第三話 未開の森にて
国王との謁見を終えた後、自室に戻ったアリシアは窓から王都を眺めていた。
城下町を行き交う人々を見ながら、アリシアには複雑な心境が渦巻いていた。明日には魔物たちが蔓延る未開拓地へ向かう。
父親である国王からの直々に下された王命だ。第二王女であるアリシアとて拒否することは許されない。否、もはや従うしか道は残されていないのだから。
——私は……このままどうなってしまうの……?
とめどなく湧き上がる不安が、アリシアの心を蝕んでいた。
不意に扉が開く音が聞こえた。振り向くと、開けられた扉の前にエリシアの姿があった。
「……エリシアお姉様」
「可哀想なアリス。まさかあの禁断の地に行かなければならないなんて」
エリシアが不敵な笑みを浮かべながら、アリシアに近づく。それがかつて地下牢に閉じ込められた時に見たエリシアの姿と重なっていた。
「でも仕方がないわよね。あなたは紋章も魔力も持たない第二王女なんだから」
エリシアの言葉に、アリシアは両手を強く握りしめながらも目線を逸らす。分かっていた。姉であるエリシアが自分のことを心配してくれるはずがない。
この人はいつだってそう。私の事を貶し続けるのだから。
「でも良かったじゃない。これであなたもファルシオン王家の人間として役に立つ事ができるのだから」
「……」
「精々『不要な存在』の王女としてしっかり務めを——」
エリシアが言いかけた時、彼女の頭に何かが降ってきた。
「きゃ!! ちょっと!! 何なのよ!?」
エリシアが手で払うより早く、影のようなものがアリシアの足下に降り立った。
「……フロル!」
フロルは牙を剥きながら、エリシアに向かって唸り声を上げていた。
「ちっ! 汚らわしい動物風情がこの私に!」
エリシアはキッとフロルを睨み付け、怒りに満ちた目をアリシアに向けた。
「アリス! ペットの躾ぐらいしっかりなさい!!」
そう言ってエリシアは部屋の入り口へ向かっていく。乱暴に扉が閉まり、辺りは静寂に包まれた。
エリシアが出ていった後、フロルは唸るのを止めてアリシアに顔を向けた。
この眼差しは知っていた。アリシアが辛いことがあった時、フロルがいつもしてくれるものだ。
「……ありがとう、フロル」
アリシアは両手でフロルを抱えると、その小さな身体を自分の頬に寄せる。
——大丈夫。私は一人じゃない。
どんな時でも自分の味方になってくれるフロルに、アリシアは感謝せずにいられなかった。
朝日が昇りかけた頃、アリシアは王城の城門前にいた。いよいよ、未開拓地へと赴く。
城門前には馬車が一台。さらに八人ほどの、馬に跨った護衛の騎士団兵がいる。
それ以外に王族はもちろんのこと、大臣や従者の姿もない。
誰も見送ってくれる者がいない中、アリシアはどこかしら胸がワクワクしていた。幼い頃からずっと王城の外に出たこともなく、王都の城下町にすら行くことが出来なかった。それが今日、初めて城を出て外の世界を見ることになる。
それに、決して一人ぼっちではない。肩に載せているフロルに目をやる。不思議そうにこちらを覗いてくるフロルに、アリシアは微笑む。
「第二王女、そろそろ出発のお時間です」
護衛騎士の一人がアリシアに告げた。
「あ……は、はい! 今行きます!」
アリシアは馬車へと向かう。
ふと、王城の方を振り向く。辛い事ばかり過ごしてきた場所だが、いざ外へと出かけると少しばかりさみしさを感じた。
——また、戻ってこれるよね……?
不安を抱えながらも、アリシアは馬車へと乗り込んだ。
「きゃ!!」
それは当然の出来事だった。馬車に乗ったアリシアは、初めて見る外の景色に二十一歳という年齢にも関わらず、子供のようにはしゃいでしまった。
しばらく窓から外の風景を楽しんでいると、護衛騎士の一人から昼食のパンが差し出された。そのパンを食べた後から急に眠気が出て、そのまま寝てしまった。
その後、『バンッ』という音で目が覚めると、開かれた馬車の扉から護衛騎士がアリシアの身体を掴んで、強引に馬車の外へと放り投げた。
地面に転がったアリシアは、痛む身体を我慢しながらも周りを見渡す。空は赤く染まって夕方である事は分かったが、どこか薄暗かった。辺りには木々が生い茂っており、陽の光を遮っていた。
「ここでお別れです。第二王女」
護衛騎士の一人がアリシアを見下ろしながら言った。
「お別れ……?」
「エリシア様から言われましたね。『妹を森深くに置いてきたら、報奨金を弾む』と」
その言葉を聞いた瞬間、アリシアの思考は停止した。
——エリシアお姉様が、私を……?
「陛下から資源を確保するために未開拓地の調査が通達されましてね。陛下は王族の威厳を保つために、本来は騎士団団長であるラザフォード王太子殿下が行く予定だったんですよ。だけどエリシア様が別の案を出されましてね、『第二王女を代わりに行かせたらどうか』って」
「そ……それでは、最初から……私を……」
「エリシア様は目障りな妹を捨てられ、我々は懐が潤う。なかなかの良い交換条件じゃありませんか」
護衛騎士はそう言って馬車に乗っていた御者に袋を投げつける。受け取った御者は袋の紐を解くと、中身を確認する。
護衛騎士は馬に跨ると、アリシアの方を見た。
「それではごきげんよう、第二王女サマ」
そう言い残して護衛騎士達と馬車は、アリシアの目の前から去っていた。
アリシアは地面にへたり込んだまま、動くことが出来なかった。あまりにも衝撃的なことが起きすぎて理解が追いついていない。
しかし、一人だけ分かった事がある。自分は森の中に捨てられたのだと。
——やっぱり、私は誰からも必要とされない『不要な存在』……
呆然とするアリシアの背後で、物音が響く。驚いて振り向くと、茂みが揺れている。
「……だ、誰⁉」
恐怖で震えるアリシアの目の前に、茂みから影が飛び出す。
「……フロル?」
フロルがいた。どんな時でも側にいてくれてる小さな友人がそこにいた。
「……フロル!!」
アリシアがそう叫ぶと、フロルはアリシアの胸元に飛び込んでくる。アリシアはフロルの存在を確かめるように、ギュッと抱きしめる。フロルから感じる体温が、アリシアの心を落ち着かせていく。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。当然、フロルが両耳を立てると、アリシアの腕の中から抜け出した。
「フロル?」
フロルは空中で鼻をヒクヒクと動かすと、どこかへ駆け出した。
「待って、フロル!」
アリシアも慌ててフロルの後を追いかける。木々の合間をおぼつかない足どりで歩んで行くと、開けた場所に出た。目の前に澄み切った水が流れている川があり、水音が森の中に響いていた。
その川岸の一角にフロルの姿が見えた。ただ、フロルの側に黒い塊のようなものがあった。
「フロル、どうし——」
アリシアが近づくと、そこには一人の青年が倒れ込んでいた。




