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第五話 不確かな約束

 カーナックに嘘をつかれるのは、何もこれが初めてではなかった。

 初対面のとき、彼は自分のことを〝嘘つき〟だと自認していたけれど、本当によく嘘をつく。それも大抵、わたしをからかうようなくだらない嘘ばかりだ。

 どうしてそんなに嘘つきなのかと尋ねたら、これは練習なんだよと彼は答えた。

 殺し屋というのは標的えものに近づくとき、己の名を偽り、身分を偽り、感情さえも偽って怪しまれないように接近する。

 そのためには日頃から些細な嘘をついて、人を騙す練習をしていた方がいいのだと彼は言った。

 確かにもっともらしい理由だけれど、少しは騙される方の身にもなってほしい。食堂でひどい目に遭わされたわたしがむくれながらそう言えば、カーナックは「騙される方も悪い」と笑った。


 ……それも一理ある。わたしもこの数日の付き合いで彼が極度の嘘つきだということは理解しているのだから、彼の言うことをいちいち真に受けてはいけないのだと改めて自分に言い聞かせた。

 そのくせ、カーナックはわたしの嘘に騙されない。嘘ばかりつかれる腹いせに、一度だけわたしも彼を騙してみようと思ったのだけれど、その嘘はあっさりと見抜かれ一笑に付された。

 どうもわたしは、嘘をつくと顔に出るタチらしい。……ますます不服だ。だけどカーナックのように平然と人を騙せる人間になりたいか、と言われたら、それはそれで答えに困る。


「なあ、スーリヤ。いつまでむくれてるんだよ?」


 さっきから、そんな声がわたしの背中を追いかけてきた。

 けれどわたしはそれにも無視を決め込んで、ずんずんと部屋へ続く階段を上っていく。

 そこはわたしとカーナックが一時の拠点にしている宿の中だった。わたしがたった今上っているのは宿の真ん中――つまり塔の中心を貫く螺旋階段だ。

 どこまでも伸びる階段室は、窓がない代わりにたくさんの光繭が吊られ、淡く幻想的な光に包まれていた。

 わたしたちが借りている部屋は、その階段室の中程にある。幸いなことに宿を出るとき、部屋の鍵はわたしが預かっていたから、わたしはその鍵で扉を開けて難なく中へ入ることができた。


「キュオン!」

「ただいま、ノーン」


 わたしたちが帰ってきたことを知ると、それまで部屋で留守番をしていたノーンが嬉しそうに鳴く。彼――どうやらノーンはオスらしい――は一応猛獣だから町へ出すわけにもいかず、今朝は部屋に残して外出した。

 カーナックはノーンが人を襲うなんてまずあり得ないと言うけれど、だからと言って外に出したら、人々はその姿に恐慌し大騒ぎになるだろう。

 ノーン自身もそのあたりのことは心得ているようで、カーナックにここで待っているようにと言われると、大人しく床に伏せてついてくることはなかった。この子は本当に賢い。おまけにカーナックなんかよりずっと優しくていい子だ。


「やれやれ……獣相手には笑うのにな」


 と、ときにそんなぼやきがすぐ後ろから聞こえ、私は半眼で背後を振り向いた。

 そこにはわたしのあとを追って、当然のように部屋へ入ってきたカーナックがいる。

 そう。

 実を言うとわたしとカーナックはここ数日、同じ部屋で一緒に寝起きしているのだ。


「ねえ、カーナック」

「何だ?」

「これは最初にも言ったことだけど、年頃の男女が毎晩同じ部屋で夜を明かすっていうのは、やっぱり道徳的に問題があると思うわ」

「ひょっとして、食堂で恋人と間違われたことをまだ根に持ってるのか?」

「そういうことじゃなくて」


 いや、確かにそれもあるけれど、と内心で呟き、わたしはちらりとカーナックの顔色を窺った。が、当のカーナックはと言えば、青や緑の石が床に渦巻き模様を描く部屋で早くも寝台に身を投げ出し、まったりとくつろぎ始めている。

 彼は町に出ている間ずっと被っていた布を外し、男性にしてはやや長い銀髪を掻き上げながら「ふわあ」とあくびを零したりしていた。

 そんなのんきな姿を見ていると、彼がこれから王族を暗殺しようとしている殺し屋だなんてとても信じられない。

 だけどそれはそうやってわたしを油断させ、より操りやすい存在へ仕立て上げようとしているのかも――。そう思うとわたしはいつも不安で胸がきゅっとなる。


「わたしはまだあなたを信用したわけじゃないわ、カーナック」


 そんな状態のまま彼とずっと一緒にいることが苦痛に思えて、わたしはついにそう言った。

 するとカーナックはあくびを収め、見上げるような目でわたしを見つめてくる。


「だけど協力はしてくれるんだろ?」

「そ、それは……まだ……」

「まだ?」

「……まだ体の調子が戻らないから、何とも言えない。それに、一人で考える時間がほしいの」

「心配しなくても、俺は君に手を出したりはしないよ。お互い協力関係にある間は、ね」


 そう言ってにやりと笑ったカーナックを見て、わたしは背筋に悪寒を覚えた。

 〝お互い協力関係にある間は〟って……

 それってやっぱり、わたしが裏切れば制裁を加えるってこと?

 あるいはその関係が終わったら、わたしは用済みだということ――?


「だ……だけど、あなたは嘘つきだわ。そんな言葉、信用できない」

「最初に言っただろ。俺は嘘つきだが約束は守る。君が俺と目的を同じくしている間は、たとえ何があろうと君に危害を加えないし、金銭面でも健康面でも可能な限りの支援をすると約束しよう。それなら君も安心だろ?」


 ――何が安心なものですか。

 心の中でそう呟いたわたしの心境を余所に、カーナックは言いたいことを言って自分だけ満足した様子で、ごろんと寝返りを打った。

 そのときわたしは、彼がこちらへ向けた無防備な背中をじっと見つめて。

 左の腰に差している、布でくるんだあの短剣に手を触れた。


 今ならこの短剣で、彼を刺し殺せるのではないか。

 この剣で刺された相手は必ず命を失うと、カーナックはそう言っていた。

 それなら非力なわたしでも、確実に彼を仕留めることができる。

 このまま彼に利用され、覚悟も定まらぬまま王族の暗殺に加担させられ、その上わたしも闇に葬られるくらいなら――。


「……」


 短剣に触れたわたしの右手は、震えていた。

 駄目だ。

 やっぱりわたしには、人を殺す覚悟なんてできない。

 たとえ今目の前にいる男が、これまで何人もの人の命を奪ってきた殺し屋だとしても。

 わたしは彼を殺せない。

 殺したくない。

 そう、わたしの理性が拒絶する。


「……ねえ。それじゃあこれも約束してくれる?」

「ん?」

「もしも無事にわたしたちが目的を果たして、この呪いが解けたとしたら……そのときは、わたしを生きたまま逃がしてくれるって」

「ああ。約束するよ」


 こちらを振り向くこともなく、カーナックは至って軽い調子でそう言った。

 わたしはなおもその背中を見つめ、ぎゅっと自らの腕を握り締める。

 ――このひとに心を許しては駄目だ。

 そう思った。


 そう、思ったはずだった。

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