第四話 平和ボケ
真樹はあの日のように美結の頭を優しく撫でる。
あの日から、美結は涙を見せていない。幸助に会うまでは涙は流さないと決めたんだそうだ。
美結は先程のような戦闘をここ最近はずっと続けている。多対一の戦闘だったり、自分よりも強い者に挑んだりと、かなりの無茶をしている。
一度「もう少しペースを落としてはどうか?」と言ってみたのだが「幸助が苦しんでるかもしれないのにゆっくりしてらんないよ!」と即答されてしまった。
その事があって、真樹は美結のペースを落とすことを諦め、いかに良いタイミングで休ませるかを考えるようになった。
今回、美結が直ぐに眠りに着いたことからタイミングとしては間違ってなかったし本人も疲れていると自覚があったので休憩を拒まれることはなかった。その事に少しだけ安堵する。
安心して眠りに着く美結の頭を撫でると、その顔が少し綻ぶ。幸助に撫でられてる夢でも見ているのだろうか?こうも、安心して眠っていると、自分が信用されているみたいで嬉しい。いや、実際に信用してくれているからこそ、安心して眠っているのだろう。
ガサッ。
思案にふける真樹の近くで草の根をかき分けるような物音がした。
音がした方を見ると、そこには一匹の魔物がいた。犬のような外見の魔物だ。
そう、真樹は弛緩した雰囲気を漂わせてはいるがここはセリア大森林、魔物の巣くう森だ。当然、今二人が休んでいるこの場所も居心地のいい場所だが、安全地帯とは言えない。
今、美結は眠っていて真樹は美結に膝を貸している。二人とも即座には動けない。
「ガアッ!!」
魔物が二人を見据え襲いかかる。
だが、
「止まりなさい」
真樹が一言その言葉を発するだけで魔物が動きを止める。
「美結ちゃんが起きちゃうでしょ?去りなさい」
真樹がそう言うと魔物は踵を返し木々の中へと消えていく。真樹はそれを一瞥しただけで美結に視線を戻す。
どうやら美結は起きてはいないようだった。それに一安心すると美結の頭を撫でるのを再開する。
(この能力は便利なものね…)
先程の自分の行動を思い返しそんなことを思う。
真樹の加護は《言語指揮》という。この能力は自分の発した言葉に力を付与する、と言うものだ。
当初は何の使い道があるのかと馬鹿にされたりした。真樹自身も大した能力では無いと考えていた。
だが、この能力は真樹や周りが考えるよりも凄い物だった。
ある日、思い付きで《言語指揮》を使い魔法の詠唱をした。すると、精々的にちょっとした衝撃を与えるだけの魔法だったはずなのに、その魔法は木の的を粉々に砕いたのだ。
その事があってから真樹は、自身の加護を研究した。その研究の結果が先程、言葉だけで魔物を止めたことだ。
つまり、自分より格下の相手なら言葉で命じるだけで言うことを聞くと言うことが分かったのだ。それは、魔物に限らずそのほかの動物でも同様だった。
しかもこの能力の利便性はこれだけじゃない。この能力は対象に声を届けられれ
ば聞こえた声の音の大小に関わらず込めた力の分だけ効力を発揮するのだ。
だが、この能力には一つ欠点がある。それは、対人(もしくは対魔、対獣など)に使うと効果を与える対象を選べないという事だ。
対象の選択が出来ないという事は、声を聞いた人に無差別に効果を発揮してしまうと言うことだ。
訓練をすれば対象の選択も可能になるかもしれないが今は出来そうにない。
と、自分の能力を改めて分析していると茂みからまた物音が聞こえてくる。今度は複数の足音が聞こえてくる。
また魔物かと思いながらも音の方を見るとどうやら違うようだ。
思わず出そうになった溜め息をぐっとこらえて、茂みから出てきた者に声をかける。
「なんの用かしら、紫苑君」
茂みをかき分け出てきたのは荘司達だった。
「いや、ちょっと様子見にね…」
「そう、でも必要はないわ。わざわざありがとう」
「仲間なんだから当たり前だよ」
「…それだけでも無いみたいだけど?」
「…他意は無いよ」
美結に対してあからさますぎるほどにアプローチをしている事をさり気なく指摘するが、荘司も何でもないと返す。
もっとも、美結は荘司など眼中に無いのでそれがアプローチだとは気づいてはいないのだが。そのせいで荘司のアプローチがどんどん露骨になっていってるのは言うまでもないだろう。
真樹の言葉にとぼけた態度をとる荘司に、真樹は不機嫌を隠しもせずに言う。
「この際だからハッキリ言っておくわ。あなたのその美結に対するアプローチ、やめて貰えないかしら?とても迷惑なの」
「ちょっと、何よその言い方!」
真樹のストレートな物言いに荘司の取り巻きの一人の鏡子が食ってかかる。それを荘司が手で制する。
「理由を聞いても?」
「理由なんているかしら?」
「何の説明もなしにそんなことを言われて、はいそうですかって納得できるわけ無いだろ?」
荘司のその物言いに真樹は隠そうともせずにため息を付く。
真樹の余りにも失礼なその姿に荘司は眉を顰めるも、ここで感情的になっても意味は無いと分かっているので極めて冷静に答える。
「何か、間違ったことを言ったかな?」
「…理由を説明しなくちゃいけないなんてと思ってね。恋は盲目とは言うけれど、まさかこれほどとはね…」
余りに荘司を馬鹿にした言い方に、荘司ではなく取り巻きたちがついにキレた。
「お前馬鹿にしてんのか!?」
「調子に乗ってんじゃねえよ雑魚が!!」
「いい加減にしなさいよ偉そうに!!何様のつもりよ!!」
「…何様のつもり?それは、あなた達の方でしょ?」
底冷えするような冷たい声に取り巻き達がたじろぐ。少し感情的になってしまったせいか《言語指揮》が勝手に発動してしまったせいかもしれない。
だが、今はそんな事は関係ない。
「良いわ…本当に分からないなら教えてあげる」
荘司がアプローチをしているのは、ただ振り向いてほしくてやっていることなのだろう事は理解している。それに、行き過ぎでない限り荘司がどうアプローチしようとも荘司の自由だという事も理解している。だが、今の美結にそれをやってほしくはなかった。
真樹は荘司を冷たい視線で見据えると言った。
「いい?今の美結ちゃんは精神的に不安定な状態なの。そんな美結ちゃんが唯一精神を保つ方法が崎三君を捜すために強くなることなのよ。それ以外のことは今に美結ちゃんにとって煩わしくて邪魔なことでしかないの。崎三君を捜すための準備で精神を保ってる美結ちゃんのためにもあなたのその隠しもしない甘ったるい平和ボケが邪魔でしょうがないのよ。分かったら、美結ちゃんが落ち着くまで構わないで頂戴」
「平和ボケなんてしてないだろ!」
「してるじゃない。崎三君が居なくなった隙に美結ちゃんに猛アピールしてるじゃい。一ヶ月しか経ってないのに気が緩みすぎ何じゃないの?まだ私達は恋愛に現を抜かしている場合じゃないはずでしょ?」
「現なんか抜かしてないだろ!ちゃんと訓練も」
「まあまあ落ち着けって!二人ともそこまで!」
迫熱し始める二人の言い合いに、二人の間に入り芹沢計が待ったをかける。
焦ったような苦笑で計は、口をつぐんだ二人を見据える。
「落ち着いて二人とも。桐野さん起きちゃうよ。それに、いくら低級とは言え魔物の巣くう森なんだ。大声は控えないと」
「あら、心外だわ。私は大声なんて出してないわよ。紫苑君達だけよ、大声出してたの」
「そうかもだけど、瀬能さんも若干荘司を煽ってたでしょ?おあいこだと思うけど?」
「煽ってなんかいないわ。事実を言っただけよ?」
「そうだとしても言い過ぎだよ。わざわざあそこまで言う必要なかった。違う?」
「美結ちゃんにちょっかいかけないでほしい理由も分からない人はあれくらい言わないと分かってくれないと思ってね」
真樹に自分にも非があることを訴えるも真樹はそれを柳に風と聞き流し適当に返事をする。
後ろで荘司達がムッとしたのを感じ取り計は真樹にこれ以上苦言を呈するのをやめる。これ以上は平行線だし、言葉一つ一つに毒を含める真樹の言葉に荘司達がまたも沸騰してしまう。
「まあ、それは良いとしてだ…確かに、今は恋愛をしている場合じゃないね…」
「ちょっと計何言って!」
「落ち着いて鏡子、さっきも言ったけどここには魔物がいるんだ。大声は控えて」
「うっ」と唸る鏡子は心配そうに周りを見渡す。
だが、周りの様子を気にした風もなく荘司は計に問いかける。
「恋愛に現を抜かしてる場合じゃないってどういう意味なんだ?計」
若干視線を鋭くして計に質問をする荘司。どうやら、味方をしてくれるはずの計が真樹の言葉を肯定したのが面白くないらしい。
計は、荘司の視線に苦笑で返す。
「今の俺達は世界最強か?」
いきなりの訳の分からない視線に怪訝な顔をするも荘司は答える。
「そりゃあ、違うだろうな。現に俺はセルゲイさんに勝ったこと無いし。…でも、それと何の関係があるんだよ?」
セルゲイとは王国騎士団の団長さんの事だ。彼は四十と少し年を食っているもののその剣の実力は王国でも一、二を争うほどの猛者だ。
そんな彼に荘司はおろか規格外に成長していく美結すらも有効となる一本を取ったことがなかった。それどころか、騎士団の人がまともに打ち合っているところを一度しか見たことがない。それも、騎士団副団長のユーリとだ。
王国で一、二を争うといったが今の彼の明確な序列は剣のみだと序列二位だ。これは、五年に一度行われる大会で順位が決まる。
その大会で一位をとるとどんな輩でも王国民なら、正式に王国から王国最強の剣士としての勲章をもらえる。
その勲章をもらい受けた剣士は王国の《三柱》の内の一人として数えられる。
この《三柱》とは剣士、賢者、魔法師のそれぞれのトップに君臨する人物達の事を言う。
《三柱》に選ばれることは大変名誉なことであり、国民からも尊敬される言わば国のスターのような存在だ。
セルゲイはある人物が出てきてからと言うもの毎回一位を逃しているらしく、今年こそはと毎回意気込んでいるらしい。
閑話休題
まあ、そんな事もあり王国最強ですら無い荘司達は世界最強とは言えないのは周知の事実であり、荘司達にとっても既知の事であった。
「まあ、そうだろうな。俺達は世界最強なんかじゃない。寧ろ、生まれたてのひよこみたいなもんだ。力も充分になければこの世界の知識だって無い」
「だから、それがなんだって」
「つまりだ。俺達は今、最弱の森ですら常に命の危険にひんしている。さっきの鏡子みたいに大声を出したら周りに気を配らなければいけないほど、ここは俺達の命を脅かす場所だ。最弱の森でこんな有様なんだ、これ以上の場所で訓練をしたら命がいくつあっても足りない。そんな、弱い俺達は生きるために力と知恵をつけるために必死にならなきゃいけない。少なくとも、この森を無警戒で進めるくらいに強くな。ユーリさんとか見たか?俺達の警護のためについてきてくれたってのに周りに全く警戒してなかった。それがどういう事か分かるか?ここは、彼女等にとってとるに足らない場所って事だ。無警戒で俺達四十一人を警護できるくらいにな」
やけに饒舌で喋る計の説明に違和感を覚えるがそんな事は気にならないくらいに、計の説明は今の状況について考えさせられるものであった。
ここは安全だった日本とは違う。常に危険と隣り合わせの魔物が巣くう世界なのだ。
そして、自分達の命はこの世界の魔物にとって赤子の首を捻るくらい容易いことなのだ。この世界に来て一ヶ月もたち、日和見な考えは抜けたとばかり思っていたが、自分達が思っている以上に自分達はこの世界を甘く見ていたらしい。
加護があるから大丈夫。普通とは違うから何とかなる。そんな考えがどこかにあったのだ。
荘司達は俯き自分達の甘さを知った。ここにいる五人は頭がいいのでそれを直ぐに理解できたようだった。
荘司は少し俯きがちになりながらも言った。
「そう…だな…確かに…平和ボケしてた……その、すまない」
荘司はそう言うと真樹に対して頭を下げた。
荘司にも漸く理解できたのだ。荘司が美結の精神を危険な状態にしてしまうことで美結が死にやすくなってしまうことに。
美結の心が《幸助の生存》という柱を頼りに今も立ち続けていて、その剣を振るってることに。その柱が、崩れることによりその剣が即座に錆びて鈍くらにってしまう、諸刃の剣だと言うことに。
その事に聡明な四人はすぐに気づいた。
真樹は美結に視線を移すとどうでもよさげに言った。
「分かってくれればそれで良いわ。別に謝罪とかは要らない」
真樹の態度に若干苛立ちを覚えるがそれを押さえつけ顔を上げ、踵を返してこの場を去ろうとする。
「それじゃあ、俺らは行くよ。ここにいても邪魔しちゃいそうだしね…それと」
「まだ何か?」
もう早く行ってくれという思いを隠しもしないで聞く真樹に荘司はせめてもの意趣返しにと口を開く。
それは、この場にいる三人にとって禁忌だった。
「崎三はどうせ死んでる。期待するだけ無駄だよ」
途端、真樹の目が明確な敵意を持って荘司を捉える。その目は荘司を殺さんばかりの威圧と殺意を持っていた。
「今の言葉ーー!」
「今の言葉を訂正しろ荘司」
荘司の言葉に対し訂正を要求しようとした真樹の言葉を意外な人物が遮った。その事に荘司達すら目を見開き硬直している。
「ど、どうしたんだよ…計」
「今の言葉を訂正しろ、そう言ったんだ」
荘司の言葉に訂正を要求したのは計だった。その事はこの場にいる全員(眠っている美結以外)を驚愕させるには充分だった。
真樹は、まさか荘司の取り巻きである計が荘司の言葉に対して訂正を要求するとは思わなかったのだ。それは、鏡子達もそうであった。
だが、荘司はそれ以上の驚愕に計の言葉に驚愕していた。
元々、計は人がよく誰に対しても優しい。そのため日本で幸助に構っているのは計の優しさ故で特に深い意味は無いのだろうと思っていた。そのため、こうして、幸助の事で計が荘司の方に味方に付かなかったことが以外だった。
しかし、それ以上に荘司には意外なことがあった。それは、計が荘司に命令をしたという事実だ。計は先程も言ったとおり人が良い。そのため、訂正してほしいことがあっても言葉を濁したり遠巻きに嫌だと言ったりするくらいだ。その計が、今荘司に命令をしている。荘司は計と幼い頃からの付き合いだが今まで計が荘司に命令することなど一度としてなかった。
この二つのことがあり荘司は他の人以上に驚いていたのだ。
「ど、どうしたんだよ計…そんな怖い顔して…」
「今の言葉を訂正しろ荘司」
「た、確かに言い方が悪かったのは認めるが…事実は事実だろ?だったら、覚悟はしといた方が」
「事実だろうが何だろうが今のは仲間に言って良い台詞じゃない!俺はお前にそんな事を言ってほしくはなかった…」
珍しく声を荒げる計にまたもや驚愕しつつも荘司は確かに言い過ぎたと自分の失言を認めた。
「確かに…これから一緒に戦う仲間に…それもクラスメイトに言う台詞じゃなかった…訂正する。申し訳無い…」
真樹はうんざりしたような顔をすると言った。
「もう良いわ。今の失言は聞かなかったことにするから、早く行って頂戴。このままいても、両者とも嫌な思いをするだけだわ…」
「…ああ、分かった」
そう言うと荘司は今度こそ立ち去る。だが、計だけは残っていた。
荘司達の姿が見えなくなると、真樹は計に声をかける。
「あなたは行かなくて良いの?」
「いや、俺からも謝っておこうと思って。本当にごめん」
「いいわ、紫苑君にも謝ってもらった。だから気にしてない」
「そうか…そうだ、俺も崎三君を捜すのを手伝うよ。そんなに出来ること無いかもだけどさ…」
「…あなたがそう言い出すのは…ちょっと意外ね」
「そうか?」
「ええ、浅く広くの交友関係を築いているんだと思ってたから」
ちょっとだけばつの悪そうな顔をする計を見て真樹はクスリと笑う。
「…まあ、クラスメイトどうしがあんな空気ってなんか嫌だしさ…」
「そうね…もう手遅れな気もするけれど」
「まあ、ここから挽回していけば良いんじゃないかな?元々二人ともクラスに溶け込んでたし」
「美結ちゃんは人気者として、私は空気としてね」
「いや、別にそんなつもりで言った訳じゃ!」
慌てる計にまたもや真樹はクラスと笑う。それを見た計はしょぼくれたように言った。
「酷いな…からかうなんて」
「フフッ、ごめんなさい」
「まあ、いいや。とりあえず、俺も手伝える事は手伝うから、必要だったら呼んでね、んじゃ」
そう言うと、計も今度こそ去っていく。一人で行かせては危険かもと思うがクラスメイト達が休んでいる場所は結構近くなので危険はない。
計の背中を見送った後、真樹は幸せそうな顔で眠り続ける美結の頭を撫でるのであった。
*********************
計は真樹達の元を離れると考える。
計は二人の所にいく途中に偶然に聞こえていた。真樹の「止まりなさい」「美結ちゃんが起きちゃうでしょう?去りなさい」と言う二つの言葉が。そして、この二つの言葉が持つ力も計には聞こえていた。
そのため計は二人のところへ向かう途中で止まってしまった。急に止まった計のことを心配する荘司達に大丈夫だと誤魔化し歩を進めた。歩を進められたのは真樹と計の実力が拮抗していたからで、そのため真樹の言葉に時間は少しかかったがレジスト出来たのだ。
真樹の加護は言葉に力を乗せることだと当たりを付けてぼやく。
「侮れないなぁ…瀬能さん」
皆の休憩場に着くと、いつもと変わらない笑顔で荘司達に近づいた。
もろもろ不安はあるがどうにか皆無事で生きていきたいと思う計。そのためにもまずは欠けた幸助を捜すのが最優先だなと考える計だった。
主人公はもう少し後に出す予定です。
本当にもう少しです。
ちょびっとなんです…