第29話:濡れたい犬の匂い
俺は冒険者ギルドのガストンとセリア、そして宿のロランさんに「少し街を離れます」と伝え、ゴルドランの街を後にした。
向かった先は、街から少し離れた森の奥。
俺がテイマーギルドを追放され、途方に暮れていた時にファルと初めて出会った、あの小さな洞窟だ。
「着いた。……ここでファルと出会ったの、ほんの少し前のはずなのに、なんだかずいぶん昔のことみたいに感じるな」
――うむ。ここならば人目につくこともない。結界も張ったゆえ、大丈夫であろう。
龍玉から飛び出したファルは、窮屈な玉から解放された喜びからか、「ふぁぁぁ〜っ」と器用に前足を伸ばし、犬や猫のように大きな伸びをした。
「ファル、シリウス。実はお前たちに、大事な話があるんだ」
俺が少し真剣なトーンで切り出すと、ファルはピタッと伸びの姿勢で固まり、シリウスも馬なのに分かりやすく耳を伏せてブルブルと震え出した。
『えっ……!? だ、大事な話って……僕たち、もしかして捨てられちゃうの!?』
――あ、愛し子よ! 我が最近、龍玉の中でつまみ食いしすぎたからか!? 反省するゆえ、見捨てないでおくれ!
巨大な竜と黒馬が、涙目で俺にすり寄ってくる。
「ばっ、そんな訳ないだろ! 俺がお前たちを手放すわけないじゃないか」
俺は慌てて二匹の大きな首に抱きつき、その温かい体をギュッと抱きしめた。
そして、洞窟の岩肌に腰を下ろし、先日セリアの前で吐露した「自分の不安」を、二匹にも素直に打ち明けた。
「俺は普通の人間だ。だから、Aランクだの何だのと周りからチヤホヤされて、このままトントン拍子に進んでいったら、いつか調子に乗って堕落しちゃうんじゃないかって、すごく怖いんだよ」
俺の独白を静かに聞いていたファルは、黄金の瞳を細め、地響きのように優しく低い声で語り始めた。
『……通常の従魔契約とは、魔物の魂を縛り、テイマーに絶対に逆らえなくする隷属の魔法だ。だが、我とお主、そしてシリウスが結んでいるのは、はるか古に滅んだとされる【相棒契約】というものなのだよ』
ファルの瞳は優しく俺を見つめる。
『それは魔物がテイマーに逆らうことができる、完全なる対等の契約だ。それゆえに、テイマーが横暴になれば魔物に見限られ、最悪の場合は己の従魔に喰い殺されるという悲しい事故も起きた。
……だからこそ、人間は恐れをなし、この契約は歴史から姿を消したのだ』
ファルは巨大な鼻先を、俺の額にそっと押し当ててきた。
『愛し子よ。もしお主が己を見失い、間違った道に進みそうになった時は、この我が全力で諫めよう。逆に、我が誤った選択をしそうになった時は、お主が我を叱っておくれ』
ファルは、俺の目を真っ直ぐに見つめて言った。
『我は、他の誰でもない。お主の言うことだけを信じる』
絶対に逆らえない魔法の鎖がないからこそ、成立する絶対の信頼。
「間違ったら止める」という言葉と「お前だけを信じる」という言葉は、一見矛盾しているようにも聞こえる。けれど、本当にお互いを心の底から信頼し合っていなければ、絶対に口にできない言葉だ。
「ファル……ありがとう」
俺の胸が熱くなり、目頭がツンと潤んだ。
『もう!エルヴァンも、ファルお爺ちゃんも心配性だなぁ。
エルヴァンが間違えるわけないじゃないか! エルヴァンはいつだって優しくて最高のご主人様だもん!』
シリウスが空気を読まずに明るく割り込んでくる。
ファルは「ふん」と鼻息を吹き出した。
『お主は本当に子供だな、シリウス。絶対などないからこそ、補い合うのが相棒というものだ』
『むー!エルヴァンの一番の相棒はぼくだよっ!!』
じゃれ合う二匹の姿を見て、俺の心に渦巻いていた不安は、春の雪のようにじんわりと溶けて消えていった。
ここには、俺を縛るなんて肩書きはない。ただのエルヴァンと、かけがえのない家族がいるだけだ。
「ははっ、二人とも最高だよ」
俺は心底リラックスして、ファルの巨大な前足の、極上のふかふかの毛並みに背中を預けてごろんと横になった。
神獣の毛皮。最高級の羽毛布団なんか目じゃないくらい気持ちいい。
「すぅーっ……はぁ〜、落ち着く……」
俺は目を閉じて、ファルの毛の匂いを深く吸い込んだ。
……すんすん。
…………ん?
「……なぁ、ファル」
『どうした、愛し子よ』
「お前、なんか……ちょっと生臭いっていうか、微妙に臭くないか?」
『なっ!?』
感動的な空気が一瞬で凍りついた。
「いや、そりゃそうだよな!
普段自分の龍玉の中に、生肉だの魔物の死骸だの、なんでもかんでも放り込んでたからな。そりゃ毛にも匂いが移るよな、ごめんよファル!」
『む、むきーっ! 我は神獣ぞ?くさくないわい!』
『あははは! ほんとだ、ファルお爺ちゃん、ちょっと生魚とお肉とお爺ちゃんが混ざったみたいな匂いがするー!』
『お、お爺ちゃんくさいとはなんだ! 無礼者め!』
さっきまでの威厳はどこへやら、ファルとシリウスが子供のようにギャーギャーと言い合いを始めた。
俺は腹を抱えて笑いながら、「特大のブラシで洗ってやるからな」と宥めた。
ひとしきり騒いで落ち着いた後。
俺は袋から、セリアに借りた『古の星詠みテイマーと、白き竜の軌跡』という本を取り出した。
「さて、それじゃ少し聞いてほしいおとぎ話があるんだ。
これ、どう考えてもファルとお前の昔の相棒のことが書かれてるよな?
この中に、力を引き出すヒントがあるかもしれないんだ」
俺が本を掲げると、ファルは少しだけ照れくさそうに目を逸らした。
二匹が静かに俺の両脇に座るのを確認し、俺はまるで子供に絵本を読み聞かせるように、穏やかな声でその古びた本を朗読し始めた。
洞窟の中に、俺の声だけが優しく響く。
――そして、数十分後。
本を中盤まで読み終え、俺がふと一息ついた時のことだった。
『……ふむ。人間たちの間で、あの時の出来事がそのように伝わっているとはな』
ずっと目を閉じて静かに聞いていたファルが、ポツリと口を開いた。
「やっぱり、これファルのことだったんだな。……それで、このおとぎ話はどこまでが本当なんだ?」
『うむ。大半は尾ひれがついた創作だが……核となる部分は間違いではない。この本に書かれている【白き竜】とは、かつての、若き日の我のことだからな』
ファルの黄金の瞳が、懐かしさと、ほんの少しの哀愁を帯びて光る。
俺はごくりと生唾を飲み込み、おとぎ話の向こう側に隠された『真の契約』の真実を語り始めたファルの言葉に、静かに耳を傾けた。
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俺も動物と話ができるスキルが欲しいです……
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