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第十話 惑う心

「――それで、例の件はどうなってる?」

「申し訳ありません。そちらについては、まだ……」

「そうか……やっぱり、無理なのかな」

「無理ではありません。すべての元凶であるあの者の息の根さえ止めてしまえば、我々の目的は完全に遂げられるのですから。私はそのために、今日まであなたにお仕えしてきたのです」

「だけど、もう二十年だ。それだけ長い時をかけてもどうにもならなかったことが、今更どうにかなるって言うのか? そんな簡単に事が運ぶなら、初めからこんなことにはならなかったろう」

「ではあなたは、ここまで来てすべて投げ出すと仰るのですか? 私が今日まであなたにお仕えしてきた意味を、無にすると仰るのですか」

「ナット」

「あなたは何のためにここにいるのです。初めから何もかも諦めてしまうつもりでおられたのなら、すべてをかなぐり捨ててこんなところまでやってきたりはしなかったでしょう。それともあなたの言う〝覚悟〟とは、その程度のものだったのですか」


 言い争う声で目が覚めた。

 暗闇の中、初めはぼんやりと意識が漂っていて、自分が今どこで何をしているのか、はっきりと思い出せずに目を開ける。

 うっすらと開いた瞼の向こうに、部屋の中を淡く照らし出す光繭の明かりが見えた。

 そのすぐ下に見えるのは、うなじのあたりで短く結われた銀髪とうなだれた背中。

 あの背中には見覚えがある。

 確か、あれは――


「――カーナック!?」


 その名前を思い出したところで、ようやく意識が覚醒した。途端にわたしはがばりと身を起こし、いつの間にか自分が眠っていたらしいことを知る。

 不覚だった。確かわたしは衛兵の気を引くために囮となったカーナックと、それを助けに向かったナットの帰りを待っていたはずなのに、気づけば寝台に倒れ込んで意識を失っていたみたいだった。

 体力の衰えた体であれだけ走り回ったのだから、無理はないと自分でも思う。

 だけど、自分を助けるために危険を冒してくれた二人をほったらかして一人だけ眠りこけてしまうなんて、わたしはなんて薄情な女なのだろう。


「あ、ああ、スーリヤ、目が覚めたのか。気分はどうだ?」

「ごめんなさい! わたし、あなたたちが帰ってくるまでちゃんと待ってるつもりだったのに、一人だけ先に休んでるなんて最低だわ……!」

「いや、まあ、あれだけ逃げ回ったあとじゃ無理もないさ。きっと疲れてたんだろう。気にしなくていい」

「本当にごめんなさい……でも、二人とも無事だったのね。良かった……」


 自分の不甲斐なさに恥じ入りながら、しかしわたしは同時にひどく安堵していた。

 眠りに落ちる直前まで、わたしの胸は彼らのことでいっぱいだったから。もし日が暮れても二人が戻らなかったらどうしようと、不安で不安でたまらなかった。

 だけど見たところ、二人は大きな怪我もなく無事なようだ。カーナックの方はさすがに疲れた顔をしているけれど、ほっと胸を撫で下ろしたわたしを見ると微かに口元を綻ばせる。


「だから言ったろ? 俺は嘘つきだが約束は守るって」

「え? あ、うん、そうね……そ、それはそうと、二人はいつ戻ったの?」

「ついさっきだよ。衛兵はちゃんと撒いてきたから心配ない。ただ、ほとぼりが冷めるまではここで大人しくしてなきゃいけないけどな」


 そう言いながら、カーナックは大層のんきに「ふわあ」とあくびを零してみせた。

 そんな彼の横顔から、わたしはすっと目を逸らす。鼓動がやけにうるさいのは、直前に見た彼の微笑みのせいだ。


 昼間はあんなに寂しそうに笑っていたのに、今のカーナックはすっかりいつもどおりだった。

 それを確かめて安堵する反面、わたしは自分でもよく分からない感情の揺れに戸惑う。カーナックがわたしの目を見て笑った、ただそれだけのことなのに、何をこんなにドキドキしているのだろう。

 それが顔に出ていないか心配で、わたしはしばらくカーナックを直視できなかった。

 だってこんな気持ちでいるのを知られたら、どうせまたからかわれるに決まっている。それでなくともつい昨日、わたしはあなたを信用していないと言い放ったばかりなのに。


「ああ、そうだ。そう言えばナットの紹介がまだだったな。昼間のうちに顔合わせは済ませてると思うが」

「え、ええ……だけどカーナック、他にも協力者がいたなら、どうして先にそう言ってくれなかったのよ」

「いや、すまない。一応森で君を拾った直後から連絡は取り合ってたんだけどな。ナットには王宮の内偵を任せていたものだから」

「内偵?」

「ああ。ナットは今、衛兵の一人として王宮に仕えているんだよ。もちろん俺の間者としてだが」

「か、間者って……」

「昨日、王宮の噂をしてたやつらが言ってただろう? チャイディ王子は公の場にほとんど姿を現さない。噂では滅多なことでもない限り、王宮から外に出ることはないって話だ。その王子の様子を探ろうと思ったら、宮中に直接人を送り込むしかない。いざ乗り込むとなれば、王宮の警備状況や侵入経路も調べなきゃならないしな」


 カーナックの言葉つきは、さも世間話でもするかのような気軽さだった。けれどもわたしは不意に並べられた不穏な単語に思わず体を強張らせる。

 見たくもない現実を、急に突きつけられたような気分だった。おかげで浮き足立っていたわたしの心はすっと冷え、たちまち凍りついていく。


「で、でも……もう既に王宮に潜り込んでいるのなら、王子に直接手を下すのは、ナットに任せればいいんじゃ……?」

「いや、それだとナットを脱出させるのが難しくなる。それより俺たちの侵入から脱出までを裏で手引きしてもらった方が、お互いに危険も少なくて済むだろう」

「そ、それって、つまり……?」

「俺たちは何もこそ泥みたいに、窓からこっそり王宮に忍び込むわけじゃない。というか、現実的に考えてそんなのは不可能だ。王宮、特に王族が暮らす後宮の警備は万全で、蟻が這い出る隙もない。そんなところに侵入しようと思ったら、方法は一つだろ?」


 そう言って、カーナックはニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。

 けれど魔女に呪われている以外はごく平凡な市井の娘に、殺し屋の常識を求めないでほしい。方法は一つだけと言われたって、わたしに思いつくのはせいぜいカーナックが言うところの〝こそ泥みたいな〟やり方だけだ。


「カーナック様とスーリヤ様には、時期が来たら下働きの人数として王宮に潜入していただきます。私の役目はその手筈を宮中で整えること。あと数日もすれば鳥の世話係と女中に欠員が出ます。お二人にはその交代要員として王宮に入っていただく予定です」


 そんなわたしの貧相な発想力を察したのかどうか、そう説明してくれたのは席にも着かず佇んだままのナットだった。

 その話を聞いて、わたしはますます背筋が寒くなる。まだ王子を殺す覚悟も決まっていないのに、わたしのあずかり知らぬところで王宮への潜入準備は着々と進められていた。

 その事実が、ひどく恐ろしく感じられたのだ。


「しかし仮に上手く潜入できたとして、問題は肝心の王子だ。どうなんだ、王宮の様子は?」

「先日、宮中に魔女が現れたという話は?」

「噂で聞いた。事実なのか?」

「事実です。生憎私はその現場に居合わせなかったのですが、そのとき王子は魔女に妖しげな術をかけられ、どうも正気を失ったとか……以来宮中で王子のお姿を見た者はおりません。時折叫び声だけは聞こえてくるのですが」

「さ、叫び声……?」

「はい。例の騒動以来、王子は疑心暗鬼に陥り、お部屋から出て来られません。それどころか自分以外はすべて魔女の手先と思い込んでいるらしく、部屋に近づく者がいると発狂し怒鳴り散らす始末で」

「親である王や王妃すら、か?」

「はい。王は度々王子の説得に臨んでおられるようですが、その王にさえ顔を見せないという話です。少なくとも、まともに話ができる状態ではありません」


 ということは、昨日聞いたあの噂は全部本当だったのか。そう思うとわたしはますます恐ろしくなった。

 だってこのまま事が運べば、わたしたちはその気のれた王子のもとへ乗り込んでゆかねばならないのだ。親である王や王妃にまで怒鳴り散らすほど凶暴化している相手を暗殺するだなんて、そんなことが本当にできるのだろうか?


「ね、ねえ……そんな状態の王子を相手にするなんて、本当に大丈夫なの? そもそも王ですら近づくことのできない相手に、部外者のわたしたちがどうやって……」

「いや、そこは心配いらない。むしろこの状況は利用できる」

「り、利用って?」


 思わずそう聞き返したけれど、カーナックはそんなわたしを見て意味深な笑みを浮かべただけだった。

 それはそのときになってからのお楽しみ、とでも言うつもりだろうか。わたしとしてはかなり気になる上に、まったく安心できないのでもったいつけないでほしいのだけど。


「とにかく、そういうことならあとはスーリヤの足さえ良くなれば、いつでも行動に移れそうだな。そのときに備えて、ナットは引き続き王宮での工作と情報収集に当ってくれ」

「御意」

「今回の作戦にあまり時間はかけられない。正気を失った王子に対して、王が強引な手段を取らないとも限らないからな。そうなると話がややこしくなる。できれば面倒なことになる前にケリをつけたい」


 小さな卓に頬杖をつき、暗い窓の外を眺めながらカーナックは言った。

 けれどわたしには一つ気になることがあって、それを尋ねるべきかしばらく迷ってから、ついに腹を決めて口を開く。


「ねえ。これは、昼間の人たちが言っていたことなんだけど……」

「ん?」

「あの人たち、王子のことを〝呪われ者〟と呼んでいたわ。魔女に呪われた人間は、周りに不幸を撒き散らすって。それってつまり、王子も何らかの呪いを受けているということ? それも今よりずっと前から」


 〝あの王子が生まれたせいで〟。

 昼間、わたしを〝呪われ者〟と呼んだあの人たちはそう言っていた。

 確かにこの王国には、王子が生まれてからいくつもの災難が降りかかっている。だから王子は不幸を呼ぶ子なのではないかと皆が噂しているという話は、カーナックから既に聞いた。

 けれどその王子もまた魔女の呪いを受けている、というのは初耳だ。

 そんな話はカーナックもしていなかったし、もしそれが事実だとしたら――わたしは自分と同じように呪いに苦しめられている相手を、この手で殺そうとしていることになる。


「あくまで噂だ。確証はない」


 そんなわたしの心の揺らぎを、冷徹に見透かしたような声だった。はっとして顔を上げた先では、カーナックが表情を消している。

 その空色の瞳はにわかに氷刃のような冷たさを帯びて――わたしは知らず、ぞくりと体を震わせた。

 それはまるでわたしの中の迷いを責められているようで。

 わたしはそれ以上カーナックを正視できず、ぎゅっと手を握って目を逸らす。


「スーリヤ。君は自分がかわいくはないか?」

「え……」

「自分をこんな目に遭わせたやつが憎くはないか。その憎しみを、思うさまそいつにぶつけてやりたいとは思わないか」

「カーナック……?」

「俺は、憎いよ。だから王子が呪われていようがいまいがそんなことは関係ない。俺は王子を許さない。何があろうと、絶対にだ」


 何か苦いものを噛んで吐き出すように、カーナックは言った。その口調に嘘の響きはない。

 けれどわたしは、てっきり彼が王子の命を狙うのは、単にそれが殺し屋として請け負った仕事だからだと思っていた。

 でも、何かをこらえるように窓の外を見つめたカーナックの横顔には、王子へ向かう憎悪が色濃く浮かび上がっている。

 あるいはカーナックがこの依頼を受けたのには、もっと別の理由があるのだろうか?

 彼自身にも王子の命を狙う動機があって、それが依頼人の利害と一致したからここにいる……?


「だけどわたしのこの呪いの原因は王子じゃないわ。記憶がないから確かなことは言えないけれど、たぶん、これはわたし自身が招いたことなのよ」

「そうかな。あるいはその不幸だって王子が招いたのかもしれない。そもそもあいつが魔女の恨みを買うような真似をしたから、君がそのとばっちりを受けてるんじゃないのか」

「それは、わたしには何とも言えないけれど……」

「きっとそうさ。そうに決まってる。あいつは存在していること自体が罪なんだ。あの王子のせいで、これまでどれだけの人間が苦しんだことか――」

「でも、それが王子のせいだと決まったわけじゃないんでしょう? ならそんな言い方は良くないわ。王子だって周りを苦しめたくて苦しめてるわけじゃないのかもしれない。なのによってたかってそんな言い方をするのは可哀想よ」


 思わずそう口走ってから、わたしははっとした。

 その王子を殺さなければならない人間が、何を言っているのだろう。これじゃ王子を殺す覚悟がないと自白しているようなもの――。

 おかげでわたしはますますカーナックを直視できなくなり、その場で深くうつむいた。

 でも。

 それでもそう言わずにいられなかったのは、悲しかったから。

 わたしも昼間、あの二人組の男に自分の存在を罪だと言われた。王子に対してまるで同じことを言うカーナックの言葉は、そんなわたしにも向けられているような気がした。


 もちろんカーナックにそんなつもりはなかったのだと分かっている。

 けれど何故だかそれが無性に悲しくて、わたしはついムキになってしまった。

 そんなわたしの言葉を、カーナックはどう受け取ったのだろう。

 その答えを知るのが怖くて顔を上げられない。そう思った刹那、突然ガタンと椅子が鳴り、わたしは肩を震わせる。


「カーナック様」


 呼び止めるナットの声がした。はっとして視線を上げると、それまでカーナックが座っていた椅子の上に彼がいない。

 慌ててあたりに目を配れば、ちょうどカーナックが部屋を出ていこうとしているところだった。

 彼は一度もこちらを振り向かず、けれどどこか思いつめたような雰囲気で単身部屋をあとにする。


 直後、荒っぽく閉じられた扉が大きな音を立て、わたしはまたしてもびくりと震えた。

 そのとき、カーナックのあとを追ってとてとてと歩いていったノーンが、飼い主の去った扉とわたしを見比べて「クーン」と小さく鼻を鳴らす。

 それが〝追わなくていいの?〟と尋ねられているようで、わたしは思わずナットを見た。

 そのナットは相変わらず無表情に佇んだまま。

 けれどわたしの視線に気がつくと、それから少しばかり考えて、言う。


「スーリヤ様」

「は、はい」

「私はそろそろ王宮に戻ります。あの方がお戻りになったら、なるべく傍にいて差し上げて下さい」

「え?」

「あの方も迷っているのですよ。けれどご自分でもどうすべきか分からないから、ああして言い聞かせている。……本当は向いていないんです。あの方に殺し屋なんて」


 そう言ってわたしを見つめたまま、ナットは笑った。

 それは本当にうっすらとした笑みだったけれど、彼が初めてわたしの前で見せた微笑みだ。

 そこにあるのはカーナックへ向かう呆れと憐れみと――確かな敬愛。

 わたしはその笑みに引き込まれるように、気づけば頷きを返している。


「私があの方のためにして差し上げられることは、せいぜい変わらぬ忠勤を尽くすことくらいです。ですが、あなたなら……」


 ナットはそう言ってから、ほんの微かに表情をかげらせた。

 けれどやがてすっと元の無表情へと戻り、腕にかけていた被り布を再び目深に被り直す。


「わたしなら、何?」

「いえ……余計なことを申し上げました。これ以上は主命に背きます。それでは、私はこれにて」


 それきりナットは、すっかり元の彼に戻ってしまった。ようやく見えたと思ったわずかな感情はしっかりと無表情の裏にたたまれて、彼はそのまま宿の部屋をあとにする。

 残されたのはわたしとノーンだけ。

 別れ際、ナットに軽く頭を撫でられたノーンは嬉しそうに尾を振って、わたしのいる寝台の傍まで走り寄ってくる。


「ねえ、ノーン。わたしはどうしたらいいのかしら」


 ぽつりとそう尋ねれば、ノーンは不思議そうに首を傾げた。その仕草が何とも無邪気で、わたしは苦笑を零してしまう。

 カーナックもこれくらい分かりやすければいいのに。

 わたしには未だ、あのカーナックという殺し屋のことがよく分からない。

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