幼馴染に耳かきをしてもらったら……
「あー、もう! また負けたー!!」
幼馴染の燐は悔しそうに呻きながら、肩をがっくりと落とす。負けるとは一回も思っていなかった様子だった。
しかし、テレビに映るマリオカートの表彰台には燐とは裏腹に二位になったことを喜ぶキノピオの姿。
「はいはい、残念残念。さ、そろそろマリオカートも飽きたし、スマブラでもやろ――」
「やだ! もう一回だけ! もう一回だけやろっ! 次は絶対に一位になって見せるから!」
「やだ。これで何回目だよ。さすがに飽きた」
「えー、次こそは絶対に一位になるから! よし、分かった。次、燐が負けたら……んー……何か言うこと一つだけ聞いてあげるから!」
また自爆発言をしやがって……。
負けず嫌いを爆発させる燐に、オレはこれ以上余計な口出しをすることを諦めた。こうなってしまっては絶対に引かないことを分かっているからだ。だからこそ、どっちの実力が上なのかを思い知らせるために、もう一度レースを行うことにした。
その結果――。
☆☆☆
燐はリビングのソファーに座り、頬を膨らませていた。
この表情から、燐がオレに負けたということは明らかだろう。そして、燐自らが言いだしたことに対しての不満が爆発しているということも。しかし、燐自らが言いだしたことを今さらなかったことには出来ない。いや、させるつもりもないため、リビングに座らせているのだ。
「ほら、準備出来たぞ」
「準備出来たって……本当にやるの?」
「当たり前だろ。ほら、膝を組むのを止めて、素直に下ろせ」
「はいはい」
燐は不満を隠そうとはせずに足を真っ直ぐに下ろす。
そして、オレは燐の太ももに頭を置き、テーブルの方を向いて寝転がる。しかし、オレが頼んだのは膝枕ではない。さらにその上位に存在するコミュニケーション――耳かき。
そのための準備は万全で、燐の横には綿棒が入ったケースとその上に耳かきが置いてある。しかも、その耳かきは先端が光る仕様の物であり、燐のために準備したもの。いつか、こんな日が来る時のために用意していたものだ。
まさか、こんな風に使う日が本当に来るとはなー。
なんとなく感慨深く思っていると、燐はその耳かきを手に取り、耳かきについているランプのボタンをカチカチと何度も押し、感触を確かめていた。
「はぁ……普通、幼馴染に耳かきなんかやらせる?」
「言いだしたのは燐、お前だろ?」
「それはそうだけど……せめて、ジュースとかそういうのじゃないの?」
「そんな簡単なものだと、『もう一回!』とか言いだしそうだからな」
燐の太ももがピクッと動いたのが伝わり、オレの考えていたことが当たっていたことが証明された瞬間だった。
「はいはい。でもさ、一つだけ困ったことがあるんだけどいい?」
「大丈夫だ。ちゃんと痛かったら言うから」
「そうやって先読みするの止めて。そう言ってくれるのはありがたいけど、恐怖心は拭えないんだけど?」
「それは何とかしろ」
「変な動画ばっかり見ているせいだ。あんな動画を上げる奴らが悪いんだ」
燐の次の不満は、オレが最近ハマっている『耳かきボイス』をアップしている人たちに向かって放たれる。
すいません、オレが尊敬している人たち。
オレは心の中で、全力で土下座しながら謝罪した。
「じゃあ、やるからジッとしててよー」
「おーう」
その言葉と共に耳の表面に撫でる感触とカリカリと言った音が聞こえ始める。
「うわっ、汚っ!」
「やり始めて、開口一番がそれかよ」
「だって本当なんだもん。ポロポロと耳垢が落ち来るんだし……。いつから、耳掃除してないの?」
「分からん」
「……最悪」
「逆に聞こう。燐はいつした?」
「……昨日」
「嘘だな。いつしたんだ?」
「……」
燐はオレの追及に沈黙し、耳掃除に集中し始める。
やっぱり覚えてないか。
思った通りの反応に思わず、オレは苦笑いをしてしまう。
「笑わないでよ。やり辛いでしょ!」
「悪い悪い」
「はい、反対」
「え? いやいや、ちょっと待て。表面しかしてないだろ? ちゃんと穴の方もやってくれよ」
「だ、か、ら! そこは怖いって言ってるでしょ? そこまでやる勇気ないの!」
「約束」
「……」
「約束」
「…………分かった。鼓膜破れても燐のせいにしないでよね」
「意図的じゃなかったら許す」
「ん、頑張る」
不意に耳の中に何か入る感触にオレは身体をピクリと反応させる。
燐はその反応に一瞬手が止まったが、声を出さなかったことに安心したらしく、小さく息を吐く。そして、ゆっくりと耳かきで中を撫で始める。
集中しているのか、燐は話しかけることはなかった。
それはオレも同じだった。
慣れているのならまだしも、慣れていない現在の状況では余計なことを言って、集中を途切れさせるわけにはいかなかったからだ。
もちろん、それ以外の理由もあった。
耳に異物が入っているという感覚で身体がピクリと反応し、他にもちょっと奥に入った時の警告――痛みが走った時に声が漏れそうになるのを我慢していたからだ。燐自身もそこまで奥に入れるつもりはなかったらしく、オレの身体の反応を敏感に察知して遠慮気味にしてくれていた。
「疲れる。こっちはもう良いでしょ? 次は反対」
「ん、よろ」
耳かきの先端を紙で拭いながら、燐はため息を隠すことなく漏らす。
頭を燐の方へ向けながら、膝に頭を置くと燐はハッとしたように、
「変なことしないでよね!」
と、慌てたように言葉を荒げた。
「しないから安心しろ。それ以前にこのタイミングで変なことをすれば、燐にオレの鼓膜が破壊されるだろ」
「あ、それもそっか。……匂い嗅がないでね?」
「死ねと言いたいのか?」
「口呼吸して」
「喉が乾燥して、風邪を引かせたいのか?」
「そんなに柔な身体だっけ?」
「可能性の話だ」
「……色々と最悪。さっさと終わらせる。ある程度の感覚は分かったし……」
燐はそう言うと、先ほどと同じように表面をカリカリとし始める。安全な箇所だけあり、動きも滑らかであり、音も感触も気持ちのいいものだった。宣告したようにさっさと終わらせるつもりらしい。あっという間に表面の方を終わらせ、穴の中に耳かきを入れ始めようと入口に振れる。しかし、穴の方はまだ度胸がいるらしく、入れる前に一瞬だったが燐の動きが止まってしまう。
「がんばー」
「他人事みたいに言わないでくれる?」
「実際、他人事だぞ」
「鼓膜破壊したら――」
「すまん、悪かった」
「そ。ありがと」
「おう」
燐はオレの意図が分かったらしく、小声で感謝を述べると穴の方へ耳かきを入れて、ゆっくりと上下に動き始める。左耳の時よりは少しだけ手慣れたらしく、痛みよりも気持ちいいという感覚の方が多いような気がした。
「ねー、どんな感じ?」
「んあ? 良い感じだけど?」
「ふーん」
「喋れるぐらいの余裕は出来て…んっ……」
燐が慌てて耳かきを抜くと、情けないようにため息を漏らした。
「ごめん。痛かったよね? やっぱり耳かきしながら会話しようと思ったら難しいなー。いけると思ったのにー」
「平気だ。このちょっとした痛みも痛気持ちいって感じだし……」
「あ、そうなんだ。じゃあ、もうちょっとだけしてあげる」
「……え?」
燐の心に恐怖が芽生えたと思ったオレは、燐の膝から頭を上げようとした。が、それを燐の手によって遮られる。同時に逃げられないように耳の穴に耳かきが挿入され、完全に動きが封じられてしまう。
「なんでノリノリなんだよ」
「んー、優しいなーって思ってさ」
「は?」
「左耳の時も今も、本当は痛かったはずなのに気を使ってくれているんだなって思うと嬉しくなったの。だから気持ち良くしてあげたいなって思ってさ」
「あっそ。楽しそうな声で言うなよ。つか、俺が言ったのは本当のことだからな」
「ふーん。ま、あと少しだけしてあげる」
「そこら辺は任せるわ」
「でも燐には分からないかなー」
「何が?」
「他人にされて気持ちいいって感覚が……」
「あー……」
オレはそこで言葉が詰まってしまう。
回答としては一つだけ言葉が思いついていた。
しかし、その回答を燐に言えるほどプライドも捨てていなかったため誤魔化すことにした。
「音楽を聞くのと同じじゃね?」
「どういうこと?」
「ベッドに寝転がって、音楽聞くのと同じような感覚だと思うけど。つか、説明が難しいな」
「へー。よく分かんないけど、燐はこうやって誰かに耳掃除をしてもらうなんて怖くてやだなー」
「こうやって膝枕からの耳掃除は、男の夢の一つだったりするんだけどな」
「くだらない夢の一つじゃないの? 前に力説してたじゃん。パイズリ云々、筆おろし云々……。いくら幼馴染だとしても女の子である燐に話す内容じゃないことは間違いないけど……」
耳かきの動きが止まり、冷たい視線がオレの顔に向かって放たれる。
そういうことばっかり覚えやがって……。
かなり昔に燐に力説してしまったことを黒歴史の一つでしかない。そのことを分かって、燐も言っているため、言葉が詰まってしまうのは当たり前だった。
「くだらなかろうが、してもらいたいと思っちゃうんだから仕方ないだろ」
「はいはい。その夢タイムはもう終わり」
「ん、サンキュー」
「どういたしましてー」
オレは燐の膝の上から頭を退けて、思いっきり背伸び。なんとなくだが、自分が耳掃除した時とは違い、少しだけ聞こえが良くなっているような気がした。
「あー、本当に疲れたー。今日はもう帰るね。またマリオカートで勝負!」
「負けず嫌いだなー」
「それが燐の性格だからね!」
そう言って、燐は玄関の方へ歩いていく。
オレも燐を見送るためにその後を追う。
「オレのくだらない夢の一つを叶えてくれてサンキュー」
「ん。ま、これぐらいなら簡単だしね」
「ビビってたくせにー」
「それはビビるっての! 本当に鼓膜を破壊してあげた方が良かった?」
「いえ、丁重にお断りします」
靴を履き終わり、玄関のドアノブに手をかけながら、燐はふとオレの方を振り向き、
「他のは順番が大切だけど、耳掃除ぐらいならたまにしてあげる。……だから、また言ってきてよ。練習しておくから……。じゃ、じゃあね!」
それだけ言い残し、燐は急いで玄関を出て行く。
その場に残されたオレはびっくりしすぎて、燐の言葉に返答する暇はなく、自然と閉まるドアを見ることしか出来なかった。
「ははっ……それ、遠まわしに告白じゃねーかよ。好きなのは気付いてたけど……、やっぱり近い内に告白してやらないといけないよな」
燐から言ってくることがないのは分かっているからこそ、オレは燐から言ってくることは期待していない。いや、そもそも告白を期待しているのを気付いている。
面倒だけど大事な幼馴染だから、その気持ちに応えてやらないといけないのだろう。
そんなことを考えながらオレは部屋に戻った。
その日の夜、隣から変な絶叫が聞こえたのは気のせいということにしとこう。
幼馴染の頑張りを認めるために……。