束の間の休息
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──束の間の休息
「まだ来ない、か」
アーデルハイドはベルゼブブの配下の悪魔ケルベロスの唸り声を聞いてそう呟いた。
デニスはまだ帝国に留まってる。散々バッセヴィッツ家のものたちに急かされているようだが、彼はこれをちょっとした治安の悪化程度に見ている。自分が動くまではないと。だが、出資者であるバッセヴィッツ家に急かされては、いつまでもそういう態度は取れないだろう。
いずれデニスは動く。そして、その動いたときが、奴の最期だ。
アーデルハイドは今日もダリューゲ商会の隊列を襲い、傭兵と商人を始末すると、港湾都市に戻り、ダリューゲ商会の建物の前を横切る。
「やあ! また会えたね!」
「私はこの建物の前を通らざるを得ないからな」
それに、とアーデルハイドは付け加える。
「ここで待ち伏せていたのをたまたま会ったように見せかけるのは止めろ」
「ははっ。全部お見通しか。参ったね」
フェルディナントは景気よく笑う。
「なあ、これから時間があるなら屋台巡りでもしないかい? この時期はいろいろなところが屋台を出すんだ。せっかく旅行に来たのならば、楽しんでいかないと」
フェルディナントの言葉にアーデルハイドは複雑な思いを描いた。
相手は自分の仇であるバッセヴィッツ家に利益をもたらしているダリューゲ商会の人間だ。だが、明確に悪い人間というわけではない。歳はアーデルハイドと同じくらいで、この世の仕組みなどまだ理解できていないだろう年齢だ。
そして、アーデルハイド自身、歳の近い少年の誘いを無視できないと思いがあった。
「……3軒付き合う。それだけだ」
「よし。とっておきのお店を案内するよ!」
こうしていると自分が復讐者だということを忘れそうになる。
だが、アーデルハイドは復讐者だ。呪われた人間だ。束縛された人間だ。
こうして“人間ごっこ”がいつまでできるわけではないことは彼女自身把握していた。いずれこの関係もなかったことになる。デニスを殺せば商会は大混乱に陥り、フェルディナントも路頭に迷うだろう。
その時、彼が恨むのがアーデルハイドではないと誰が言える?
所詮は“人間ごっこ”だ。呪われた人間の、道から外れた人間が行う“人間ごっこ”に過ぎない。それでもアーデルハイドは全くそれに魅力を覚えなかったわけではなかった。心のどこかではフェルディナントの申し出を快く思っていた。
「それで、フェルディナント殿。どこに案内してくれるので?」
「ディーノでいいよ。みんなそう呼んでる。アーデルハイドはなんて呼ばれている?」
「アーデ、と」
「そう呼んでもいい?」
アーデルハイドは少し考え込む。
「構わない」
「じゃあ、行こう、アーデ。美味しいものはたくさんあるよ」
「ああ」
存外“人間ごっこ”も悪くはないとアーデルハイドは思う。
だが、長くは続かない。決してこの関係が維持できるわけではない。やがて、関係は破綻を迎え、フェルディナントは死ぬだろう。亡者のひとりとなるだろう。アーデルハイドの母エレオノーラに囚われる亡者のひとりとなるだろう。
そうしたくないならば、早期に関係を打ち切ることだ。
だが、今のアーデルハイドにそれはできなかった。
今のアーデルハイドは関係を受け入れてしまっていた。
それが破滅に続いてると分かっていながら、フェルディナントの申し出を受け入れてしまっていた。いつかは離れよう。絶対に離れようと決意しながらも、アーデルハイドはその決意が揺るぎつつあるのを感じていた。
「イカは平気?」
「ああ。食べたのはこの間が初めてだが」
「なら、きっと気に入るよ」
アーデルハイドはイカを焼いたものをアーデルハイドに手渡す。
「ただでもらってはよくない」
「いいんだよ。今日は俺の奢り」
そう言ってイカ焼きの串をフェルディナントはアーデルハイドに押し付ける。
「……美味いな。噛めば噛むほど旨みが染み出してくる」
「でしょ? 後2軒も絶対にお勧めできる店だから楽しみにしていて」
フェルディナントはそう言って悪戯気に笑い、イカの串焼きを瞬く間に平らげた。
「さあ、次に行こう、アーデ!」
「ああ、ディーノ」
破滅のときはいずれやってくる。それまでは平和を享受していいのではないかという気持ちがアーデルハイドの中に芽生えていた。
デニスは死ななければならない、ダリューゲ商会は潰れなくてはならない。だが、商会が潰れた後、フェルディナントはどうするのだろうかとアーデは思った。屋台を巡る度に、その思いは大きくなる。
いや、この男もバッセヴィッツ家のために働いているんだ。バッセヴィッツ家に富をもたらしているのだ。末端とは言えど、これまで殺してきた商人たちと同じ立場にあるのだとアーデルハイドは自分に言い聞かせる。
この世で罪のない人間などいない。
アーデルハイドは大罪人だ。フリードリヒは大罪人だ。
アーデルハイドは復讐の名の下にあまりにも多くの人間を殺してきた。それが許されることだとは思っていない。ベルゼブブのいうように独りよがりの正義だ。
だが、信じるものがなければ人は生きてはいけない。
アーデルハイドの信じるものは己の復讐心だけであり、それを信じ続けてきた。
これまでも信じて来たし、これからも信じていくだろう。
アーデルハイドにはそれしか道がないから。アーデルハイドにはそれだけしか心を寄せるものがないから。
「美味しかった?」
「3軒以上巡ったな」
「でも、美味しかったでしょう?」
「それは認める」
ベルゼブブにも教えておかなければとアーデルハイドには思う。彼女は“暴食”を司っているだけはあり、食べる量は恐ろしいほどに大量だ。そして、それでいて美食を好んでいる。彼女に屋台の存在を教えておくべきだろうとアーデルハイドには思った。
「気に入ってもらえて嬉しいよ、アーデ」
フェルディナントは満面の笑みを浮かべる。
「けど、美味しいものを食べたのに表情が暗いね」
「私は昔からこういう顔だ」
「失礼。けど、アーデにはきっと笑顔が似合うよ」
笑顔などとアーデルハイドは思う。
笑顔などバッセヴィッツ家が滅びるまで浮かべてはならないものだ。それまでは冷酷であらなければならない。そうしなければ覚悟が揺らいでしまいそうだった。
この呪われた瞳と、自身を呪う母エレオノーラと亡者たちがいる以上、ある以上、アーデルハイドは一本の道しか進めない復讐の道しか進むことはできない。
今は、ただ束の間の平穏だ。
いずれ、また殺戮の季節が訪れる。デニスを殺し、さらに大勢の人間を殺す。殺して、殺して、殺して、殺し続ける。それがアーデルハイドに許された唯一の道。地獄へと繋がる道。アーデルハイドはこの道を進み続ける。亡者を増やしながら。
「満足したか?」
「それって俺のセリフじゃないの?」
「私と一緒に屋台を巡りたかったのだろう? 満足できたか?」
「君にこそ尋ねたい。満足できた?」
アーデルハイドは一瞬言葉を詰まらせる。
「満足した。だから、お前との関係はこれでお終いだ」
「……そうか」
「すまない」
アーデルハイドはそう言ってフェルディナントから離れていった。
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