怪異その壱、虐められっ子クン ep1
今年でアラサーに突入する年齢のOL・日向詩乃は、何故かこの時セーラー服を身にまとっていた。
もちろん、彼女にコスプレ趣味があったわけでも、若作りしようとしたわけでもない。
ある日、不幸にも暴走トラックに撥ねられて命を落としてしまい、次の瞬間には廃校が舞台のホラーゲームの世界の中に転生していたのである。
(う…嘘でしょ…! よりにもよって鬼畜ゲーと名高い『誰ソ彼学園怪異部』の世界に転移するなんて…!)
見覚えのある制服、校舎の外観、そして何故か脳内に響く不協和音のBGM…。
詩乃が転生を果たした世界は、初見クリア不可能と謳われる鬼畜難易度と、マルチバッドエンド方式からなる鬱ストーリーを誇る有名フリーホラーゲーム、『誰ソ彼学園怪異部』の世界であることに間違いなかった。
『誰ソ彼学園怪異部』のあらすじ自体は至ってシンプルである。
ある日、主人公である女子高生の『ナナシ(名前変換可能)』は、心霊スポットと名高い近所の廃校『黄昏学園中等部校舎』へ肝試しに行くことになった。
ところがその黄昏学園には『怪異』と呼ばれる敵キャラクターがわんさかおり、ひとたび捕まろうものなら即座にゲームオーバー、要するに死を迎えることとなる。
果たして主人公は、怪異の魔の手から逃れて黄昏学園を脱出することができるのだろうか…というのが、概ねのゲーム内容だ。
だが悲しいかな、なんとこのゲーム、ハッピーエンドが存在しない。
全4ルートからなるマルチエンディング方式でありながら、選べるエンディングは以下の通りなのである。
・脱出寸前で怪異に掴まり、永久に黄昏学園に閉じ込められる『脱出失敗エンド』
・脱出に成功するものの精神に異常をきたし、一生を隔離病棟で過ごす『発狂エンド』
・脱出するや否や、廃校に死体を遺棄しにきた快楽殺人鬼の教師と出くわし、口封じに殺される『殺害エンド』
・怪異に魅入られて彼らの仲間入りを果たし、迷い込んだ人間を殺す側に回る『闇堕ちエンド』
(…詰んだーーーーーーーーーっ!!!)
どうあがいても絶望な未来を突き付けられた詩乃はその場にがっくりと崩れ落ち、あまりにも唐突かつ残酷すぎる運命においおいと咽び泣いた。
――どうせ転生するなら昨今流行りの乙女ゲームとかがよかった。
なんでよりにもよって配信者泣かせの死にホラーゲームの世界なんだ――
いくら嘆いても詩乃を転生させたのであろう神様とやらは知らんぷりで、ただただ淀んだ雰囲気が漂う黄昏学園の校舎が目の前に聳え立つばかりである。
(…い、いや、諦めてたまるか! 『誰ソ彼学園怪異部』なら推しのVtuberが実況配信あげてたから、攻略方法自体は頭の中に入ってる! …って、攻略したところで行き着く先はバッドエンド確実なんだった…)
いったいどうすれば、転生後の世界での死を避け、存在しないとされるハッピーエンドを勝ち取ることができるのか。
悩んだ末に詩乃が行き着いた答え…
それは、ゲームのジャンルそのものを変えてしまえばいい、ということであった。
* * *
(…や、やるしかない。正直無謀だけど…こうでもしなきゃ生き残れない!)
悲壮な決意を固めた詩乃が訪れたのは、黄昏学園中等部校舎の1階マップに存在する『男子トイレ』である。
この男子トイレにはゲーム中唯一の『プレイヤーに危害を加えない怪異キャラクター』が存在し、また他の怪異が登場するイベントが発生しないことから、ゲームのファンからは『癒しスポット』として扱われているエリアなのだ。
詩乃は息を顰めながら、荒れ果てた男子トイレの一番奥、扉が硬く閉ざされた個室の前へと立った。
すると扉の向こうから、よく耳を澄まさなければ聞こえないようなか細い声が聞こえてくる。
「…ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
怪異その壱、『虐められっ子クン』。
裏設定によれば、もともとは主人公と同じ学校に通う普通の男子生徒だったものの、いじめっ子に強要されて黄昏学園への肝試しを余儀なくされたが最後、そのまま命を落とした悲劇の少年である。
ゲーム中ではこの男子トイレの個室内に必ずおり、扉を開けてもひたすら「ごめんなさい」と呟くだけで何もしてこないという、無害かつ悲しい背景を匂わせる怪異キャラクターだ。
詩乃は扉越しに聞こえてくる痛々しい声に若干胸を痛めつつ、一生分の勇気を振り絞って第一声を発した。
「…あ、あのー!」
「ひぃっ!?」
すると詩乃の声が届いたのか、扉の向こうから虐められっ子クンの怯えた声が聞こえてくる。
詩乃はまず反応が帰ってきたことに一安心して、なるべく彼を刺激しないように優しく声をかけた。
「はじめまして、わたし日向詩乃っていいます」
「え、え、え…」
「あの、いきなりでアレなんですけど、ここの扉開けていいですか?」
「…えぇぇぇっ!? い、いやだっ、絶対いやだっ!!」
よほどこれまでに恐ろしい目に遭ったのか、虐められっ子クンは詩乃の申し出を即刻拒否するなり扉の鍵を施錠した。
しかしここで引いては4種4様のバッドエンドが待ち受けているだけ、詩乃は慌てて扉の取っ手を引っ掴むと、ガチャガチャと音を立てながら強引に開けようとする。
紛れもない女の自分が男子トイレの扉をこじ開けようとしている様は異様としか言いようがなかったが、お互い必死なのでそのことに気付く余裕は無かった。
「すみません、いきなりこんなこと言われてビックリしてると思うんですけど、全然怪しい者じゃないので! ほんと少しの間だけでいいんで、すぐ終わるんで!」
「嫌だ嫌だ嫌だっ! そんなこと言う奴信用できないっ!」
「そこをなんとかお願いします、よっ!」
詩乃が力任せに扉を引いた瞬間、経年劣化していた扉の鍵が『バキッ』と音をたてて壊れ、勢いよく扉が開いた。
個室の中には、目元がほとんど隠れてしまうほどに前髪が長く、ボロボロの学ランを身にまとった怪異の少年、虐められっ子クンの姿がある。
彼は蓋をした洋式トイレの便器の上で体育座りを決め込み、全身をがくがくと震わせながら、怯えたような上目遣いでこちらを見上げていた。
「ひっ…! ごめ、ごめんなさ…! たす、たすけ、たすけてぇっ…!」
怪異というからには既に死していることは間違いないのだが、涙目で助けを求める虐められっ子クンは正直生きている人間と殆ど見分けがつかず、その弱弱しい姿は哀れとしか言いようがなかった。
詩乃は壊れた扉の取っ手から手を放すと、冷や汗で湿った掌をスカートでぐいっと拭ってから、目の前の彼へと手を差し伸べる。
そして次の瞬間、彼女が発した言葉の内容は、虐められっ子クンの想像を遥かに超えるものだった。
「わたしと友達になってくれませんか?」
「…は?」
――ホラーゲームに転生した一般OL、詩乃が最終的に行き着いた生存ルートへの道。
それは、ゲーム中に登場する全ての怪異と『仲良くなる』という、ゲームシステムを根本から覆すものだった。