ノア
私を連れてきたときと同じように、あの男ガリルは新しい奴隷を連れてきた。ガリルはやはり私の時と同じように牢屋の中に入れたらすぐに持ち場へ戻っていく。背中越しに「仲良くしろよー」とは言っていたが、実際は問題を起こすなよという忠告にしか聞こえず気分は良くない。
「あの、えっと…」
連れてこられた奴隷はおろおろと辺りを見渡しては俯き、ちらちらと私とリリルの顔色を窺っていた。きっと彼女も最初の私のように奴隷の知識などあまりなく、不安でいっぱいであることは分かる。こんなとき、リリルは相手の心情などお構いなしに身を乗り出すのだ。
「とりあえず座ったらどうだ?そうびくびくするなよ。私もイヴも怖くないぞ」
怖くないよと自分でいうやつがいるだろうか。そんな不審者ご用達の言葉を用いるリリルが純粋なのは理解してはいるが。
だがそんな言葉を素直に受け入れた奴隷はためらいがちに腰を落ち着かせた。その際にぶわっと広がる金髪は美しく、色白の肌は華奢な身体を目立たせ、不安いっぱいの海のような瞳が揺れる。端から見れば、こんな子がこれから奴隷になるなんて信じられないだろう。
「私はリリル。こっちはイヴだ」
「よろしく」
「お前はなんて名前なんだ?」
「えっと、ノアって呼ばれてます。もしかしたら偽名かもしれませんが…」
金髪の彼女、ノアは申し訳なさそうにも自己紹介をしてくれる。その縮こまる姿は小動物を連想する。洗濯中にたまに顔を見せる、あのちっこくて頬いっぱいに食物をため込んでいる可愛らしいあいつが頭に浮かぶ。
「ふーん。いい名前だしノアでいいんじゃない?」
「そうでしょうか」
「私も良い名前だと思うわ。どこか神秘的じゃない」
私とリリルのべた褒めに照れたのか「えへへぇ~」とだらしなく頬を緩ませて笑うノア。緊張が少し解けたのか強張った顔はどこへやら。今では川のせせらぎを聞きながら歌でも歌ってしまいそうなほど表情が和らいでいる。これが彼女の素の姿なのだろうと思い、こちらまで安心するようだ。
「でも、なんで奴隷なんかになっちまうんだ?ノアは悪さなんかできそうにないし、その手の形は教会の人間だろ?教会って言ったら相当上の立場じゃん」
確かに、ノアはどこから見ても善良な人間を絵に描いたような見た目をしている。苦しんでいる人がいたら手を差し伸べ、猫と一緒にお昼寝でもしてそうだ。
そして、リリルが気づいたように、手の形が祈るように握られていた。本人も無意識でやっているようだった。つまり、癖がついている。
教会。それはこの世界ではかなりの権力、発言力を持ち合わせていた。権力順を上から数えるならば、「王族」「貴族」「教会」となるはずだ。しかも、貴族と同レベルか、一番近い場所の発言力があるため、甲乙をつけ難い位なのだ。
そんな、教会の修道女たちが行う祈りの形が癖ついているのはノアが教会のシスターであるということと同義と言えるだろう。でもシスターが奴隷になるなんて話は誰も聞いたことがなかった。貴族と同じ立場の人間が奴隷になるのだから。
「そう、ですね。私は確かに教会でシスターをやっていました。その時に名前も与えていただいて、感謝しきれません」
「ん?そのとき?」
「なるほど。あなたは教会の祝として受け入れられたのね」
「はい。そう窺っております」
はふり?と理解ができていないリリル。まあつまりは、教会が孤児を拾ったということだ。本来拾われた孤児は、教会が有する孤児院に預けられる。その孤児院に預けられた子は通常の平民と同じ位に属して、教会からの支援を受けて生活をするのだ。
だが、祝は違う。祝は教会が『引き取った』孤児であり、修道女として育てる。だがそんなこと、よほどのことがなければありえないのだ。孤児となった理由がよほど残酷だったか、神に仕える者としてよほどの才があったのか。そんな確率で祝となる子は、神が見守ってくれていると言われている。つまり、ノアは神に愛された子供に違いない。
「じゃあノアってすごいじゃん!」
一通りの説明をしたら納得がいったリリルは目を輝かせた。吐息がかかりそうなほどの距離で感激しているリリルを引き離す。ノアも安心したように苦笑した。
「聞いていいのか分からないけれど、そんなあなたがどうして奴隷になるのかしら」
答えたくなければ答えなくていいわ。と付け足しておいた。
私だってリリルに奴隷となった原因を話していないのにずるい話であると思う。だから嫌なら嫌と言ってくれれば諦めた。だが意外にもノアは平然と語る。
「私は死刑される予定だった大罪人、ローガン・ヘルシングを逃がしたのです」
「ろ、ローガン・ヘルシングだって!?」
驚き目を見開くリリル。残念ながら、私には誰だか分からない。だが、奴隷歴の長いリリルが驚くほどの有名な大罪人ならそれはそれは恐ろしい人なのだろう。
「な、なんでそんなことを!」
信じられないと困惑するリリル。だがまるで自分が悪いことをしたという自覚がないように明るく語るのだ。
「ローガン・ヘルシングは王都一つ丸ごと火の海にしたと呼ばれています。死んだ人々の数は十数万人を超えたと」
「そうだよ。とんだ狂人だ」
「ですが、それは間違いだったのです」
リリルは首を傾げた。間違いという言葉が間違いだろうと猜疑の目で見つめて。
「信じてもらおうとは思いませんが、私には神の声が聞こえます」
「ん?」
予想外の言葉に間抜けな言葉を漏らすリリル。
かくいう私も少し興味深く思う。
「その神の声が聞こえるが為に私は祝となれました。そして、その声はいつだって真実や未来予知をお告げしてくれるのです。私たち、教会の者は定期的に罪人たちの下へ行き最後に神への罪の打ち明けをさせるのですが、その時に、私はローガン・ヘルシングの居る牢屋の前を通った時に、聞こえたのです」
『ローガン・ヘルシングは冤罪である。真の罪人が裁かれず、善良な者が罪を被り、処刑されそうになっている。これを許していいわけがない』
ノアは確かにそう聞いたらしい。彼女にとっては、この声こそが親のようなものだったという。教会の拾ってくれた人々にも、家族に近いものを感じてはいたが、神の声はいつだってノアを守ってくれた。だからこそ絶対の信用をしていた。神の声にそれはそうだろうと頷いたノアは神の声に従い大罪人を脱獄させたらしい。
「その方法を聞いてもいいかしら?」
「?構いませんよ?」
ノアは大罪人を脱獄させて見せた。大罪人を閉じ込めておく牢屋だ、どこまでも厳重だったに違いない。そこから逃がせてしまえる能力がノアにあるというのならば、ここから脱出するのは他愛ないはずだ。
「ローガン・ヘルシングの牢屋は特殊な魔法を何重にもかけて鍵をかけてありました。どれも見たことがないような魔法でしたが、慢心していたのでしょう。誰にも解けない魔法をかけているが為に牢屋の鍵自体はなかったのです。またもや信じて欲しいとは思いませんが、私には神より与えられた『賜物』があります」
「賜物?」
「はい。私は歌を歌いながら物に触れると、その触れた魔法は全て無へと返せる」
それは賜物と呼ぶには適した表現だった。
人間には、生まれながらになにかしらの特殊な力を持って生まれることがあると、私は奴隷になる前に古書で読んだことがあった。今までにも確認された力には、星に七日間願い続けることでそれが叶ってしまうもの。どんな万病でも、口づけをすると治ってしまうもの。
どれも伝説ではなく、正体不明の力として実現していたらしい。
そんな記録を見てきた私でもあるが、それを除いてもノアが嘘を吐いていたり、どこか気が狂っているようには、とても見えなかった。
「そう、素晴らしい能力ね」
「信じていただけるのですか?」
「ええ、私は信じるわ。じゃないと、その大罪人を逃がすことはできないでしょう?見たところ、だいたい同い年ぐらいの年齢だろうし」
身長なんてリリルにも負けている。並べるなら、リリルが一番大きく、続いてノアにイヴという順番になるだろう。
「私は今七歳ですね」
「ということは、私と同い年でイヴが一番下か」
「でも、次の月で八歳ですけどね。実際はわかりませんが」
ちなみにまだ私は六歳だったりする。今が陽の月なので、次の嵐の月には私も七歳だ。つまり私とノアは生まれた時期が同じらしい。
「んー…。イヴはノアの話信じるのか?」
リリルはどうしたものかと頭を掻く。
「ええ、おかしな点は私からみたらなかったもの。というより、信じてみたいと言うのが本音かしら」
あまり疑いたくないだけというのもある。少なくとも数年は必ず一緒に過ごすのだから。
「じゃあ、私もノアを信じる!」
「よろしいのですか?」
「ああ、その大罪人の件も含めて信じてやるぜ」
そうして明るく笑うリリルの顔を見て、ノアは泣き出しそうに瞳が揺らめいた。きっと信じてくれる人なんてごく少数で、さらにこんな場所まで飛ばされてきてしまって心が暗いもので溜まっていたのだろう。ノアはありがとうございますと笑顔で微笑み、いつの間にかリリルも猜疑の心が消えて素直に三人の仲を深めた。
「そうそう。私も、ノアのいうような『賜物』があるわ」
「なっ!?」
「まあ」
それから落ち着いた後、私も隠し事を少しなくしてしまおうと思い告白してみる。ノアの神の声も、魔法を無へと返してしまう力も、簡単に信じられた理由は私も同じように賜物を持っているからだった。こうしてノアという人物が奴隷として仲間になったが故に初めて告白できることといえよう。
「私はね、『ものの価値が分かる』賜物を持っているの」
「価値ですか?」
「ええ。これがどんな価値があるのか。どう使うのか。本来の用途やなんの為に作られた道具なのか。材質や性質とか、そういう情報が見ただけで瞬時に知識として入ってくる」
「それはそれは、素晴らしい『賜物』ですね…」
はー。と素直に関心するように見てくるノアに貴女には負けるわ。と肩を竦める。そんな二人の様子を見てリリルはプルプルと震えた。
「なんでだ!どうして二人はたまもの?があるのに私にはないんだー!羨ましい、ってーかかっこいい!」
うがーっと吠えるリリルに、落ち着きなさいと叩く。へぶー。ばたん。
それを見て楽しそうに笑うノア。私たちは心強い仲間を得たのだと実感できる。
「でも残念ね。もしこの牢屋も魔法で施錠されていればノアの力で脱出できたのに」
「あ、そうか!」
「気づいていなかったのね…」
「あはは。お力に経てそうにないですね」
なんとも惜しい話だ。だが、ノアの存在は大きい。お告げのある神の声とやらは私たちが生活するうえで非常に価値のある力となるであろう。
塵芥の中に役に立つものを見つけた人間の心情はこんな感じなのだろうか。だが、力も魅力的だが、ノアを道具として見るつもりはない。彼女のように笑顔が似合う女の子もそういないだろう。出会ってわずかだが、私はノアという女の子に強い好意を抱いているのだ。罪人かもしれない人を冤罪だとお告げを信じて脱走させ、自分が奴隷として過ごすことを悔いていない、その姿勢。こんな状況下でも楽しそうに花を咲かせる。どうかこの笑顔を忘れないで欲しいと願う。
「なあノア。今は神の声は聞こえるのか?この牢屋から脱出するアドバイとか」
確かに聞けるのならば聞いておきたい。もしかしたら案外簡単に脱出できるかもしれないからだ。
「えーっと。そこまで具体的には…」
「そっか」
「ああ、でもリリルさんは一度脱出できる可能性があるみたいですよ?」
「マジで!」
「あ、いえ、あくまで可能性ですけど」
「いやいやそれでも嬉しいって。何度か脱走しようとして失敗してるからさ、そろそろ自信なくしてたんだよ…」
「前回で確か五十一回目だったかしら」
「ご、五十一回!?」
「ふっ、だが私は懲りてないぜ」
「また食事の量が減らされるわよ」
「それはやだー!」
「じゃあ暫くは大人しくしてなさい」
「それもやだー!」
私たちの出会いからの交流はまずまずと言ったところだった。
お互いに悪い印象を拭い、好印象を持っている。奴隷生活は困難の連続だ。これから大変だろうが、慣れるまではノアにも頑張って欲しい。
今日から、きっと生きるのが大変だろうから。
「おーい、小娘共。仕事の時間だぞ」
遠くでガリルの声が聞こえる。リリルはめんどくさそうに返事をして、ノアも躊躇いがちに返事をした。
さぁ、私たちは今年を生きることができるだろうか。