第十話 暴かれた素性3
「……第二王女?」
黒木は、アリシアの口から発せられた単語に復唱した。
「王女って……アリシアさん、王族か何かの人ってことですか!?」
その事実に、黒木は驚愕の表情を浮かべた。
アリシアは肯定するように、コクコクと首を縦に振った。
「……ごめんなさい……許してください……もう逆らいません……あなたの言う通りにします……だから……もう……」
アリシアは、声を震えながら黒木に懇願する。
王城で生き延びるために身につけた従う術。それを彼女は無意識に選んでいた。そうすることでしか、自分に降りそそぐ苦痛や恐怖から逃れる術を知らなかったから。
「……許してください……私……」
アリシアが言葉を絞り出そうとした時、荒く呼吸をし始めた。
——苦し……しい……息……が
息が吸えない。呼吸が浅くなる。肺が締め付けられるほど痛い。
アリシアはたまらず胸を抑え込む。
「アリシアさん?」
ただ事ではない様子に、黒木はアリシアに声を掛ける。
そうしている間にも、アリシアの胸の動悸は激しさを増していく。熱くもないのに汗が噴き出し、身体を支えることができず、たまらず地面に手をついた。
「この症状……まずい、過呼吸になってる!」
黒木は、怪我をした左腕を抱えながらアリシアに詰め寄った。
「アリシアさん! 落ち着いて、ゆっくりと呼吸をするんだ!」
黒木が懸命に叫ぶも、アリシアは崩れるようにその場に倒れ込んだ。
薄れゆく意識の中でアリシアの瞳に映ったのは、必死で自分の名前を呼ぶ黒木の姿だった。
——ごめんなさい……クロキさん
その瞬間、アリシアの意識が途切れた。
◇
「ううっ……」
アリシアが目を覚ますと、視界には薄暗い場所で枝分かれした木の枝と、青々としたの葉であった。葉の隙間から漏れる光がチカチカと目に入る。
少しの時間を経て、ようやく彼女は木陰で寝ていることに気づいた。
——私、どうして……?
記憶が混濁する中で、アリシアは思い出そうと頭に手を添える。
すると、自分の額に何かが乗っかっていることに気づいた。
手に取ってみると、それは濡れた布であった。
「これって……」
「クウゥー」
聞き覚えのある鳴き声に目線を移すと、フロルがじっとアリシアを見つめていた。
「フロル……」
アリシアはおもむろに上体を起こす。よく見ると、寝ていたところは地面ではない。正確にいえば、地面に敷かれているまだら模様の布の上にいた。
見覚えのある模様、これを持つ人は一人しかいない。
「気がついたんですね」
声がした方を見ると、黒木が木を背に座り込んでいた。
しかし、少し違和感を感じた。彼の首からは深緑色の布がぶら下がっていて、その布に左腕を吊るしていた。
その姿を見た瞬間、アリシアは全てを思い出した。
「……クロキ……さん」
アリシアは凍り付いた。あの出来事は夢ではなく、現実だったのだと。
黒木は立ち上がると、アリシアの元にやって来る。
アリシアがどうすればいいのか戸惑っていると、フロルが黒木に近づいていった。
——フロル、駄目!
アリシアは、フロルの身の危険を感じた。
だが、フロルは黒木の目の前に立ち止まると、二本の尻尾を大きく振った。
「フロルは凄いですね。アリシア"様"から離れず、片時も見守っていましたよ」
黒木はかがみ込むと、フロルの頭を撫でた。それに応じて、フロルは嬉しそうな鳴き声を出した。
——フロルが、懐いてる?
これまでアリシア以外の他者に懐くことがなかったフロルが、あれ程まで接している姿に思わず目を見張った。
黒木はフロルを撫で終わると、ポケットからチョコレートを取り出した。右手と歯を使って包みを取ってフロルの前に置くと、フロルはそれを食べ始めた。
黒木はチョコレートを舐めるフロルの姿に微笑むと、アリシアの方を向いた。
「もう息苦しさはないですか?」
「あっ、はい……大丈夫です」
その言葉に、黒木はホッと息をついた。
「すみません、怖い思いをさせてしまって。アリシア様のことを考えず、つい感情的になってしまいました」
黒木は、アリシアに深々と頭を下げた。
「いえ、私こそ申し訳ありません。クロキさんに助けていただいていたのに、私は……」
アリシアは居たたまれない気持ちになる。
あの時、黒木は魔物から自分を守ってくれた。
それなのに、自分は彼から逃げてしまった。
そのせいで、彼は怪我をしてしまった。自分を守るために、左腕を犠牲にして。
ふと、違和感を感じた。
「クロキさん。今、私のことをアリシア"様"って」
「ええ、ファルシオン王国? でしたっけ。そこの第二王女様ってことですから。きちんと敬称はつけませんとね」
黒木の言葉に、アリシアは目をぱちくりとさせる。
「クロキさん、どうして……」
そのことを知っているのですか? それに続く言葉が出なかった。
「覚えていないんですか? ご自身でそう仰ったんですよ」
アリシアは自分の口元に手をやる。激情に駆られていて記憶が曖昧であったが、まさか自分の素性まで話してしまうとは思わなかった。
「改めて確認しますけど、あなたはファルシオン王国という国の第二王女様。で、よろしいんですね?」
アリシアは観念したかのように口を開いた。
「はい、私はアリシア・エル・ファルシオン。ファルシオン王国第二王女です」
「……そうですか」
黒木は、頭を掻きながら深々とため息をついた。
「佇まいからして普通の人ではないとは思ってたけど、まさか異世界で王女様と出会うとは……なんつー展開だよ」
「えっ?」
「あっ、いえ、何でもありません」
アリシアは、黒木が嘘をついていたことに対して怒っていると思っていた。
だが、当の黒木は困惑した様子であった。
「あの……怒らないのですか?」
「怒る? 何故ですか?」
「私は、あなたに……クロキさんに嘘をついていました」
「まぁ、驚きはしましたけどね。でも、俺のような知らない者に対して素性を明かすなんて、無理なのも理解はできます」
黒木は苦笑交じりで言った。
「……私は……もうあなたに助けてもらうことはできないのですね」
「どうしてですか?」
「私は……ファルシオン王国は、クロキさん達血堕人……いえ、二ホン国と敵対しています。そんな人を助ける理由はありません……」
戦争している国同士の間には、お互いに敵対心しかない。アリシアの、いやこの世界にとって、それが常識であった。
「前も言っていましたけど、そのちおちびとって、何なんですか?」
「生き残った兵士の方々が言っていたんです。『黒い杖を持ち、血のような赤い丸の印を掲げた邪悪なものに壊滅させられた』と。私の国や他の国々は、その印から血堕人と名称したんです」
「赤い丸……もしかして、これのことですか?」
黒木は、戦闘服の左肩に縫い付けてあるものをアリシアに見せた。
アリシアは、コクリと頷いて答える。
「なるほど、そういうことでしたか。ったく、まさか"日の丸"を血と例えるとはな」
黒木は、眉をひそめながら言った。
「ヒノマル?」
「ええ、そうです。これは日の丸といって、我々日本の国旗。太陽を象徴としたものなんですよ」
アリシアは改めて、黒木の戦闘服についている印——日の丸を見た。
白地に描かれた神々しいほどの深紅の太陽。
父や兵士達から聞かされた血の印としての印象よりも、黒木から聞かされた意味の方が不思議と温かく見えた。




