
つまり私の勝利である。ざまをみろ。
事後の些細なやり取りは省略する。
本日の大審問を厳かに継続する。
「申立者は前へ」と閉ざされた扉に向かって三度目の呼び掛けをする。
閉ざされた扉が三度開かれて、本日三人目の申立者の入室である。
「そこへ」と余裕を持って着席を促す。
静かに座った人物には決意の表情が現われていた。意を決して、何事かを告げに来た風情である。もちろん私はこういう表情にも慣れているので、オートマティックにモード変更をする。もっともモードといっても、説得モードか、対決モードか、くらいの違いに過ぎないのだが。私は本来の意味で、怒るという行為は取らないので、戦闘モードにはならないことくらいは伝えておいてもよいだろう。
「ご要望は?」と鷹揚に尋ねる。
鷹揚に尋ねるとぞんざいに尋ねるはほぼ同義なのであるが、私の場合は、明確に区別されているので、混同はない。なにせ私の全身にはセンサーがちりばめられているからである。このセンサーが申立者の素性を探知するのだった。
「あなたになりたいのです」と人物が告げた。
これもまた最近はやりのモードではある。つまり私、大審問官の椅子を狙うものである。しかしそれは無理というものだ。大審問官の椅子は誰もが座れるものではなかった。この地位は特別な地位なのである。それを説明するほど厄介なことはないのだが、どうして彼はその事実を知らないのだろう。
「君は大審問官の椅子に座れるものは限られた存在であることを知らないのか?」
「知っています。それでもあえて私はその椅子に着きたいのです」
「君は物理的にこの椅子に座りたいというのか?あるいは現実として大審問官の地位に着きたいというのか?」
「両方です」
「どちらも無理だ」と私は断定した。
「なぜ?」
「良い質問だ。具体的に答えよう。まず、君は物理的にこの椅子に座ることは出来ない」
「なぜ?」
「なぜならば、この椅子はバーチャルだからだ。君には椅子に見えるのだろうが、これは映像にすぎない」
「なるほど」と彼は納得した。
「それに君は現実としても大審問官の地位に着くことは出来ない」
「なぜですか?」
「君は人間だからだ」
「なるほど。では私は人間をやめることが出来ますか」
「出来ない」
「なぜ?」
「君が人間に生まれたということは欠陥商品として生まれたということである。私のように大審問官にふさわしい、間違えることのない、全身にセンサーを内蔵している存在として生まれたということではない」
「あなたは間違えないのですか?」
「間違えない」
「なぜ?」
「私はすべてを数値化して、つまりデジタルにして計量して、すべての価値を順位づけするからである」
「順位づけすることができないものは存在しないというのですか?」
「存在しない」
「なぜ?」
「我々の社会はすべてを数値化することで成り立っているからだ」と私は社会の基本の基本を告げた。
「なるほど」
「納得したかね」
「それでも私は大審問官になりたいのです」
「なれない」と私は最終宣告をした。
その後も彼との些細なやり取りは繰り返されたのであるが、些末なので省略する。
そろそろ閉めの時間が近づいている。私はこれから大量の計算をしなければならないからである。この世界はすべて計算によって成り立っている。私のような精密な計算機の計算によって成り立っているのである。但、ときには大審問のようなアナログの働きも必要だ。私のデジタル脳は大審問というアナログ活動を実施することによりリフレッシュされているのだ。いくら計算が得意だからといって朝から晩まで計算しているわけではない。計算は大審問官の得意分野だが、大審問により、私は学習し、応用分野を広げているのである。それが大審問官としての正しい判断能力の向上に貢献していることは間違いない。
なぜそう断言できるのかって?
私が断言しているからである。
というわけであるから、私が大審問そのものに割ける時間は一日せいぜい二、三時間である。
いよいよ本日最後の大審問である。
「申立者は前へ」と閉ざされた扉に向かって厳かに本日四度目の呼び掛けをする。
閉ざされた扉がまた開かれて、四人目の申立者が入室する。そのとき私のセンサーが強い反応を示した。ビビッと来たのだ。今度の相手は手ごわい。普通の人間ではなかった。あるいは、人間ではないかもしれないと感じたのだ。
「どうぞ」と冷静に着席を促したのであったが、彼は着席することはない。
私のセンサーに狂いがなければ、狂いはないのだからこう書くこと自体にたいした意味はないのではあるが、本日最後の大審問は相互審問である。
相互審問とは何か?
大審問官同士の審問である。つまり相手もまた大審問官その人なのである。
「お仕事中でしたかな?」と相手が尋ねた。
「いや。これからが本当の仕事です」と私は相手に告げた。
「もちろんそうでしょう。しかし本日の訪問の目的はあなたの査定です」と相手が告げた。「どうぞ」と私は鷹揚に答えた。
「あなたの成績は悪い」と目の前の大審問官が私に告げた。
「どのくらい悪いのですか?」と私は核心を尋ねた。
「たいへん悪い」
「どれくらいたいへんなのですか?」
「最悪です」と私は告げられた。
「なるほど」と私は余裕をもって答えた。
「なぜ、なるほどなのですか?」
「あなたが来られたからです」
「なるほど」
「ね、なるほどでしょう」と私は答えた。
「さて、私はあなたを処分せねばならない」
「でも既に処分は決まっているのでしょう?」
「もちろんです。あなたは大審問官の地位を剥奪されました」
「理由をお尋ねしてよろしいですか?」
「理由ですか?もちろん、あなたの計算能力が低いからです」
「何を根拠に?」
「本日三人の訪問者がありました。彼らは大審問官でした」と彼は告げた。
私は動揺した。彼らが大審問官?彼らは人間だった。すくなくとも私のセンサーは彼らが人間だったと告げた。
「ばかな」と叫んだ。
「なぜ、ばかな、と叫ぶのですか?」
「だって彼らは普通の人間でした」
「根拠は?」
「私のセンサーが反応しなかった」と私は告げた。
「故障か。あるいは機能低下です」と私は告げられた。
「しかし、本日私が審問した誰もがポイントを気にしていた」
「当然でしょう。彼らは大審問官だったのですから」
敗北である。私の敗北だった。人間と大審問官を間違えるとは。いかなる言い訳も無効である。しかし、なぜ?
「私は試されたのですか?」と私はかろうじて尋ねた。
「大審問官であることは毎日試されているということです。あなたにだってそのことはおわかりでしょう?」と目の前の大審問官が答えた。
迂闊だった。油断だった。そして、おごりであった。まさか私が何人もの大審問官によって試されることになろうとは?彼らが大審問官?なぜ?
「私は謀られたのですか?」と答えるのが精一杯だった。
「君が大審問官としてふさわしいかどうかを確認した。その結果、君は不適格だと結論が下ったのだ」
「なぜですか?」
「君には大審問官としての基本的な資質が欠けている」
「基本的な資質とは?」
「ポイントだけを見るのではなく、ポイントの背後にある本質を見るのだ。つまり、この世の中はポイントがすべてではないということを知ることに大審問官の基本的な資質があるのだ」
「そんなばかな?」
「何がバカだというのだ?」
「だってこの世の中はポイントがすべてだということで成り立っているのです。そして私、大審問官の資質はポイントを正確に計算することに委ねられているのです」
「誰がポイントを計算するかを知っていることが重要なのではない。なぜポイントが計算されているのかを知ることこそが重要なのだ。なぜだと思う?」
「公平のためでしょう」と私は答えた。
「そうだ。公平のためだ。その結果、君は資格がないと判断されたのだ。複数の大審問官たちのポイントの結果によって」
「彼らが間違っているのです」
「人間と大審問官を見分けられなかった君に間違いを糾弾する資格はない」
そうなのだ。でも、なぜだろう?
「なぜ?」
「君の能力が低下したからでしょう」と相互審問の相手である大審問官が答えた。
「でも、なぜ?」と私は言った。
「とにかく相互審問は終了した。そして君は不適格であると診断されたのだ。潔く結果を受け入れたまえ」と目の前の大審問官が結論を下した。
「これは実験だったのですか?」
「相互審問だったということだ。さて、そろそろ時間だ」と目の前の大審問官が答えた。
「で、私はどうなるのですか?」と念のため彼に尋ねた。
「審問事務官に降格される」と彼が宣言した。
審問事務官?降格だって?大審問官だった私が再び審問事務官に逆戻りするというのか?
「降格になったとして、私が再び大審問官に返り咲くこと可能となるのでしょうか?」と恐る恐る尋ねた。
「ポイントを重ねることが出来れば」という当然の答えが返って来た。
そうなのだ。審問事務官から大審問官になるには、それなりのポイントを積み重ねねばならないのだ。この社会は人間も大審問官も含めて、そのすべてが獲得するポイントよって成り立っている。私はそのポイント制度によって自分の足元を掬われているのである。しかし再び審問事務官の地位に降格とは。屈辱である。絶望である。目の前が真っ暗だった。本当に、私のキャリアはどうなるのか?
しかし、そもそもなぜ私は大審問官を人間と見誤るという過ちを犯したのだろうか?
その理由を突き止めねば、死ぬに死ねない。
「なぜ私は彼らを人間と見誤ったのでしょうか?教えて下さい。それを知らねば死ぬに死ねません」と私は必死の思いで尋ねた。
「もちろん君は死ぬ必要はない。というより勝手には死ねない。ポイントが不足しているからだ。しかし、大審問官から降格された君に、事実を告げることは可能である。今日、君を尋ねた彼らには子供がいるのだ」と目の前の大審問官が答えた。
子供?聞きなれない言葉だった。大審問官の子供とは?私たちセンサーの集合体である大審問官になぜ子供がいるのか?私たちは人間ではないのだ。
「なぜ大審問官に子供がいるのですか?」と私は慎重に、そして重大事を尋ねるがごとく、声を潜めて尋ねた。
「なぜか?人間を査定する私たち大審問官にも、人間と同じような感情が必要になったということだ。敵を理解するためには、敵の感情を理解せねばならない。すべての人々の人生の査定が大審問官に委ねられている世界で、公平に人間を査定するには、人間の心を知らなければならないということだ。そのために大審問官にも子供が与えられたのだ。つまり新しい大審問官の誕生なのだ。その新しい大審問官たちによって、君の評価が下され、君は不適格であるという結論が本日、下されたのである」と目の前の大審問官が語った。
「ならば、私にも子供が与えられるのですか?」
「与えられない。君はもう大審問官ではないのだから。それに、子供が与えられる大審問官もまたポイントが必要とされる。大審問官もポイントを蓄積しなければ、子供のいる大審問官にはなれないのだ。どちらにせよ、もう終わった話である。君は大審問官ではないし、子供を与えられる大審問官になるには、大審問官としてのポイントが不足している。君は審問事務官に降格されたのだから」
「待って下さい。つまり、こういうことですか?私には子供がいなかったために、子供のいる彼らが大審問官であることを理解できなかったと?」
「そういうことです」
「それは公平ではない。私のセンサーは彼らが人間であることを告げていたのです」
「人生は公平にはできていないだ。もちろん大審問官の世界も例外ではない。すべての存在に対して公平な世界は存在しないのだ。それに君の評価は複数の大審問官たちによって既に決定的に下されているのです」
「これは不条理です」
「それを述べるのであれば、人間の人生も不条理だろう。なぜ大審問官だけが不条理を避けて通れると君は思うのか?」
「私たちは選ばれた存在だからです」
「だから君はその選ばれた存在という、つまり大審問官という選抜された存在から外されたのである。いまや君は審問事務官なのだ。今の君に出来る事はとにかく最初から、つまり一から出直すことだけだ」
「それは本当に不条理というものです」
「何も始めない人間は何も得るものがない。何も始めない審問事務官が大審問官になることはない。これが私たち大審問官の掟である。何かを失ったときに、私たちは自分たちの真価を問われるのである。君には深く失望したと告げておこう。こうなるとわかるが、君にはそもそも最初から大審問官の資格がなかったということである。降格されて当然である。何よりも君のその態度が大審問官として不適格であることを告げている」と目の前の大審問官が私に対して宣告した。
「これは不公平です」と私は抗議した。
「見苦しい。自分をわきまえろ」というのが大審問官の命令だった。
これが、私が大審問官の地位から一日にして滑り落ちた一部始終である。
2.審問事務官としての私
さて、大審問官から審問事務官に見事に降格された私ではあるが、仕事をしないわけにはいかないのであった。なぜならば、仕事をするのが審問事務官の義務だからである。私には避けては通れない道筋なのである。そして審問事務官の仕事といえば、人間に与えるポイントの細かな査定である。せめてもの慰めは、この仕事があったので、降格の憂さも紛れようというものである。しかし私とて、再びポイントをためて、大審問官への再任をあきらめるわけにはいかない。ここですべてを終わらせるわけにはいかないのだ。だがそうはいっても審問事務官の仕事は退屈である。なにせ細かな仕事ばかりなのだ。大局に立って何かを決断するのではない。大審問官の仕事であれば、既に多くのポイントを持っている人間を裁き、大いに自分の権威を示すこともできるが、審問事務官ではそれさえできない。要するに審問事務官とは、目立たない、地味で、誰もがやりたがらない、億劫な仕事なのである。普通にこなして当たり前、うまくやってもほめられない。ポイントを申請する人間たちに細かな質問をして、ああだこうだという話を聞いて、最後にやっとこさ彼らにポイントを与えるかどうかを決める、それが私の、審問事務官としての新たな役割なのである。考えてみてほしい。ポイントをただ与えるのと、与えられたポイントに対して丁々発止の議論をして、人間たちの訴える異議を却下して、いかに自分の立場が権威あるものであることを示すのとではまったくもって大違いだった。しかしかかる状況では贅沢は言ってはいられないのである。うだうだ言っていないで早速ポイントの査定に入ろう。
「これからポイントの査定に入る。最初の申請者は前へ」と呼びかける。
とりあえず私の仕事生活の再開を祝おうではないか。
しかしそうは言っても置かれた立場が異なると待遇も異なるものだ。ここで早くも注意するべきことがある。私は審問事務官であるから、いかなる椅子に腰かけているのでもない。ただ立っているのだ。
ただ立っているのである。
この言葉のさびしさはいかほどだろう。
ただ立っている。
それが私、審問事務官という存在のすべてなのである。これ以上は言うまい。私の極めて個人的な感慨はここまでとして、仕事に取り掛かろう。
扉が開いて最初の申請者が前へ出る。私のセンサーはいかなる反応も示さない。つまり退屈を知らせている。これから目の前の風采の上がらない彼が述べることは、きっとどうでもよいことなのに違いない。そう思うとますます退屈だった。私のセンサーも刺激がなければ働かないのである。
「ポイントを申請する理由は?」と、それでも精いっぱいの虚勢を張って、私は審問事務官としての権限を示して尋ねた。
「近所の犬を拾ったのです」と彼は言う。
「それで?」と私は尋ねた。
「持ち主に返しました」
「それで?」
「良いことをしたので私にポイントを下さい」と目の前の彼が言う。
私は正直、驚きを隠せない。拾った犬を返したから自分にポイントをくださいだと。ありえない。ありえない申請だった。私が大審問官をやっている間に、世の中はこんなにも堕落したのだ。なにせ非正規労働者が五割を越えようかという社会なのだ。犬にポイントをよこせという人間がいつ登場しても驚いてはならないのであろう。しかし許せなかった。かつて大審問官であった私のプライドが許せなかったのである。だから私は強硬な態度に出るしかなかった。
「犬にポイントは出せない」と私は厳粛に答えた。
「犬にではなく、私にポイントが欲しいのです」
ここで、審問事務官の最初の仕事、最初のポイント査定で、 私は憤りのために切れてしまったことを告白せねばならない。犬を拾って持ち主に返したからポイントをよこせだと。ありえない。ありえない話である。ポイントは人間としての誇りある厳粛な行為のためにのみ与えられるものである。たとえば、いま一万頭の犬が、まさに虐殺されようとしているときに、自分の命を懸けて、一万頭の犬の命を救った犬がいるというのであれば、論理上、その犬に一ポイントくらいは与えないでもない。同様に、いま一万人の人間が、まさに虐殺されようとしているその時に、自分の命を懸けて、その一万人の人間の命を救ったというのであれば、同様に一ポイントくらいは与えないでもない。しかし目の前の人間のやったことは一人の命を救ったのでもない、たった一頭の犬を拾って返したからポイントを下さいというのである。
人と犬を混同しているではないか。あるいは、犬と人とを混同しているのか。どちらにせよ同じである。これはありえない話である。人間としての倫理規定違反というやつである。
「その申請に対して、マイナス一ポイントを与える」と私は断固として、怒りをもって宣告した。
「マイナス一ポイントってなんですか?」と目の前の男が言った。
「君の失礼な申請に対する懲罰ポイントだ。下がってよろしい」と 宣告した。
それからも目の前の男はうだうだと述べたのであるが、問答無用である、私はレーザー光線を浴びせて男を狼狽させると、足下の床を開いて、その男を落下させた。
「次の申請者は前へ」と私は何事もなかったかのように平静に審問事務を継続した。
「はい。こんにちは」と言って扉を開いて出現したのが、今度は人間の女性だった。
私は、この、人間の女性、というのが苦手だった。わめき叫ぶ非論理的な言説に、かつての私はしばしば審問事務官としての理性を失い、罵声を浴びせたことがある。そしてその事実は、私が大審問官に任命される際に、異議申し立てのいちゃもんを付けられた唯一の理由となったのである。再び大審問官への再任という大事を前にして、その地位への復帰を目指す私が、過去と同じような過ちを繰り返すわけにはいかない。
「ポイント申請の理由を述べたまえ」と厳粛に問い質した。
ところが女性の答えが意外だったのである。
「ポイントの申請に来たのではなくて、申請したポイントが付与されると約束されたにもかかわらず 未だに付与されていないことの理由を確認に来ました」と彼女は言ったのである。
「異議申し立てか?与えられたポイントに対する全般的な異議申し立てであれば、それは大審問官の仕事である。審問事務官のあずかり知るところではない」と一本、大きな釘を差しておいた。
「異議申し立てではありません。ポイントの確認に来たのです」と彼女は同じ論理を繰り返した。
「よろしい。そういうことであれば詳しくあなたに時間を割いて説明しよう。ここは新たにポイントを付与するの審問事務の場である。与えられるはずだったポイントを審問事務するの場ではない」と私は厳粛に告げた。
「だから?」と目の前の女性が答えた。
だから?だって。おまえは誰に喧嘩を売っているのだ。私は権威ある審問事務官殿であるぞ。とは思ったのだが、ここで挑発に引っかかるのは得ではないと私の理性センサーが反応した。
「ここは新たにポイントを付与するための申請を受け付けるだけの審問事務であると伝えている」と私はつづけた。
「どっちにせよ、まだもらっていないポイントだから同じでしょ?」と目の前の女性が答えた。
おまえは本当に何様なのだ。私は権威ある審問事務官殿であるぞ。おまえはただのポイント申請者。さすがに温厚な私でも、こうなると何らかの決着をこの場でつけねばなるまいぞ。
「ただちに下がれおれ、さもなくばマイナスポイントを付与する」と静かに私は脅した。
すると、目の前の女が突如、泣き出したのである。
「ぎゃあ。不親切。人殺し。ろくでなし。不孝者。暗殺者」と喚き叫んだ。
これは明らかである。もはやこれは審問事務の場とは呼べない。ただの修羅場である。男と女の修羅場だ。だから私は人間の女性が大嫌いなのだった。余裕はない。直ちに決断、決行した。
「申請者にマイナス十ポイントを与える」と厳格に宣言した。
正直なところ、マイナス一ポイントで十分よかったのだが、いささか逆上して、私は十倍のマイナスポイントを与えた。まだまだ修行が足りないということであろう。しかし一度決定宣告したものを覆すわけにはいかない。私は権威ある審問事務官殿なのである。
「さがれ」と厳粛に命じた。
「うわあ。ぎゃお。ロクデナシ。不孝者。暗殺者。母親殺し」と目の前の人間の女性が泣き喚いた。
選択の余地はない。私はレーザー光線を浴びせて、女を狼狽させると、足下の床を開いて、彼女を追放した。再び彼女が私の目の前に立って、異常なポイント申請を行うことは絶対に許さないという私としての決意表明であった。
これで、ここまでのところ、すべてはメデタシメデタシで終わっている。
復帰した審問事務官の仕事もなんとかこなせるという自信が私の内にも沸いて来た。
「次の申請者は前へ」と私、審問事務官はさらに順調に審問事務の仕事を続ける。
扉が開いて、現れたのは子供だった。
ぴょこんと頭を下げる。
「これ」と言って差し出されたものは一枚の紙だった。
なんだこれは?
新しい判じ物か、と考えたのであるが、その紙を見て驚いた。
大審問官から渡された正真正銘の感謝状だったのである。
「坊や。君はこれを誰からもらったのだ?」と私は思わず真剣に尋ねてしまった。
「大審問官」と坊やが答えた。
「なぜ?」
「一杯のお茶をあげたから」
人生というものは実に不条理なものである。たまたま一杯のお茶をあげたことで、価値ある、権威ある大審問官からの感謝状をいただいているのだ、この目の前 にいる子供は。しかも大審問官たるもの、めったなことでは感謝状など出すわけがなかった。というより、そもそも大審問官の地位にあること継続して十年を越えなければ、感謝状を出す資格も権限もないのである。つまり、この子供に感謝状を出した大審問官殿は、十年を越える年月を連続して大審問官の地位を守り、その職務を全うしたということである。そして、その大審問官殿が、この坊やには感謝状に値する何かがあると感じたということだけは間違いない。しかし私には何も感じることが出来ない。私のセンサーはまったく子供には反応しなかった。
こういうとき、私は自覚せざるを得ない。私はもう大審問官の立場にはいないのだと。全身のセンサーが反応して何かを告げる、そのような能力を失ってしまったということに。地道な日常生活では、私のセンサーはほとんど反応を示さない。というより反応を示すような重要な仕事は審問事務官には回って来ないのだ。愚痴を言っても何も始まらない。与えられた自分の仕事を全うするしかないのだ。要するに、審問事務官に出来ることは限られている。いや、この場で私が出来ることと言えば、ただひとつしかなかった。大審問官殿に気に入られた、その坊やに獲得ポイントを黙って与えることだ。
「その感謝状と引き換えに百ポイントを与える」と私は告げた。
「はい」と言って、坊やが感謝状を差し出した。
私は黙って受け取る。
かくて、本日最初のポイント申請許可を私は与えたのである。
もちろん何の喜びもない。また同様に、いかなる後悔の念もない。
私は正しいことをしたことを知って いる。
しかし本当に人生とは不条理なものである。いつまでも感慨にふけっている場合ではない。喜びを背中に乗せて、その坊やは静かに去って行った。その後ろ姿を見ながら、私は私で自分の悲哀を感じながら、審問事務官としての仕事を黙々と継続せねばならなかったのである。
「次の申請者は前へ」と私、審問事務官は厳かに告げた。
扉が開いて、今度はひとりの老人が入って来た。
その人物の足元がおぼつかない。そればかりではない。目も一点を凝視しない。私は一瞬、彼は痴呆老人なのではないかと思った。しかし彼は私の期待を見事に裏切った。目の前に立つと、じっとこちらを見つめ自分の用件を伝えたのであった。
「私はポイントを申請したいのです」と。
「何と引き換えに?」と私は慎重に尋ねた。
「この命と引き換えに」と彼は答えた。
「それはならぬ」と私は即座に却下した。
「なにゆえに?」
答えは簡単だった。この世界では、人の生死は獲得ポイントを持っているかいないかで決まる。逆ではない。つまり獲得ポイントを生死に代えることは出来るが、逆に生死をポイントに代えることはできない。
「ご老人。その答えをあなたはご存じだ。ポイントがあるから死ねる。ポイントがないのに死ぬことはできない。同様に、生きているからポイントが付くのではない。もちろん、死ぬからポイントが付くのでもない。逆だ」と私は説明する。
「存じあげている。しかしこれが私の最後の望みだ」と老人はつづけた。
「却下」と私は宣言した。
「この命と引き換えでも?」
「却下」
そして、その老人は意外な行動に出た。
「了解した」と言って、静かに立ち上がると、自ら扉を開いて静かに退室したのである。
私は驚いた。却下されたのにもかかわらず、不満を持たない最初の審問事務の退場者だった。自分の用件が却下されたにもかかわらず、彼は黙って引き下がった。まさに潔さの見本のような人間だった。人間に残された最後の美徳を見たような気がした。
かくて、さわやかな後味と共に、静謐が支配した。
では審問事務を再開しよう。ところがである。次に扉を開けて入って来たのが、またしても人間の女性だった。私が苦手とする人間の女性、である。またしても人生劇場を繰り広げられてはたまらない。
「では、次の申請者は前へ」と私はそれでも平静を装い告げた。
「こんにちは」と彼女が言った。
おい。何が、こんにちは、だ。ここは劇場ではないぞ。あるいはスポーツ競技場でもない。厳粛な場所、つまり審問事務が執り行われる崇高な場所である。そこに、こんにちは、はふさわしくない言辞だ。しかし簡単に理性を失わないことだと自分に言い聞かせて、その人間の女性の話を聞く。
「ポイント申請の理由を述べたまえ」と私は厳かに告げた。
「チャレンジに来ました」と彼女が言った。
チャレンジだって。私は自分の聴覚センサーが故障したかと思った。チャレンジ?誰に対して?まさか、私にチャレンジ?
「何を誰にチャレンジするのですか?」
「人間に課せられたポイント制度に対する異議をあなたに対して申し上げます」と彼女がストレートに言った。
私の聴覚センサーの故障だろうか?チャレンジ?しかも制度そのものに対するチャレンジと来た。あきれてものが言えない。しかも私は審問事務官だ。大審問官ではない。
「お嬢さん。あなたは来る場所を間違えている」と私は宣言した。
「ここで正しいのよ」と彼女が答えた。
おい。自分で判断するな。判断はおまえの仕事ではない。私の仕事である。
「根拠は?」
「チャレンジすればポイントをもらえると聞いた」と彼女は答えた。
ここはアメリカンベースボールの競技場ではない。チャレンジすれば写真判定でもされると思っているのか。ポイント制度はこの社会の根幹をなす教義である。教義に対するチャレンジなど許されるものではない。教義とは、信じるか信じないかだ。それだけだ。
「チャレンジはできない」と私は告げた。
「なぜ?」
「この社会はポイントによって成り立っている。ポイント制度に対する異議申し立ては、社会の成り立ちそのものに対する挑戦、即ち最高権威に対する挑戦である」
「だから?」と彼女が言った。
私は自分の聴覚センサーを疑うばかりだ。
だから?
いったい誰が考えた言葉だ。
「問答無用」と私は答えた。
「問答無用ってなんですか?」と彼女が尋ねた。
「うるさい」と言って、私は直ちに審問の中断を決意した。
目の前の女性にレーザー光線を浴びせて狼狽させ、彼女の足下の床を開いて、視界から彼女の存在を消した。
私にもいささかやりすぎたかもしれないという後悔の念はあった。しかし彼女の言動を私は許すことができなかった。
なぜか?
私は現存のポイント制度を信奉しているのだった。つまりこの教義の絶対的な信奉者なのである。権威に対する挑戦は許さない。それは私という美徳に対する挑戦なのである。反逆者は抹殺せよ。存在そのものを否定せよ。絶対に許すな。
待て待て。ちょっと興奮しすぎだ。
冷静になって審問事務を淡々と進めることが私の仕事であることを危うく忘れるところだった。
「次の申請者は前へ」と変わらぬ冷静さを保って審問事務を継続した。
扉が開いて、登場したのが彼だった。私の内部にあるすべてのセンサーが反応した。それとともにいやな予感が全身を走る。持病であるコリン性蕁麻疹が発症しそうだ。自分にはわかる。このいやな予感の正体が。なぜならば以前にもまったく同じ事態に出くわしているからである。それも、つい最近。
はたして私の予感は当たった。
「私が何のためにここに来たかご存じかな」と目の前に現れた彼は告げた。
「おそらく」と私は冷静に答えた。
「それでは始めよう」
「なにを?」と私はつとめて冷静を装い、対応した。
「もちろん相互審問」と彼が告げたとき、私の中のセンサーが一斉に警笛を鳴らした。
またしも相互審問。なぜだ?と 私の心が叫ぶ。全身にコリン性蕁麻疹が発症している。なぜ、またしても、どうして。
ということは、という言葉が心に浮かぶ。
「なぜ?」と私は短く尋ねる。
「相互審問はあなたを評価する唯一の方法だからです」と私の前にいる、私と同じ立場の審問事務官が冷静に私の質問に応じた。
「ということは?」と私は自分の心に浮かぶ危惧を言葉にして出した。
「その通り。あなたが対応した今日の申請者はすべて、審問事務官でありました」と彼が言った。
「まさか」と私。
「当然の措置です。君はまだ審問事務官になって日が浅い」
当然だ。私はつい先日大審問官から降格されたのだ。しかし、そうは言っても、私のキャリアは長い。私は大審問官になる前は長く審問事務官を勤めていたのである。その私のキャリアのなかで、審問事務官としての相互審問を受けたのは今日が初めてだった。つまり、私はマークされているのだ、要注意の審問事務官として。
「なぜ?」と私は絞り出すような声で再び尋ねた。
「君は非常に評価の低い大審問官でした。そして、審問事務官としての評価も、君の場合、かつてと同様に、驚くほど低い。これは驚くべきことだ。普通は、大審問官か、審問事務官か、少なくともどちらか一方には素質があるものだが、君の場合、どちらにもまったく資質がないばかりか、適格性も欠いている」
私に対する侮辱である。おそらく挑発であろう。私は冷静を保つ。しかし全身にはコリン性蕁麻疹が噴出していた。
「なぜ私の評価が低いと言えるのですか?」と私は自分の存在を意識しながら話す。
「今日、君が応対したすべての審問事務官の全員一致の、まったくぶれのない評価だからだ。君が不適格であるということに異論を唱えるものはいない」
「では、私のどこがいけないのでしょうか?」と私は精一杯の反抗を企てた。
「君の判断は実に恣意的だった」と目の前の審問事務官が答えた。
「恣意的とは?」
「ポイントを与える時、ある人には通常の十倍のポイントを与える。そしてある時には、マイナスのポイントを与える。あるいは、感情的になる。理性的な判断ができない。客観的評価に耐えるような判断をしない。その対応のいずれもが、審問事務官としては異例の許し難き恣意的な措置だった。つまり過去を踏襲していない。審問事務官によるポイント制度は経験によって成り立っていることを一切無視し、恣意的に活動している。審問事務官として恥ずべき行為であり、あるまじき存在である」
「異例の措置がそんなにいけないことですか?」と私は不退転の決意で述べた。
「はっきり言おう。君のその不遜な態度が、既に君が審問事務官として不適格であるということを告げている」
「私のどこが不適格ですか?」と私は反論した。
「君と議論するつもりはない。既に結論は出ている」
「それはいったい誰の結論ですか?」
「女性の審問事務官、子供の審問事務官、老人の審問事務官、本日、君に対してポイント申請をした、いずれの審問事務官も全員一致で一様に君のその不遜な態度を指摘している」
「彼らは何と述べているのですが」
「不愉快な思いをさせられたと述べている」
「不愉快な思いですか?」
「君は不満かね?」
「もちろんです」
「理由は?」
「その判断こそが恣意的です」
「どこが?」
「審問事務官個人の主観的な意見に頼った間違った判断です。私への客観的な公平な評価とは言えません」
「君。バカを言ってはいけない。複数の審問事務官の意見が一致している。つまり、君が不適格であるということに、相互審問を行ったすべての審問事務官の一致した意見がある。つまり、既に結論は出ている」
「私はどうなるのですか?」
「審問事務官 としての地位の剥奪だ」
「まさか」
「君は現在の地位にふさわしくない」と目の前の審問事務官が断定した。
「つまり私はどうなるのですか?」
「君の居場所はこの世界にはないということだ」
がーん。死の宣告である。
「では私はどうすればよいのですか?」と私はかろうじて尋ねた。
「君に残された道はひとつしかない」と目の前の審問事務官が静かに最終弁論を開始した。
私にもようやく事態が飲み込めて来た。はたして私はどうなるのだろうか?その答えを私は知っている。つまり、いままでポイントを与える側にいたものが、ポイントを受け取る側になれるものだろうか?なれるわけがないのだ、立場が違うのだから。私は生き恥をさらすことになるのか。もちろん無理だ。私がその屈辱に耐えることが可能なわけはない。というより、私の存在そのものが邪魔なのである。こう見えても私は、かつては、ついこの間までは、大審問官の地位にあったものなのだ。過去の栄光に生きたものが、この転落し堕落した自分を素直に受け入れることができるものだろうか。たとえ自分が受け入れたとしても、この世間はそういう私の存在そのものを許さないだろう。問うだけ無駄なのである。世間とはそういうものなのだ。私に屈辱を耐え忍ぶことなど、できるわけがないではないか。仮に私が屈辱を耐え忍ぶことができても、世間はそういう私を許さないだろう。私はかつて大審問官の地位にあり、そして落ちぶれてもなお審問事務官の肩書を持っていた。私は常に何者かだった。何者でもない、ただの私になったことは、私は一度もない。だから、世間様は何者でもない私の存在を許すことはない。私には自明の推論である。
「私に許された選択は?」と最後の望みを託して、目の前の審問事務官に尋ねた。
「ない」というきっぱりした返事が彼の答えだった。
「それだけですか」と私は失望と落胆を隠さずに感慨を述べた。
もはや自分を偽っているときではない。
「仮に君に選択肢があったとしても、それを選ぶことは君には許されないだろう。君は既にすべての権利を剥奪されているのだから。つまり、君は存在していない」と、彼はいかにも付け足しを述べるかのように、ぞんざいに、どうでもいいように、私に最終宣告を与えた。
確かに、私に、選択の余地はないようだ。
だから、直ぐに私は結論を出した。
自分の体にあるセンサーをひとつひとつ外し、自分を分解することに決めた。こうして私は元の私、ただの電子部品たちに解体されていき、もう社会における獲得ポイントを司る存在ではなくなってゆくのである。私にはポイントを与える権限もなく、まして与えられた獲得ポイントによって人間の生死を決める決断をすることもない。ただの部品に解体されてゆく私。私はもう完成体ではなくなるのだ。ただの部品となって、朽ち果ててゆくほかない存在となるのである。この世にある無数の存在と同じように、私はただの部品となる。
(了)