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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

乾いた地で

作者: F

 風の吹きすさぶ戦場跡を男が歩いていた。

 終戦が宣言されてから数日が経っている。どれほど戦線が広がったのかは分からないが、少なくとも男が歩いて一日で踏破できる程に狭い距離で無い。

 それでも戦火に焼かれた死体が無惨に転がる光景は、どこを見ようと、どれだけ歩こうと変わることは無い。


「……これで998人目」


 男の仕事はその“残り物”の掃除だ。

 おびただしいと言える程の死体を焼き、身元を証明できそうな遺品を回収していく。

 ときおり息が残っていたり、気が狂ってしまった連中に出会うこともある。

 助けられない奴は楽にしてやるのも男の仕事。目の前の炎に包まれる兵士の様に。


 その最中である。


 男が村を見つけたのは。



 *****



 家々の殆どは黒く焦げた瓦礫の山になっていた。

 既に生きる者の無い筈の村で、見た目からして歳は6にも満たないであろう少女が、畑を耕しているのを男は見つける。

 少女の体に鍬は大きすぎる。よたよたと振り下ろした鍬を再び持ち上げようとして、少女はバランスを崩して転んだ。

 一瞬下唇を噛み泣く寸前の様な表情を作ったが、畑の端で少女を見つめる男と目を合わせた途端に少女はその表情を消す。

 そしてまた、男を無視して小さな体には大きすぎる鍬を使って畑を耕しはじめた。


「おい」


 男が声をかけると、ぴたっ、と動きを止めて泥だらけの顔を男に向ける。

 少女の顔に怯えはない。


「お前一人か?」

「うん」

「親はどうした?」

「パパは兵隊さんに連れてかれたの」

「お前のママは?」

「あっち」


 少女が指差したのは小さな小屋だ。

 男は小屋に近づき扉を開けると、中では藁で編んだ布団にくるまれて女性の死体がひとつあった。

 死に方からして餓死だろう。ただ、その足は瓦礫に挟まれている。

 小屋の半分は何故か ─十中八九戦闘の余波だろうが─ 崩れていた。


「これか?」

「うん。ママね、動かなくなったの。起こしてもね、起きないの」

「……」


 恐らくは、自分の娘を逃がそうとしたのだろう。しかし、この少女は幼すぎる。一人ではどこにもいけまい。

 残った食料を全て与えて娘を生かそうとしたのか。

 人が通れば少女は拾われ、この村から離れられる。

 少女が生きている間に誰かが通ることに期待し、そして男が来たことでその願いは叶えられた。

 そこまで想像して、目の前の死体を見ながら男は少女に言葉をかける。


「お前のママなぁ……死んだんだよ」

「死んじゃったの?うるさいエドじぃみたいに?」

「ああ、そうだな。もう動くことは無い」

「そっか」


 少女は自らの母の亡骸を見つめていた。

 死ぬ、というのが分からないのかもしれない。それとも、案外分かっていてこうなのか。

 男は亡骸に近付き膝を落とすと、亡骸に身に付けられていた古ぼけたブローチを取り外した。

 それを少女に渡すと、男は亡骸に再び向き直る。


「何か、最後にママに言いたいことはあるか」


 少女は少し考えて、またね、と言った。

 聞き届けた男は、少女の母の亡骸に、火をつけた。


「……これで、999人目」

「おじさんは、死んだ人に火をつけるの?」

「ああ。そうして、早く天国に行ける様にしてやんのさ」

「じゃあ、ママも早く天国に行くのかな」

「ああ……」


 よかった、と少女は言った。

 少女はやっぱり、下唇を噛み締めて今にも泣きそうな表情だったけれども、決して泣くことは無かった。



 *****



「なぁ、お前はなんで畑を耕してたんだ」


 男は村に残っていた食料から自分と少女の分の飯を作って食べていた。

 目の前の少女は口の周りに食べこぼしを沢山つけながら男の食べ方を真似して食事を取っている。


「パパが帰ってきた時に、畑が無いと困るかなって」

「あの畑はパパの畑なのか?」

「うん。家は兵隊さんに壊されたけど、畑があれば、おかえりなさい、って言えるかなって」


 男は微かに眉間にシワを寄せた。

 少女の話を聞く限り、この村の働ける男は兵隊に連れていかれたらしい。

 理由は想像がつく。戦場で戦う兵士にするためだ。

 先の戦争では、そういう貧しかったり戦略的価値の無い村々から連れてこられた連中から死んでいった。

 優先的に最前線に送られたのだから、死ぬのも当然だ。

 この少女の父の生存は絶望的だろう。

 とはいえ、死んだ人間を把握するのも男の領分だ。


「お前のパパの名前は分かるか」

「んとね……ジェームズ」

「心当たりが沢山あるな……ちょっと待ってろ」


 男は自らが背負っていた特大の背嚢を降ろすと、中を漁りはじめた。

 少女は男の作った飯を頬張りながらちょっと待っている。

 しばらくすると男は脈絡も関係性も無さそうな幾つかの小物を取り出した。

 これは男が戦場跡地を歩き続けて集めた遺品達だ。


「見覚えのあるものはあるか?」


 聞いては見たものの、答えは既に目の前の少女の表情でわかる。

 男の取り出した遺品のひとつ、黒焦げになったブローチに少女が手を伸ばして凝視していたからだ。


「これ、パパの」


 良く見れば、今少女が身に付けている母の古ぼけたブローチと似ているかもしれない。

 男の手にあるのは全て遺品だ。

 つまるところ


「そうかい……お前のパパは、天国に行ったな」

「おじさんが送ってくれたの?」

「ああ」

「じゃあ、早く天国に行けるね」

「そうだな……こいつはお前にやる。パパとママのブローチを一緒にしてやれ」

「うん」


 少女はブローチを受け取って、母のブローチと隣り合う様に身に付ける。

 少女はブローチに、よかったね、と話しかけるが、その少女の顔は寂しそうだった。



 *****



 村の中でもまだ無事な家 ─少女によるとルウリィの家─ に入り込み少女と共に寝床につく。

 男と違い、少女は寝る体勢になると即座に寝てしまった。

 戦場跡とはいえ、野党や気の狂ったバカがいつ襲い来るか分からない場所を旅し続けたためか、いくら村の家の中と言えど男はすぐに寝付くことは無い。


「……パパ、ママ……」


 少女の小さな呟きが聞こえる。

 それと同時に男の服をきゅっと少女の小さな手が握りしめた。


「ガキはガキか……」


 少女は眠りながら泣いていた。

 男は困った顔で少女の涙を拭ってやると、自らの身体より酷く小さい少女の身体を抱き寄せる。

 男の逞しい胸は眠る少女に何を思い浮かばせたのだろうか。

 しばらくして、すーすー、と健やかで静かな寝息が胸元から聞こえてきた。

 男は安心した様に少女の頭を撫でる。


「……」


 男は考える。

 少女を拾ったのは良い。だが、連れて行ったとしても身寄りの無い少女が一人で十分に生きていく余裕はこの国には無いだろう。

 知り合いの孤児院に預けるしか無いだろうが、そこまでは距離がある。


「まぁ、どこに行くにしろ暫く移動するのは変わらねぇか」


 どうなるにしても、少女を連れて歩いては仕事はできない。

 男の中で少女をその知り合いの孤児院に預けるのは半ば決定していた。

 あそこなら、この娘の面倒もみてくれるはずだ。

 男は勝手に自己解決すると、目を閉じて眠りにつくことを選択した。



 *****



 朝起きると、寝床から少女の姿が消えていた。

 舌打ちをしてから家の外に出る。

 少女はすぐに見つかった。

 また父のだと言う畑を、少女は昨日と同じ様に耕していたのである。

 そして昨日と同じ様にすっ転んでもいた。


「やれやれ……」


 男はため息をつき近くの小屋から鍬を取ってくると、少女の横で畑を耕しはじめる。

 力強い男の鍬は危なげなく振り下ろされ、少女の数十倍と言っても過言では無いスピードで畑は耕されていく。

 少女はそれをジッと見ると、再び鍬をふらふらと持ち上げ、よたよたと振り下ろした。


「危ないからどいてろ」

「やる」

「お前にゃ無理だ」

「やるの」


 少女は言うことを聞かず、畑を耕す作業を続ける。


「パパもママもいねぇんだから、畑はもう耕さなくて良いんじゃねぇか?」

「やるの」

「なんで」

「どうしてもやるの!」


 最早ただの意地か。

 理由なんてもう無いのかもしれない。

 ただ、少女にとって両親と暮らした証がこの畑であり、最後に残った家なのだ。


「全く……俺も若くねぇからなぁ」

「若くない、の?としより?」

「年寄りって程でもねぇが……まぁ、嬢ちゃんから見たら似たようなもんか」


 男は少し耕しただけで悲鳴をあげる身体の筋肉に鞭打って、少女の横で畑を耕し続けた。

 少女もまた、黙々と畑を耕し続けた。



 *****



 日が暮れはじめた空は、血のように紅く染まっている。

 ここ最近の夕暮れは、いつもこんな感じだ。

 最初の頃こそ不気味に思ったものだが、今では誰もが慣れた紅い空である。


「ほれ」

「う……ん。いただきます」


 畑を耕していて忘れていたが、朝から食事を取っていない。

 少女の腹の虫がなってから、ようやく男はそのことに気付いた。

 日が暮れる少し前に作業を切り上げ、飯の用意をする。

 家の竈が残っているから、常より食事の用意は楽だ。


「美味しい」

「そりゃ良かった」

「でもママのがもっと美味しい」

「……」


 男は憮然とした表情になると、飯をガツガツとかきこんだ。

 少女は男の様子を見て、やはり真似してがつがつと食べ始める。


「う……げほっげほっ!」

「お前は落ち着いて食え」


 少女の背中を叩き、男は呆れた様に言う。

 少女は咳き込みが止まると、男の手にある水をかっさらい飲み干した。

 男は肩をすくめて食事に戻る。

 そこで思い出した様に言葉を口に出した。


「明日、村を出るぞ」

「……うん」

「起きたら持ってくもの纏めておけよ」

「……うん」


 村に残っていた食料はもうほとんど無い。

 少女一人ならしばらく持ったかもしれないが、大の大人がそこに加わることで消費が一気に増えたのだ。

 男は幾つか残っていた食料で携帯食を作っていたが、男が元々持っていた食料と合わせても少女と二人ではそれほど長くは持たないだろう。

 移動しなければならない。


「畑……」

「諦めろ」

「うん……」

「お前が大きくなったら、ここに見に来れば良い」

「……うん」


 納得したのかは分からないが、少女はしっかりと頷く。

 男は満足げに頷くと空になった食器を井戸から汲み上げた水につけた。

 寝床の用意も既にしてある。

 少女が用意した飯を食べきると、二人は即座に寝床へと入った。

 日は完全に落ちていた。



 *****



 男は日の出を見上げていた。

 半分ほど耕された畑には、少女が種を蒔いている。

 小さな手からぱらぱらとした小さな種を、不器用に。

 男の手伝いはいらないと言って、少女は一人で種を蒔く。


「なんの種だ?」

「分かんない」

「そうか」

「うん」

「ちゃんと育つと良いな」

「うん」


 次に少女がここに来るまで畑が残っているかは分からない。

 上手く育ったとしても野生生物に食われるかもしれないし、新しく村ができるかもしれない。

 畑がちゃんと残るよりもそうなる可能性の方が大きい。

 少女はそれを分かっているのか、いないのか。

 男が少女にそれを伝えることは無いだろう。


「元気でね」


 少女は最後の別れとばかりに畑に水をやる。

 男が井戸から汲み上げた水を、廃材で作った即席の柄杓でちょっとずつすくって、丁寧に。

 扇に広がる水の向こうに、少女と同じ様に小さな虹が出来た。

 種蒔きが終わり土と泥で汚れた少女を、男は井戸の水と沸かしたお湯で洗う。

 服は替えが無いので軽く洗うだけだが、これは仕方ない。


「おじさん、洗うの下手くそ」

「うるせぇよ」


 その日、二人は村を出た。



 *****



 男の荷物は遺品整理用の特大の背嚢の他に旅をするための道具もあるためとても多かったが、少女の荷物は少なすぎる程に無い。

 精々が男の渡した水筒や携帯食料程度だ。

 少女の家は戦火に焼かれたのだから、私物が無いのも当然と言えば当然かもしれない。


「泣かねぇのか」

「泣かないもん」

「別に泣いても文句は言わねぇよ」

「……泣かないもん」


 村から出た少女は下唇を噛んでキッとした表情で歩く。

 涙を堪えているのはすぐに分かった。

 それでも、少女が泣くことは無い。


「偉いな」

「……うん」


 男は乱暴に少女の頭を撫でた。

 少女は男の手 ─と言っても男と体格が違いすぎるので指を掴む程度だが─ をぎゅっと握る。

 男は少女を連れて歩きながら、この先のことを思案する。

 普段であれば仕事をしながら目的地に向かうところだが、死体があるのは戦場のど真ん中だった場所ばかりであり、人の住む街は戦場跡とは離れた位置に存在する。

 バカ正直に戦場跡を通ることもなければ、手持ちの食料も限られているのにわざわざ遠回りする必要性も無いだろう。

 男は少女の手を引いて、地図を見ながら孤児院のある街へ向けて歩き出す。

 少女は何も言わずに、その手を握って男についていった。



 *****



 乾いた荒野の様な光景が続いたのは初日だけであり、今男と少女の目の前 ─というか全方位だが─ には緑生い茂る森が広がっていた。

 大人であり旅慣れている男と比べて少女は旅の経験など無く幼い。その体力の違いには遥かな差があるのだ。

 最初こそ少女は音をあげずに黙々と男について足を動かしていたが、少女の体力に関して気の回らない男ではない。

 こまめに休憩を取る男に対して少女は、自分は大丈夫だ、と主張するのだが、その言葉に男は少女の頭に拳骨を降らせると


「旅を舐めるな。いざというとき使える体力を残さねぇなんてのはバカのやることだ。何が起こるか分からねぇんだからよ、無理は絶対にしちゃいけねぇ。疲れたら疲れたと言うんだ」


 いいな、と怖い顔で念を押す男に向けて、少女はじんじんと痛む頭を押さえながら頷くしかなかった。

 故に、無理をしないために二人は今、森の中に流れる川岸で歩く足を止めている。

 とは言っても男の方は食料の確保に行動しているところだったが。


「ほい、捕まえた」


 男が捕まえたのは一匹のイタチだ。

 森の中に即席の罠を仕掛けて、今か今かと待ち伏せていたのだ。

 30分ほどで簡単に捕まったイタチは、今は男の手の中で暴れている。


「どうするの?」

「こうする」


 男は躊躇無く狩猟用のナイフでイタチの首を裂くと、その頭と首に長く細い枝をくくりつけた。

 そうしてまだ温かいイタチを川に浮かべると、枝を動かしてイタチの身体をゆらゆらとまるで泳ぐかのように揺らす。

 イタチの首から流れる血が川の流れにそって一本の紅い線を作っていく。

 イタチのすぐ横でパシャリと水が跳ねる。

 すかさず男がイタチを跳ねあげるとそこには魚が食い付いていた。


「お魚?」

「そうだ。血の匂いで食いついてくる」


 男はそれから何匹か、それも二人で食べるには少々多目に魚を取った。

 少女はまじまじと何匹といる魚と男を見つめると


「おじさん、凄い人?」


 そんなことを言った。

 男は、肩を竦めるだけだった。



 *****



 男と少女が森を出て山道を歩いていると、突然男が少女の頭を掴んで地面に伏せさせた。無論、男も可能な限り地面に伏せている。

 男が視線を向ける先に少女も男の指の間からちらりと覗けば、ボロの様な革鎧を纏った人影が見えた。


「山賊の縄張りに入っちまったか……」


 男は忙しなく周囲に視線を配っている。

 他に人影は見えないが、山賊と言うのは男よりも遥かに巧みに山に溶け込む。

 どこに潜んでいるか分からない。


「……」


 チラ、と男は少女を見る。

 手持ちの武器は少ないが、男だけなら逃げ切ることは可能だろう。

 しかし、少女を連れている今はそうもいかない。

 不意に地面に押さえつけている少女と目があった。

 しばらくの間もなく男はニヤリと笑い


「ここで待ってろよ」


 そう言って目の前の山賊に駆け出した。

 ガサリとした音に山賊が振り向く次の時には、既にその腹部に幅の広いナイフが刺さっている。

 男がナイフを捻ると傷口に空気をぶちこまれ、山賊は声もあげずに前のめりに倒れていく。

 返り血は最低限に抑えながら、即座に男は目の前の草むらから立ち上がった別の山賊の顔面に、今殺した山賊から奪ったナイフを投げ付けた。

 スコン、という音と共に二人目の山賊にナイフが突き刺さるのも意に介さず、一人目の山賊の身体をかつぐ様に男がその下に潜り込んだ。

 どこに潜んでいたのか突然現れた三人目の山賊の降り下ろした鉈が一人目の身体にくいこむと半ばほどで止まる。

 すかさず男が一人目の山賊の首をナイフで切り裂くと、まだ動く心臓から流れて噴き出した血が三人目の視界を染め上げた。

 血で目を潰された三人目がもがいている次の瞬間に、男は鉈を奪って脳天から三人目に叩き落とす。

 脳漿をぶちまけて傾いでいく三人目を横の草むらに蹴りいれると、男は少女の所まで戻り


「行くぞ」

「う……んっ!」


 少女の手を引き、山賊の死体を隠した草むらとは別の草むらに潜り込んだ。

 身を低くして木々に紛れて移動していく。

 先ほど殺した連中の死体が別の山賊に見つかる前に可能な限り離れなければならない。

 この山道を越えれば街はすぐだが、山賊の縄張りを突っ切る必要性がある。

 少女を連れている今、そんな無茶は出来ないが、迂回するにしても少女の体力が持たないだろう。

 男は選択を迫られていた。



 *****



「チッ……ここにもいやがる」


 大分距離を稼いだ筈だが、行く先々で別の山賊と遭遇する。

 迂回のために山賊の縄張りを抜けるのも一苦労だと理解させられた。

 ついさっき殺した山賊の死体を隠しながら、男はやはり周囲に目を走らせる。

 そこでくいっと少女に手を引かれた。

 怪訝な顔をして少女を見れば、少女は下唇を噛んだ強張った表情で


「大丈夫」


 そう言った。

 男は一度目を丸くすると、ニカッと笑い、懐から汚れた金属のメダルを取り出すと少女に渡す。

 そして山道の切れ目から見える街を指差しながら、口を開いた。


「あの街、見えるな?」

「うん」

「あそこまで走れ。そうしたらこのメダルを見せて、孤児院に行きたいんです、とそう言うんだ」

「うん」

「分かったな?」

「分かった。おじさんは?」

「お仕事だ……よし、行け」


 少女が走り出す。

 男は少女と逆方向に向き直ると、よくしなる木の枝に山賊から奪った折れた短槍の穂先をくくりつける。そして山賊が少女に気付く前に、視界に入った山賊に向けて即席の投擲槍を投げつけた。

 槍は山賊の肩に突き刺さり、上下左右に激しく揺れて山賊の傷口を広げて激痛を与える。


「ありゃあ落ち延びた兵隊崩れだな……ったく」


 さらに懐から小さな球体を取り出し、その球体から伸びる紐の先に火をつけた。それを森の木々の間から空に向かって投げると、パン、と軽い音と共に赤い煙が広がる。

 悲鳴と破裂音に気付いた他の山賊達が、生い茂る山森の草むらから走り去る男を見つけて激情の叫びをあげて追いかけてくるが、元々引き付けるのも目的だ。


「上手く気付けよ……」


 少女の無事のために精一杯のことをしながら、男は祈りと共に走り出す。



 *****



 少女は走った。

 走り続けた。

 男に言われた事を、忘れない様に口の中で唱えながら、街へと向けて。


「孤児院に行きたいんです……孤児院に行きたいんです……こじ……」


 このまま進み山道を抜けて街道に出ることが出来れば、安全だ。

 だが、街道の手前で少女の足が止まる。


「どうしたおちびちゃん?こんなところで何してるの?」

「ちょっとこっちきな」


 二人の山賊が、山道の出口を塞ぐように少女の前に現れたのだ。

 元々は街道を走る獲物を見つけるための連絡役だろう。

 幼い少女の体力では、この山賊を振り切るのは無理に近い。


「通して……」

「通せないんだよ、ごめんねぇ」

「こいよ」

「やだ……!」


 少女が後ずさると、それと一緒に山賊も少女へと迫る。

 山賊の手が少女に伸びようとした時、山賊の一人の後頭部にトスッという音と共に矢が突き刺さった。


「あ……?」


 山賊の一人が前のめりに倒れる。

 何が起こったか分からずに少女は呆然としていると、もう一人の山賊の胸から剣が生え、引っ張られる様にその身体が弾き飛ばされた。

 そして少女の真横に、人の乗った馬が止まる。


「無事かな?」

「あ……うん」


 はたして少女を助けたのは、端正な顔立ちをした青年騎士であった。



 *****



 山賊の背後、街へと続く街道からやってきたのは馬に乗り、武骨な鎧を青で染めたマントで包む騎士である。

 青年騎士の背後から来た騎士達が、馬に乗って山へと駆けていく。

 山賊の命運は決していた。


「我らは救援を要請する狼煙を見てここに参った。狼煙をあげたのは君かい?」

「分かんないけど……おじさんだと、思う」

「おじさん?誰だい?」

「おじさんは、おじさんなの」


 青年騎士が困った様に首を傾げていると、少女は手に持っていたメダルを騎士へと見せる。


「孤児院に、行きたいんです」

「これは……どこでこれを?」

「おじさんに、これを見せろって」

「おじさんに……おい」

「はっ」


 青年騎士は、近くにいた別の騎士へと声をかけると、少女を持ち上げてその騎士の乗る馬へと乗せた。


「貴様、この少女を街のアイリアナ孤児院へと連れていけ」

「はっ」

「おじさんが、山にいるの」


 少女は青年騎士へと必死な顔で声をかける。

 どうしても会いたい人と別れた様な、そんな顔で。


「おじさんね、私を助けてくれたの」

「……」

「おじさんね、私のママとパパを天国に送ってくれたの」

「む、うむ……」

「おじさん……を、助けてください」


 下唇を噛んだ今にも泣きそうな表情で、少女は男の助けを願った。

 少女の言葉を聞いた青年騎士は強く頷き


「任せなさい」


 そう言って少女の頭を撫でた。

 とても優しい撫で方だった。



 *****



「あぐっ……」


 男は腕に刺さっている矢を乱暴に抜き去る。

 見れば、男の背負っている特大の背嚢には幾つもの矢が刺さっており、まるで剣山の様になっていた。


「クソが……ご丁寧に毒を塗ってやがる……」


 矢が刺さっていた傷口の周りは紫色になり、血が止まらない。

 男は口に布をくわえると、ナイフを傷口に突き立ててグリグリと傷口を広げる。

 血を流して毒を捻り出そうとする、荒療治だ。


「……っ!……はぁっ、はぁっ……ああ、いてぇな畜生め」


 男が悪態をつく間に、山賊が回り込もうと移動している。

 自分の血で塗れたナイフを握って、先手を突こうと男は山道に飛び出し、山賊の一人にナイフを突く。

 すぐさま転がって別の山賊に飛び掛かろうとした次の瞬間、目の前の山賊の背後から矢が幾本と飛んできた。


「うぉお、危ねぇ!?」


 男は転がり、山賊から外れた矢を避ける。

 何事かと動揺する山賊達は、矢の後を追う様に馬の蹄の音を轟かせて走る騎兵に次々と仕留められていく。

 男が地面から起き上がり座り込むと、その横に一頭の馬が止まった。


「おせぇ!」

「これでも最速で参りましたよ」


 馬の上に乗っていたのは、少女を助けた青年の騎士だ。

 青年騎士は男へと疎ましげな目を向けると


「それより……騎士団を辞めて掃除屋になったと聞いた貴方が何故この様な場所に」

「人助けだよバカ。あの嬢ちゃん助けてくれたんだろうな」

「勿論です」

「そうかい。良かった」


 そう言うと男の視界が徐々に暗くなる。

 青年騎士が慌てて男に駆け寄る姿が見えたが、男には青年騎士の声はもう聞こえない。

 糸が切れた様に、男はその場で倒れ伏した。



 *****



 数日の後。

 街道に蔓延る山賊は全て退治されたと街に通達があり、街の孤児院には一人の家族が増えることとなった。

 山賊を退治した騎士達へ、領主はきらびやかな賛辞で持って報いると、街を練り歩く凱旋パレードを催した。

 人々は騎士達の行いを讃え、街の子供達は強く正しい騎士へと憧れる。

 パレードの先頭を行く青年騎士は街の人々へと誇らしげに胸をはっていた。

 少女はそれを見詰めている。

 下唇を噛んだ、今にも泣きそうな表情で。

 ふと、そんな少女の頭を誰かの手が乱暴に撫でた。


「俺が1000人目になるとこだったぜ」


 少女が驚いた顔で上を向けば、乱暴な手の持ち主は笑っている。

 片腕を布で吊っていたし身体中に傷が残っていたが、一緒に旅をした時の姿のまま、笑っていた。

 少女は乱暴な手の持ち主と自分の手を繋いで ─と言っても大きすぎるので数本の指を掴むだけだが─ パレードで賑やかな街を歩き出す。

 少女の服では、古ぼけた二つのブローチと精巧な細工のメダルが並んでいる。


 少女はやっぱり泣かなかった。

友人からのリクエストで書いてみた、おっさんと幼女の話でした。

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