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みい ―サゲ―

 職場じゃ、午前中の佐藤の仕事ぶりに、皆が目を見張ってます。そんなこんなであっという間に昼休憩になり、佐藤と鈴木は連れだってランチに向かいました。

 人気の無い喫茶店に腰を落ち着けると、にこにこ顔の鈴木が頭を下げます。


「昨夜はご馳走様でした。早速見てくれたんすね、悪夢」

「好きで見た訳じゃないけどな」

「リアちゃん、ご機嫌でした。ありがとうございます」

「そりゃ良かったな」


 やはりあのメモに足された文字は、獏からのお礼だったようです。

 鈴木曰く、獏は、住所さえ分かれば飼い主の夢から他人の夢に渡ることが出来るんだそうで、佐藤が悪夢を見るまで、ずっと夢渡りさせるつもりだったんでしょう。


「あ、でも、どの子も夢渡りする訳じゃないみたいですよ。僕に懐いてるから、迷子にならないで帰ってこられるんです。本当に賢くて可愛いんすよ。それより、どうですか、悪夢を食べられた気分は」

「ああ、最高だ。お前もいつもこんな感じなのか」


 でしょう、と、何だか鈴木は得意気です。いや、別にお前の手柄じゃねーだろ、という言葉をぐっと飲み込む佐藤に、鈴木が両手を合わせます。


「先輩、もし良ければなんですけど、これからも時々悪夢を売ってくれませんか」

「そりゃ、別にいいけど」

「あざーす!」


 それからってもの、佐藤は時折、鈴木に悪夢を売る様になりました。鈴木の小遣い的にも、大体、月に一、二回ってとこでしょうかね。昼飯時なんかに鈴木が佐藤に代金を払って、その夜からリアちゃんが暫く夢渡りする。とはいえ、佐藤はしょっちゅう悪夢を見てますから、夢渡りは大抵その日で終わり、悪夢を食べて貰った翌朝の佐藤の目覚めは最高な上に小金も貰える、リアちゃんは満腹ご機嫌で鈴木もハッピー、二人、いや、二人と一匹の関係は上々です。


 この日の昼も、会社の屋上で、二人仲良くコンビニ飯を食ってました。


「なあ、前に悪夢のネタが尽きたのかもって言ってたけど、もう全然見なくなったのか?」

「お陰様で」

「けど、夢を食われてなくても、毎日あんな風に気持ちよく目覚めてんだろ」

「そっすね」


 それなら、自分も悪夢を食べ続けて貰えれば、いつかネタが尽きてアゲアゲな日々が始まるかもしれないと、手にした鮭おにぎりに(かぶ)り付いてほくそ笑む佐藤。近頃、月一、二回悪夢を提供する程度じゃあ物足りなくて、何なら自分が金を払ってでも悪夢を食って貰いたい位の心持ちなもんですから、その日が待ち遠しくてしょうがない。

 が。


「もしかしたら、リアちゃんのお陰かも。いつも頭をくっ付けあって寝てるんすけど、鼻息がくすぐったいんですよね。けど、それが凄く落ち着くって言うか、安心出来るんす。何かそういう成分でも出てるんすかね」


 鈴木の何気ない言葉に、佐藤の手からおにぎりがころっと転げ落ちる。悪夢を食ってもらうだけでは駄目なのかもしれないなんて、寝耳に水、考えたことも無かった。

 なら、もし自分の悪夢のネタが尽きたら、獏に食べて貰えなくなったら、どうなるんだ? あの、心地良い、何処までも澄み渡った、世界の全てに祝福されている様な目覚めは、二度と味わえなくなってしまうのか?


(嫌だ)


 恐怖にも似た強烈なその想いに、手足を震わせ、佐藤は一瞬で考えます。


(どうしたらいい、どうすればずっとあんな朝を迎えられる……そうか)


 佐藤の落としたおにぎりを拾おうと腰を屈めた鈴木に、佐藤が掴みかかります。


「なあ……お前の獏、俺に譲ってくれよ」

「へ? 嫌っすよ。リアちゃんは僕の家族です。ちょっとその冗談笑えないっすわ」

「冗談じゃねえんだよ!」


 突然の先輩の豹変ぶりに、鈴木は戸惑うばかり。佐藤は据わった目で、がくがくと鈴木を揺すります。


「……分かった、なら、獏のブリーダーとやらを紹介してくれ。譲って貰えるよう、交渉に行くから」

「駄目っす。獏を盗もうとする輩が多いんで、絶対に秘密にしてくれって頼まれてるんです」

「頼む。誰にも言わないって約束するから教えてくれ」

「駄目っすよ、僕も約束したんですから。つか、先輩、どうしたんすか? なんかおかしいですよ……悪いですけど、僕、もう仕事に戻ります」


 鈴木は佐藤の手から抜け出し、逃げるように屋上を出て行っちまいました。暫く固まってた佐藤でしたが、スマートフォンを取り出して、獏のブリーダーについて調べ始めます。が、皆、そうとう用心深くやってるんでしょうか、何の情報も出てこない。

 鈴木はリアちゃんを譲る気は無さそうだし、ブリーダーの居場所も分からない。それどころか、鈴木のあの調子じゃ、もう悪夢の取引もしてくれないかもしれない。もうあの朝を迎えられないなんて、考えられない。

 ……やがて佐藤は、ふらふらと屋上を後にしました。


 その夜。

 鈴木が暮らすアパート脇の電柱で、こっそりと息を潜める人影が一つ。佐藤です。何も知らずに帰って来た鈴木の前に、ぬっとその姿を現しました。

 怪しげな影に飛び上がらんばかりに驚いた鈴木ですが、その正体にすぐに気付きます。


「あっ、先輩! 急に会社から居なくなって、何してたんすか! 電話もガン無視だし、皆ですげー探したんすからね」

「…………」

「マジでどうしたんすか……取り敢えず、家に来ます?」

「…………」


 鈴木が溜息を吐いて歩き出すと、佐藤は黙って付いて来る。何やら剣呑な様子に、鈴木は声を掛けたことを後悔しましたが、今更「やっぱ、なしで」とも言えません。仕方なく部屋に通します。


「ただいま、リアちゃん。今日はお客さんが居るんだよ……あーやっぱ、隠れちゃってますね」

「……どこに居るんだ?」

「多分クローゼットっす。人見知りなん……ちょちょちょ、先輩、何してんすか! やめて下さいよ!」


 ずかずかと上がり込み、クローゼットに手を伸ばす佐藤に、鈴木が追いすがります。


「獏は臆病なんすよ、止めて下さい! いくら先輩でも、失礼じゃないす……」


 ぐさり!


 憤慨する鈴木の顔が、突然に歪みます。その腹には深々と包丁が突き立ってる。柄を握っているのは勿論……


「お前が教えないから、こんなことになるんだぞ」


 獏が手に入る当てがあるなら、お前から取り上げる必要なんて無かったのに……と呟き、何時の間にやら取り出していた包丁を、じりじりと鈴木の腹に押し込んでく佐藤。やがて鈴木は頽れ、動かなくなりました。

 静かになった部屋で、佐藤の耳に、キュウキュウとか細い鳴き声が聞こえてきます。リアちゃんの声でしょう。血で染まった両手でクローゼットの扉をそうっと開くと、隅っこで小さなパンダみたいな毛玉が震えてる。


「おいで」


 手を伸ばす佐藤の脇をすり抜け、獏はクローゼットから飛び出します。と、部屋の惨状に気付いたのでしょう、血の海の中でこと切れた飼い主の周りをうろうろとして、鳴き声を上げます。

 その隙に、背後から獏を掴み上げる佐藤。獏はその手を思い切り齧り逃れると、暴漢から庇う様に鈴木を背に、激しく唸る。再び掴みかかる佐藤の手。鋭い爪を立てる獏。

 暫く一人と一匹は激しく格闘してましたが、目玉を狙われた佐藤が思い切り腕を振ると、思いの外力が強かったんでしょう、ふっ飛ばされて壁に激突した獏は「ギュッ」と一声上げ、それきり動かなくなっちまいました。

 佐藤はへなへなと座り込みました。獏が死んでしまったら、今度こそ本当に、二度と、あの快感は味わえない。後輩を手にかけてまで欲しかったものは、もう手に入らない。

 深い悲しみと喪失感で、何も考えられない様子です。

 騒ぎに気付いたご近所さんの通報で警察が踏み込んだ時も、佐藤は鈴木の亡骸の傍でぼんやりと座り込んだまま。敢え無くご用となりました。



 さて、警察署の取調室では、刑事さん達が何やら困ってます。

 佐藤は取り調べに素直に応じるものの、獏のせいだの、悪夢を食うだの、その言動は一向に要領を得ない。後輩を刺したことは理解している様だが、「あいつが悪い」の一点張り。ですが、どんなに調べても、被害者に落ち度があるとは到底思えず、捜査本部の面々はげんなりしております。刑事さんの一人は薬物検査キットを取りに行ってるようです。ヤク中を疑ってるんでしょう。


「ねえ、刑事さん」

「なんだ」

「獏はどうなりました? やっぱり死んでましたか?」


 取り調べの間、佐藤はどろんと淀んだ目で、時折そんなことを聞いてきます。被害者の飼っていたペットだって言うんですが、お上が踏み込んだ時から今の今迄、鈴木の部屋では獏どころか、ゴキブリ一匹見掛けてない。


「あのね、何度も聞くけど、獏ってのは何なの?」

「獏は獏ですよ。悪夢を食べる獏。ああそうだ、刑事さん、獏のブリーダーがどこに居るか調べて下さい」

「……それ聞いて、どうする心算だ」

「貰いに行くんですよ、俺だけの獏を。ああー、気持ち良いだろうなあ」


 取調官の顔が、忌々し気に歪みます。

 そんなの聞いた事もねえよ。例え知ってても教える訳無いだろ、お前みたいなジャンキーに。そんな言葉をぐっと飲み込み、取調官は無言で取調室を後にしました。



 目の下を真っ黒な隈で染め、濁った瞳で柵に囲われた窓を見上げる佐藤は、もう何日もまともに眠れてません。ただぼんやりと、天井を見るともなく見てます。

 寝れば悪夢に怯え、目覚めれば鈴木を刺した感触が甦り、自由の無い状況に放心する。ここが何処か、あれからどれ位経ったのかも分からない。絶望すら感じなくなった頭で分かるのは、全てを犠牲にしても手に入れたかったあの快感は、二度と味わえないだろうということだけ。


 どうしてこうなった。あれは本当にあったことなのか。どこからどこまでが夢だったんだ。

 今は何時なのか。夜なのか朝なのか。ここは何処だ。分からない。


 やがて、ぶつぶつと呟き続ける佐藤は、誰も居ない閉ざされた部屋で一人頷きました。


 ああそうか、分かったぞ。今、俺が居るのは……



「悪夢の続きに違いない」

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