その権力の裏では
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──その権力の裏では
バッセヴィッツ家は栄華を極めていた。
伯爵家から公爵家への異例の家柄の再評価。
これは長女アマーリエが見事ニーベルング帝国皇太子ヴィルヘルムの心を射止めたからということもあるだろう。本来ならば許されないほどの家柄の離れたこの結婚もどういうわけか周囲からは祝福され、バッセヴィッツ家は皇室の血筋となった。
そして、バッセヴィッツ家当主フリードリヒは皇太子ヴィルヘルムの個人的な相談役という地位を手に入れ、彼を経由して様々な法律を通し、帝国を裏から牛耳った。皇帝であるマクシミリアンは今は病を患い、ヴィルヘルムが摂政として働いていたので、これは非常に有効なことだった。
フリードリヒはまず近衛騎士団とは別に騎士団を作ることをヴィルヘルムに言った。
それにより帝国親衛騎士団という騎士団が作られた。
これは事実上のフリードリヒの帝国における私兵集団である。
第1帝国親衛騎士団“ライン”団長には長男であるゲオルク。
第2帝国親衛騎士団“ジークフリート”団長には次男であるカール。
第3帝国親衛騎士団“ワルキューレ”団長には次女ゾフィーの夫であるゴットフリート・フォン・ノイラート。
帝国親衛騎士団はニーベルング帝国内の治安維持などに使用される精鋭部隊とされ、これもまたフリードリヒの道具になった。息子と娘たちによって支配される帝国親衛騎士団はフリードリヒの思うがままに動き、自分に敵対する貴族たちを排除することに使われた。そして、その権限は近衛騎士団や正規軍などを超え、帝国中のあらゆる物事に武力を以てして介入し、農民の反乱を鎮圧し、労働者たちのデモを鎮圧し、武力を以てして帝国を支配した。
武力は権力を生む。帝国親衛騎士団を事実上束ねるフリードリヒは絶大な権力を手にしていた。バッセヴィッツ家は帝国の社交界で知らぬものがいない名となり、ゲオルクもカールも皇室から妻を娶り、バッセヴィッツ家は公爵家としての立ち位置を固めていく。
誰も逆らえない。
全てのことはバッセヴィッツ家の名誉と栄光に繋がり、フリードリヒは帝国を影から操り続ける。このままバッセヴィッツ家は永遠に安泰だと思われた。この繁栄は永遠に続くかのように思われた。
だが、誰もおかしいとは思わなかったのだろうか?
これまで地方のただの伯爵家に過ぎなかったバッセヴィッツ家が突如としてここまでの躍進を遂げたことに。アマーリエのシンデレラストーリーが出来すぎているとは、フリードリヒの権力掌握が出来すぎているとは、帝国親衛騎士団に関わるものごとがあまりにも速やかに進んでいるとは思わなかったのだろうか。
バッセヴィッツ家の繁栄は確かなものだ。確かな現実だ。だが、何かがおかしい。アマーリエとの結婚が終わった直後に倒れたマクシミリアン。帝国親衛騎士団という超法規的組織の設立に誰も反対しなかった帝国議会。その権力の行使を認めて既成事実を作ってしまった貴族たち。
帝国の裏で何かが蠢いていた。
「辺境伯はまたしても帝国親衛騎士団に反対するか。これは早期に片付けなければならないな。辺境伯ほどの大物を仕留めるとなると、それなりのスキャンダルが必要になるが、幸いにして、今は全てが我々の味方だ」
フリードリヒはそう言って帝都の中心にある帝城で、執務を続けていた。彼は権力を得るために多くの権力を振るい、権力が権力を呼び込み、今や影の皇帝として存在していた。摂政ヴィルヘルムですら、フリードリヒの合意なくして何も動かせない。
「次は──」
「ふわあ。こんばんは。今日も権力を追い求める欲深き人間さん」
自分の執務室に気だるげな少女の声が響いたのに、フリードリヒの手が止まった。
「べ、ベルフェゴール様……」
「そうです、そうです。地獄の癒し系アイドル、ベルちゃんですよ」
きゅぴんというポーズを決めると、その大きな枕を持った寝間着姿の少女は大きく欠伸をし、のそのそと応接間のソファーの上に横たわった。
「こ、今回は何事で……?」
「ベルちゃんは悪魔としては良心的な方です。他の悪魔たちのように無理な取り立てはしません。ですが、いくらなんでも“対価”を払うのが遅すぎるのではないかと思っていましてね。そのところを解決しに来たのですよ、ふわあ」
ベルフェゴールと呼ばれた存在はソファーの上にごろんと横になる。
「そ、それは本来ならば妻と娘を……」
「来てませんよ、あなたの奥さんと娘さんの魂。貰ってません。ベルちゃんは怠け者ですけど、いや怠け者だからこそ、労働には正当な対価を受け取りたいと思っているのです。それを有耶無耶にして誤魔化してしまうつもりですか? それは、ちょっといただけませんねえ……?」
ベルフェゴールが真っ赤な瞳でフリードリヒを見つめる。
フリードリヒの影から鋭い爪の伸びた腕が伸び、そして燃える炎を纏ったフェニックスが現れ、その鋭い眼光をフリードリヒに向ける。少し間違えば、フリードリヒはこの場で焼かれ、果てることになるだろう。
「労働には正当な対価を。それができないのでしたら、対価はその身で支払っていただくしかありませんね? ふわあ……」
ベルフェゴールはそう言って大きく欠伸する。
「あ、新しい妻を娶りました! 子供もできています! それを捧げます! ですので、なにとぞ! なにとぞ! 私の持てるもので捧げられるものがあれば!」
「あなたは今や権力を手にし、あなたの家は栄華を極めている。ですが、ですがです。その繁栄が誰のおかげかを忘れてはなりませんよ?」
そう言ってベルフェゴールがまた眠そうに欠伸をする。
“怠惰”のベルフェゴール。ベルゼブブと同じ地獄の国王。
そう、フリードリヒが権力を手に入れたのは悪魔の力のおかげだった。
あの日、アーデルハイドの魔力鑑定で黒い色が出たのはフリードリヒがベルフェゴールと契約を結んでいたからに他ならない。原因はエレオノーラではなく、フリードリヒの方にあったのである。
フリードリヒは妻エレオノーラと娘アーデルハイドをベルフェゴールへの生贄に捧げることを約束し、帝国における絶対的な権力を得るという対価を受け取ることになった。あの日、フリードリヒが領地からふたりを追放したのは、その死を確かなものとするためであった。
だが、フリードリヒの目論見は外れた。
エレオノーラは怨霊となってアーデルハイドの呪いとなり、地獄へは落ちなかった。アーデルハイドもベルゼブブの力を借りて生きていくことになり、野垂れ死ぬことにはならなかった。ここで契約違反が生じてしまった。
フリードリヒが契約した相手は仮にも地獄の国王。
彼女たちを怒らせればどういう末路を辿るのかは言うまでもない。それこそ、魂は地獄に引きずり込まれ、永遠の苦痛の中で過ごすことになるだろう。それですらまだ生温いかもしれない。
この契約違反を解消しなければ、フリードリヒが手にした権力も失われる。
いや、フリードリヒの手にした全てが失われる。
皇室との繋がりも、絶大な権力も、権力で得た財宝も、纏っている服すらも、そして自身の命すらも失われる。
だから、新しく娶った妻を生贄にする。
その妻のことは愛していた。子供の誕生にも喜んだ。
だが、フリードリヒの自己保身と権力への渇望の前には、愛など無益である。
「新しく生贄を捧げますので、どうか、どうかお慈悲を!」
フリードリヒが床に頭をこすりつけて頼み込む。
「ふわあ。ベルちゃんは慈悲深く、気長な悪魔なので許してあげましょう。しかし、ちゃんと生贄は捧げて欲しいですね。あなたの手で殺してください。あなたがその血を帯びたナイフを掲げ、ベルちゃんの名を唱えてください。ベルちゃんにふたりの命を捧げると宣言してください」
「わ、分かりました!」
「では、失礼しますね。ベルちゃんは気長で、懐の大きな悪魔ですけれど──」
ベルフェゴールがサディスティックな笑みを浮かべる。
「契約違反には容赦しませんよ?」
ベルフェゴールはそう言って消え去った。
「ああ。ああ。殺さなければ。殺さなければ。殺さなければ……」
フリードリヒは憑りつかれたようにそう繰り返す。
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