第十一話 誰かのために
「確かに我々は、アリシア様の国の兵士たちを大勢殺傷しました。しかし、彼らは最初に横浜を、日本の領土を侵略し、無関係な人々を攻撃しました。我々自衛隊は専守防衛、相手から攻撃されたときにのみ武力行使をします。あなた方にとっては、我々が恐ろしい存在に感じるかもしれませんが、我々も日本を守るために反撃したに過ぎません」
黒木の話に、アリシアは聞き入っていた。
彼の言っていることは最もな内容だ。しかし、黒木が使っていた銃と呼ばれる武器を目の当たりにしたアリシアにとって、兵士たちと同じく恐怖を抱いてしまうのもうなずけた。
「それに、アリシア様はもう一つ誤解しています」
「誤解?」
「俺は、あなたの護衛任務を辞めるつもりはありませんよ」
その言葉に、アリシアは呆然となった。
「どうして……ですか?」
「言いましたでしょう? 『助けを求める方には誰であろうと手助けするのが、我々の責務です』って。あなたが王国の王女様だろうと、日本を侵略した国の人だろうと関係ありません。助けると決めた以上は自衛官として、最善を尽くしてやり遂げます」
黒木の真剣な表情が、アリシアを見つめる。
「でも、私は……」
アリシアは黒木の視線に耐え切れず、俯いて呟いた。
「いえ、これは言い訳ですね」
黒木はアリシアの目の前まで歩み寄ると、腰を屈めて真っ直ぐアリシアの顔を見た。
「まだ半日しか経っていませんけど、あなたと最初に出会った時から、あなたが何かしら困っていると感じたんです。だからこそ、俺はあなたを助けたいと思ったんです。一介の自衛官としてではなく、俺自身の意志で」
「クロキ……さん……」
「まぁ、日本人特有のお人好し精神みたいなものですけどね」
黒木がアリシアに笑みを浮かべる。
その優しい表情に、アリシアの心は釘付けになった。
「助けてもらうことはできない、なんて言わないでください。遠慮しなくてもいいんです。あなたが何者であろうと、俺が守るに値する人なんですから」
その瞬間、アリシアの目頭が熱くなり、頬に雫が流れていくのを感じた。
そして、自分が泣いていることにようやく気づいた。
だが、父親である国王に地下牢に閉じ込められた時や、姉のエリシアにお気に入りの本を汚された時とは違い、辛さや苦しさのような嫌な感情は無かった。
彼は言ってくれた。
自分は助けられて良いのだと。
守られるに値する人間であると。
『不要な存在』として扱われ続けたアリシアにとって、ずっと求めていたものであり、諦めていたものであった。
誰かに必要とされること、ここに存在してもいい理由を。
それを黒木から言ってもらえたことで、アリシアの心は救われた。
——私は、彼に必要とされている……
そのことを理解したアリシアは、溢れる涙を抑えきれなかった。
「えっ、ちょ、ちょっとアリシア様! どうされたんですか!?」
突然、アリシアが泣き出したことに、黒木は動揺してしまった。
「いえ……大丈夫です」
アリシアは涙を拭って黒木を見た。
常に自分に優しく接してくれて、守ってくれる彼の姿を。
不意に、アリシアは黒木の左腕に視線を落とした。
吊るされた左腕には包帯が巻かれていたが、結び方が乱雑になっていて、所々に赤いシミらしきものが包帯についていた。
——私のせいで……
アリシアは、自分のした行いを悔やんだ。
もしも、自分が彼の元から逃げ出さなければ、魔物に襲われることは無かった。
そして、彼が魔物から自分を庇って、左腕を怪我をすることも。
「ああ、これですか? 大丈夫です。大したことありませんよ」
黒木はアリシアの視線に気づき、心配をかけまいと精一杯の笑顔で答えた。
しかし、その笑顔は、アリシアに更なる罪悪感を抱かせた。
——私は、『不要な存在』……
王城で家族や侍女たちに言われ続けてきた言葉が、呪詛としてアリシア自身を蝕む。
——ううん、違う
彼は見てくれていた。ファルシオン王国第二王女としてではなく、アリシアとしての自分を。
誰よりも優しく、律儀な青年。
何よりも彼は自らを犠牲にしてまで、自分のことを助け、守ってくれた人。
——私が『不要な存在』でも
アリシアの心の中に、灯火が宿る。長年にわたり抑圧されてきた感情が湧き上がってくる。
その感情の名は"願い"。
——彼の役に立ちたい!
アリシアは衝動的に、黒木の左腕にそっと右手を添える。
「アリシア様?」
アリシアの突然の行動に、黒木は困惑した。
——お願いします
アリシアは目を瞑って、記憶を辿った。
そして、初めて黒木と出会った状況を思い出す。
——本当に、私に誰かの役に立つことができるなら
川で死に掛けていた黒木を、自分の身体が光り、傷を治した出来事を思い浮かべる。
——もう一度、彼を助けて!
胸の奥から温かい何かが湧き上がってくるのを感じる。
その瞬間、アリシアの身体が淡く光り出した。
「何だよ……これ?」
黒木は目の前の光景に驚愕した。
すると、アリシアから溢れ出た光が黒木の左腕へと移っていく。
しばらくして、光が消えた。
「痛み……消えた?」
黒木は慌てて吊るしていた左腕を動かして、包帯を解いた。
包帯には血が付着していたが、魔物に噛まれたはずの左腕には、牙の跡が全くなくなっていた。
「嘘だろ……」
黒木は理解できない状況に言葉を失った。
「良かった……」
その光景を見て、アリシアは嬉しさに満ちあふれていた。
誰かの役に立てたことを。
彼をもう一度助けることができたことを。
「アリシア様、さっきのは本当にあなたが?」
黒木は、アリシアに尋ねた。
「私にも分かりませんが……」
アリシアは、自分の右手を見つめながら答えた。
——これが本当に私の能力なのか、今でも信じられない……でも
ただ、アリシアには一つだけ確信できた。
「もう一度、クロキさんを助けることができました」
今まで優しくしてくれた黒木に恩を報いることができた。そのことだけが、今のアリシアにとっての喜びであった。
「アリシア様……」
これまで見たこともない嬉しそうな表情をするアリシアに、黒木は呆然となった。
風のささやきと木々の揺れる音だけが、静かに二人を包んでいた。
その時——
「おい! そこにいるのは誰だ!?」
突然の声に、二人は身体を強張らせた。
黒木は反射的にアリシアを庇うように前に出ると、声が聞こえた方向に9ミリ拳銃を構えた。
目の前の揺れる林の中から出てきたのは、物々しい格好をした若い女性であった。




