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第三話 塔の町

 天に向かってまっすぐに伸びる、象牙色の塔が美しかった。

 コンマニー王国の王都であるこの町には、そんな塔がいくつもいくつも、まるで背比べでもしているみたいに立ち並んでいる。

 塔と塔の間には地上の道だけでなく、虹のような弧を描く橋梁が何本も架かっていた。

 その橋梁の上から身を乗り出した幼い子供が眼下にいる母親に大きく手を振っている様を、わたしはつい真下から仰ぎ見る。


 塔の町。

 国内外からそう呼ばれているその町を、わたしは今、殺し屋のカーナックと共に歩いていた。

 天気は快晴。青い空に映える塔の白さが眩しい。気温も暑すぎず寒すぎず、今日は絶好の散歩日和だ。

 とは言えもちろん、カーナックとわたしはのんきに散歩を楽しんでいるわけではない。これから王子暗殺の共犯者になるかもしれない相手とのんびり日光浴を楽しめるほど、わたしも剛胆な娘ではなかった。


 二人で町に繰り出したのは、ここ数日宿に籠もりっぱなしで、すっかり衰えてしまったわたしの体力を取り戻すためだ。カーナックが町でよく効くと評判の傷薬を買ってきてくれたおかげで、ひどかったわたしの怪我もほとんど癒え、今ではこうして自力で立って歩くことができるようになっていた。

 ただ、一番重かった左足の傷が、まだ少しだけずくずくと疼く。傷口は塞がっているものの、こればかりは完治するまでもう少し時間がかかりそうだった。


 カーナックは、その疼きが完全に取れるまで行動には移れないと言う。

 何しろわたしたちはこれから、王族の暗殺という前代未聞の大犯罪を犯そうとしているのだ。

 当然ながらそのためには王子のいる王宮へ忍び込まなければいけないし、そうして仮に暗殺に成功したとしても、わたしたちの前には生きて王宮から脱出するという最大の難問が立ち塞がっていた。

 その難問を突破するには、今のわたしの体力とこの足では無理だ。カーナックは最悪の場合、相当の距離を走って逃げなければならないと言った。

 だから今日から少しずつ町を歩いて、体力の回復に努めようということになったわけだ。ただ、わたしは一人で構わないと言ったのにカーナックがついていくと言って譲らず、こうして殺し屋と二人、宛もなく町中をぶらぶらするという奇妙な構図ができあがっていた。


 もしかしたらわたしは、カーナックに信用されていないのかもしれない。最初に協力を持ちかけてきたのは彼だけれど、わたしはまだ王子暗殺の件を覚悟しきれていないし、何よりわたしも彼を信用していない。

 だって、人殺しを平然と生業にしているような相手を手放しに信用しろだなんて、そんなのは無理だ。

 ひょっとしたら彼は自分の仕事を成し遂げたら、わたしのことも用済みと言って処分するかもしれない。


 そんな不安がぐるぐると胸を巡っているせいで、わたしは彼と一緒にいると片時も気が休まらなかった。

 だからできれば一人にしてほしいのに、カーナックはまるでわたしを監視するようにどこまでもついてくる。

 まあ、それも今のわたしたちの関係を思えば当然の措置なのだけど……。

 せっかく数日ぶりに出られた外なのに、わたしはひどく気が滅入って思わずため息をついてしまう。


「どうした? やっぱりまだ具合が悪いのか?」

「えっ。あ、いえ、そうじゃないわ。ただ、その……まだ宿からほんの少し歩いただけなのに、妙に疲れるな、と思って」

「それだけ体力が衰えているということだろう。毎日少しずつ歩く距離を延ばして、徐々に体力をつけていくしかない」


 そう言ってわたしの隣を歩くカーナックの横顔は無表情だった。とは言えそれは、彼が臙脂色の被り布を目深に被っているから余計にそう見えるのかもしれない。

 今日のカーナックのいでたちは、目立たない土色の上着と脚衣、それに首にひと巻きした帯状の被り布と至って素朴だった。上着は膝上まで丈のあるもので、王国では一般的な男性服だけれど、色合いが地味なせいかまるで田舎の青年のように見える。


 一方のわたしも頭には〝パー〟と呼ばれる女性用の布を被り、それを肩まで垂らしていた。

 宿で養生している間にカーナックが買ってきてくれた、紅地に金の縁取りがされたものだ。色調が落ち着いているせいでそんなに派手には見えないけれど、わたしみたいなみすぼらしい娘にはちょっとお上品すぎるんじゃないかしら、と、内心引け目を感じている。

 パーの下には同じく深い紅色の貫頭衣――これはくるぶしのところまで丈がある、〝サイ〟という名の民族衣装だ――をまとっていて、褪せたような色の赤毛は団子状に結い上げていた。


 今朝、着替え終えたわたしを見たカーナックは目を細めながら「似合っている」と言ってくれたけれど、本当だろうか。むしろあの目はわたしをからかって楽しんでいる目ではなかったか、と今にして思う。

 何せサイは着脱しやすい代わりに、こう……着ると体の線がくっきりと出る衣服なので、貧相な体つきのわたしは鏡を見る度に何とも悲しい気分になった。

 できれば次からはもっと体型の分かりにくい服を買ってきてほしい、と思うのだけど、無一物のわたしは今のところ衣食住にかかる経費をすべて彼に頼りきっているので、とてもそんな贅沢は言えそうにない。


「で、どうだ。このあたりの景色に見覚えはあるか?」

「ええ。この町の景色は、まだちゃんと覚えてる。毎年この季節になると、必ずこの町を訪れていたから……両親と一緒に」


 わたしがぐるりと町を見渡しながらそう言うと、カーナックは「そうか」とだけ呟いて前を向いた。

 その両親は今どこにいるのだ、とは、彼は訊かない。たぶん、わたしの両親に関する記憶がほとんど消えかかっていることを、彼も察してくれているのだろう。

 事実、今のわたしに残されている両親の記憶は、〝わたしには優しい両親がいた〟――ただそれだけ。

 あとはもう、顔も名前も思い出せない。二人は今どこにいて、生きているのか、あるいは死んでいるのかも。


 だけどもし二人がまだ生きているのなら、きっとわたしを心配している。母さんなんて、心配のあまり毎日泣いているかもしれない。そういう両親だった。

 だから叶うことなら、一日も早く記憶を取り戻して二人のもとへ帰りたい。

 けれどそのためには、わたしは王子を――と、無意識に唇を噛んだそのとき、突然わたしたちの行く手から陽気な笛の音が上がる。


「さあ、お立ち会い、お立ち会い! ドントリー一座の大道芸だよ!」


 次いで響いた甲高い男の人の声に、わたしはびっくりして顔を上げた。

 そうして目を向けた先には既に人だかりができていて、その輪の中心に笛や太鼓、弦楽器を賑やかに奏で始めた旅芸人たちの姿がある。


「大道芸……」

「ん? あれを見ていきたいのか?」

「ううん、そうじゃない。ただ、わたしも彼らの同業者だから」

「……同業者?」

「わたしも両親と各地を巡る旅芸人だったの。両親と一緒に出し物をしたり、歌ったり、そんなことをしながら生計を立てていた」


 そうだ。それもまだ覚えている。

 両親はわたしが生まれる前から旅芸人をしていて、一年をかけて王国中を巡り、ときには異国の地へ興行に赴くこともあった。

 町から町へ、色んな土地を渡り歩く生活は決して楽ではなかったし裕福でもなかったけれど、わたしは両親と一緒に人前で芸を披露してみせるのがとても楽しくて、両親もそんなわたしのことを誇りに思ってくれていた。

 毎年宝菓の収穫が近づくこの時期に、必ずこの町へ立ち寄っていたのもそのためで。

 だとしたらわたしの両親も今、この町にいるのかもしれない。町を巡れば、二人がどこかで興行しているかも。

 あるいはわたしが道端で大道芸を披露すれば、両親の方から見つけてくれる可能性だって――。


「ねえ、カーナック。わたし、歌うわ」

「は?」

「小さい頃から色んな芸を習ったけれど、わたし、歌うのが一番得意なの。何ならあの一座の演奏に混ぜてもらって――」

「お、おいおいおい、ちょっと待て!」


 せっかく閃いた名案だ。そうと決まればすぐに行動に移さなければ気が済まない。

 そんな衝動に突き動かされ、駆け出そうとしたわたしの腕を、そのときカーナックの手が掴まえた。

 彼はそのままわたしを引っ張ると、ずんずんと人気のない横道へ逸れていく。


「ちょっと、カーナック。何のつもり?」

「それはこっちの台詞だ。こんなときに人前で大道芸を披露しようなんて、君は正気か?」

「どうして? 芸を見せて人目につけば両親に見つけてもらえるかもしれないし、ついでにおひねりももらえて、あなたから借りてるお金も返せるわ」


 なおも腕を引かれながらわたしが思ったままを口にすれば、カーナックがぴたりと足を止めた。

 そうしてこちらを振り向いたカーナックの顔は、それはそれはひどい渋面で。どうやらわたしは今、彼にものすごく呆れられているらしい。

 それは彼の表情を見れば一目瞭然だったけれど、それにしたってひどい顔だ。せっかく綺麗な顔をしてるのに、そんなに眉間にシワを寄せたらもったいない――なんて思っていることが知れたら、この場合、ますます呆れられてしまうだろうか。


「あのな……君は俺たちが今日、どうしてこんな風に顔を隠してると思ってる? 例の作戦を実行に移すまで、なるべく目立たないようにするためだ。町の人間に顔を覚えられたりしたら、あとで逃げるとき面倒なことになるだろう。自分の身がかわいかったら、考えなしの行動は慎んでくれ」

「でも……」

「でもじゃない。俺は、金のことなら気にするなと言った。それに今の君が仮に両親と再会できたところで、この状況をどう説明する? 自分は魔女に呪いをかけられて、王子を暗殺しなければすべて忘れて死んでしまうなんてことを馬鹿正直に話すのか?」


 鋭い口調でなじるように言われ、わたしは思わず言葉に詰まった。

 確かにカーナックの言うとおりだ。冷静になって考えれば、わたしはたとえ両親と再会できたとしても二人を思い出すことはない。一度融けて消えてしまった記憶は、呪いを解かない限り戻らないと魔女カーラは言っていた。

 そんなわたしの状態を知ったら、両親はきっと絶望するだろう。そしてわたしと王子の命を天秤にかけて苦しむに違いない。


 二人にそんな思いをさせるくらいなら、今はまだ何も知らせない方がいい。カーナックにいさめられて、わたしはようやくそう思い至った。

 もっとも仮にこの呪いが解けたとして、そのとき自分の消息を両親に知らせるべきか、わたしはまた迷うのだろうけど。わたしが王族殺しの大罪人なんかになったと知ったら、両親だって平静ではいられないはずだ。

 それどころか最悪の場合、国の追及は二人にも……。

 それならいっそわたしはこのまま、両親との関係を完全に断ってしまった方がいいのかもしれない。


「……ごめんなさい。確かに軽率だったわ」


 今の自分が置かれた状況。

 それをようやく本当の意味で理解して、わたしはただうなだれた。

 どちらへ転ぼうとも、わたしに待っているのは真っ暗な未来だけだ。

 そんなことは魔女に呪いをかけられた時点で分かっていたはずなのに、何故か今頃になってじわりと涙が溢れてくる。


「お、おい」


 狼狽したカーナックの声が聞こえた。

 けれどわたしは溢れ出した感情をどうしても抑えきれなくて、しゃくり上げながら顔を覆った。


 どうしてこんなことになってしまったんだろう。

 せめてその理由だけでも分かれば、まだ救われるかもしれないのに。

 今のわたしには、もうそれさえ思い出せない。

 カーラはこれを罰だと言っていた。彼女の宝物を奪おうとした罰だと。

 記憶を失う前のわたしは、一体何を手に入れようとしていたの?

 分からない。


 もう何も、分からない――


「スーリヤ」


 突然、とん、と、わたしの額に軽い衝撃が走った。

 次いでわたしの頬を、肩を、背中を、思いがけない温もりが包み込む。

 

 気づけばわたしは、カーナックの腕の中にすっぽりと抱かれていた。

 瞳からは未だぼろぼろと涙が溢れていたけれど、同時に胸の底から驚きがこみ上げてきて、わたしはそのまま固まってしまう。


「すまない。強く言いすぎた。だから泣かないでくれ」


 ぎゅっとわたしの肩を抱きながらそう言ったカーナックの声は、とても苦しげで。

 何故彼がそんな声を出す必要があるのだろうと、わたしは顔を上げようとした。


 けれど、そのとき。

 まったく最悪の――いや、もしくは絶妙なタイミングで。


《グゥゥゥ……》


「……」


 静かな路地に突如響き渡ったその音に、わたしたちは揃って沈黙した。

 その沈黙はその後もしばらく続き……

 やがてわたしは、わたしを抱いたままのカーナックが横を向いてぷるぷると震えているのを感じ取る。


「……。カーナック、笑いすぎだわ」

「い……いや……すまない……っけど、だって今、この状況で……っ」

「仕方がないでしょ。お腹が減ったのよ」


 未だぽろぽろと涙を零したまま、けれどわたしは開き直ってそう言った。

 途端にこらえきれなくなったカーナックのバカ笑いが、薄暗い路地に響き渡る。

 それを聞いたわたしはますますむっとして、恥ずかしまぎれにカーナックを突き飛ばした。

 それでもなお抱腹絶倒しているカーナックには背を向けて、わたしは真っ赤な顔のまま乱暴に涙を拭う。


「もういい。帰る」

「お、おい、待て、帰るって、どこに」

「宿に決まってるでしょ。今のわたしには、他に帰る場所なんてないんだから」

「それは違いない。だけど待ってくれ。それならどこか、近くの店で食事して帰ろう。お腹減ってるんだろ?」


 そう尋ねてきたカーナックの口調にははっきりと悪意が滲み出ていて、わたしは立ち尽くしたまま小さく肩を震わせた。

 そんなわたしの反応が、ますます面白かったらしい。またしても背後でカーナックが吹き出しているのが聞こえる。


「やっぱり帰る」

「待てよ、スーリヤ。この間、このあたりで鶏肉の香草煮込みトムヤムガイがおいしいって評判の店を見つけたんだ。そこに行こう」


 やがてわたしが足を踏み鳴らすようにして歩き始めると、カーナックは慌てて――けれどなおも笑いながら――追いかけてきた。

 わたしはそんなカーナックにますます腹が立ったけれど、同時にさっきまで胸を塞いでいた悲しみがどこかへ行ってしまったのを自覚する。

 それは不甲斐ない自分の腹の虫に対する苛立ちゆえか、非情なはずの殺し屋に大笑いされた羞恥ゆえか――それとも。

 相変わらず人気のない裏路地には、赤い顔のまま足早に歩くわたしの足音と、殺し屋の忍び笑いがなおも響いているのだった。

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