第八話 暴かれた素性1
太陽が真上に差し掛かろうとする時刻。
アリシアは今、平らな岩に座り込んで、右手のひらを使ってフロルに水を飲ませていた。
夜が明けた後、アリシアは黒木が所属しているとされる自衛隊と呼ばれる武装組織の拠点に行くため、共に木が生い茂る未開拓地の森の中を歩いていた。目的である山はかなりの距離があるため、時折休憩をはさみながら移動している。これが五度目の休憩だった。
因みにアリシアは、黒木は二ホン国の騎士団か軍に所属しているのか尋ねたところ、
「日本には、騎士なんてものは存在していません。それに自分は軍人ではなく、自衛官です」
黒木は苦笑を交じえながら、そう答えていた。
「クウゥ~」
「どうしたの、フロル?」
水を飲み終えたフロルは、アリシアの膝上に前足を置いて彼女を見つめていた。
この仕草を知っている。フロルがお菓子をねだるときにしていたものだ。
しかし、今はお菓子は持っていないはず。
——あっ、そういえば
アリシアはいつも持って歩く小さい袋から、透明な包みがされた黒茶色の塊を取り出した。
黒木から渡されたチョコレートと呼ばれるお菓子であった。
包みを開いて右手に添えると、フロルの前に差し出す。
「クウゥ!」
フロルからあまり聞くことがない鳴き声を上げ、夢中になってチョコレートを舐めていた。
アリシアもまだ食べてみたことがなかったので、緊張しながらもチョコレートを口に含む。
「! 美味しい!」
それはアリシアが今まで経験したことがないほどの甘いお菓子だった。
不意に、離れた場所で地面に座り込む黒木を見る。
彼は今、写真と呼ばれる精巧に森の上空を写した絵を広げ、そしてコンパスと呼ばれる赤と白の針がついた箱を手に持ちながら現在地を確認していた。あれらの道具のおかげで、この複雑な森林を迷うことなく歩いて来れた。
「現時刻は、1105か……」
時折、時計と呼ばれる左手首についた物を見ながら、今の時間を確認していた。真剣な表情をするその姿は、どこか近寄りがたい雰囲気を漂わせていた。
——クロキさん……
森を進んでいる中、黒木は常にアリシアの歩く速度に合わせて歩いてくれていた。歩きにくい場所には手を貸して、アリシアのことを気づかいながら、こうして何度も休憩をさせてくれる。水分補給もアリシアが優先だと言って、水筒と呼ばれる水の入った金属の筒を渡してくれた。
父親や兄のように無関心にすることもなく、ファルシオン王国の兵士たちみたいに侮蔑の言葉を掛けることもない。何よりも自分を置き去りにした騎士たちのような横暴なことをしない。
二ホンという国から来た、ジエイカンと呼ばれる異郷人。
見たこともない道具と食べ物を持つ不思議な青年。
どんな時でもアリシアを励まし、気づかい、そして優しく寄り添ってくれる人。
すると、黒木がアリシアの視線に気づいた。
「アリシアさん、どうしました?」
黒木からの問いかけに、アリシアは慌てて首を横に振る。
「あっ、いえ。クロキさんは疲れていらっしゃらないのかなと」
「平気ですよ、寧ろ楽な方です。水機団時代のレンジャー訓練の時なんて、飲まず食わずの上に一日中行軍させられ——」
黒木は、目が点になっているアリシアを見て言いかけるのを止めた。
「ゴホン! とにかく、目的地まではまだまだあります。今の内に食事にしましょう」
黒木の合図で食事休憩をすることになった。
食事を終えたアリシアは、黒木の後をついていくようにして、山に向かう道へと足を進めていた。
「そういえば、クロキさん」
アリシアに呼ばれて、黒木は振り返った。
「はい、なんでしょうか?」
「その、あれから右手はいかがですか?」
「ああ、これのことですね」
黒木は右手側のグローブを外す。
そこには、赤色の紋章が手の甲に刻まれていた。
黒木を助けたあの日、二人には同じ紋章が右手に現れた。翌日になっても消えることはなく、そのまま残っていた。
「あれから特に何もありませんでしたよ」
「……そうですか」
アリシアは、自分の右手に描かれた紋章を見る。
あの時は光は一体何だったのか。そのことだけが、彼女を悩ませ続けていた。
すると、
「クウッ!!」
アリシアの肩に乗っていたフロルが両耳を立てると、地面に降り立った。
「フロル、どうしたの?」
「ヴヴヴゥ……」
フロルはアリシアの声を無視して、目先の茂みに向かってうなり声を上げた。
「どうされました?」
異変を察知した黒木が、アリシアの元へやって来た。
「あの、フロルが突然——」
ガサッ
フロルが睨み付けていた茂みが音を立てて揺れた。しかも一つだけではない。複数の茂みが揺れていた。
茂みの中から現れたのは、黒い体毛をした大型犬のような獣であった。
「……魔物⁉」
アリシアは初めて見る魔物の姿に、思わず口元を抑えていた。
黒木は身体に提げていた黒い杖——20式小銃を両手に構えた。
「こいつら、狼か?」
全部で四匹の黒い狼たちは牙を剝き出し、うなり声を上げながら二人に近づいてくる。
「バァウウゥ!!」
狼たちが咆哮を上げて、一斉に襲い掛かって来た。
その気迫に圧倒され、アリシアはたじろいでしまう。
そんな中、アリシアの横にいた黒木は、20式小銃を狼たちに向ける。
「発砲!!」
声を荒らげるとともに、20式小銃からけたたましい轟音が発せられる。
耳を塞ぎたくなるほどの音が響くのと同時に、狼たちが見えない何かに貫かれたかのように吹き飛び、地面に倒れていった。
辺りが静寂になった頃には、鼻を突くような刺激臭と鉄の匂いが漂っていた。
「危なかった……大丈夫ですか、アリシアさん」
黒木が20式小銃を下げてアリシアに振り向いた。
だが、アリシアは顔を蒼白にして固まっていた。
「アリシアさん?」
再び黒木が呼び掛けるも、アリシアは返事を返さなかった。
——……今、のは……
アリシアは先程の出来事が理解できずにいた。突然、黒木の持っていた杖から爆音が聞こえたかと思ったら、魔物たちがはじけ飛ぶように倒れていった。
そして、その当事者である黒木を見た瞬間、見てしまった。
黒木の斑模様の服、その左腕部分に刻まれていた白地に赤い丸が描かれた印を。
『雷鳴の様な音を響かせる黒い杖を持った、赤い丸印を掲げた奴らにやられた』
二ヶ月前に生き残ったファルシオン王国と同盟国軍の兵士たちから聞かされた、自分の国と戦争した者たちの名は——
「……血堕人」
アリシアは震えながら、その呼び名を口にした。
「アリシアさん?」
黒木がアリシアに近づいてくる。しかし、アリシアは恐怖に煽られて黒木から後退る。
「……い」
「あの、一体どうし——」
「いやぁぁぁ————!!!!」
アリシアは黒木から逃げるように、その場から走り去った。




