第一話〜仄暗くも力強く〜
人の探究心は限りない…それは欲望ともなり、倫理感は薄れていく。
精霊の存在が明らかになりながらも、まだ遠く、目前にありながらも手の届かないそのジレンマは一部の研究者を発狂させた。
ZN暦50年、精霊の司るこの自然の本質に近づくべく人は禁忌に手を出した。
つまりは、こういうことである。
神に元来足らぬ存在である人は大きな二律背反を抱えることを余儀なくされている。考え、自立する人は、それ故成長とともに自然から乖離する。自然との距離が離れるほど人はそれの理解に苦しみ、より知ろうとする。しかし、ならば成長をしていない状態である生まれたばかり赤子は自然と言えるのではないか?そして、人は神を造れぬが、人を造る事はできる。人間的意思の成長の無い存在を造り、研究し続けることが我々の悲願、自然の解明であると。
“それ”は試験管の中で造られ、実になった…
悪意のない、自然に限りなく近い存在であった人間、林檎を食べる前のアダムとイブをかけてこの研究は、
“Before Apple”
と呼ばれた。しかし、禁忌とされるには理由がある。本能で悟らねばならないこともある。だが合理的になりすぎた人間はそれに気づくことができなかった。
全くの謎である。しかし、その研究はその研究者ととも存在そのものが忘れられるようになった。
工業排水溢れる世界で“それ”は生まれ、捨てられ、所有物…いや周りに存在するものはBefore Appleと書かれたプレートだけだった。
それは神の情けか?試練か?歪んだ願望と神聖なる拒絶の狭間でうまれた“それ”は有り得ないことに3年の間、泣くことも、食べることも、勿論愛されることも許されずに生き続けたのだ。
そんな化け物…“それ”が僕だ。