これは復讐なのか?
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──これは復讐なのか?
ヴァルトラウトを拉致する計画をアーデルハイドは立てた。
というよりも、ベルゼブブがというべきかもしれない。
「俺様の悪魔たちが妙な報告を上げていてな。それを確かめたい。もしかすると、ちょっとばかり面倒なことになるかもしれないからな」
「拷問するのであればお手伝いします」
「まあ、落ち着け。何も決まったわけじゃない。ただ、話すだけで解決する問題かもしれないだろう」
ベルゼブブはそう言って明確な回答を避けた。
そして、ヴァルトラウトを拉致する日がやってきた。
アーデルハイドの役割は護衛の帝国親衛騎士団を排除し、ヴァルトラウトの身柄を押さえること。この時点ではまだヴァルトラウトを殺してはならない。ヴァルトラウトは生きたまま確保し、準備された小屋まで連れ去る。
連れ去る役割はスラム街の人間が行う手はずになっていた。
アーデルハイドは自宅から孤児院に馬車で通うヴァルトラウトを待ち伏せる。
何かの罪滅ぼしのつもりか? 天国に行けるように少しでも善行を積んでおこうというわけか? フリードリヒという男と結婚しておいてよくそんなことが望めたものだ。
アーデルハイドはそう思いながら馬車を待つ。
やがて馬車がやってきた。黒い帝国親衛騎士団の鎧を纏った騎士たちに護衛され、馬車が道路の中央を進んでいく。全ての馬車や歩行者は脇に退き、通り過ぎるのを待っていた。だが、そこにアーデルハイドが踏み込む。
「何者だ!」
帝国親衛騎士団の騎士たちは馬を前に進める。
「貴様らに名乗る名などない。死ね」
アーデルハイドは眼帯を上げて右目を開く。
亡者たちの姿が帝国親衛騎士団の騎士たちの網膜に刻まれると同時に、彼らは血反吐を吐いて落馬する。馬も苦痛に暴れまわり、瞬く間に命が刈り取られて行く。
「母様、力を借りる」
亡者の群れの中から“亡者喰らいの大剣”を抜いたアーデルハイドが眼帯を下ろし、右目を閉じる。そして、その刃を後方から迫る帝国親衛騎士団の騎士たちに向けて。
「喰らえ。貪れ。蹂躙しろ」
刃から放たれた亡者たちが帝国親衛騎士団の騎士たちを襲い、喰らい、喰らい、喰らい、八つ裂きにして自分たちの隊列に組み込んだ。
「護衛は壊滅した! 今だ!」
アーデルハイドの合図で頭巾と布で顔を隠したスラム街の住民が馬車からヴァルトラウトを引きずりおろし、自分たちの用意した馬車に乗せてすぐさま逃げ去る。
「後を追おうなどと思うな。このものたちと同じ目に遭いたくなければな」
アーデルハイドはそう告げると、スラム街の住民の馬車に飛び乗り逃げ去った。
そして、アーデルハイドたちはスラム街の住民が準備した廃屋に到達した。既にベルゼブブは現地にいて、非常に退屈そうにしていた。
「よ。上手く行ったみたいだな?」
「ええ。なんとか」
ベルゼブブの表情を見て、アーデルハイドは安堵の息を吐いた。
「じゃあ、ご対面と行くか」
ベルゼブブはアーデルハイドを連れて、廃屋の中に入る。
「身代金でしたら、お支払いしますのでどうか……」
廃屋の中には麻袋を被せられて後ろ手に縛られたヴァルトラウトがいた。
「よう。俺様の知り合い知らないか?」
「知り合い……?」
麻袋を外すと同時にベルゼブブが尋ねるとヴァルトラウトは怪訝そうな表情をした。
「いつも眠そうで、いつもパジャマで、いつもデカい枕抱えてて、それでいて腹黒そうなアイドル系大悪魔。知らないか?」
「し、知りません。悪魔など……」
「ふうむ。それにしては臭うんだけどなあ……」
ヴァルトラウトの周りですんすんとベルゼブブが鼻を鳴らす。
「ああ。お前は、あれか。生贄か」
「生贄?」
そこで反応したのはアーデルハイドであった。
「恐らくお前の親父さんのフリードリヒって男は俺様の知り合いと契約した。どういう意味があるかは謎だがな。そして、何かしらの願いを叶えてやる代わりに、生贄を要求した。それが最初はお前とお前の母ちゃん。それが失敗したから、今度は新しい妻と子供を生贄に、ってことだ」
「まさか。そんな」
「おかしいと思わなかったのか? お前の母ちゃんは悪魔と契ったわけでもない。それなのにお前は黒い魔力を示した。母ちゃんじゃないとすれば、疑うべきは親父だろう。恐らくは最初から死ぬことを期待して、お前の親父はお前たちを追放したんだ」
アーデルハイドもヴァルトラウトも絶句していた。
事実だとすれば鬼畜の所業で済まされる話ではない。それも今度はヴァルトラウトを生贄にしようとしているのだ。恐らくはその子も同じようにして。
「そんな。あの人は愛してくれて……」
「愛せば愛すほど生贄としての価値は上がるからな。悪魔も人間なら誰でも生贄として受け入れるわけじゃない。愛されて、大事にされて、丁寧に仕上げられた生贄の方が美味い。その点、お前さんは生贄にぴったりだったってわけだ」
ベルゼブブは冷淡にそう言った。
「そんな……。私はただ……」
アーデルハイドは嘆きに沈み、ただただ言葉すらも出ないヴァルトラウトを見て、かつての自分を思い出した。父であるフリードリヒは自分と母のことも生贄に捧げるつもりだったのだ。そして、前の前にいるヴァルトラウトも同様に。
「血が出てる……」
ふと、スラム街の住民のひとりがそう言った。
ヴァルトラウトの下半身から出血していた。真っ白な彼女のドレスが赤黒く染まっていく。血の色に染まっていく。
「流産したか。またしても生贄は捧げ損ねたってことだ」
ベルゼブブはどうでもよさそうにそう言った。
「医者を! 早く!」
「合点です、姐さん!」
アーデルハイドもいてもたってもいられず外に飛び出した。
ああ。こんなのは復讐じゃない。これは復讐じゃない。
ヴァルトラウトはフリードリヒにも、ゲオルクにも、カールにも、アマーリエにお、ゾフィーにも与していない。彼女もアーデルハイドたち同様に利用されていただけだ!
「医者です、姐さん!」
「急いで──」
アーデルハイドたちが医者を連れて廃屋に入った時、沈黙が支配した。
ヴァルトラウトは首をつって死んでいた。自分を縛っていた縄を使って、天井の梁に縄を通し、それを使って首をつって死んでいた。
「悪魔に魂は渡らず。フリードリヒも参ることだろう」
後から様子を見に来たベルゼブブがそう言う。
だが、アーデルハイドの表情は曇り切っていた。
「こんなものは……私が望んだ復讐では……」
アーデルハイドはそう言ってその場で嘔吐した。
自分は罪深い人間だということは前々から分かっていた。だが、それはひとえに復讐のためだった。それ以外のことで人の死を望んだことなどなかった。誓って、アーデルハイドは自らが得た力を復讐以外のことに使おうなどと思わなかった。
だが、やってしまった。やってしまったのだ。
目の前には死体になったヴァルトラウトの死体が。
自分と母と同じように悪魔への生贄にされるはずだった女性の死体が。
「これぐらいのことで怯んだ、なんて言ってくれるなよ」
「言いません。私は必ず復讐する」
ベルゼブブの言葉にアーデルハイドは確かにそう返した。
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