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第八話 謎の青年

 ああ、良かったと、わたしは心の底から安堵した。

 見覚えのある通りの景色。左右に並ぶ露店商。今朝宿を出たときに聞いたのと同じ、客引きの声。

 戻ってきた。ここまで来れば、宿までの道はもう分かる。


 王宮の衛兵たちに追われ、一度カーナックと別れたわたしは一人、ここ数日の拠点となっている宿の近くまで何とか戻ってくることができた。

 初めはまったく見知らぬ景色に、もしかしたら自分はこの町の記憶まで失ってしまったんじゃないかとたまらなく不安になったけれど、どうやらそれは杞憂だったようだ。まずはそれを確認できたことにほっと胸を撫で下ろし、わたしはこそこそと物陰から通りへ歩み出る。

 そのまま人混みに紛れて、さりげなく宿へ向かおうと思った。たまたま傍を通りかかった男の人の背後にぴたりとつき、さもその人の連れであるかのような足取りでついていく。

 塔の町を貫く大通りは、今日も人で溢れていた。けれど行き交う人々がどこか落ち着かない様子であたりを窺ったり、小声で囁き合ったりしているのは、きっと町を鳥に乗った衛兵たちが駆け回っているせいに違いない。


 ――一体何があったのかしら。

 ――何でも魔女が出たそうよ。

 ――本当に?

 ――だけどさっき追われていたのは、男の人のように見えたけど。


 そんな囁きが耳元を掠めて、わたしは思わず体を硬くした。

 ――カーナックだ。わたしはそう確信し、無意識に立ち止まってしまいそうになる。

 カーナックは足が言うことを聞かなくなったわたしを逃がすため、たった一人で衛兵たちの前へ飛び出していった。

 そのおかげなのか、このあたりには鳥に乗った衛兵たちの姿はない。この分ならきっと無事に宿まで辿り着ける。


 けれど、カーナックは?

 彼は無事でいるのだろうか?

 わたしはただそれが気がかりで仕方なかった。

 殺し屋という職業柄、彼がこういう危機に直面したのは何もこれが初めてではないのだろう。だから彼は余裕さえ窺わせる態度で自ら囮役を買って出たのだ。

 だけど。

 頭ではそう分かっていても、わたしはカーナックのことが心配で心配でたまらなかった。

 叶うことなら今すぐにでも駆け出して、彼の無事を確かめに行きたい。けれど今の自分の足では、それも叶わないことは分かっている。


 カーナック。

 どうして彼のことがこんなに気になるのかは、自分でもよく分からない。

 彼は殺し屋。

 だけど、あんなに寂しそうに笑っていた。

 まるで大切なものをみんな失って、帰る場所をなくした子供みたいに――


「――いてっ」

「!」


 そのとき、わたしの全身に軽い衝撃が走った。

 どうやらうつむきがちに歩いていたせいで、人とぶつかってしまったらしい。

 左足にまだ力が入らないわたしは、その衝撃で思わずよろめき、危うく尻餅をつきそうになった。

 ――いけない。ここで腰をついたりしたら、今度こそ立ち上がれなくなる。

 そう思ったわたしはとっさに塔へ手をついて、何とか転倒を免れた。

 両足がちゃんと地についている感覚。それを確かめてほっと息をついたのも束の間、すぐに頭上から気遣わしげな声が降ってくる。


「ああ、ごめん。余所見をしてたから……大丈夫かい?」


 そう声をかけてきたのは、背の高い壮年の男性だった。

 どうやらわたしはその男性とぶつかったらしい。隣には彼の連れと思しい男性がもう一人いて、心配そうにこちらを見つめている。


「あ……いえ、こちらこそすみません。わたしもぼんやりしていたものですから……」

「お嬢さん、もしかして足が悪いのかい? 何だかさっきから……」


 と、言いかけたところで、何故か突然相手が黙った。

 どうしたのかと思い見上げると、二人連れの男性はわたしを見て驚いたような顔をしている。……何か顔についているのだろうか。そう思い、とっさに自分の頬に触れたところで二人が顔を見合わせた。

 そうして次にこちらを向いたとき、彼らの目つきはまるで親の仇でも見るような険しいものに変わっている。


「おい、あんた。さっき男と二人で見世物小屋のところにいたやつだろ?」

「……!」

「やっぱりそうだ。こんなところにいやがったのか。来い、衛兵たちがお前を探してるんだ!」


 まずいと思ったときには、もう遅かった。わたしは驚くような力で腕を掴まれ、そのままぐいと引っ張られる。

 踏ん張ろうと思ったのにそれが叶わなかったのは、左足が限界を訴えていたせいだ。わたしは何とか逃れようとしたけれど、ずるずると引きずられるばかりでまったく歯が立たない。


「ま、待って……放して下さい! 何かの誤解です!」

「何が誤解なもんか。お前、自分で言ったんだろう? 〝自分は魔女に呪われた〟って」

「そ、それは……」

「魔女に呪われた人間は、周りにまで不幸を撒き散らす。チャイディ王子がいい例だ。お前らみたいなのがこんなところをうろついてると、こっちまで迷惑なんだよ!」


 それはまるで、存在していること自体が罪だと言われたようで。

 わたしはズキリと走った胸の痛みに、返す言葉を失った。

 魔女に呪われた人間は、周りにまで不幸を撒き散らす。確かにそのとおりかもしれない。現にわたしは自分の呪いを解くために、チャイディ王子を殺そうとしている。人の命を奪うということが、どれほど罪深いことか知りながら。

 だけどわたしには約束があるのだ。どうしても果たさなければならない約束が。

 その約束を果たすためには、こんなところで捕まるわけにはいかない。わたしは恐怖に委縮した心を奮い起こし、渾身の力で男の手を振りほどく。


「は、放して……下さいっ!」


 必死だったせいだろうか。自分でも信じられないような力が出た。

 普段の自分なら、成人した男の人の力に抗うなんて到底不可能だっただろう。けれどこれが火事場の馬鹿力というやつなのだろうか。力いっぱい引き抜いた手は意外と呆気なく解放され、わたしは自由を取り戻す。

 今だ。逃げなければ。

 とっさにそう判断し、わたしは男たちに背を向けた。

 なのにその瞬間、左足ががくんと力を失って。

 体勢を失ったわたしはそのまま、膝から地面に倒れ込んでしまう。


「ちっ……! この女、逃げるな!」

「あっ……!」


 立ち上がらなければ。そんな意思とは裏腹に、わたしは頭に被っていたパーごと髪を鷲掴みされ、そのまま地面に押しつけられた。

 何とか逃げようともがいても、這いつくばった姿勢ではどうにもならない。おまけに背中には男の体重が乗ってきて、わたしは息ができなくなる。


「い、いや……!」

「観念しろ! おい、誰か衛兵を呼んでこい! この女は魔女だ! 早く王宮に突き出して――」

「――その手を放せ」


 混乱と恐怖のあまり、わたしの視界が滲んだ刹那。

 不意にわたしの頭上から、涼しげな声が降ってきた。

 一体誰の声だろう。そう思い、頭を上げようとしたけれど、わたしは依然男に押さえつけられていて身動きが取れない。

 けれど突如現れた声の主と男の会話ははっきりと聞こえてくる。


「何だ、お前は? さてはさっきこの女と一緒にいた男か!」

「違う。だがその手を放せ。彼女は魔女ではない」

「魔女であろうとなかろうと、人を不幸にする女であることは確かだ! 国を不幸にする呪われ者は、王子一人で十分だろう!」

「貴様、その言いざまは不敬罪に値するぞ。罪人はどのような仕打ちを受けても文句は言えない」

「不敬だろうと構うものか! おれたちの村の宝菓樹は、あの王子が生まれたせいですべて枯れた! この国で宝菓樹を失うということは、稼ぎを失うということだ! おかげでどれだけの者が飢え、路頭に迷うことになったか……!」

「心中は察する。だがそれは無関係の女性に手を上げていい理由にはならないだろう。もう一度だけ言う、その手を放せ」

「ふざけるな! お前もおれたちの邪魔をするなら――」

「――罪人はどのような仕打ちを受けても文句は言えない、と言ったぞ」


 そんな言葉が聞こえた、直後だった。

 突然ふっと背中が軽くなり、その瞬間わたしは大きく息を吸う。

 苦しかった。ようやくまともに呼吸ができた。

 けれど胸を押さえながら安堵にむせいだそのとき、いきなりすさまじい音がして、わたしはびくりと跳び上がる。


「な、何……!?」


 それはまるで積み上げられた瓦礫が勢いよく崩れたような、そんな音だった。

 見ればその音が聞こえた先では、直前までわたしを押さえつけていた男の人が軽食屋の屋台に突っ込んでいる。

 その衝撃で屋台の骨組が崩れ、並べられていた食器が散乱し、男はその下敷きになって動かなくなった。

 それを見たわたしは呆然と、先程まで男と会話していたと思しい声の主を顧みる。

 そこに佇んでいたのは、カーナックのものとよく似た被り布を頭に被り、口元に黒い布を巻いた謎の青年だった。

 唯一覗いた目元と声から察するに、まだ二十代そこそこだろうと思われるその青年は、涼しい顔のまま宙に浮かせていた足を下ろす。


「て、てめえ……!」


 そんな青年を見て後込みしたのは、屋台に突っ込んだ男の連れだった。

 どうやら状況から察するに、あのひとはこの青年の蹴りを喰らって屋台に突っ込んだようだ。それにしては屋台までの距離がだいぶ離れているような気がするのだけれど、その情景を目撃していたわけではないわたしには、そんな風に推測を巡らすことしかできない。


「去れ。今ならまだ見逃してやる」

「ふ……ふざけるな! よくも相方を……!」


 連れを蹴り飛ばされた男は、怒りで我を失っているようだった。そのまま駆け出した勢いを駆って、目の前の青年に殴りかかる。

 わたしは思わず「あっ」と顔を背けそうになったものの、その拳を青年があまりに華麗に躱すものだから、ついつい目を奪われた。

 かと思えば青年は自分の横を通り過ぎた拳にそっと手で触れるような仕草をして、瞬時に上半身を拈る。

 たったそれだけの動作で、男は簡単に体勢を崩した。そうしてやや前屈みになったところへ、青年の容赦ない膝蹴りが炸裂する。


「……!」


 唖然と息を飲んだわたしの目の前で、青年の膝が男の腹にめり込んだ。

 その衝撃に男が「うっ」と呻いた直後、青年は鮮やかな手際で男の首根っこを掴み、そのまま流れるような動作で男の体を放り投げる。

 まるで風を受けた風車のように、男の体は空中で何度も回転した。

 青年は人間を放り投げたというより、何かの曲芸でも披露したみたいだ。その手並みの鮮やかさに野次馬から拍手さえ上がった直後、宙を飛んだ男の体は、塔の壁に叩きつけられて動かなくなる。


「お怪我は?」


 そうして男が二人とも動かなくなったことを確かめると、青年は息一つ乱さずにそう言った。

 その言葉が自分に向けられているのだと気づくまで、わたしは必要以上の時間を要す。が、こちらを見下ろした青年と目が合った途端、ようやくはっと我に返った。


「あっ、あの、あなたは――」

「――こちらへ」

「えっ……え!?」


 一体何が何なのか、わたしにもさっぱり分からなかった。

 ただ、謎の青年は突然ひざまずいたかと思うと、すぐさまわたしの手を取って、ぐいっと立ち上がらせたのだ。

 いきなり手を引かれたわたしは危うく転びそうになり、けれど何とか体勢を保つことができた。

 それを見た青年は迷わず身を翻し、あらぬ方向に向かって駆け始める。もちろん、わたしの手は握ったままだ。


「あ、あの、ちょっと待って! わたし、行かなきゃいけない場所があって……!」

「ご安心を。宿の場所なら存じております」

「え?」

「ですが今はまず衆目を引き剥がす方が先決です。宿までは私が送り届けます。少々回り道をしますがご容赦下さい」


 青年は終始前を向いたまま、淡々とそう言った。

 その足取りに迷いはない。信用していいのだろうか。

 けれどもわたしはここから一人で逃げ出す勇気も体力もなく、今はこの青年に賭けてみようと思った。

 左足を引きずりながら、されどその背にわたしは問う。


「ねえ、あなた、名前は?」


 青年の答えは短かった。


「ナット、とお呼び下さい」

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