春日さん
八百屋の奥さんが更に詳しい話を教えてくれた。
オーナーは春日という名前で、しばらく入院した後、パン屋を辞めて老人ホームに入ったらしい。
「高齢だったからね」
「場所、分かりますか?」
老人ホームはこの近所にあるらしく、私はそこに向かうことにした。
老人ホームに到着し、受付の女性に春日さんがいないか聞いてみた。
「パン屋をやってた春日さん? あなた、身内の方?」
「あ、違うんですけど、雪解けメロンパンの商品名を拝借していいか確認したくて」
「そういうことね…… でも、難しいかも。 春日さん、昔のこと全然覚えてないのよ」
ええっ!?
事情をケイコさんに電話すると、すぐに駆けつけて来た。
部屋に案内され、2人で春日さんに直接会う運びとなった。
「初めまして……」
「よっ、久しぶり!」
車いすに座った老人。
この人が春日さんらしいけど、返事はない。
「私、春日さんの雪解けメロンパンを復活させたくて、ここに来たんだ」
「……」
会話をすることも難しいのかしら?
するとケイコさんは、試しにやってみっか、と独り言を呟いた。
「夢、ちょっと5円玉貸してくれ。 あと、適当な糸見つけてきてくれよ」
「5円玉? いいですけど、何するんですか?」
「催眠術、試してみるわ」
さ、催眠術!?
「夢にも協力してもらいたい」
私は、ケイコさんからある役をやってもらうよう頼まれた。
春日さんの目の前を5円玉がユラユラ揺れる。
「私が3つ数えたら、あなたの意識は10年前に戻ります。 3、2、1…… ハイ!」
「……」
カクン、と春日さんの首がもたげた。
催眠術が効いたらしい。
「春日さん、あなたは今、パン屋で働いています。 そこに、女子高生がやって来ました」
「……メロンパンが、欲しいんじゃろ」
横にいた私はビックリした。
さっきまで無反応だった春日さんがメロンパンのことを話始めたからだ。
「夢、頼む」
……!
「あ、春日さん。 雪解けメロンパン下さいな」
「……悪いのぅ。 ワシはもうメロンパンは作れんのじゃ」
「それなら、私が雪解けメロンパンを売ってもいいですか?」
「……ケイコちゃんなら、構わんよ」
春日さんはケイコさんのことを覚えていた。
私とケイコさん、やっぱり似てたのかも知れない。
春日さんは最後にこう言った。
「吹奏楽のコンクール、見に行くからね」




