黒人同居人がおかしい
夕食の間ずっと、ソファーでM字開脚をつづけたセニョールが気になって仕方なかった。
顔だけこちらへ向けているところから、しっかりと「監視カメラ」としての仕事はしているようだ。ろくな仕事じゃないが。
それに夏樹としてはサボってくれたほうがありがたいのだが、さすがはロボットといったところか、与えられた任務を全うしやがる。
「風呂には、ついて来るなよ」
バスルームへ向かう前に、一応、念のためにそう言っておく。
「ああ、わかった」
答えたのはセニョールなので、あくまでも彼だけが理解した、というところに不安は残るけれど、初雪たちと連絡が取れないので仕方ない。
画面は真っ黒で、今は誰の姿も映っていないし、声も聞こえないのだから。
ひょっとして、わざと声をかけないで、実はずっと観察されているのでは、という疑いは常にあったが、確かめるすべはない。
風呂から上がった夏樹が扉を開けると、目の前すぐのところにセニョールが立っていた。どうも、扉を開けようとしていた体勢に見てとれる。
その股間には初雪の顔があった。
「ありゃ、間に合わんかったよ、りりちん!」
「あ~、残念ですね~。もう少し早く戻ってきていれば、全裸のお兄さんを見れましたのに」
画面の中の初雪と梨理夢は学校指定のジャージ姿だった。初雪はそうでもないが、梨理夢のそれは新鮮に映る。
変態でさえなければ、素直にかわいいと言えるのだが。
「そんなものを見て、おもしろいのか?」
顔は見えないが、近くにいるのだろう春風ちゃんの声がする。
「初雪兄の貧相な身体を見ても、得るものはなにもないだろう」
悪かったな、貧相な身体で。
でもまあ、得るものがなにもないというのには同感だった。もはやただの嫌がらせに違いないし、これは、妹による兄イジメと言ってもいいのではないか。
現状、プライベートというものが完全に消滅してしまっている。これが芸人であれば、それでお金がもらえたりするのだろうが、夏樹はなにももらえない。ただひたすら、なにかを失っていくだけである。
夏樹は無駄に背の高いセニョールをかわして、自室へと向かった。
ベッドに腰を下ろすのと同時に、部屋のドアが開いた。
セニョールが追いかけてきたのだ。
「入ってくるな」
「しかし、わたしはキミを守らねばならない。それが、今のわたしの使命だからだ」
どうやら「自律モード」らしいセニョールが、そう告げる。
「なにから守るんだよ。言っておくが、むしろあんたがいないほうが安全だし、危険があるとすればそれはあんた自身だよ」
「なるほど。では、わたしのことは気にせずに、安心して休むといい」
なにに対しての「なるほど」なんだ? まったく、なにも理解してもらえなかった。
部屋の隅に移動しただけで、腕を組んで壁に寄りかかり、じっとこちらを見ている。相変わらずの全裸に帽子で、にこりともしないその表情から、さながら死神のようにすら見える。
安心どころか、強度のストレスを与える効果がありそうだけど、もはやどこにも逃げ場はない。
夏樹は諦めて、できる限りセニョールの存在を意識しないようにしたが、まったく意識しないというのも無理な話だった。
いつの間に眠りに落ちていたのか、昨晩の記憶は曖昧だった。
うろ覚えだが、黒人に肩車されて鉄骨の細い橋を渡る夢を見ていた。
どこへ向かっていたのか━━そんなことを考えていると、意識は覚醒へと近づいていった。
(布団が盛り上がっている……初雪はいないはずだし、夢でもない━━ということは、今度こそゴーストの仕業ということか)
中を見る。
自分の股の間にあった、黒人男性の無表情な顔と、目が合う。
「ボンジュ~ル」
夏樹は慌てて布団から飛び出すと、一目散に部屋を出てリビングまで走った。
「こっわ!」
ゴーストなんかより、よっぽど恐い。一気に目が覚めてしまった。
「待ちたまえ、キミ」
やはり追いかけてきたセニョールが、リビングに入ってきた。
相変わらず、服は着ていない。が、よく見たら彼のコートはハンガーに掛けられていた。一応、回収はしたらしい。着るつもりはないようだが。
というか、下着すら着用していない時点でおかしいのだ。はじめから全裸になる意図しかない。
「どうも、誤解があるようだ」セニョールは落ち着いた声音で言ったが、夏樹は胡散臭そうに見やるだけだ。
なにも信用していない。
「誤解とは?」
信用していないが、聞くだけは聞いてみることにする。
「キミがどう思ったかはわからないが、わたしはただ、キミの股間が膨張していないかどうかを確認していただけだ。そしてそれを、初雪様に伝えるよう、言われている」
「いや、まさに今あんたが言った通りのことを思ってたから、誤解は一切ない!」
聞くだけ無駄だった。
夏樹はとっとと朝食を済ませて、一刻も早く家を出ようと考えた。
(ん? というか、留守中はどうなるんだ? まさか、セニョールが学校までついてくるなんてこと、ないよな)
その可能性を考えて恐ろしくなる。あんなやつに学校までこられたら、パニックは必至。おそらくだけど、警察に通報されると思う。もし誰も通報しなかったら、自分で通報してもいいし。
そんなことを考えていると━━
「お早うございます、お兄さん」
と、水沢季瀬姫の声がした。
てっきりセニョールの股間に彼女の顔があるものと思って目をやるが、画面は真っ暗なままだった。どうやら、音声のみの通信らしい。
「季瀬姫ちゃん……いろいろ言いたいことはあるが、どうしたの?」
「はい。セニョールなんですが、お兄さんが学校へ行っているあいだは、留守を任せようと思うのてすが、よろしいですか? はっちゃんの許可はあるのですが、やはりお兄さんにも尋ねる必要があると思ったので」
「ああ、そう。いや、別にいいんだけど、帰らないか、やっぱり」
一晩我慢すれば、と期待していたのだが……どうやらもう一晩、夏樹の戦いはつづくようだ。
「はっちゃんの意向ですので。留守中、セニョールはなにもしませんし、お宅の物に触れることもしませんから、ご安心ください。あ、でも、はっちゃんが動かしたりして、行動することはあるかもしれません。それを一応、おことわりしておきます」
(結局、初雪次第じゃねーか)
妹がなにをするかわからないが、彼女らも修学旅行の行動があるから、いたずらをしているような暇もないか━━そう考えると、セニョールが動き回るようなこともないかもしれない。
いずれにしろ百パーセントの安心なんてできないけれど、対策もない以上は諦めるしかない。諦めて、なにごともないことを祈るだけだ。
「なんでもいいけど、修学旅行を楽しむといいよ。それと、妹のことをよろしく頼むよ」
「はい、お任せください。今日ははっちゃんのお買い物タイムもありますので、わたしはそれが楽しみですかね。では、このへんで失礼します」
今気づいたのだが、セニョールを通して誰かと会話している時は、彼の眼球はやや中央付近に寄っている。
そして今は、そのわずかな寄り目が解消されて、視線は真っ直ぐに戻っていた。
それに気づいたところで、どうだというわけではないが。
わからなくてもいいのに、徐々に、セニョールのことがわかってきたような気になる。
夏樹が出かけるのを、セニョールが見送ろうとしたが、お断りする。
「頼むから、外から見られないようにしてくれ!」
ドアを細く開けて、通りの様子をうかがう。人がいない隙に、出なくてはいけない。
「カーテンは開けるなよ。あんた、なにも着ていないんだから、わかってるよな?」
念をおしておく。
理解してくれたか、確認はできないけど。
「じゃあオレは出かけるけど、本当に、窓際に立ったりとか、しないでくれよ」
「任せたまえ。気をつけて、行ってくるといい」
返事もせずに扉をすり抜けて、すぐさまドアを閉めると外から施錠した。
彼を家に残して登校することは不安であるが、それを考えても仕方ない。
彼と、彼を造った水沢季瀬姫を信じるしかなかった。




