第六話 逃走
翌日も、わたしたちは連れ立って町へと繰り出した。
相変わらず行く宛はない。ただ顔を隠してぶらぶらと、町の中を見て回るだけだ。
今日も秋晴れの空が眩しい。けれど、やはり町の至るところを王宮の衛兵たちが巡回しているのが気になった。
先日王宮に現われた魔女というのは、やはりカーラなのだろうか。けれどもしそうなら腑に落ちないことがある。
だって彼女はわたしに殺せと命じるほど、チャイディ王子を深く憎んでいるはずなのだ。だのに件の魔女というのがもしカーラなら、彼女はまんまと王宮への潜入に成功しておきながら、王子を魔術でおどかしただけで去っていったということになる。
だけどそんなに簡単に王宮へ潜り込めるのなら、わざわざわたしに命じなくとも自分の手で王子を殺せそうなもの。
それなのに敢えてわたしに殺せと言ったのには、何か訳があるのだろうか?
それとも王宮に現われた魔女というのは、カーラとはまた別の……?
町でウィンノックに乗った衛兵を見る度にそんなことを考えてしまって、わたしの思考はぐるぐると堂々巡りを繰り返している。
「――ウィニャー!」
「えっ?」
と、そのとき突然聞こえた奇妙な鳴き声に、わたしは驚いて足を止めた。
そこは町の中心にある大通り。多くの人々が行き交うその通りで、聞いたこともないような鳴き声が前方から響いてくる。
「ウィニャー! ウィニャー! コ、コンマニーオーコク、バンザイ!」
「おお、ほんとに喋った!」
次いでわたしの耳に飛び込んできたのは、道の先に集まった群衆のどよめきだった。
どうやらその群衆が築いている輪の中に、鳴き声の主がいるらしい。もしかして、また大道芸の一種だろうか?
わたしがそんなことを考えていると、同じく隣で足を止めたカーナックが、物珍しげな視線を前方に向けている。
「今の声……もしかして、クイレンか?」
「クイレン?」
「ああ。ここよりずっと南の秘境に棲息してるっていう、幻の生き物だよ。見たいか?」
そんな生き物が何故ここに、という疑問もさることながら、わたしは気づけば頷いていた。
カーナックの話によると、〝クイレン〟というのは王宮の衛兵たちが乗っているウィンノックと同じ、飛べない鳥の一種なのだという。
そのクイレンを一目見るために集まった人垣の後方で、わたしは何とか背伸びをして中の様子を覗き見た。するとそこには、木製の大きな車輪がついた小屋のようなものが見える。
「あれは見世物小屋だな」
「見世物小屋?」
「ああ。遠い異国の珍品や珍しい生き物を積んできて、それを見るために集まった客から見学料をいただく興行師さ。たまに偽物を見せて客から金を騙し取る、悪どいやつもいるって話だが……」
わたしとカーナックがそんな話をしていると、不意に小屋を囲んでいた人垣が割れ、中からぞろぞろと人が出てきた。
どうやら彼らは直前まで最前列で見世物を見学していたお客さんのようだ。彼らは口々に感激の声を上げながら町へと去っていく。けれど中にはもう一度見世物を見るために、列に並び直す人もいるみたいだ。
「さあさ、次のお客様方、瞬きを忘れる準備はよろしいですか? 本日の見世物はコンマニー王国も南の南、深き密林の奥にのみ棲息する幻の鳥、クイレンでございます! このクイレン、何がすごいかと言いますと、その一風変わった見た目もさることながら、何と人の言葉を話すのです! その貴重な声をどうかお聞き逃しになりませんよう、皆様どうぞ息をひそめてご覧下さい。それでは――」
やがて見世物小屋の主と思しい男の人が抑揚豊かな口上を述べて、小屋の横に張り出た一枚の板に手をかけた。
その木の板は、小屋の真ん中についた大きな格子窓を塞ぐように差し込まれていて。主人がその板を勢いよく引き抜くと、縦に組まれた格子の向こうに何とも奇妙な生き物が姿を見せる。
「あれが〝クイレン〟……?」
わたしは思わず呆気に取られた。
まず真っ先に見えたのは、鮮やかな碧色をした羽毛。
いや、それは果たして羽毛と呼んでいいのだろうか。とにかくその生き物を見たわたしの第一印象は、〝毛むくじゃらの小動物〟だった。
何せ鳥だと言いながら、妙なことにその生き物には耳が生えている。大きくて薄くて尖った耳だ。
けれど顔の真ん中にはちゃんと嘴もあって――その嘴が丸くて非常に小さいのだけれど――、その嘴の上に大きな両目がぱっちりと覗いていた。
両脚は長い毛の中に隠れて見えない。翼は体の両脇に添えられているのが辛うじて見て取れたけれど、やはりウィンノックのそれと同じように退化していた。あれでは空を飛べないのも納得だ。
それにしてもあの生き物はどこからが頭で、どこからが胴体で、どこからが下半身なのだろう。少なくともわたしの目には、あの生き物にはそういう体の部位がないように見える。強いて言うなら全身が胴体で、そこに目と嘴と羽がまとめてついている感じ。
これは確かに珍獣だ。最初に見たときはちょっと不気味に思えたけれど、じっとその姿を眺めていると、何故だか不思議と愛着みたいなものが湧いてくる。
「ウィニャー! コ、コ、コンマニーオーコク、バンザイ!」
「おお……!」
と、そのとき突然小屋の中のクイレンが言葉を発し、見物客が一斉にどよめいた。
どうやら先程聞こえた鳴き声は、確かにこの生き物のものだったようだ。クイレンは他にも「コンニチハ!」とか「キョウハイイテンキネ」とか、そんな短くて簡単な言葉をぎこちなく喋ってみせる。
「すごい……! あの子、人の言葉が分かるのかしら?」
「あれは言葉が分かるというより、単に人の真似をしているだけらしい。言葉の意味はまるで理解してないが、同じ言葉を繰り返し聞かされると、それを覚えて喋り出すんだとか」
「へえ……あんなに小さいのに、賢いのね」
「そうだな。だがあいつはああ見えて肉食なんだ。下手に手を出したりすると、指を食いちぎられるから気をつけた方がいいぞ」
「えっ」
「クイレンっていうのは、元々群で生活してる鳥なんだよ。飛べない代わりに脚は速くて、群で獲物を追いかけて狩りをする。で、一斉に獲物に飛びかかって押し倒したところを、生きたままあの嘴でついばむんだ。そうするうちに獲物は弱って、為す術もなくやつらに食べられてしまうってわけさ」
「……」
隣でカーナックが淡々と話してみせるクイレンの生態に、わたしはサーッと顔から血の気が引いていくのを感じた。
そ、そんな……まさかあの生き物が、そんなに恐ろしい肉食動物だったなんて。生きたまま獲物を食べるというカーナックの話を想像するだけで、わたしの体には震えが走る。
そんな生物を少しでもかわいいと思ってしまった自分がまた恐ろしかった。できることなら前言を撤回したい。
が、その段になってわたしはようやく、隣に立ったカーナックがわたしから顔を背けていることに気がついた。
……笑っている。
「……カーナック?」
「……っ」
「もしかして……また騙したの?」
「い、いや……すまない……まさか、こんな嘘まで信じると思わなくて……っ」
またしてもぷるぷると肩を震わせながら、カーナックは必死に笑いをこらえている様子でそう言った。
途端にわたしの頬がみるみる赤くなる。――また騙された。
ああ、もう、わたしの間抜け。彼がこうやって嘘ばかりつくことは既に承知しているはずなのに、どうしてこうも簡単に騙されてしまうのだろう!
「ひどいわ、カーナック。何もこんなときまで嘘をつかなくたっていいじゃない!」
「騙される君も君だろ? こんな話、普通子供でも信じないぞ」
「しょうがないでしょう、わたしは魔女に呪いをかけられたのよ! 色々と分からないことがあるのはそのせいで、この呪いさえ解ければ、あなたになんかもう騙されないんだから!」
なおも笑いをこらえている様子のカーナックを見るとついムキになって、わたしはそう声を荒らげた。
けれどそのとき突然、あたりの空気が凍りついたような気がして。
異変を感じたわたしは、ふと周囲の様子に目を配った。
そこではそれまで見世物に夢中になっていたはずの人々が、一様に表情を強張らせている。その視線はどれもわたしを向いていて――そこで初めて、わたしは自分の失言に気がついた。
こんなに人が大勢いる場所で〝魔女に呪いをかけられた〟なんて発言をしたら、注目を浴びてしまうのは当然だ。
人々はそんなわたしから一斉に距離を取り、恐れと困惑の混じった眼差しを注いでくる。
「あ……あの、ごめんなさい。わたしは――」
「――おい、そこの女」
――どうしよう。何か弁明しなくちゃ。
そう思い、とっさに口を開いた矢先、低く険のある声がわたしの言葉を遮った。
見ればその声の聞こえた先には、ウィンノックに乗った衛兵の姿があって。
どうやら彼らはたった今、偶然この場所を通りかかったらしい。――何という間の悪さだろう。見世物小屋を囲む人垣の傍で鳥を止めた衛兵たちは、目を合わせるのも恐ろしいほどの剣幕でわたしを見下ろしてくる。
「お前、今〝魔女〟と言ったか? それは先日王宮に現れた魔女のことか」
「え、えっと……」
「見たところ、王宮の関係者ではないな。悪いが我々と共に来てもらおうか。少々聞きたいことがある」
ど……どうしようどうしようどうしよう!
わたしの頭は一瞬で大混乱に陥った。
この衛兵たちはわたしを魔女だと思ってるわけではない。でもこのまま王宮に連れていかれたら、間違いなく呪いのことを洗いざらい吐かされる。
そこでもし王子暗殺のことを知られたら。
仮にそれは隠せたとしても、この腰の短剣を見られたら一巻の終わりだ。
あるいは初めにカーナックと出会ったときのように、わたし自身が魔女だと疑われて――。
その先に待ち受ける未来を思い描いたとき、わたしはぞっと血の気が引いて、為す術もなくその場に立ち尽くしてしまう。
「おい、どうした? 悪いようにはしない。ただ、大人しく我々についてくれば――」
ついてこいと言われても、今のわたしはもう、こうして立っているだけで精一杯だった。
けれどその手を、突然強く引っ張られて。
がくんと体を持っていかれたわたしは軽く足をもつれさせながら、そのまま走り出していた。
背後から衛兵たちの怒声が追ってくる。
カーナック。
彼がわたしの手を引いて、人混みの中を走っている。
「か、カーナック……!」
「いいから今は黙って走れ!」
一度もこちらを振り向かず、前だけを見てカーナックは叫んだ。
けれどその手は、なおもしっかりとわたしの右手を握っていて。そこから伝わってくるカーナックの緊張が、わたしの心臓をドクドクと脈打たせる。
大変なことになってしまった。振り向けば、背後から鳥を駆った衛兵たちが追ってきている。
どうしよう。わたしのせいだ。
だけどそんなことを考えている暇もないほどに、カーナックはわたしの手を引いて塔の町を疾駆していく。
「ま、待って、カーナック……! どこへ行くの!?」
「どこだっていい! とにかくあいつらの目に映らないところだ!」
そんな場所がこの町にあるのだろうか。走りながらそう考えるわたしの不安を余所に、カーナックは更にぐんぐんと速度を上げていく。
傷が癒えたばかりの左足が疼いた。
けれども今は、そんな泣き言を言っている場合じゃない。
わたしはなおもカーナックに手を引かれながら、とにかく死に物狂いで駆けた。
同じように人混みを割って駆けてくるウィンノックの足音が、後ろからどんどん迫っている。