追放
本日1回目の更新です。
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──追放
「呪い子だ!」
屋敷の中に悲鳴染みた声が上がる。
6歳のアーデルハイドにとっては何も分からなかった。
彼女は分からなかったのだ。
目の前の置かれた聖水の盆が真っ黒に染まっていることの意味が。
「あ、悪魔だ! 悪魔の呪いだ!」
「おお……。神よ……!」
参列したバッセヴィッツ伯爵家の人間たちが声を上げる。
ニーベルング帝国の貴族の家庭では6歳を迎えた子供たちには、彼らが有するかもしれない魔力を鑑定する儀式が、地元の司祭の手で行われる。
赤い色を発するものは攻撃的な赤魔術を使う。
青い色を発するものは物に魔術の力をかける付呪師となる。
白い色を発するものは他者を癒す白魔術を使う。
滅多なことでは色が出ることはない。30年前に吹き荒れた魔術師への大規模な迫害のために多くの魔術師の家庭が潰え、魔術を使うことのできる人間は滅多なことでは生まれなくなった。30年前の狂乱が終わった後になっても、それは同じことであった。
今回も盆の色は変わることなく、透明なままで終わるはずだった。
だが、アーデルハイドの血を垂らしたそれは黒く変色した。
黒い色を発するものは悪魔と結びついている。
「とうさま……? あにさま……? ねえさま……? どうして私をそんな目で見るのですか……?」
アーデルハイドは自分に向けられている視線が恐怖と敵意のものであることぐらいには気づけた。彼らは今や同じ兄弟姉妹を見る目ではなく、化け物やなにかもっとおぞましいものを見るような目でアーデルハイドを見ていた。
「私の子ではない! 悪魔の子だ!」
アーデルハイドの父親であるフリードリヒが叫ぶ。
「何を仰るのですか!? 仮にも我が子ではありませんか!?」
アーデルハイドの母エレオノーラの悲痛な叫びが響く。
「貴様だ! 貴様の仕業だ、エレオノーラ! 悪魔と交わっておったな! 私を謀ろうとしたのだろう! そうはいくものか! この薄汚い女め!」
「そんな……! この子は確かにあなたとの子供です! 共に誕生を喜び合ったではありませんか! ゲオルク! カール! アマーリエ! ゾフィー! あなたたちも自らの血を分けた妹を化け物を見るようにして……!」
フリードリヒが叫ぶのに、エレオノーラがアーデルハイドの兄弟姉妹たちを見渡す。
「母様。この黒い魔力の色は何なのですか? どうしてこうなったのですか?」
「分かりません……。何かの間違いです!」
ゲオルクと呼ばれた長男が盆の水を恐る恐る指さす。
「信じられないわ。この期に及んでそんな言い訳が通じると思うなんて! 誰かその気持ちの悪い娘を屋敷から摘まみだして! 一緒に暮らすことなんてできないわ! 悪魔の呪いがかかっているものと一緒になんて!」
「なんてことを言うの、アマーリエ!」
「事実でしょう? 悪魔の子よ! 呪い子よ! 家に不幸をもたらすわ! それともお母様はその呪い子を庇っているの?」
「私は……」
アマーリエと呼ばれた長女がアーデルハイドを睨む。
「アマーリエの言う通りだ! あの女と娘を領地から追放せよ! あのようなものが領地にいては不幸を招くことになるだろう! 追放し、永遠に我々の領地に入らぬように焼き印を押せ! 罪人の烙印を!」
「ああ……。どうして信じてくださらないのですか、あなた? この子はあなたとの子ですよ? それを追放すると仰るのですか? この子は死んでしまうでしょう。それでもいいと仰るのですか?」
「そうだ。死ね。我々の目の届かぬところで野垂れ死ね」
家族たちが恐怖の目で、理解できないという目で、敵意の目で、アーデルハイドとエレオノーラを見つめる。
「呪われるがいいでしょう……! 本当に呪われるがいい……! 悪魔よりも恐ろしきものによって呪われてしまうがいい……! お前たち全員が呪いによって破滅してしまえばいい……!」
エレオノーラがそう呪詛の言葉を吐く。
「聞いたか! これがあの女の本性だ! 我々を呪い殺すつもりだったのだ! さあ、焼き印を用意しろ! そして、あのものたちを追放しろ!」
やがて、屋敷の衛兵たちが集まり、エレオノーラとアーデルハイドを拘束する。そして、その背中に罪人の証となる焼き印を押した。アーデルハイドは泣き叫んで暴れまわり、エレオノーラは歯を食いしばって耐えた。
「かあさま。背中、痛いよう……」
「耐えなさい。これぐらいで泣いてはいけません。いいですか。これから辛い時を過ごさなければなりません。ですが、決して泣いてはなりません」
アーデルハイドがエレオノーラに泣きつくのにエレオノーラがその両頬を包みつつそう言って、涙を拭き取った。
「復讐するのです。フリードリヒ、ゲオルク、カール、アマーリエ、ゾフィー。奴らは死ななければならない。お前が殺さなければならない。お前が死に至らしめなければならない。どんな手段を使ってでも……!」
アーデルハイドはそう語るエレオノーラが恐ろしくてしょうがなかった。
それは何かに憑りつかれているかのようで、その目は憎悪に染まっていた。
「さあ、行きましょう。今日から家族は私たちだけです。お前には兄も、姉も、父もいないのです。あのものたちは敵です。必ずやうち滅ぼさなければならない敵です。いいですか。何があろうとも復讐を成し遂げるのです」
「……はい、かあさま」
そして、領地から追放されたアーデルハイトとエレオノーラは長い長い道のりを歩いていった。いずれここに戻ってきて、あのものたちを皆殺しにすることをエレオノーラは胸に描きながら。
アーデルハイドは今はまだ震えていることしかできなかった。
彼女はどうして父が、兄が、姉が、そして母がここまで変わってしまったかのかが理解できずにいた。どうして優しかった兄や姉がああなってしまったのか。どうして母は父、兄、姉たちを恨むようになってしまったのか。
ただ、エレオノーラに手を引かれ、懐かしい故郷の地から離れていくばかりであった。アーデルハイドは最後に一度故郷を振り返り、そしてエレオノーラとともに前を向いた。それが自分の進むべき道だと理解したかのように。
今でも思い出せる。その悲しい旅路の始まりは。
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