第7話:悪魔馬の背中
迷宮都市へと続く、見晴らしの良い平原の街道。
どこまでも続く青く澄み渡った空の下を歩いていると、不意に隣を歩いていたシリウスがピタリと足を止め、俺の目の前でスッと身を屈めた。
『ねえ、エルヴァン。僕の背中に乗ってよ』
「えっ? いや、俺は歩きで全然構わないぞ」
『いいから、乗って! 僕が乗せたいの!』
シリウスは長い首をすり寄せて、フンスフンスと鼻息を荒くした。
いや、乗せたいって言われてもな。
「正直に言うとさ……俺、馬に乗ったことなんて一度もないんだよ。それに、高いところもちょっと苦手で……振り落とされたらと思うと、怖いんだ」
『絶対に振り落とさない! 僕を信じて!』
苦笑いして誤魔化そうとする俺の袖を、シリウスはパクッと咥えてグイグイと引っ張る。完全に駄々をこねる子供だ。
「わ、わかった! 服が伸びる、服が伸びるから!」
俺が慌ててなだめると、シリウスはパッと口を離し、得意げに胸を張った。
『そもそもね、僕たちナイトメアは、絶対に人間を背中には乗せないんだよ。背後を取られるってことは、一番無防備な首元を晒すってことだから。心から信用していない相手にそんなこと、死んでもごめんだね』
「……じゃあ、なんで俺を?」
『決まってるじゃないか。エルヴァンは僕の友達で、魂を繋いだ【真の相棒】だからだよ! 僕の背中を任せられるのは、世界中で君だけなんだ。
だから……ね? 乗って?』
透き通るような青い瞳で、上目遣いに見つめてくる。
……だめだ、こんな健気なことを言われて、断れるわけがない。
「わかったよ。それじゃあ……お言葉に甘えて」
俺はおっかなびっくり、シリウスの美しく引き締まった黒い背中へと跨った。
想像したよりも視線が高くなり、ヒュッと喉が鳴る。俺が緊張でガチガチになっているのを察したのか、シリウスは優しく声をかけてきた。
『力を抜いて。僕の走りに身を任せてくれればいいからね。……それじゃあ、行くよ!』
シリウスが軽く地面を蹴った。
――次の瞬間、俺の体は風になっていた。
「うおぉぉっ!?」
すさまじい加速。周りの景色が、飛ぶように後ろへと流れていく。
だが、恐怖は一瞬で消え去った。
どれだけスピードを出しても、上下の揺れがまったく無いのだ。シリウスが持ち前の魔力と絶妙な身体操作で、足から伝わる衝撃をすべて吸収し、俺の姿勢が崩れないように完璧にフォローしてくれている。
まるで、滑らかな氷の上を滑っているような、極上の乗り心地。
「すごい……! 全然怖くない! 風が気持ちいいよ、シリウス!」
『えっへん! 僕にかかればこれくらい当然さ!』
俺の歓声を聞いて、シリウスの声も弾む。
頬を撫でる風と、どこまでも続く青い空。かつてテイマーギルドで下を向いてばかりいた俺には、こんなに開けた世界を見る日が来るなんて思いもしなかった。
最高だ。ずっとこのまま走っていたい。
俺たちがそうやって、爽快な風と一体になっていた、その時だった。
――ま、まってぇぇぇぇーっ!!
背後から、ひどく甲高く、そして必死に叫ぶ声が聞こえてきた。
「ん? シリウス、ちょっと止まってくれ」
シリウスが急ブレーキをかけ、俺たちは後ろを振り返った。
遥か後方の土煙の中から、猛烈な勢いでこちらへ向かってくる小さな光の玉があった。
カラカラカラカラカラッ!!
土煙を上げて爆走してくる龍玉。
その透明な水晶の壁の向こう側では、手のひらサイズに縮んだ白竜・ファルが、短い手足を残像が見えるほどのフル回転で動かし、涙目で駆けてくる。
――ぜぇ、はぁっ! お、おいてかないでぇー! ぼく、おあしが短いから、そんなにはやくコロコロできないのーっ!
幼児化した高い声で、ぽろぽろと涙をこぼしながら泣き叫ぶファル。
そのあまりにも必死で不憫、そして可愛らしい姿に、俺は慌ててシリウスから飛び降りた。
「ご、ごめんファル! あまりにも走るのが気持ちよくて、すっかり忘れてた!」
――ひどい! ひどいよぉ、エルヴァン! ぼく、なかでいっしょうけんめいトコトコしたんだよ! おめめ、ぐるぐるしちゃったの!
俺の足元にポスッと激突した龍玉を、俺は「ごめんごめん」と苦笑しながら両手で掬い上げた。
玉の中のファルは、ゼェゼェと肩で息をしながら、短い前足でぺちぺちと水晶の壁を叩いて抗議している。神獣の威厳は完全にゼロだ。
「よし、もう置いていかないよ。ほら、一緒に乗ろうな」
俺はファルの入った龍玉を胸元に大事に抱え込み、再びシリウスの背中に跨った。
『ごめんねファルお爺ちゃん。次はゆっくり走るからさ』
――ふんっ! まったく、エルヴァンたちは、おそとをビュンビュンしすぎなの!
プイッとそっぽを向くファル。
シリウスが今度はゆっくりとしたペースで歩き出し、俺の体も心地よく上下に揺れる。
俺の胸元に抱えられた龍玉の中で、ファルは文句を言いながらも、次第にその揺れに身を任せるようにコロンと丸くなった。
――ねぇ、エルヴァン。
「ん? まだ怒ってるか?」
――ううん……。エルヴァンのおむね、ぽかぽかするなぁ、って……。
ファルは、水晶越しに伝わってくる俺の体温と、馬の背の心地よい鼓動を感じながら、ゆっくりと目を閉じた。
しゃべり方や思考は幼児に引っ張られてしまっているが、脳裏に浮かんだのは、数百年前の懐かしい記憶。
まだ自分が本当に小さな子竜だった頃。古の友であるあのテイマーも、長旅の途中、こうして自分のことを大事に胸元に抱きかかえて馬に乗っていた。
あの時と同じ、優しくて、絶対的な安心感を与えてくれる温もり。
(……ふぁぁ。エルヴァンの匂い、あのひととおなじで、落ち着くの……)
ファルは小さく欠伸をすると、心地よい揺れに身を任せ、久しぶりの穏やかな微睡みへと落ちていった。
「おっ、見えてきたぞ! あれが迷宮都市だ!」
俺の声にハッとして顔を上げるファル、地平線の先に、巨大な石造りの城壁と、天を突くような迷宮の塔が見え始めていた。
俺たち三人の、新しい冒険の舞台だ。
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