第一話 王女の日常
ファルシオン王国の王都ヴァルディオール。
王国の中枢にして、権威と威光の象徴である王城は、王都に住まう人々にとって畏敬と憧憬の対象であった。
白亜の城壁は陽光を受けて眩しく輝き、幾重にも重なる尖塔は空を突くようにそびえ立つ。その姿は、王家が長きにわたりこの国を治めてきた証そのものだった。
その王城の内部。
広く磨き上げられた回廊を、一人の少女が静かに歩いていた。
質素な衣装に身を包み、両手には手紙の入った木箱を抱えている。使用人のような出で立ちだが、歩き方や佇まいには、どこか隠しきれない品格があった。
アリシア・エル・ファルシオン。
ファルシオン王国の第二王女である。
淡い朱色のウェーブのかかった髪に、琥珀色の瞳。
窓から差し込む光を受け、その横顔は確かに王族の血を感じさせるものだった。
だが、その姿を見て彼女を王女だと認識する者は、城内にはほとんどいない。
「あら、アリスじゃない」
背後からかけられた声に、アリシアはびくりと肩を震わせ、振り向いた。
そこには、数名の使用人を従えた一人の女性が立っていた。
赤みがかった茶髪に、豪奢なドレスと宝石を身にまとった姿は、まさしく「王女」と呼ぶに相応しい存在だった。
「エリシアお姉様……」
エリシア・ローズ・ファルシオン。
アリシアの姉であり第一王女。王家の中でも最も寵愛を受け、将来を約束された存在だ。
「こんなところで、何をしているのかしら?」
「……ラザフォードお兄様宛てのお手紙が届きましたので、騎士団の執務室へお届けに」
エリシアはその返答を聞くと、値踏みするようにアリシアを見下ろし、木箱へと視線を落とした。
「ふぅん。今日も精が出るわね」
唇に浮かべられたのは、明らかな嘲笑だった。
「ファルシオン王国の第二王女ともあろう者が、雑用係だなんて。まったく、笑えてしまうわ」
その言葉に、アリシアの胸がざわつく。
「第二王女」という言葉は、生まれた時からずっと彼女を縛り続けてきた枷だった。
「まぁ、精々励みなさい。あなたのような者でも、多少は役に立っているのだから」
そう言い捨て、エリシアは通り過ぎていく。
付き従う使用人たちも、一瞬だけ冷ややかな視線を向けて去っていった。
廊下に残されたのは、俯いたまま立ち尽くすアリシアだけだった。
騎士団の執務室前に到着し、木箱を床に置いて扉を叩く。
中へ入ると、兄ラザフォードの姿はなく、秘書官が一人、机に向かって書類を整理していた。
秘書官はアリシアを一瞥しただけで、無言のまま顎をしゃくる。指示に従い、アリシアはテーブルの上に木箱を置いた。
「……失礼いたします」
声をかけても返事はない。
それが当たり前であるかのように、アリシアは静かに部屋を後にした。
城内を歩いていると、鎧を着た兵士たちとすれ違う。
「おい、また来てるぞ。第二王女様だ」
「また荷物運びか。暇そうで羨ましいな」
嘲笑の声が、背中に突き刺さる。
「そもそも、本当に王族なのか怪しいよな。だって黒い紋章がないんだろ?」
「魔力もないって話だ。人間ですらないんじゃねぇか?」
――そう。
アリシアには、なかった。
ファルシオン王国の王家にのみ、代々受け継がれるとされる黒い紋章。それこそが王家の証だ。
しかしアリシアは、生まれた時から身体のどこにも紋章が宿ってはいなかった。
それどころか、魔力量を示す水晶をかざしても、本来誰もが持っているはずの魔力すら確認されなかった。
父である国王は落胆し、母である王妃は絶望した。
自分たちの血筋から、出来損ないが生まれたのだと。
それ以来、アリシアは国民から存在を隠すため、王城内で半ば軟禁状態となった。
今も生かされている理由はただ一つ。王家の人間として、政略結婚など何かしらに利用できるかもしれないからに過ぎない。
笑い声が広がる中、アリシアは俯いたまま歩き続けた。
耳を塞ぎたい衝動を、必死に押し殺しながら。
城門を抜けると、空は赤く染まっていた。
いつの間にか、夕暮れの時刻になっていたようだ。
その時、門の陰から小さな影が飛び出してきた。
金色の毛並みを持つ、小狐のような小動物。
「フロル……」
名前を呼ぶと、小さな体で嬉しそうに駆け寄ってくる。
この子だけだった。
自分のそばに、ずっといてくれたのは。
幼い頃に中庭で一人泣いていた時に、フロルが目の前に現れた。姉や侍女らが気味悪がる中で、フロルはアリシアのみに懐いた。
それ以来、フロルと一緒にいるのが当たり前になっていた。誰にも見向きもされなかった自分に、ただ寄り添ってくれた存在だった。
「帰ろうか」
そう呟き、アリシアは小さな体のフロルを肩に乗せて王城への道を歩き出した。
夜。
自室の窓辺で、アリシアはフロルを膝に乗せて城下町の灯りを見つめていた。
夕食は何時ものように、調理室で出来た料理を自室に持ち込んで食べた。
家族と囲った食事は、覚えているほどなかった。
国王と王妃には存在しないように扱われ、兄は自分の事にしか関心をしてめさない。何より、姉からは嫌味や罵倒が尽きない。
物心がついた時には、一人で食べるのが当たり前になっていた。
「外の世界って、どんな感じなんだろうね」
眠るフロルに語りかけながら、アリシアは小さく微笑む。
幼い頃に外の世界に興味を抱いたアリシアは、外の世界を題材にしたお気に入り物語の本を手に、父である国王に外へ出たいと願った。
だが、返ってきた答えは言葉ではなかった。
幼いアリシアは、暗く冷たい地下牢へと閉じ込められた。
恐怖に満ちた空間の中、目の前に現れたのは姉のエリシアだった。
「お姉さま、助けて……私を出してください……」
懇願するアリシアを見て、エリシアは不敵に笑う。
「無様な姿ね、アリス。本当にお似合いよ」
そう言って、牢の中へ一冊の本を投げ込んだ。
黒いインクにまみれ、読むこともできないそれは、アリシアが大切にしていた物語の本だった。
「あなたは所詮、紋章も魔力も持たない『不要な存在』なのよ」
そう言い残し、エリシアは地下牢を去っていった。
残されたアリシアは、汚れた本を胸に抱き、ただ泣き続けた。
――どうして。
――どうして私には、何もないの。
王族の証となる黒い紋章も、人間なら誰もが持つはずの魔力も。
生まれた時から何もない自分は、家族からも、侍女たちからも『不要な存在』として扱われた。
——私は……何のために生まれてきたのだろう?
いつしかアリシアは、地下牢のように感情を閉ざし、ただ耐えることを覚えた。
それが、何も持たない自分が生きていくために選んだ唯一の術だったから。
「……明日も、頑張らないとね」
それは希望ではなく、ただ生き延びるための言葉だった。
本作をお読みいただきありがとうございます。
まずは第一章である王女アリシア編を書きました。
更新ペースは週2話を予定しています。
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