虚栄
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──虚栄
表向き帝都は繁栄の中にあった。
第2帝国親衛騎士団、第3帝国親衛騎士団の壊滅にもかかわらず、帝都では宴が開かれ、そこでは食べきれないほどのご馳走とこの世のものとは思えない美酒が振る舞われていた。だが、フリードリヒの政敵にとって今はまさに彼を引きずりおろすチャンスだった。
この日もフリードリヒを糾弾しようという帝国貴族たちが集まっていた。
そして、全員が消えた。
フリードリヒを糾弾しようとした帝国貴族たちは宴の席で一言も発することなく、いや宴の場に姿を現すこともなく、全員が行方不明になった。
全員が暗がりに引きずり込まれたのだ。全員が殺されたのだ。
「ふわあ。人間の権力とは維持するのが面倒くさいですね」
暗がりでベルフェゴールが欠伸をする。
彼女のいる暗がりではフリードリヒを糾弾しようとした帝国貴族たちが食われていた。八つ裂きにされ、手足の一本一本を、臓腑を貪られていた。帝国貴族“だった”ものを貪っているのは鋭い爪と鋭い牙を有するトカゲに似た生き物で、二足歩行し、鋭い爪で獲物を切り裂きつつ、貪欲に貪っている。
彼らはネームレスという。
地獄における下層民。奴隷的立場。最低限の立場もなく、最低限の知能もなく、最低限の品性もない。ただ、地獄の主たちが命じるがままに行動し、地獄では残飯を、地上では人間を貪る存在。
そのどうしようもなく惨めな存在を、ベルフェゴールはフリードリヒに与えていた。こうして彼に歯向かおうとする帝国貴族を八つ裂きにし、暗がりの中で貪らせていた。彼の権力を維持するために。
「まだ彼には失脚してもらいたくありませんからね? これからもこの帝国を支配してもらわなければなりません。これからもこの帝国を堕落させてもらわなければなりません。これからも楽しく、愉快に、この帝国を統治してもらわなければなりません」
ベルフェゴールは暗闇の中に消える。
宴の間にいなくなった帝国貴族は18名。だが、それに対して何かしらの捜査が行われるわけでもなく、それに対して何かしらの知らせがでるわけでもなく、まるで何事もなかったかのように宴の続く日々が過ぎていった。
フリードリヒは理解していた。第2帝国親衛騎士団と第3帝国親衛騎士団の敗北を隠すには時間稼ぎが必要であると。そして、その時間稼ぎには華やかな宴を催しておくことが一番手っ取りばやいと。
だが、彼自身も薄々は気づいていた。
アーデルハイドを排除するのに今の戦力では足りないと。
アーデルハイドは第2帝国親衛騎士団と第3帝国親衛騎士団を壊滅させた。
アーデルハイドには黒い魔力が流れているということは知っていた。だが、それはただの自分がベルフェゴールと契約した際の残滓だと思っていた。それに何かの意味があるかなど思っていなかった。
「ど、どうすれば……。どうすればいい……!」
フリードリヒは焦っていた。
このままでは身の破滅だ。いつまでも地獄の国王に借りを作っておいて、返済せずにいられるとは思えない。地獄の国王は必ず取り立てる。最低最悪の方法で取り立てる。アーデルハイドの魂を捧げなければ、それ以外──つまりはフリードリヒ自身の身で支払ってもらうことになるだろう。
あの醜いネームレス。あのような姿にされてもおかしくはないのだ。悪魔に魂を売るというのはそういうことを意味するのだ。
あんな醜い化け物にされて、一生地獄の底辺で暮らすなど!
フリードリヒは必死に生き延びる術を探る。どうすれば生き残れるかを探る。アーデルハイドをどうすれば生贄に捧げられるかを探る。
忌々しいアーデルハイド。大人しく死んでいればよかったものの、生き延びて、血を分けたバッセヴィッツ家のものたちを次々に殺していくとは。
「父上」
「おお。ゲオルク。それで、どうであった?」
第1帝国親衛騎士団の団長であり、フリードリヒの長男であるゲオルクが姿を見せる。フリードリヒはそれに希望を抱いたような視線を向けた。
「調査の結果です。死体の損壊状況などを纏めてあります」
「アーデルハイドは。アーデルハイドの居所は分からないのか」
「具体的には。ただ、軍用犬を使い近い位置までを捜索しました」
「そうか、そうか」
フリードリヒは満足げに頷いた。
「死体の損壊ですが、一部が何の外傷もなく、内臓だけをやられています。内臓だけが破損しているのです。これは一体どういうことなのでしょうか?」
「私が知るわけがないだろう? アーデルハイドは呪い子だ。その呪いかもしれない」
「そうであるならば、私が付け加えることはありません。それで父上はアーデルハイドをどのようになさるおつもりで?」
「当然、処刑する。このものは帝国に牙を剥いたのだ。お前の妹と弟であるゾフィーとカールを殺したのだ。それを生かしておけるか?」
「裁判は行われるのですね?」
「裁判など! お前まで宮廷貴族のようなことをいうのか? 戦場で出会う敵ひとりひとりをお前は裁判にかけるのか? そんな余裕があるように見えるのか?」
「いいえ。ですが、アーデルハイドも血を分けたものではありませんか。それを裁判もなく殺してしまうなど、些か……」
「アーデルハイドは敵だ。倒さなければならない敵だ。我々の敵になった。敵を屠るのがお前たちの仕事であろうが。そうでないのならば、別の人間たちを使う。お前のようにこの期に及んで裁判だの、なんだの言わない人間を」
フリードリヒは憤った様子でゲオルクに出ていくように扉を指さした。
「そうであれば、何も言いますまい」
フリードリヒは一礼し、フリードリヒの執務室を出た。
「ふわあ。返済がまだな人間さん。焦っていますね?」
「べ、ベルフェゴール様! い、今はお待ちを! 必ずアーデルハイドをあなた様に捧げさせていただきます! 契約を果たさせていただきます! 今はもう暫しお待ちを!」
「ベルちゃんは辛抱強い大悪魔なので待ちますよ。あなたが生きている限り。あなたが生きて、その手で生贄を捧げる限り。他人に任せようとはしていませんよね? あなたの手で殺すんですよ。あなたが罪を犯すことによって、あなたがその両手を自分の娘の血で真っ赤に染めることによって、全ては果たされるんです」
「ははっ! 分かっております!」
ベルフェゴールがそう言いながらゲオルクの報告書を眺める。
「彼女は力に覚醒したようですね。あなた方を殺せる力に。あなた方のこの偽りの繁栄を終わらせることのできる力に。あなた方の幸せを絶望に変える力に」
「ど、どうすればよろしいでしょうか?」
「さあ? ベルちゃんは眠たいので考える気になりません。ふわあ。そろそろベルちゃんも地獄に帰ってお昼寝をします。それではごきげんよう、哀れな人間さん」
ベルフェゴールはそう言ってすっと姿を消した。
「ああ。ああ。なんたること。アーデルハイドが力に目覚めた? 我々を殺せる力に。そんな、そんな。私はようやくここまで登りつめたのだ。それをそう簡単に投げ捨てていいわけがあるか。私は虚栄であろうとこの繁栄にしがみつく。バッセヴィッツ家の繁栄にしがみつく。なんとしてでも、なにをしてでも」
その声は執務室の外にいたゲオルクにも聞こえていた。
彼は知った。父の罪を。
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