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第九話 協力者

 ナットと名乗った青年は、本当にわたしたちの逗留する宿を知っていた。

 初めはわたしが知らない路地をあちこち回るものだから、本当に辿り着けるのかと内心ハラハラしたのだけれど。

 どこをどう通ってここまで来たのか、気づけばわたしは見慣れた塔の前にいた。

 アーチ状の扉が嵌め込まれた塔の入り口には、『宿屋』と書かれた吊り看板。

 その吊り看板から更にぶら下げられた青い宝菓の装飾は、間違いなくそこがわたしとカーナックが宿泊中の宿だということを示している。


「ほんとに着いた……」

「部屋は三階の西側ですね」

「え、あ、はい。でもあなた、どうして……」

「入りましょう」


 ナットはわたしの疑問をさらりと無視し、目の前の扉に手をかける。もちろんわたしの右手は掴んだまま。扉の向こうに吊るされた宝菓が揺れてぶつかり合い、からからと涼やかな音を立てた。

 宿の帳台に立っていた女将さんは、その音を聞くとすぐに顔を上げてこちらを向く。けれどやってきたのが宿泊中の客だと分かるとたちまち興味を失ったようで、「おかえりなさい」とおざなりに告げたあとはこちらに見向きもしなかった。

 そんな女将さんの前を堂々と横切り、ナットはずんずんと先へ行く。まるでこの宿の間取りを正確に把握しているみたいに。

 だけど塔を貫く階段室へ入ったとき、一つ問題が浮上した。

 わたしの足が上がらないのだ。どうやら病み上がりの足に無理をさせすぎたようで、どうにか階段を上がろうとするも、膝から力が抜けてしまう。


「う……だ、駄目、足が――ひゃあっ!?」

「失礼」


 断りを入れるのが一拍遅い。と言うのもナットは突然その場に屈み込んで、いきなりわたしを抱き上げたのだ。

 驚いたわたしはとっさにナットにしがみつき、信じられない思いで彼を見た。

 が、ナットは相変わらず顔色一つ変えない。それどころか平板な声色で、


「私の首に腕を回して下さい。でないと落ちます」


 などと言うものだから、わたしはためらいながらもその言葉に従うしかない。

 おかげでわたしはナットに抱きつくような形になり、恥ずかしさで顔から火が出そうだった。

 しかしナットは動じない。ただわたしの体がしっかりと固定されたことだけを確かめると、あとは毛布でも運ぶような足取りで軽々と階段を上っていく。


「あ、そ、そこの部屋、です」

「はい」


 やがて見えてきた部屋の扉を示すと、ナットは無感動に頷いた。

 そう言えば彼はわたしたちの部屋を知っているんだっけ。今頃そんなことを思い出したわたしを抱えたまま、ナットは器用に扉を開ける。


「キュオン!」


 そんなわたしたちを真っ先に迎えてくれたのは、今日も部屋で留守番をしていたノーンだった。

 ノーンはわたしを抱えたナットが扉をくぐると、すぐさま嬉しそうに駆け寄ってくる。そうして赤い尾を振り回しながら、角の付け根のあたりをナットの足に擦りつけた。

 それはガットという生き物が、相手に親愛の情を示すときに取る行動だ。少し前にカーナックからそう教わっていたわたしは、ノーンの反応に驚いた。

 もしかしてノーンはこのナットという青年を知っているのだろうか? わたしがそう困惑している間にもナットはすたすたと歩を進め、やがて奥の寝台にそっとわたしの体を下ろす。


「あ、あの……」


 一体何から問い質せばいいのだろう。そう思いながらわたしが見上げた先で、ナットが頭に被っていた布を剥いだ。

 次いで口元に巻いていた布も外す。そうして露わになった彼の素顔は、わたしが想像していたよりもっと若い。もしかしたら、まだ二十歳はたちにもなっていないんじゃないだろうか?

 きりっとした目元だけがひどく大人びて見えるから、わたしは彼の年齢を読み違えていた。けれどその顔つきは精悍で、髪も目も綺麗な黒色をしている。

 だからと言って服装まで黒一色にすることはないと思うのだけれど、その色が余計に引き締まった彼の体つきを強調していた。

 彼もまたこの王国の民であることは、訊かずとも肌の色が証明している。すさまじい体術を使うようだったけれど、彼は一体何者なんだろうか?


「――足を見せて下さい」

「えっ」


 まずはそこから尋ねてみよう、と思った矢先。わたしはナットの口から出た思いも寄らぬ言葉に、思わず体を硬くした。

 だって〝足を見せろ〟って。

 理由はもちろん分かっているけれど、今この部屋にいるのはわたしとナットの二人きりだ。その状況を考えると、何となく言うとおりにするのはためらわれた。

 が、そんなわたしの恥じらいなど気にかける様子もなく、ナットは寝台に座らせたわたしの前にひざまずくや、いきなりサイの裾をたくし上げる。


「――! ちょ、ちょっと……!」


 サイの裾には、動きやすいように一本の裂け目が入っている。腿のあたりまで走っているその裂け目を、ナットはためらう素振りもなくめくり上げた。

 そうして露わになったわたしの左足を軽く持ち上げ、傷痕のあるふくらはぎのあたりをまじまじと見やる。ほどなくその手がするっと腿まで伸びてきて、わたしはびくりと肩を震わせた。


「少々全体をほぐした方が良さそうです。そのまま横になって下さい」

「ほ、ほぐすって……」

「按摩します。放っておくと、しばらく歩けなくなりますよ」


 それは困る。見知らぬ男性の前でこれ以上醜態を晒すのはもっと困るけれど、いざというとき自分の足で歩けないという事態の危険性と羞恥心とを天秤にかけて、わたしは何とか前者を選び取った。

 ナットに促されるがまま、乾燥させたラヤップの葉が布かれた寝台にうつぶせる。するとナットは寝台の端にわずかに膝を乗り出して、早速按摩にかかってくれた。

 男の人に体を触られるというのにはもちろん抵抗があったし、正直怖くてたまらなかったけれど。ナットの両手はそんなわたしの不安ごと、左足の緊張を丁寧に揉みほぐしてくれた。


 その手並みが、驚くほど上手いのだ。この国にはたくさんの按摩師がいるけれど、彼の手つきは本物の按摩師さながらで、力加減も強すぎず弱すぎずちょうどいい。

 むしろ女であるわたしを気遣って、力を加減してくれているのだということがはっきりと伝わってきた。

 彼はあくまで親切から手を貸してくれたのであって、他意はない。ようやくそう確信し、わたしが緊張を解いた頃には、左足の具合もだいぶ良くなっている。


「ねえ、ナット」

「はい」

「あなた、カーナックの知り合い?」

「はい」

「やっぱりそうなの。それならそうと、最初に言ってくれれば良かったのに」

「余計なことは話すなと、あの方から釘を刺されておりますので」

「あの方?」

「あなたがカーナックと呼んでいる方です」

「あなた、カーナックとはどういう関係なの?」

「あの方は私の主です。主の言いつけに背くことはできません」

「つまり、カーナックのしもべということ?」

「はい」

「それじゃあ、あなたも殺し屋なの?」

「私は過日、あの方に命を救っていただきました。以来この命はあの方のために捧げています」


 何の感情もない声色でそう言って、ナットはついにわたしの足から手を放した。

 どうやら必要な処置は終わったようだ。強張っていたはずの左足はずいぶん楽になっていて、それだけでも彼の腕前が本物であることが分かる。


「終わりました。あとはこのまま、こちらでお休みになっていて下さい」

「ありがとう。とても楽になったわ。だけど、あなたはどうするの?」

「私はあの方の助太刀に」

「カーナックのところへ? それならわたしも」

「お休みになっていて下さい、と申し上げました。あなたに万一のことがあっては、あの方の言いつけに背くことになる。このままここでお待ち下さい」

「でも……」

「ノーン」

「キュオン!」

「私が戻るまで、お前がスーリヤ様をお守りするように。いいな」

「ワウ!」


 任せろ、とでも言うように、ノーンはびしりとその場で〝おすわり〟をした。やはり彼はナットを知っているのだ。ということは、ナットがカーナックの知り合いだという話も嘘ではない。

 その証拠に、ナットはわたしの名前を知っていた。わたしはここまで一度も彼に名乗った記憶はない。そんな直近の記憶まで融けてしまうほど呪いはまだ進行していないだろうから、彼の言葉は信用してもいい。


「ナット」

「はい」

「お願い。カーナックを無事に連れて帰って」

「元よりそのつもりです」


 ナットは終始淡々と、感情の窺えない声色でそう言った。

 それから彼は再び被り布と口布で面体を隠し、ほどなく部屋をあとにする。

 わたしはナットが去ったあとの扉に鍵をかけ、その前でしばし立ち尽くした。

 何もできない自分がもどかしい。今のわたしにできるのは、二人が無事に戻ってくれるのを祈ることだけだ。

 己の無力を呪いながら木製の扉に額を預け、束の間わたしは目を伏せた。

 心の中で繰り返す。

 ――どうか彼らが無事に戻りますように。

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