妹の志望校がおかしい
兄と妹だけの食卓は、問題のある家庭であるような気がして、夏樹はあまり好きではない。
たまに両親のどちらかか、両方が帰ってきた時しか、その問題は解決されない。
「そーいやさぁ、りりちんがお兄ちゃんのこと好きだって」
「ぶふぅっ!」
夏樹の吐き出した味噌汁は、初雪の顔まで飛んだ。
「ぎゃああ、ばっちい! お顔にぶっかけるなんて、わたし許可してないからね!」
変な言い方をしやがらないでほしい。
「お前がへんなこと言うからだろ!」
「へんなことなんて言ってないだろ! だってりりちん、ほんとにそう言ってたんだから」
愛野梨理夢は変態である、と夏樹は理解している。
いくらかわいいといっても、男のパンツを舐めるのだから、プラマイゼロになっても仕方ない。
むしろややマイナス寄りだ。
「どうせオレのパンツがって話だろ」
「それはそうなんだけど」
そうなんじゃねーか。
「パンツのテイスティングがきっかけで、その本人まで好きになるなんて、よくあることじゃん?」
「どこの異世界の日常か知らんが、この世界では希だぞ」
「とにかく、りりちんはお兄ちゃんのことが好きでわたしはりりちんの味方だから、これからも協力よろしくね!」
「…………」
夏樹は、いずれ自分か梨理夢が逮捕されるのではないかと心配だった。
それはないとしても、親には絶対に知られたくない秘密ができてしまった。
そのことに比べたら、隠してあるエロ本なんて見つかったってなんでもない。
見つかりたくはないけど━━
学校からの帰り道、夏樹は電柱の陰にあやしい少女を発見する。
その少女は、知っている顔だった。
妹のクラスメイト、名前は確か━━
「きみは、水沢……き━━」
「水沢季瀬姫ですよ、はっちゃんのお兄さん。奇遇ですね」
季瀬姫は本日、できの悪いモデルガンみたいな物を持っていた。
「ああ。ところできみは、こんなところで何を? 中学とはだいぶ離れた場所だと思うけど。家、このへんなのか?」
「いえいえ、家だけに、家はこのへんじゃないんですけど、ちょっと放射能除去作業のために来たのですよ」
「きみ、そんなことしてるのか?で、どうやって?」
「これです。これが放射能測定および除去のできる機械なんですけど、名前は特にありませんね」
季瀬姫がモデルガンのようなものを、夏樹に見せる。
銃口はなく、上部に小さなディスプレイがあって、そこに意味不明な英字の文字列と数字が表示されている。夏樹にはまったく解読できないものだ。
「広域のサーチには別のシステムを使うのですが、現場での検出にはこれを用いるのです。
━━例の原発事故の影響は、この町にも少なからずあったのですよ。みんなが、気づかないだけで」
それはおそろしい話だ。
それをこの女子中学生が、人知れず除去していたのか?
あの事故があった当時は、小学生だったはずだが。
何者なんだ、いったい。
「おや! お兄さんの股間から放射能反応が!」
「げっ、マジかよ! なんでだっ!」
「あはは、冗談ですよ!」
夏樹は空を仰いだ。確かに、冷静に考えればそんなの冗談に決まっていたが、一瞬本気で焦ってしまった。
ちゃんと洗っているけれど、梨理夢のこともあるし、彼女の唾液にでもなにか問題があるのかと思ったのだ。
そうであってくれれば、断る理由もできたのだが━━
「からかってしまって申し訳ありません」
「ほんとだよ、まったく」
「それではわたしは、また次の現場がありますので、これで失礼いたします」
まるでほんとに仕事でやってる専門家みたいだ。まさか、仕事でやっているわけではないだろう?
現役の女子中学生だし。
夏樹は不思議な少女、季瀬姫の背中を見送った。
「今日は7時から『スカーレットの魔術師』のアニメがはじまるから、それ見るよお兄ちゃん」
「ん、ゴールデンにアニメなんて━━」
「地上波なわけないじゃん」
ああ、そりゃそうかと夏樹は思い出す。つい最近、妹が勝手に契約したCSのアニメ専門チャンネルがあったのだ。
おかげで四六時中、アニメ番組を見せられる。
夏樹としては地上波のバラエティー番組が見たかったので、そちらは仕方なくハードディスクに録画している。
(我が家の主は妹か……)
ネットでも見れるのに、専門チャンネルでも見て、たまにレンタルショップで借りてくる……どんだけあるんだよ、見たいアニメ作品。
「今度さぁ」唐突に、初雪がきりだした。
「なんだよ」
「うちでお泊まり会するんだけど、いいよね?」
夏樹にはそれが、許可を取るタイミングとして不適切であることがわかっていた。「したいんだけど」ならわかるが「するんだけど」はもう決まったあとの話だろう。
しかもおそらく、拒否したところで決行されるのだろう。
「……勝手にしろ」そう答えるしかなかった。
「メンバーはねぇ、春ちゃんとりりちんは絶対来るって三億年前から決まってるでしょ。キーちゃんは都合が悪くてだめだったんだけど、他にも声かけてるから、最大で三十人くらいは来る可能性があるんだけど」
「はあっ? お前、そんな人数入るわけねーだろ、なに考えてんだ」
「ジョーダンだよ、チェ兄ちゃん」
なんだそれは。
チェリーにかけてるのか、それともチェ・ゲバラのチェか。
「エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナの通称と同じチェだよ、チェリー兄ちゃん」
「今確かにチェリーって言ったよな……でも、なんかすげーなお前。そんな名前でてくるなんて」
「アニメばっか見てて勉強してないとか思ってるでしょ? わたしだって受験は落ちたくないから、ちゃんとやってんのよ」
そうだったのか。
夏樹も兄とはいえ、妹のすべてを知っているわけではない。
実は陰で努力するタイプだったのか。
「でも初雪、多分ゲバラのフルネームなんて、入試には出ないんじゃないのか?」
「そんなことないよお兄ちゃん。曇汎高校の入試問題で、過去には『スタミナの語源になっている「花精」を意味するギリシャ語はなあに?』とか、歴史上の人物の名前をフルネームで答える問題なんかがでてるんだから」
歴史上の人物の名前をフルネームで答えるものは、設問としては普通にあるはずだが。特殊な名前ということか。
「マジかよ。っていうか、お前って曇汎高校志望だったの? あそこ、めちゃくちゃ偏差値高い進学校じゃねえか」
そして、入学試験の問題文に「なあに?」はおかしい。
クイズじゃねえか。
「物知りクイズみたいな問題多いから、ワンチャンあるかなって思って」
「……ねえよ。お前、ちゃんと考えろよ。でないと必ず後悔するぞ」
「考えてるよ、これでも。勉強だってしてるもん」
それにしたって━━いや、本人がやる気なのだから、ここは応援するべきなのか。
正直、名門高校に行ける学力のなかった夏樹には、心の中で応援することしかできそうになかった。




