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歴史短編小説群

黄金の鞘、汁の縫い針

作者: 塔野武衛



 一目で敗軍と分かる一団だった。島津十字の紋が書かれた旗の多くは鉄砲などで穴が開き、集団の中で傷を負っていない者はごく僅か。何より人数そのものが敗勢を象徴している。その数たったの八十余人。それを軍勢に含めてよいものか判断に困る所だ。

 彼らの雰囲気は総じて重苦しい。まず先の戦において、数多くの仲間が壮絶な討死を遂げている事がある。御大将たる島津義弘を生きて薩摩に帰す為、島津豊久や長寿院盛淳ら多くの将兵が関ヶ原の地に散った。義弘に従った者達は皆本国の命令を無視して集まった義弘派とも言うべき面々で、当然結束力も高かった。その仲間の大半を、主君を逃がす為とは言え置き去りにしてしまった事は、彼らの心に大きな傷を残していた。

 第二には、もっと差し迫った現実的な危機からだ。即ち追っ手の存在と激戦の疲弊、そして兵糧の不足である。先述した通り、彼らには本国の支えが一切存在しない。西軍への加担自体が義弘の完全な独断であり、馳せ参じた者は皆手弁当での参戦。そしてそもそも島津家は慢性的な財政難にある。携行出来る路銀や兵糧などたかが知れていた。

 だが雰囲気を悪くしているのはそうした大局的な部分ばかりではない。時折彼らが視線を巡らす物体も、雰囲気を悪くする要因の一つと言える。それはこの場には似つかわしくない、黄金の鞘だった。その鞘を持つのは薩摩隼人の荒々しさからはやや遠い、確かな教養を感じさせる毛並みのよい顔立ちの二十二、三歳と思しき若武者だった。

 並み居る島津の猛者の中に、山田有信という男が居る。彼はかの耳川合戦の前哨戦である高城川原合戦にて高城を僅か五百の手勢で死守し、島津本隊の到着まで貴重な時間を稼いで勝利に大きな貢献を為した。秀吉の九州征伐の時にも同じく高城に籠り、当主島津義久の降伏命令が出るまで城を明け渡す事のなかった猛将である。そしてこの青年は有信の嫡子だった。名を有栄という。

 彼は島津家の後継者で教養豊かな忠恒と親しく、茶の湯や和歌など相応の教養を身につけていた。また朝鮮出兵では敵の恐るべき大軍勢相手に歴戦の将にも負けぬ奮戦を見せた文武両道の男だ。関ヶ原でもこの逃亡を成功させる立役者の一人となった。その武勇は生き残りの面々にも全く引けを取らない。

 しかしこの黄金の鞘は、そうした若いながらの武勲も何もかも吹き飛ばし、生き残りの面々を苛立たせる役にしか立っていないように思われた。何度も言うようだが、彼らの大半は島津本国の支援もないまま無断で駆けつけている。急ぐあまりに粗末な軍装の者も多く、中には同じく出陣しようとしていた者の武具を奪い取ってまで馳せ参じた者すら居る。その中でこの黄金の鞘は悪い意味で目立ち過ぎた。勝っている内ならまだしも、こうして無残な逃避行を余儀なくされている身では腹立たしく思わぬ方がどうかしている。

「お前様が日頃蓄えておられる銭を兵の代わりに携えて末森に駆けつけたら宜しいのではありませんか」

 嘗て蓄財に励むあまり軍備を疎かにしてこんな皮肉を言われた男が居る。銭で飯が食えれば苦労はない。まして黄金の鞘など何の役に立とうものか。

 やがて一同は適当な場所を見つけ、くたびれ果てたように座り込んだ。戦の疲労もさる事ながら、それ以上に空腹が深刻だ。一度など軍馬を殺して血肉にし、皆で分け合って食わねばならなかった。馬は武士にとって何よりの宝である。その馬すら食糧にせねばならないほど彼らは追い詰められていたのだ。

「……お歴々、ちと座を離れても宜しゅうございますか」

 不意に声を発したのは、誰あろう有栄だ。全員の視線がこの青年に集中する。

「無礼は承知で敢えて問い申す。何処に向かわれるおつもりじゃ」

 義弘の駕籠を担ぐ役の一人である中馬大蔵が、皆を代表するかのように問い質す。有栄とは対照的に貧しい下級武士の出身で、武勇一筋の『ぼっけもん』である。この典雅とさえ言える若者に含む所がないとは言えぬ。だが流石に朝鮮の戦で勇名を馳せた若武者は、この刺すような視線に動じた様子もなかった。彼は爽やかにすら思える声で、こう答えた。

「何処とは申せませぬ。ただ、この窮状に一石を投じ得る心当たりがあるのです。その為に一時隊を離れる事をお許し願いたい」

「よかろう」

 大蔵がなおも何か言おうとするのに被せるかのように、義弘が答えた。大蔵は納得出来ぬとばかりに義弘と有栄を交互に見るが、二人の意志は変わらぬと見て、不服そうに引き下がった。だがそれでも不信感は拭いがたいのか、有栄が見えなくなった頃に深々と溜息を吐きながら、こう漏らした。

「あん二才、嘘をついとうのほいならんのか。俺達を裏切うつもいほいならんだろうな」

「大蔵」

 低い、だが重い声で義弘が諭すように言う。その眼光に衰えは感じられない。

「奴は若いがよき武者じゃ。裏切るつもりならそもそもわしの下に馳せ参じたりはせん。黙って待つがよい」

 こう言われては反論も出来ない。大蔵は今度こそ渋々引き下がる。他の者も同じだ。心の中では、死線を共にし生き延びた仲間の一人を信じたい気持ちも確かにあったのだ。例えそれが、黄金の鞘など拵えて来る若造であろうとも。

やがて有栄が戻って来る。その場の誰もが驚愕して出迎えた。彼は米俵が積まれた荷車を曳いて現れたのだ。

「そ、そや一体いけんしたですか」

 またも大蔵が皆を代弁するように問う。それに対して有栄は汗を拭いながら、変わらぬ涼やかさで答えた。

「まあ、やれる事をやらせて頂いたまでの事です」

 そして彼は懐から銭袋を取り出して、笑みを浮かべた。

「少しばかりですが、銭も調達して参りました。これを路銀の足しにして頂きたく存じます」

「……弥九郎」

 義弘の視線は一点に集中していた。皆がそれに倣う。よくよく見てみると、あの輝ける黄金の鞘が何処にも見当たらない。その代わりに刀身を包んでいたのは、粗末なぼろ布だった。

「鞘などまた、拵えればよいのです」

 有栄は屈託なく笑って見せた。諸将はその様に、何も言う事が出来なかった。

その後何とか薩摩国に帰りついた人々は、あの黄金の鞘の真実を知った。あれは上方有事を知り、私財を擲って大急ぎで作らせたものであり、敗走の折に一時抜け出したのは人里に赴いて路銀や兵糧と引き換えにする為だったのだ。それを知った人々は一転して有栄の処置を褒め称え、以後有事に備えての蓄えをする習慣が出来たとされる。もっとも当の有栄本人はこの賛辞に対して、

「他に方法を考えつかなかっただけの事で、誇れる事でもありません。そもそも負け戦になどならぬに越した事はないのですから」

 と誇るでもなく平静を保っていたという。




「遠路はるばるゆうとお越しになられもした。ささやかではあいもすが宴の用意が整うておりもす。遠慮なく召し上がって頂きたく」

「これはかたじけない。お心遣い痛み入る」

 五十がらみの物腰穏やかな男が上座に座っている。着用しているのは粗末な木綿の裃だが、それでも隠れなき気品が諸々の所作から感じられる男だ。彼はこの出水の地に派遣された地頭である。その周りに座るのは在地の郷士を始めとする有力者だ。この日は鹿児島より派遣された新任地頭を歓迎する為の宴だった。

 ほどなくして、皆に膳が行き渡る。在地郷士の長老格が代表して音頭を取り、乾杯の唱和と共に宴が始まった。地頭も出された食事に手を付けるべく、汁物の蓋を開けた。汁を啜ろうと椀を口に近付けようとした手が、はたと止まる。ちらと横目で見てみると、側近の顔が蒼く、或いは赤くなっているのが見えた。それもその筈、汁物の中には煮込んだ蛙一匹が丸々入っていたのだ。地頭の視線を受けた郷士達は、素知らぬ顔で箸を進めていた。

 薩摩国出水は、肥後国との国境に近い。他国との交流を極力抑止する傾向にある薩摩藩にとっては最重要拠点の一つであり、薩摩武士の中でも特に精強な者達を配置せねばならぬと考えられていた。そして藩主島津家久は、気心が知れ、かつ関ヶ原生き残りの勇士である一人の男を出水の地頭に赴任させた。山田民部少輔有栄だ。

 関ヶ原の戦いから三十年が過ぎようとしている。その時はまだ瑞々しいとすら言える涼やかな若武者だった有栄も、この時五十二歳。関ヶ原生き残りの仲間達は既にその多くがこの世を去っている。彼らが護った島津義弘も例外ではない。既に戦国の世も遠い昔の話であり、薩摩藩にも戦を知らぬ若者が増えつつある時勢である。

 無論出水在地の郷士達は、有栄を知らぬ訳ではない。数少ない関ヶ原生き残りの勇士を知らぬ者など薩摩には居ない。だがそれでも、地方には地方の縄張り意識がある。中央から派遣された上役を快く思いはしない。この蛙汁はまさしく、彼らの縄張り意識を鮮烈に表した『洗礼』の類だった。

 だが有栄の取った行動は、郷士達の予想を大きく裏切った。彼は何も言わずに蛙の手足を箸でちぎり、平然と口に運んだのである。これには傍に控える側近達も唖然として声も出ない。

「関ヶ原から逃げる時も蛙は食べなかったが」

 蛙肉を咀嚼し終えた彼が静かに言う。

「鶏肉に似てなかなか美味だ。これは珍味と言って差し支えない。成程、わざわざわしの為にこのような珍味を用意して下さるとは光栄至極。余所者に対する格別の配慮には感謝に堪えぬ」

 これには郷士達も互いに顔を合わせるしか法がない。露骨に苦り切った表情を浮かべる者すら居る。長老が視線でその男を制しつつ、取り繕うように有栄の言に合わせた。

「さ、左様でございもすか。いや、民部殿をおもてなしすうにな並の食事では不足故、民部殿が食うた事のない珍味をと思い、用意させて頂いたござんで。気に入られもしたか」

「うむ」

 そう言いつつ、また蛙に箸をつける。痩せ我慢の類には見えず、顔色もすこぶるいい。そのまま淡々と蛙汁を残さず平らげてしまった。側近が未だ一口も手を付けていないのとは対照的だった。

 後日、有栄は先の宴に参加した郷士達を屋敷に招いた。無論郷士達の内心は穏やかではない。だがまさか招きを断る訳にも行かぬ。先の宴に出席した側近達の刺すような眼差しも、居心地を悪くする一因だった。

 やがて有栄が悠然と姿を現す。型通りの挨拶を終えた後、彼は早速本題を切り出した。

「忙しい所お集まり頂き感謝する。先日貴殿らに招かれた宴、大変寛がせて頂いた。余所者の身でありながらかくの如き厚遇感謝に堪えぬ。そこでささやかながら今度はこちらが貴殿らをもてなしたく存ずる。蛙汁の如き珍味に勝るか否かはわからぬが、一つ趣向を凝らした汁物を用意させて頂いた。まずはそちらから召し上がられよ」

 言葉が終わるや、次々と家臣達が膳を配置して行く。全員に行き渡るのを見届けた有栄は乾杯の音頭を取った。郷士達は有栄に言われた通り、恐る恐る汁物の蓋を開けた。

 沈黙がその場を支配した。その汁に入っていたのは縫い針だったのだ。蛙はまだ珍味と呼べなくはない。蝗や地虫を食する地域もあるにはある。だから蛙汁は嫌がらせの類ではなく馳走だと強弁出来た。だがこの縫い針には有栄の明確な『返礼』以外の何物も感じられなかった。

「……お歴々より出された蛙汁、まことによき珍味であった」

 押し黙る面々を見渡しながら有栄が平然と言う。

「此度の縫い針は蛙汁に対する返礼じゃ。その意味、わかって頂けような」

(やられた)

 この一言で、郷士達は縫い針の意図を察した。実の所蛙汁は単に際物の料理を出して嫌がらせをするというだけの理由で出した訳ではない。言ってみればこれは洒落の類だ。蛙と同じ読みには『帰る』という言葉がある。つまり彼らは蛙汁を出す事で、有栄に『鹿児島に帰れ』という言葉を投げかけたのだ。

 それに対する有栄の返事がこれだった。つまり彼は縫いつくようにしてここを離れぬと宣言したのである。それもあくまでも洒落の形としてだ。戦国生き残りの兵であり、教養豊かな有栄の方が一枚も二枚も上手だった。そう認めざるを得なかった。

「……民部様。これまでの無礼、どうぞお許し頂きたい」

 長老が薩摩訛りの言葉ではなく、標準的な武家言葉で詫び言を述べた。それは一種の降伏宣言と同じだった。有栄は今一度皆を見回した後、柔和な笑みを浮かべた。

「では、本来の馳走をお歴々に味わって頂くとしよう。今宵は朝まで飲み明かし、皆と心を打ち解けたく存ずる。受けて頂けましょうや」

 郷士達は顔を見合わせ、深々と溜め息をついた。それは安堵の吐息だった。

「喜んで承ります、地頭殿」

 かくて山田有栄は出水地頭として当地を掌握し、その宣言の通り『縫い針のように』出水に定着し、その死まで離れる事はなかった。その統治は実に四十年もの長きに渡り、後世出水兵児と呼ばれる多くの精強な武士を輩出する土台を築いたのである。




 この話、当初は『木綿の裃、絹の羽織』と統一された内容でした。ただ、この話とあの話では話のベクトルが違い過ぎて話の軸がぶれる恐れがあると考え、分割させて頂いたのです。

 関ヶ原の退き口は、千五百の手勢が八十余にまで打ち減らされる凄惨な戦いでした。その後も飢えと戦いながら薩摩までたどり着くのに、伝統的に敵同士であった立花宗茂の助けまで借りねばならぬほどでした。そんな逃亡劇で黄金の鞘は、さぞ悪目立ちしただろうと思います。

 後に昌巌と名を改める彼は出水の名地頭と呼ばれますが、その際に彼が用いた統治の要諦は『勤倹尚武』でした。本質的にはやはり倹約家であったようです。

 なお、一部で薩摩弁の会話が差し挟まれていますが、それが正確である保証はありません。似非方言と呼ばれるのを承知で敢えて用いました。ご了承頂けたら幸いに存じます。

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