第三話 信じる
桐野美結の精神は転移直後はかなりボロボロだった。
自分が守らなければいけない幸助がいない。自分が守らなければいけないのにだだ。
幸助は美結が守ってあげなくてはいけない。彼女がそう思うようになったのは幸助と初めて出会った時より少したってからだ。
会ったばかりの幸助の目には光が灯っていなかった。両親から愛情を貰えなかった上、その両親から捨てられたに等しい扱いを受けたからか何者にも心を開くことはなく、他者とも関わりを持とうとはしなかった。
幸助の心は堅く閉ざされ、誰も信じず、誰にも期待しない。誰を理解しようともせず、誰に理解もされようとしない。
それが、あの時の幸助だった。
そんな幸助の固く閉ざされた心を開かせたのが美結だった。
それ以降、幸助は何かと美結を頼るようになり美結の後ろをついて回った。
幸助が自分に付いてくるのが長くなってから自然と思うようになった。「ああ、この子にはあたしが必要なんだ。あたしが守らないと壊れちゃうんだ。あたしだけは何があってもこの子を裏切っちゃダメなんだ」と。
そう思うようになってからは、美結は幸助に何かと世話を焼くようになった。
そうしている内に、幸助に世話を焼くのが義務のようになっていった。
結果、美結のその思いは今に至るまでは薄れることはなく寧ろ時を重ねるに連れ強固なものになっていった。
今では、もはや「何があっても守らなくてはいけない」と言う強迫観念にすらなっていた。
そのため、自分の守護対象がいなくなった事による美結の精神的ダメージは周りが考えるよりもかなり深いものとなっていた。
不安定な精神の美結に声をかけてくれる人を怒鳴り散らすことも、口汚く罵倒することも、物を投げたりする事もあった。
そんなこともあり、元々もっていた人望も次第に薄れていき、美結の周りに人はいなくなっていった。
そんな中、唯一声をかけてくれたのが真樹だ。
最初の内は「皆と同じだ。分かった振りをしているだけだ」と思い、真樹にも怒鳴り散らし、罵倒し、物を投げた。そうすれば、皆出て行ってくれる。安っぽい言葉をかけられなくてすむ。そう思っていた。
だが、真樹は何度も美結の部屋に足を運んだ。訓練の合間を縫って、毎日毎日
何回も会いに来てくれた。
この時の美結は、騎士団からも腫れ物扱いをされていた。加護を二つも所持しているが精神はボロボロでまるで使い物にもならない。さりとて、勇者であることには変わりないし、復帰したときは多大な戦力になってくれることは間違い無いので邪険にするわけにもいかなかった。
対して真樹の加護は、それほど使えるものではないらしく周りからは出来損ない扱いされていた。
そのため、そんな腫れ物の美結に会いに行く真樹は傷を舐め合いにいってるなどと馬鹿にされていたりもした。
だが真樹は、いくら馬鹿にされようとも、美結に会いに行った。
そして、あるきっかけを経て美結は自分に対して親身になってくれている真樹に次第に心を開いていくようになった。
だから美結は真樹に対してはかなり心を開いている。他の勇者とは比べ物にならないくらいに。
美結は切り株に座り休憩がてら今までの自分を思い返していた。
「…あの時は酷かったなぁ……」
「何が酷かったの?」
思わず呟いた独り言に返事が返ってくる。見なくても声だけで誰だか分かる。
「いや、真樹ちゃんには凄いお世話になったな~って」
言葉は足りないがそれだけで、何のことか分かったのか真樹も切り株に座り苦笑しながら言った。
「あれは忘れて。キャラじゃ無かったわ」
「忘れられないよ~。だって、あの言葉がなかったらあたしはまだ部屋に引きこもったまんまだったもん」
「止めてよ、恥ずかしいわ」
「恥ずかしい事なんて一つもないよ!真樹ちゃんには、感謝してる」
美結はそう言って真剣な顔をする。
「だから、ありがとう。さっきも、あたしが怒らないように紫苑君に言ってくれて」
「気にしないで、友達なんだし当たり前よ」
「えへへっ、ありがとう」
真樹の友達と言う言葉につい嬉しくなってしまう美結。
こちらに来てから皆に見限られ、友達と呼べる人間は今や真樹一人となってしまった。だから、自分が友人だと思っている真樹の口から「友達」だと言われると嬉しくて仕方がない。
真樹は一度美結の顔色を確認すると言った。
「美結ちゃん少し横になったらどう?寝不足みたいだし、膝貸すから寝な?」
真樹は切り株から降り地面に座ると膝をポンポン叩いた。
美結は少し考えた後膝を借りることにした。確かに寝不足気味だし疲れも溜まってきた。これ以上戦闘するのは逆に危険だと理解していた。
「それじゃあ、借りようかな」
「うん、おいでおいで」
美結も切り株から降り地面に座ると真樹の膝に頭を預ける。少し照れ臭い感じがするがこういうのも悪くはない。
地面から生えた柔らかな芝生と丁度森の開けた場所なので太陽の光が当たりとても心地良い。
そんな好環境だと疲労と寝不足の溜まった美結が眠りに着くのにそう時間はかからなかった。
「おやすみ、美結ちゃん」
真樹の柔らかい安心するような声を聞き、美結は深い眠りへと落ちていった。
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美結は夢を見ていた。真樹が美結に強くなろうと思ったきっかけを作ってくれたときの夢だった。
あの日も、美結は一人部屋に閉じこもり毛布を被って虚空を見つめていた。その目は充血していて、目の下には濃い隈が出来ていた。
幸助の事を考えると碌に眠れないのだ。
美結は転移する前のあの空間での事を思い出していた。
(もしかして、幸助は自分の分の加護をあたしに譲ったのかもしれない…)
それが、美結が考え行き着いた答えだった。
思い返せば、幸助は加護の許容量の事を聞いていた。その時から幸助は自分に加護を譲渡する気だったのかもしれない。いや、もしかするとその前から何かを考えていたのかもしれない。
だが、どちらにしろ今の状況を考えれば大差のないことだった。
結局の所、加護が貰えなかった幸助はメルリアにこれずに死んでしまった。それが答えだ。
そう考えると自然と涙が出てきた。
「うっ…ううっ…あたしは、幸助と…生きたかったよ……加護なんか…いらないよぉ……」
加護なんか寄越さないで一緒にいてほしかった、美結の望みは、願いはそれだけだった。
いつものようにうずくまって泣いていると扉がいつものようにノックされる。
美結は返事をしない。嗚咽を漏らしていてろくに返事が出来ないというのもあるが、返事をしなくても彼女は入ってくるからだ。
「美結ちゃん、いる?」
案の定、真樹は返事を聞かずに扉を開けて入ってくる。
「また、泣いてるの?」
なれたのか、いるのに返事をしないことを真樹は咎めたりしない。変わりに、来る度に毎回涙を流している美結を心配そうに声をかける。
真樹はベッドまで行き腰をかける。
特に何を話すわけでもなくただただ居座るだけ。そんな時間をいつも過ごしていた。
だが、今日は違った。
「……なんで」
「…何でって?」
美結から話しかけることは無かったので多少驚きはするも直ぐに返す。
「なんであたしにかまうの…」
「友達を気にかけるのに理由がいる?」
「どうせ…」
奥歯をギリッと噛みしめ溜まった思いを吐き出す。
「どうせあたしの気持ちなんて分かりはしないわよ!なのにそんな、上辺だけの気遣いなんてしないでよ!どうせ、どうせ皆が言ってたとおりよ!幸助はとっくに死んでる!気にするだけ無駄なんでしょ!そんなこと分かってるわよ!分かってるからさっさとーーーっ!?」
部屋に乾いた音が響き、美結は最後まで言い終わる前に言葉を止めた。
「何するのよっ!?」
驚きも数瞬。美結は頬を押さえて真樹をキッと睨み付ける。
そう、真樹は美結の毛布を剥ぎ取りその頬を平手で叩いたのだ。普段の真樹ならばこんな事は絶対にしない。だが、今の真樹は普段の温厚な真樹ではない。今の真樹は怒っていた。
「この際私のことはどうでも良いけど…」
真樹は美結の胸ぐらを両手で掴むとぐいっと自分の顔に近づける。
「私の事は信じなくても良い。あなたにとって私はそこらの有象無象と大して変わらないでしょう。でも、崎三君はあなたにとっては特別な存在でしょ!!あなたの好きな崎三君の事くらい最後まで信じなさいよ!!」
「っ!?」
「崎三君はここに来る前にあなたになんて言った!?一緒にここに来るって言ってたじゃないの!!その言葉を、あなたが信じないでどうするのよ!!あなたが一番信じてる人の言葉を最後まで信じなさいよ!!それとも、崎三君の言葉は信じられないって言うの!?答えなさいよ桐野美結っ!!」
そうだ。幸助は一緒にいてくれると言っていた。その事を思い出してまた涙が出て来る。
「崎三君は、美結ちゃんに嘘を付いたことあるの?」
無い。この世の誰よりも美結を一番と考える幸助は美結に嘘を付いたりはしない。それは、美結自身もよく分かっていた。
「無い…ないよぉっ…幸助は…あたしに…嘘なんてつかないよぉっ!!」
滂沱のごとく流れる涙で顔を濡らす。
「だったら、あなたの信じた崎三君を信じなさい」
「…うん…うん…」
頷く美結を真樹は自身の胸に抱き寄せる。
「今は、思う存分泣くと良いわ。でも、これからは泣いてる暇なんて無いわよ?」
「え?」
顔を上げる美結に真樹は優しく微笑む。
「早く強くなって崎三君を探しに行きましょう。彼がこの世界のどこかにいる彼をね。勿論、私も手伝うわ」
「真樹ちゃん…」
「崎三君も私の数少ない大切な友人だしね」
「うん…そうだね…探しに行かなくちゃ…きっと幸助もあたしのこと待ってる」
「そう、その意気だよ!」
「うん、でも…」
そう言うと美結は真樹の胸に顔をうずめる。
「もう少しだけ…こうさせて…」
「いいよ、美結ちゃんの気が済むまでご自由に…」
真樹は美結の頭を撫でながらそう言う。
美結は暫くは真樹の腕の中で泣いていたが、泣き疲れたのかそのまま真樹の腕の中で眠ってしまった。
「おやすみ美結ちゃん…今はゆっくり休んで…」
胸に顔をうずめているので美結がどんな顔をしているのかは分からない。でも、明日からは美結は美結自身を追い込むことになる。だから、今だけはせめて安らかに眠っていて欲しかった。
真樹は美結の頭を撫でその体を優しく抱きしめた。
「早く会いに来て…崎三君…」
美結のためを思ってなのか、自分が会いたいからの言葉なのかは呟いた真樹にも分からなかった。
ただ一つ予感として感じていたことは、彼が会いに来てくれれば何かが変わる。
予感として、それだけは何となく感じていた。