第三話 心中
勇者たちは戦場を眺め言葉を無くす。
目の前に広がる光景は彼らの想像をはるかに超える凄惨さと緊張感、恐怖を感じ取れた。
遠くから見ただけの光景なのに、あるものは嘔吐し、またあるものは腰を抜かして泣き崩れた。
そんな彼らを気遣う余裕も、今の彼らには存在しない。
アリアは、そんな彼らを睥睨すると、冷たく言い放つ。
「拠点まで移動する。ついてこい」
心に幾ばくかの余裕がもとよりあった美結たちはアリアの言葉に何とか反応を示して慌ててついて行く。
だが、他の者は違う。誰もが腰を抜かし、足に力が入らず立ち上がることも歩くこともできない。
腰を抜かさず立ち尽くした者も、立ち尽くすだけで精いっぱいの様子だ。
アリアはその様子を見て小さく嘆息すると、小さく呼びかける。
「ロズウェル」
「なんでしょうか?」
アリアの呼びかけに、いつの間に近くにいたのか、ロズウェルがいつもと変わらず応える。
「ついていてやれ。私は先に行く」
「……かしこまりました」
少しばかり納得のいかない表情をしながらも請け負うロズウェル。
ロズウェルの本来の仕事はアリアに付き従い、アリアの世話をしアリアに害が及ぶようであればその害を全身全霊をかけて排除することだ。決して、今命じられたようなアリア以外の、それも自身を脅かすものを理解しないで戦場に出ようとした勇者とは程遠い愚者を守り通すことが仕事ではない。
それに、マシナリアの時は無辜の民の命にかかわるためアリアの別行動をしようと言う指示に従ったが、今回は守るべき対象のいない戦場とロズウェルは考えている。であれば、アリアに付き従い、ともに戦場を駆け抜けるのが今回ロズウェルのなすべきことだと考えていた。
そう考えていたため、ロズウェルは今回のアリアの指示には納得ができないでいた。だがしかし、アリアの真意を知り、渋々ながら納得して見せたのだ。
「お前たちもここにいろ。ロズウェルのそばが一番安全だ。それに、ここなら拠点が崩されてもすぐ逃げられる」
ついて来ようとした四人にそう言ってその場を後にしようとするアリア。だが、振り向きかけたとき、美結から声がかかる。
「アリアちゃん…」
「どうした?」
不安そうな声の美結を安心させるためになるべく優しい声応える。だが、それでも美結の不安はぬぐえないのか声色も表情も不安げなままだ。
「………気を付けてね?死んだら…嫌だからね?」
美結の言葉に、アリアは先ほどとは打って変わって優しげな雰囲気を醸し出し、微笑む。
「安心しろ。私を殺せるとすれば、それはロズウェルくらいだ。ロズウェルが寝返らない限り、私は死なない」
「私は、決してアリア様を裏切るような行いはしません。ですので、安心してくださいませ」
「ああ、分かってるよ」
アリアの冗談に、ロズウェルは真摯に答える。
その実直なロズウェルの答えに、アリアは苦笑しながらも、内心嬉しく思う。
ロズウェルと言う存在が後ろにいるから、安心して前だけ向いていられるのだから。
アリアは緩んだ気持ちを切り替えると、今度こそ勇者たちに背を向け歩き出す。その背中は、十四の少女が見せているとは到底思えないほど大きく、力強さと覚悟を感じた。
その背中が、また勇者たちに自身の矮小さを感じさせた。
アリアが去ったあと、勇者たちは少しの平常心を取り戻しつつも、そこから動くことはできなかった。
一歩でも踏み込めばそこから先は戦場で、自分たちを否が応でも引き込み、二度と平和な日常に戻ってこられないような気がしたからだ。
そう思わせるほどアリアの言葉には重みがあり、戦場の光景が脳裏に纏わりついて離れてくれなかった。
呆然自失。そんな言葉がその場の雰囲気に合っているだろう。
そんな雰囲気の中、一人平然としているのはアリアにある種の勇者の護衛を頼まれたロズウェルであった。
ロズウェルからしたら戦争や生死をかけた殺し合いなどはかなり場数を踏んでいるため、今目の前で起きている惨状を目の当たりにしても呆然とすることは無い。
ロズウェルは、初陣でもここまで呆然自失にはなりはしなかった。そのため、勇者たちの今の状態を見て、少しばかり呆れていた。
まあ、今は呆れよりも怒りの方が強いのだが、ロズウェルはそれを鉄面皮の裏に器用に隠しこんでいた。
なぜ、ロズウェルが怒りを抱いているのかと言えば、当然勇者たちのことだ。
ロズウェルはアリアの盾であり剣であろうと思っている。にもかかわらず、今回ロズウェルは置いてけぼりをくらっているのだ。しかも、戦場に居ながらにだ。その事実が、ロズウェルを苛立たせる。
普通であれば、ここで何か声をかけるべきなのだろう。年長者として、先輩として心が軽くなるような言葉をかけてあげるのが普通なのだろう。だが、ロズウェルはそんなことはしない。
勇者たちに苛立っているからと言うのも、もちろんないわけではないが、それ以上に勇者たちの心構えの甘さが今回のことを招いたというのならば、声をかけないことこそ今の勇者たちに必要なことなのだ。
ロズウェルは戦場を見渡す。
今なお激戦が繰り広げられる戦場に、突如として白銀が飛び込む。言わずもがなアリアだ。
アリアは戦場を駆け巡り大剣を振り敵の命を刈っていく。
アリアの服は一太刀浴びせるごとに相手の返り血で真っ赤に染まっていく。いや、服どころではないだろう。髪も顔も手も足も真っ赤に染まっていく。
体中に着いた血をものともせずに、アリアは突き進む。
その姿を見て、ロズウェルは眉をしかめる。別に、アリアが戦うことは良いのだ。血で汚れることも、あまりよくは無いのだが許容範囲内だ。
では、なぜロズウェルが眉をしかめたのかと言えば、それは自分がいればアリアがあんなにも血を被ることは無かったという事実に対してだ。
ロズウェルは、先も言った通りにアリアが戦うことに対して難色を示しているわけではない。アリアは、国の象徴ゆえ矢面に立つことを強いられる。矢面に立つと言っても色々な立ち方があるが、アリアは戦いにおいて矢面に立つことしかできない。これは、アリアが政治的なことを理解していないからだ。アリア自身もそれを自覚している。そのため、アリアは戦うことで自分の役目を果たしているのだ。
だからロズウェルはアリアが戦うことを拒まない。しかし、拒まずとも、それがロズウェルにとって快く快諾できることではないのだ。
ロズウェルとしては、アリアにはあまりその手を汚してほしくない。アリアの代わりに矢面に立ち、アリアの代わりに血を浴び、アリアの代わりに傷つく。それが自分の役目だからだ。
それになにより、十四歳の少女にこれ以上危険な目に合ってほしくは無い。それが自分が仕え、慕っている相手であれば尚更だ。
だが、現実は無情にもアリアを戦地に立たせてしまう。
ならば、ロズウェルがアリアの矛となり、そして盾となりアリアが受ける傷を少しでも減らそうと思った。いや、そう心に誓ったのだ。あの日、初めてアリアに会ったときに。
その誰に知られることもない自身の心に打ち立てた誓いを遂行できないがゆえに、苛立ちが表に出てしまったのだ。
「ロズウェルさん」
不意に、声をかけられる。
声の方を見やれば、そこにいたのは真樹であった。
ロズウェルはしかめた眉を戻し、なるべく感情を表に出さなように努めながら答える。
「なんでしょうか?」
「その、すみません」
なんの脈絡もなく頭を下げ謝る真樹に、少しだけ狼狽するもそれを表に出すことはしない。
「なにがでしょうか?」
「えっと、本当はアリアちゃんのところに行きたいですよね?」
いきなり核心を突いた発言に、ロズウェルは言い繕うこともできずに少しの間硬直する。
その少しの間だけで真樹には十分だったのか、真樹は確信したように話を続ける。
「私たちのお守りなんてなければ、ロズウェルさんは今頃、アリアちゃんと一緒に戦場に出てましたよね?アリアちゃんに仕えるのが役目であるロズウェルさんだから、今ここにいることが不服なんじゃないかと思いまして。ですから、すみません」
真樹の言葉にロズウェルは観念する。
今目の前にいる少女は、おそらく勇者たちの中で一番聡明で冷静だ。だから周りをよく見ているし細かいところにも気が付く。おそらく、ロズウェルが眉をしかめるところも見ていたのだろう。
そのために謝罪をしてきたのであろう。だからこそロズウェルは変に取り繕うことなくストレートに言う。
「ええ。おっしゃる通りです。私は今の状況に不服です。その上不愉快でもあります。ですが、それはあなたのせいではないです。ですので、あなたが謝ることはありません」
ロズウェルは、真樹が今回の戦場に出る気が無いことを知っていた。真樹だけでなく、美結、奈々子、計も戦場に出ようとしていなかったことは知っていた。
本人に直接聞いたわけではないが、雰囲気で理解した。
だから、今回無理やり連れてこられた形の真樹に対して、同情こそすれ怒りを覚えることは無かった。
「いえ、そういうわけにはいきません。他の人に今回の可能性を知っていながら話さなかったのは、私の怠慢です。私の怠慢が引き起こしたことなら、私が謝るのが筋です」
そう言って申し訳なさそうに頭を下げたまま言う真樹。
そんな真樹に、ロズウェルは優しく言葉をかける。
「あなたの怠慢ではありませんよ。あなたは別に勇者様方のリーダーを務めているわkではないのですから。むしろ、言い方は悪いですが、あなたはあぶれ者のように見受けられます。そんな状態で他の勇者様方に話しかけることは難しいと思います。それに、こちらに来てまだ日が浅いのに、他人に気をかけている余裕なんてあるはずがありません。ですので、あなたが悪いわけではありません。お顔をお上げになってください」
ロズウェルがそう言うと、真樹おずおずと頭を上げる。
ロズウェルは気付いていないだろうが、眉をしかめると同時に隠しきれてない威圧感と怒気を放っていた。それをうけ、真樹が慌てて謝ったのだが、本人の反応を見る限り気付いていない様子だった。
それに、心のうちはどうであれ、ロズウェルの表面上はいつも通りになった。そのことにひそかに安堵に胸をなでおろした。




