秋の天皇賞観戦記 パンサラッサ〜あの大ケヤキの向こう側へ〜
1998年11月1日。府中の杜、東京競馬場は悲しみの渦に包まれた。単勝1.2倍の圧倒的一番人気を背負ったサイレンススズカが、いつものように後続を大きく引き離して逃げるも4コーナー手前で突然失速し故障発生。左前脚手根骨の粉砕骨折により予後不良と診断され安楽死処分、わずか4年の生涯を閉じたのだ。当時小学4年生だった私もテレビの前で涙したのを未だに忘れていない。
音速の貴公子、異次元の逃亡者と呼ばれた異端のスターホース。大逃げのロマンを競馬ファンに与えた彼は昨今のウマ娘ブームも手伝って若者たちにも認知されている。
そんなサイレンススズカとの私の出会いはそれよりも1年半以上前のことだった。某競馬ゲームによって競馬の魅力を知った私はその日、同じく競馬ファンだった父に連れられ中山競馬場へと向かっていた。
メインレースの弥生賞。そのレースで、なんと騎手を振り落としゲートを潜ってしまった馬がいたのだ! まだ幼い私はそれを見て大笑いしてしまった。
それがあのサイレンススズカだった。大外からの再出走になったことによる影響からか出遅れを喫し大敗してしまった彼の印象は「変な馬」であった。
ちなみに父はランニングゲイルから買っており、当たってホクホク顔だったのを覚えている。
その「変な馬」は、鞍上が武豊に替わり、大逃げのスタイルを確立したことで一変する。年明けのバレンタインステークスから連戦連勝し、金鯱賞では現時点で平地重賞で最後となる大差勝ちを演じ衝撃を与えた。そのままの勢いで宝塚記念を制しG1馬となった彼は、続く毎日王冠であのエルコンドルパサーをも完封してしまった。エルコンドルパサーは個人的には日本史上最強馬とすら思っている馬だったので、叩きのG2とはいえとてつもない価値があるものだと思っている。
かつての「変な馬」はいつしか私の中で「少年期のヒーロー」へと変わっていた。そう、イチローや松井秀喜と変わらないカテゴリーに入っていたのだ。
前述の通り、秋の天皇賞の大ケヤキで彼の物語は終了してしまった。あの大ケヤキを越えた後の続きは、未だに競馬ファンの間で議論されているだろう。オーバーペースで失速するよ、という人もいれば、あのままぶっちぎりで逃げ切ってるよ、という人もいるはずだ。しかし、その幻想は霧に包まれたままだった。
だが今年、ついにその謎に一つの答えを与えてくれる馬が現れたのだ。それがパンサラッサだった。
サイレンススズカのことで前置きが長くなってしまったが、レースについてそろそろ語ろうと思う。
単勝一番人気に推されたのは3歳馬イクイノックス。まだキャリア4戦、G1タイトル無しの馬がこの好メンバーで一番人気とは異例のことだった。続いて二番人気に前年のダービー馬シャフリヤール、三番人気に札幌記念を制したジャックドールとなった。パンサラッサは22.8倍で7番人気であった。
私はといえばパンサラッサの単勝2000円、1点で勝負していた。予想とかではなく、半分応援馬券といったところだった。彼の逃げにはロマンを感じていたし、好きだった短距離王ロードカナロアの産駒であるのも良い。いつしかファンとして追いかけるようになっていた。人気が落ちたところでの逃げはこわいというのも定説ではあるし、チャンスではないかと密かに思っていた。
レース前の本馬場入場をテレビで見ていたが、アナウンサーのセリフに少しだけカチンと来てしまった。仮にもG1馬に「令和のツインターボ」はあまりにも失礼ではないか。きっと、私以外にもそう思っている人は少なからずいると思う。
鼻を明かしてやってくれ、と思いを込めて、私は彼を応援していた。
そしてついにゲートが開く。2枠3番の好枠を引いた彼はいつになく良いスタートで駆け出していった。実は最近のレースでスタートがイマイチだったこともあり、逃げられるかどうかを懸念していたがそれは杞憂に終わった。
先行馬も多く絡まれかけたが、持ち前のスピードレンジの違いで振り払いグングン差を拡げていく。
あまり批判はしたくないのだが、ジャックドールの藤岡佑介騎手はもう少し積極的な騎乗をすべきだったとは思う。
単独2番手で後続を突き放し、1000mを59秒くらいで通過するような……例えばかつて浜中騎手がロジャーバローズでダービーを制したような騎乗をすれば大いにチャンスはあったと思う。ジャックドールは本来ジリジリ伸びるのが持ち味で、あまりキレる方ではない。このようなレースをしていたらイクイノックスやダノンベルーガにキレ負けしてしまうのも致し方ないのかなとも思ってしまうのだ。
話を戻そう。後続を大きく引き離したパンサラッサは1000mを57.4秒で通過した。この数字、競馬ファンであるなら多くの人が気づいたことだろう。そう、あの日のサイレンススズカの通過タイムと全く一緒なのだ。それゆえ、不吉な数字だな……と脳裏によぎってしまった。
しかしパンサラッサのスピードはその後も衰えることはなかった。大きなリードを保ったまま、ついにはあの大ケヤキの向こう側へと進んでいったのだ。
――あの日の幻影は、振り払われたんだ――。
ついに、ついに、あの日の続きを見せてくれたんだ。4コーナーを回り、直線に入った時には、私の目から涙が溢れ出していた。
いけっ、パンサラッサ! そのままそのまま! パンサラッサ!
馬券も確かに買っていたが、もうそんなことはどうでもよくなっていた。ただひたすら、彼を大声で応援し続けた。
残り200m。まだ8馬身程度の差がある。いける、いけるぞ! 私は泣きながらテレビに向かって叫んでいた。
しかし現実は非情だった。ゴール前、驚異的な末脚を発揮したイクイノックスが外から強襲、上がり32.7の豪脚で最後は1馬身差を付けてゴールしていた。
勝ったイクイノックスのことももちろん称賛すべきだと思う。あの末脚はアナウンサーの言った通り「天才の一撃」に相応しいものであると思うし、馬の力を信じ後方でどっしり構えていたルメール騎手も素晴らしかったと思う。
しかし、感動を与えてくれたのはパンサラッサの方だ。果敢な大逃げをしてくれた吉田豊騎手にも敬意を表したい。あの日の続きを見せてくれて、本当にありがとう。競馬ファンにとっても、これが24年越しの1つの答えになったんじゃないかと思っている。
だが、この逃げで、パンサラッサはアイデンティティを確立したと思う。もう「令和のツインターボ」でも「令和のサイレンススズカ」でもないんだ。パンサラッサはパンサラッサなんだ。ということを知らしめてくれたと思っている。
馬券は外してしまったけれど、いつになく清々しい気持ちだった。こんなG1レースもそうそうないと思う。
2022年10月30日、この日のことをきっと一生忘れないと思う。パンサラッサ、その名前を心に刻んだ。
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