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第3話:青き炎のナイトメア

『……僕は馬じゃないから、そのスープを食べさせてほしい』


 脳内に直接響いた、透き通るような少年の声。

 俺は木椀を持ったまま、文字通り全身を硬直させた。パチッ、と焚き火の薪が爆ぜる音だけが、不自然なほど静まり返った夜の森に吸い込まれていく。


「お前……今、喋ったのか?」

『あ……。しまった』

 目の前の黒馬は、気まずそうにスッと視線を逸らした。


 間違いない。俺の気のせいじゃない。こいつは明確な意思を持って、言葉を発したのだ。

 テイマーの常識として、人語を解する魔物というのは、決まって高ランクの強大な存在に限られる。俺のような底辺テイマーが使役できるような代物ではない。


「馬じゃないなら……君は、なんなの?」

 俺の恐る恐るの問いかけに、黒馬は観念したように首を垂れ、ポツリと答えた。


『僕は……ナイトメア』

「ナイトメアって、あの悪魔馬の!?」

 思わず大声を上げてしまった。


 ナイトメア。人々に悪夢を見せ、狂気に陥れる邪悪な魔物。絵本や伝承によれば、血のように赤い瞳を持ち、歩くたびに大地を焦がす赤蓮の炎を纏っているという。テイマーギルドでも「遭遇したら逃げろ」と教えられる、災害級の存在だ。


 だが、不思議と恐怖はなかった。目の前にいるこいつからは、微塵の殺気も、邪悪な気配も感じられなかったからだ。

 俺たちは焚き火を挟んで座り直し、ぽつりぽつりと互いの身の上を語り合った。


 痛みを強いるテイマーのやり方に馴染めず、追放された俺。


 人間の残酷なやり方に絶望し、群れへ帰ろうとしていた彼。


 「人間」と「魔物」という壁を越えて、俺たちはどうしようもなく似た者同士だったのだ。


「そうか。お前も大変だったんだな」

『……君は、僕が怖くないの?』

「全然。だって、こんなに美味そうにスープの匂いを嗅ぐ悪魔がいるもんかよ」


 俺が笑ってスープの入った木椀を差し出すと、彼は恐る恐る口をつけ、あっという間に平らげてしまった。その無邪気な様子を見ていると、伝承にある恐ろしい魔物だとは到底思えなかった。


「なぁ、名前がないと話しにくいな。俺はエルヴァンだ。お前は……」

 俺がそう言いかけた、その瞬間だった。


 ――グルルルルルッ!!


 背後の茂みが大きく揺れ、強烈な獣の匂いと、低く淀んだ唸り声が響いた。

 焚き火の明かりに照らし出されたのは、筋骨隆々の巨大な野犬の魔物『ブラッドハウンド』だった。血走った双眸から、ドロドロとした飢餓感が漏れ出している。

 肉入りスープの匂い、そして人間の匂いに釣られて現れたのだ。


「しまっ……!」

 俺は腰の短剣に手を伸ばしたが、足がすくんで動けない。


 ブラッドハウンドは低級とはいえ、戦闘スキルのない俺にとっては死神に等しい。強靭な顎が、一直線に俺の喉笛を目指して飛びかかってきた。


 死ぬ。


 そう覚悟して目を閉じた俺の前に、黒い影が割り込んだ。


『――僕の友達に、何をする気だ』

 ドォン!という熱波が弾けた。


 目を開けた俺が見たのは、あり得ない光景だった。

 俺を庇うように前に出た黒馬の姿が、揺らめく蜃気楼のようにブレたかと思うと、その『擬態』が解け放たれたのだ。


 伝承にあるナイトメアは、赤い目と赤い炎を纏うとされている。

 しかし、目の前に立つ彼の姿は違った。

 夜の闇を切り裂くように輝くのは、透き通るような青い瞳。そして、美しい黒毛のたてがみと蹄には、息を呑むほどに澄み切った『青い炎』が煌々と燃え盛っていたのだ。


『ギャウンッ!?』

 ブラッドハウンドが怯んで空中で体勢を崩した。

 そこへ、青い炎を纏った前足が軽く一閃される。たったそれだけで、巨大な魔物は悲鳴を上げて吹き飛び、木々をへし折りながら夜の森の奥へと逃げ去っていった。


 圧倒的な力。本来なら恐れ、ひれ伏すべき災害の化身。

 けれど、腰を抜かした俺の口から出たのは、全く別の言葉だった。


「……綺麗だ」

『え……?』

 振り返った彼の青い瞳が、驚きに見開かれる。

 俺はゆっくりと立ち上がり、その青い炎に手を伸ばした。熱くない。ただ、静かな温もりだけがある。


「俺の知ってるナイトメアとは全然違う。お前のその青い炎、すごく綺麗だな」

『綺麗……僕の炎が?』

「ああ。まるで、真っ暗な夜空の中で、道しるべみたいに光る星みたいだ」

 悪夢ナイトメアという名には似つかわしくない、その美しく優しい青。俺はその色から、ひとつの名前を連想していた。


「決めた。お前の名前は『シリウス』だ。夜空で一番明るく輝く、青い星の名前だよ」


『シリウス……。僕の、名前……』


 彼がその名を口の中で反芻した、次の瞬間。

 俺とシリウスの足元に、淡く温かい光の陣が浮かび上がった。それは、ギルドで使っていた呪いのような『従魔契約』の魔法陣とはまったく違う。

 鎖で縛るのではなく、互いの魂の形を確かめ合い、対等に結びつくような不思議な感覚。それは、テイマーの歴史上でも稀にしか発生しないとされる【真の相棒契約】が結ばれた証だった。


「よろしくな、シリウス。……とりあえず、田舎まで一緒に帰るか」

『うん……よろしく、エルヴァン!』

 こうして、追放された無能テイマーと、心優しき青炎の悪魔馬の、気ままな帰郷旅が始まった。

◆◆◆◇◇◇◆◆◆


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