愛野梨理夢はおかしい
「お兄ちゃんわたしのクマさんパンツ盗ったでしょ!」
二階からバスタオル一枚の姿で駆け降りてきた妹の初雪が言いがかりをつけてきた。
「誰がどうしてお前の下着なんか盗るんだよ」
「お兄ちゃんが今晩のオカズにするために盗るでしょ」
そんな前科はないはずだが、さも毎度のことみたいに言いやがるものだ、と兄は思う。
「オレの夕食のオカズもお前と同じくコロッケだったはずだが。それと、お前の下着なら庭に干されたままだぞ」
「そうだった! 道ゆく変態紳士のみなさんに見てもらうために展示したままだったよ。ごめんねお兄ちゃん」
干していたのではなく、展示していたという初雪。なんでもいいが、ちゃんと確認してから騒げないものなのだろうか。
妹の寿々木初雪は中学三年の、思春期真っ只中だ。兄の寿々木夏樹もその歳のころにはいろいろと恥ずかしい思い出があるが、それを乗り越えて高校二年生にまでなった。
ともあれこちらも思春期には変わりないが、妹のエロネタ攻撃にも余裕をもって対処する自信がある。年の功というやつであると、本人は思い込んでいる。
どたたんっ!
大きな音のした方を見ると、パンツを手に持った初雪が玄関で盛大にすっ転んでいた。バスタオル姿のまま、庭先に出たらしい。恥じらいというものがないらしい。
「いった〜い!」
「おいおい大丈夫かよ、慌てるからだぞ」
「処女膜やぶれたかも! お兄ちゃん確かめて!」
ぶふっ!
さっき飲んだ牛乳こそ出なかったが、鼻水が少しでた夏樹。
「お前って学校でもそんななの?」
「なわけないじゃん。童貞のお兄ちゃんをからかっているだけですよ〜」
「あーそーですか。そりゃあよかった」
まあ、妹とは完全に血は繋がっているし、間違いなど起こるはずもないのだが━━それでも両親不在の時間が長すぎるのは問題かもしれない。
両親揃って海外勤務って、普通なら家族で引っ越しそうなものだけど、二人とも別々の国だし子供たちの学校もある。というわけで、兄と妹の二人暮らしみたいな生活が長かった。
なので初雪はけっこう調子に乗っているのだ。
りんりんりーん、お電話ですりーん!
初雪のスマホは着信音がおかしい。わかりやすいというメリットはあるが、やはりおかしい。
ゴンタちゃんボイスとか言っていたが、どうせアニメのキャラクターだろう。
初雪はアニメ漫画ゲームおたくでもあるのだ。
「お〜、りりちん、どったの〜? え、お兄ちゃん? いるよ〜。うん大丈夫、まだ寝てないし〜」
━━兄はもうそろそろ風呂に入って寝たいのだが、なにか用があるのか。
「ちょっと友達くるから、お兄ちゃんここにいて」
「なんでだよ、お前の友達だろ。オレは関係ない」
「関係あるから言ってんだよ〜」
はた迷惑な話だ、と思う。いったい何時だと思ってやがる。と中学生相手に怒るのも大人げないということで、ここは我慢する。
ピンポピンポピンポーン!
━━しかも呼び鈴連打すんのかよ!
どんなやつが来たんだろう? おそろしい。
「らっしゃい、りりちん。上がるかい?」
「ううん、ここでいい」
どんな非常識な子供かと思っていたら、黒髪ロングの清楚で大人しそうなかわいらしい女の子だった。
━━この子が連打するのか。人は見かけによらないなと、改めて感じる。
「この子は愛野梨理夢ちん。学校のお友達だよ。お兄ちゃんにお願いがあるってさ」
「オレに? いったい何の用?」
「お兄さん、せーしくださいな」
ぶふうっ!
再び鼻水。せーしって、精子だよな。それとも生死。いや、静止か。でもそれだと文法的にはおかしくなるけど。
━━なに言ってんだ、この子。
「すみません、急には出せませんよね」
「おっぱい見せたらすぐ出るよ?」
出ねーよ。なに言ってんだ、初雪。
「ではパンツで結構ですから、貸してもらえませんか?」
「では」の意味がわからないし、そんなもの借りてどーするというのだ。
「貸してあげなよ、お兄ちゃん」
正直用途がわからないし、男のパンツが必要な女子中学生なんて聞いたことがないから、こわいのだが。
「まあ、なんか知らんが、取ってくるよ」
「いえ、できれば今お召しになっているものが良いのですが」
ちょっと待て。それは無理だ。
「それはちょっと……」
「あのねお兄ちゃん。りりちんは週三で男性エキスを補給しないとなんないの。そーゆー体質なの」
どんな病気だよ、それは。
「学校ではだいたいいつも放課後の教室に忍び込んで、男の子の縦笛を舐めているのですが━━」
変態じゃねえか。
正真正銘のやつじゃねえか。
そして普通、男女逆だろ、それって。逆もどうかと思うが。
「今日に限ってみんな持ち帰ってしまっていて、ありつけませんでした」
ありつけなかったって、真顔で言うなよな。
「だ〜か〜ら〜、人助けのつもりですぐ脱ぐ。ほれほれ」
初雪がズボンを下げようとする。その頭を手でなんとか押さえながら、質問。
「きみ、それ本気で言ってんの?」
「はい、本気と書いて本気です」
そのままじゃねーか。
「りりちんは男性エキスを摂取しないとやばいんだってば!」
「なにがどうやばいんだよ!」
「最終的には、死にます」
「マジで?」
それを信じたわけではなかったが、嘘だとしても人の命に関わる以上は、応じないわけにもいかなくなった。
どうせ風呂に入ろうとしていたことだし、夏樹くんは一つ提案をする。
「わーったよ、じゃあオレは今から風呂に入るから、脱いだものは好きにしてくれ!」そう言うしかなかった。
脱衣室で全裸になって、使用済み衣類を、一応パンツを一番上にしてカゴに入れる。
においを嗅いだけど、やっぱりバッチリくさかった。
これを見知らぬ女子中学生が手にするかと思うと、羞恥心だけで死ねそうな気がしてくる。
バスルームに入って曇りガラス越しに見ていると、脱衣室の扉が開いて、初雪が入ってきたのがわかった。
パンツを拾って、すぐに出ていく。
本当に本気なのか。
正気の沙汰とは思えない。
やはり気になった夏樹は脱衣室に戻って下半身だけ隠してからそっと扉を開いて玄関の様子を確認した。
玄関まで廊下が一直線なので、なにが行われているかは、はっきりと確認することができる。
「クンカクンカクンカッ━━う〜ん、素晴らしいスメルです!
ぺろぺろぺろぺろ━━ああんっ、美味しすぎますっ! ユキちゃんのお兄さんのお味、すごく好みですよ!」
「ほうほう、そんなに旨いのかい? たとえるなら、なに味?」
「悪魔王の甘露煮男根ですね!」
夏樹はそっと扉を閉めた━━