第七話 『守る』ために
「クウゥ~」
「フロル?」
アリシアの陰からフロルが這い出てくると、戦闘糧食を物欲しそうに見つめていた。
「クロキさん、この子にもあげてもよろしいでしょうか?」
「えっ、あ、い、いいですけど……」
黒木の許可が出ると、アリシアはコーンスープの入った別のカップをフロルの前に置いた。フロルはコーンスープの匂いを嗅いでから、舌で舐めて美味しそうに食べ始めた。
「良かった。フロルも気に入ってくれたみたいです」
「あの、アリシアさん。その、この子は?」
「フロルっていいます。小さい頃からずっと一緒にいる、私の大事な友達です」
黒木は珍しそうにフロルを見る。黒木の視線に気づいたフロルは、まだ中身が残っているカップを銜えると、アリシアの後ろに隠れてしまった。
「あっ、もうフロルったら。……申し訳ありません、クロキさん。フロルは私以外にはあまり懐かなくて」
「大丈夫ですよ、気にしてませんから」
黒木はそう言うと、横を向いてため息をついた。
「猪みたいなモンスターといい、尻尾が二本の動物といい……本当にファンタジーな世界なんだなぁ……ここは」
黒木は誰にも聞こえないように呟くのだった。
「そういえば、クロキさんはなぜ森の中にいたんですか?」
食事を終えて燃える焚き火を前に、膝上で眠っているフロルを撫でていたアリシアは、緑色の薄着——見たことのない布製の服(Tシャツと呼ばれるもの)を着た黒木に尋ねた。
「実は、森の中を調査中に大きい猪みたいな化け物に襲われまして。そいつに突き落とされて川に落ちてしまったんです」
「えっ、魔物に襲われたんですか⁉」
「多分、そのマモノってやつだったと思います」
黒木は右手を開いたり閉じたりしながら言った。
「あの時は本当に駄目だと思いましたけど、アリシアさんのおかげで助かりました」
「いえ、私は本当に何もしていなくて……」
アリシア自身も、黒木を助けたという実感がまだ持てずにいた。
魔力なしと言われたはずの自分から突然不思議な光が溢れ出して、黒木を治していた。今までそんな力が出たことが無かったため、本当に自分がやったことなのか疑わずにはいられなかった。
「ところで、アリシアさんはどうしてこの森に?」
今度は黒木から発せられた問いに、アリシアは言葉を詰まらせた。
姉の策略により護衛の騎士たちに裏切られ、未開拓地の森に置き去りにされた。そんなことを言ってしまえば、自分が王女であることを黒木に知られてしまう。
「……えっと、ちょっと道に迷ってしまいまして……」
アリシアは咄嗟に嘘をついた。
「それは大変でしたね。ご家族の方もご心配されているでしょうに」
「……そう……ですね」
家族という言葉に、アリシアは心が締め付けられた。
父親の王命で未開拓地に来ることになり、姉から森に捨てられるように仕向けられた。誰一人心配などしてくれるはずもない。自分は『不要な存在』なのだから。
「もしよろしければ、自分と一緒に来ませんか?」
「え……?」
黒木からの突然の提案に、アリシアは驚いた。
「山を超えたところに自衛隊……自分が所属している組織の拠点があります。多分、そこならこの森の中よりも安全なはずです」
「そ、そんな、これ以上クロキさんにご迷惑をお掛けする訳には……!」
「構いませんよ。それに——」
黒木は真剣な表情でアリシアを見た。
「アリシアさんをこのまま一人にしておくなんて自衛官として……いや、自分には絶対に出来ませんから」
黒木の言葉に、アリシアは胸が温かくなるのを感じた。
今まで誰も自分を見てくれなかった。手を差し伸べてくれなかった。一人でいることが当たり前と感じていた。
しかし、目の前の青年は違う。
どんな時でも優しく接してくれる。手を差し伸べてくれる。’’第二王女‘’として自分ではなく、ただの‘’アリシア‘’として見てくれる。
——私は……彼に頼ってもいいの?
これまで誰かに頼ることを知らなかったアリシアは、黒木からもたらされる無条件の優しさに戸惑ってしまった。
しかし、『不要な存在』である自分に何ができるだろうか。
黒木を治した力もよく分からない。焚き火を起こしたのも、食事を用意してくれたのもほとんどが黒木だった。
自分はただ、彼が行っていることを見ているだけだった。
——このままだと、彼に迷惑をかけてしまう……
アリシアは、黒木の足手まといになってしまうことを自覚していた。
「お気持ちは嬉しいです。ですが……」
あなたにご迷惑をお掛けしてしまいます。その言葉が出ることはなく、アリシアは視線を下に移した。
「……分かりました、では質問を変えましょう。あなたは今、助けが必要ですか?」
黒木は真剣な表情を崩すことなく言った。
「あなたが助けを必要としていないのであれば、自分は明日の朝にあなたの元から立ち去ります。ですが、もしも助けを望むのであれば、自分はあなたを全力でお守り致します」
アリシアは、黒木の言葉に目を見開いた。
彼は言ってくれた。自分を『守る』と。
「クロキさんは、どうしてそこまで……」
——私に寄り添ってくれるのですか?
アリシアには黒木の真意が分からずにいた。
「自分は自衛隊の自衛官です。自衛隊とは『守る』ことを前提に活動する組織です。助けを求める方には誰であろうと手助けするのが、我々の責務です。それに——」
黒木はアリシアに優しい表情を向けた。
「日本には、『困った時はお互い様』という言葉があります。これは誰かが困っていたら、手助けを惜しまないという意味です。あなたは自分を助けてくれました。なら、今度は自分があなたを助けたいんです」
不意に、アリシアの目尻が熱くなった。そして、今まで感じたことがない衝動に突き動かされた。
王城ではどんなに「助けて」と叫んでも、誰も助けてはくれなかった。故に諦めていたその言葉を、彼は言ってくれた。
「……私は、あなたの足手まといになると思います」
「そんなの気にしません」
「……あなたに多大なご迷惑をお掛けします」
「いくらでも掛けても大丈夫です」
「……でも、私は……」
アリシアは何を話していいか分からず、口をつぐんだ。黒木は何も言わずに、静かにアリシアの返答を待った。
「……クロキさん、私を……」
アリシアは必死の想いで言葉を紡ぎ出す。今まで封じられてきた救いを求める言葉を。
「……私を……助けて……ください」
「……もちろんです」
黒木は力強く頷いて答えた。
おもむろに立ち上がると、出会った時と同じように右手を顔面上に掲げる——敬礼と呼ばれる姿になった。
「日本国陸上自衛隊所属、黒木三等陸尉。現時点をもって、アリシアさんをお守り致します」
アリシアは、黒木が発した言葉の意味を理解出来なかった。
しかし、一つだけわかったことがある。
彼が自分を救ってくれる人だということを。




