亡命
……………………
──亡命
「亡命しましょう!」
ヴィルヘルムは突然妻アマーリエが言い出したことに首を傾げた。
「一体何を……? 私は皇帝で君は皇后だよ。そんな無責任なことができるはずないじゃないか」
「権力も何もないお飾りのね! お父様が何をしたのか見たでしょう? あの人は発狂したのよ! それもしっかりとした権力を持っている! こうなった以上、私たちにできるのは逃げることだけよ!」
ヴィルヘルムはそう言われて、額を押さえた。
確かに今の義父フリードリヒの様子はおかしい。狂っていると言ってすらいい。今まで何事もないかのように済ませてきたが、いなくなった貴族たちというのは、フリードリヒの施政に反対するものたちではなかったか?
「彼はどうしてしまったのだろうか」
「狂ったのよ! 発狂したの! 思い当たる節はあるわ。お父様はゲオルク兄様とカール、ゴッドフリートの3名にアーデルハイドを探せと命令しているの。私たちが7年前に領地から追放した妹よ。お父様はアーデが復讐に来ると思っている」
「ただのひとりの復讐者に怯えて、今のような狂乱を?」
「ただのひとりの復讐者じゃないの! アーデには黒い魔力が、悪魔との契約の証があったのよ! アーデは悪魔の力を使っているのかもしれない。それに対抗するためにお父様も悪魔の力を……」
ぶるっとアマーリエが震える。
「いずれにせよ、今のままでは私たちまで殺されるわ! 逃げましょう! 遠くへ、別の国へ! 今すぐに!」
「しかし……」
「分かったわ。じゃあ、他国に助力を乞いに行きましょう。お父様を排除するための。とにかく今のままでは殺されるのを待つだけ。それだけは絶対にダメ!」
「わ、分かった。逃げよう……」
そして、アマーリエとヴィルヘルムの亡命が始まった。
アマーリエは宝石を山ほど入れたカバンを持って、ヴィルヘルムは必要最小限の荷物を持って、馬車に乗る。周囲は狂乱が過ぎ去った後のように静かだった。
だが、狂乱は終わってなどいない。狂えるフリードリヒが何人殺すつもりなのかなど想像もつかない。今はただ、逃げるしかない。逃げて他国に落ち延びるのか、他国の助力を得て狂えるフリードリヒを排除するのか。それはヴィルヘルム次第だ。
今は逃げる。とにかく新帝都から、この帝国から逃げる。
馬車が無事に出発を始め、帝国親衛騎士団の妨害も入らないことからアマーリエは安堵の息をついた。
その時だった。突如として馬車が止まり、アマーリエとヴィルヘルムが座席から投げ出されそうになったのは。
「何が起きた……?」
ヴィルヘルムは怪訝そうにそう言うと馬車を降りた。
その次の瞬間、ヴィルヘルムが全身から血液を吐き出し、地面に倒れた。
「あ、ああ。そんな……」
「アマーリエ姉様。せっかく妹が戻ってきたというのに顔すら見せてくれないのか?」
外から死神の声がする。
「アーデは死んだわ! 死んだの! 私たちが追放したから! そのアーデの名を騙って、何をしようというつもり!」
「単純だ。復讐。それ以外に私にすることがあるというのか?」
アーデルハイドの足音が聞こえてくる。死神の足音が聞こえてくる。
「アーデ……。悪かったわ。私たちが悪かったわ。心から謝る。本当に悪かったと思っているわ。だけど、当時の私は子供でお父様に従うほかなかった。分かるでしょう? だから、許して……」
「ああ。許そう」
「本当?」
「ああ。私は許そう」
そして、死神がその姿を見せた。
「だが、母様たちが姉様を許すかな?」
真っ赤な瞳が見えると同時に、亡者たちが、鎖に繋がれた亡者たちが、アマーリエに手を伸ばす。その鎖を握っているのはエレオノーラであった。
「ああ! ああ! お母様! 許して!」
「姉様は真っ先に私たちの追放に賛成したじゃないか。何が子供だから何もできなかった、だ。姉様は卑怯者だ。こうしてこそこそと逃げ出そうとしているところまで含めて、とんだ卑怯者だ」
アマーリエが血を吐いて、馬車から転げ落ち、地面でのたうつ。
「死ね、姉様。死んでくれ、姉様。それだけが私の望み。母様の望み。死ね」
アーデルハイドが“亡者喰らいの大剣”をアマーリエに向ける。
アマーリエに無数の亡者が群がり、その肉を貪っていく。
「助け、助けて! 誰か! 誰か! 助けて……!」
そして、そのままアマーリエは八つ裂きにされ、果てた。
かくして、アマーリエも亡者の列に加わる。
「静かなもんだな」
「“殺し尽くしました”からね」
既にこの新帝都の新帝城の警備も使用人も皆殺しにされていた。
アーデルハイドが“亡者喰らいの大剣”を使って、“死の魔眼”を使って、片っ端から殺した。殺して、殺して、殺した。
「では、いよいよ感動の親子の再会のときだな」
「ええ。フリードリヒに、父様に会いましょう」
亡者たちを引き連れて、アーデルハイドが無人の帝城内部を進む。
死体があちこちに転がり、誰もが血反吐を吐いて死んでいる。鼻血を流して死んでいる。耳から血を流して死んでいる。、目から血の涙を流して死んでいる。
死んでいる。死んでいる。死んでいる。死んでいる。
「フリードリヒに与するものたちに死を」
アーデルハイドはそう言い切り、階段を上っていく。ゆっくりと、だが着実にフリードリヒに迫っていく。
そして、扉が目に入った。フリードリヒの部屋の扉だ。
「アーデルハイド。いよいよだな」
「ええ。いよいよです」
アーデルハイドが扉を蹴り開ける。
「ひいっ! だ、誰だ!」
フリードリヒの怯える声がする。
「酷いものだな、父様。私の顔を見忘れたか。それともこうすれば思い出すか?」
アーデルハイドが右目の眼帯を上げ、右目を開く。
「ア、アーデルハイド……!」
「そうだ。父様。母様や、ゲオルク兄様、カール兄様、アマーリエ姉様、ゾフィー姉様もいるぞ。他にも父様が使ってきた多くものたちがいるぞ」
エレオノーラの怨霊がフリードリヒに迫り、ゲオルクたちの亡者もフリードリヒに迫る。フリードリヒは血反吐を吐きながら、逃げ惑う。だが、この部屋で亡者たちから逃げられる場所などない。
「ふわあ。哀れな人間さん。どうやらついにこの時が来たようですね」
「ベルフェゴール様! お、お助けを! お助けを! どうかお助けを!」
部屋の暗がりの中から姿を見せたベルフェゴールにフリードリヒが縋りつく。
「い・や・で・す。その顔が見たかったんですよ。神を裏切り、悪魔に助けを求め、そして裏切られる人間の顔。その顔はどんな喜劇よりも面白い。絶望に満ちていて、苦痛に満ちていて、その他美味しい感情に満ちている」
ベルフェゴールが舌なめずりする。
「さあ、殺されてください。実の娘に。あなたが殺そうとした娘に。あなたが生贄に捧げようとした娘に。そして、哀れで、愚かで、醜いネームレスへと生まれ変わるのです。あなたは地獄に落ちて、地獄の最下級民として暮らすのです。虐げられるのです。使い潰されるのです」
「い、嫌だ! 私は死にたくない! あんな化け物になりたくない! 助けください、ベルフェゴール様! もっと多くの生贄を捧げます! なんであろうとします! お願いです! どうかお助けを!」
「ふふっ。本当に哀れな人間さん。哀れ過ぎて思わず笑ってしまいます。でも、ここでゲームオーバー。あなたの天下はここでお終い。さようなら、哀れな人間さん。美味しくいただかれてしまうといいでしょう」
ベルフェゴールはそう言ってクスクスと笑いながら、フリードリヒを見下ろす。
……………………
面白いと思っていただけたらブクマ・評価・励ましの感想などお願いします!




