第十話 人魔戦争Ⅳ
アリシラの転移魔法により、目の前が急に明るくなったと思ったら瞬き一つする間にレディス荒野に来ていた。
そして、およそ一キロ先には邪悪な覇気を常時叩き付けるように噴き出させる存在がいた。邪神の覇気が濃密すぎて、邪神の周りに黒い靄がかかったようになっており、シルエットでしかその形を捉えることができない。
二人は、直感でそれが邪神なのだと悟った。
「悪しき者を打ち滅ぼし、我が道を光で照らせ――――!!」
アリアは邪神の姿を、確認するや否や右腕を天に突き上げ、詠唱の最後の一説を詠む。
最後の一説を詠み終わると、今まで雲一つなかった空に暗雲が立ち込める。
そして、突き上げた右腕を振り下ろす。
「撃ち滅ぼせ!!神罰魔法!!《雷霆》!!」
暗雲から極大の雷が邪神に向かってその体を貫かんと降り注ぐ。
邪神に《雷霆》が当たり、轟音が鳴り響く。
衝撃が地面にまで伝わり砂埃が舞う。砂埃に包まれ邪神の姿は確認できない。
あれだけの轟音を放ったのだ。普通の者であれば《雷霆》がその身にかすりでもしたら即死だろう。普通の者でなくても、大ダメージは免れない。
だが、二人は確信している。
邪神はまだ死んでいない、と。
理由は至極簡単だ。邪神の覇気が少しも弱まっていないからだ。それは、相手の姿が見えなくともひしひしとその肌で感じることができる。
恐らくは、邪神の方は無傷であろう。アリアがそう確信し次の魔法を撃とうとしたその時、突如として突風が吹き荒れ邪神の周囲を包んでいた砂埃が飛散する。と同時に、邪神を包んでいた黒い靄もいくらか飛散する。
よくよく注視してそこで初めて、アリアは邪神がどのような形をしていたのかを理解する。
初めて見たときのシルエットから大きさは大体わかっていた。大きさ的には約二十メートルはあろう巨体だ。
その巨体を支えているのは四足獣の胴体だ。四足獣は頭から尻尾までありおよそ獣といった風貌であった。しかし、普通の獣と違うのはその身が黒々とした鎧のような硬質な皮膚に覆われていることだろう。
闇を体現したかのようなその皮膚は光を鈍色に反射させ、皮膚とは思えないような硬質的な威圧感を放っていた。
そして、四足獣の腰のあたりには人の上半身のようなものがついていた。ような、と言うのも、その上半身の右腕は自身の身長よりも長い大剣のようになっており、その左腕はタワーシールドのようなものになっていたからだ。
その上半身も硬質な鎧のような皮膚で覆われており、さらに人間らしさを感じさせない外見をしていた。
邪神の大剣が体の右後ろに来ていることから、邪神は大剣を振りぬき周囲の砂埃を飛散させたのだろう。
完全に姿を現した邪神に、アリアとロズウェルは戦慄を覚える。
邪神の硬質な鎧皮は、怨嗟、怨恨、憎悪、愛憎、悔恨、様々な負の感情が伝わってきたからだ。それも、一人分のではない。
数百。いや下手をしたら千、二千は容易に超えるほどの負の感情が伝わってくる。あまりに濃密すぎる負の感情に、それが直に肌を撫でて後ろに通り過ぎていくかのような錯覚を覚える。
「っ!?」
そして、アリアは何かに気付いたように顔を跳ね上げると、邪神のある一点を注視した。
そこは、邪神の胸部にある赤い球体であった。
そうして、愕然とした表情でポツリと漏らす。
「………バルバロッセ?」
○ ○ ○
「そろそろかしらね?」
アリア達が邪神と対峙している頃、セリア大森林には今回の進軍の指揮官であるバラドラムがいた。
アリアが《獄炎地獄》で焼き払った地帯にはもう大人の腰ぐらいはありそうな木が生えていた。
この、セリア大森林の土壌は栄養価が非常に高い。また、地中の魔力濃度も濃いためその魔力を吸い取った植物が、魔力によって成長を促進される。そのため、セリア大森林の植物は成長が早いのだ。
だが、大人の腰程度の木であれば対して邪魔にもならない。枝もまだそれほど広がっていないので、大したスペースも取らない。
陣をしくにはすこしばかり不便な場所ではあるが、そこまで大層な陣を敷くつもりもないので問題は無い。
今回の進軍の総数は一万。クロウウェル平原に回り込んだのは二千。セリア大森林にいるのは千。ハルデア平原にいるのは二千。そして邪神の後方に控えさせている後続部隊の五千だ。
うち千人がセリア大森林に割り当てられているが、今は千人全員がいるわけではない。
重要な役割を担う者以外すでに進軍を開始させている。
「ええ。邪神の転移は先ほど済みました」
バラドラムの言葉に鉄面皮メイドのシューが答える。
「そう。それで、何人死んだと思う?」
「分かりかねます。レディス荒野には兵が配置されていませんでしたので。邪神が王都まで侵攻していれば―――」
「ああ、違う違う」
シューの説明を遮り、バラドラムは彼女の説明を否定する。
何が違うのかと、シューは主に首をかしげて問いかける。もちろん、疑問を浮かべたような顔をせずに相変わらずの無表情でだ。
そんな相変わらずのシューの様子にバラドラムはくすりと微笑みながら答える。
「邪神を転移させるのに使った魔術師が、どれくらい死んだかなってことよ」
バラドラムの言葉に、シューは得心がいったと言うように頷く。
「そうですね。搾りかすも出ないほどに魔力を使わせたのですから、三百人中十人生きていればいい方でしょう」
邪神をレディス荒野に転移させるのに、魔王軍の魔力保有量の多い魔術師を三百人使った。それも、術を発動させるためにではなく、術を発動するために必要な魔力を供給させるためにだ。
つまり、三百人の魔術師はただのエネルギー供給体であり、魔法を発動させたのはまったく別の者であった。
魔王軍最強の魔術師モリス・デストナ。魔位は侯魔。バラドラムの一つしたの位で、クレドリックと同じ位の者であった。
現在、魔王軍に公魔は一人。侯魔が四人いるのだ。最高位が公魔なので、その一つ下と言うことはその実力はトップクラスだ。
魔位は、血筋や家名で決まるわけではない。魔位はその者の実力によってつけられる。
バラドラムが公魔と言うことは、バラドラムは魔王軍での魔王を覗いた序列の一位と言うことになる。
クレドリックや、モリスはバラドラムに一歩及ばないものの、その実力は相当なもので、侯魔の位にいるのも納得のいくものであった。
実は、クレドリックやモリスは実力的にはもうすでに公魔に上げてもいいのだが、バラドラムに対する対抗心をうまく刺激して実力の向上を狙っているので、公魔に上げていないのだ。
閑話休題。
ともあれ、そんな魔王軍に所属する、最高位の魔術師が弱いわけはない。それであるにもかかわらず、魔力保有量の多い三百人の魔力を必要とするのにはそれなりの理由があった。
まず、転移魔法には膨大な魔力が必要だ。それも、当たり前のことだが距離が遠ければ遠いほど使用する魔力量も増えていく。
そのため、邪神をできるだけ近場に運んでの転移なのだが、それでも邪神と言う規格外の存在を転移させるのには、人一人を転移させるよりも何十倍も魔力が必要であった。
だが、おそらくは三百人だけは足りなかったのだろうと推測する。その土地の周囲の魔力までも使い切って転移させたのかもしれない。
憶測ではあるが、あながち間違ってもいないとバラドラムは思っている。それだけ、邪神と言う存在は何をするにしても規格外なのだ。
「まあ、何百人死んだところで今更なんだけどねー」
「そうですね。邪神を満たすのに二千人以上の命を奪ったのですから。二百余人程度増えたところで差異だと思います」
シューの肯定の言葉にバラドラムはクスクスと笑う。
「文字通り《奪った》ものねー」
命を奪う。言葉の意味としては相手を殺した、といった意味だが、二人が言っているのはそういうことではない。
「要領つかんだから途中から無詠唱でできるようになったしね」
そう言いながらバラドラムは自身の右手をワキワキさせる。その右腕には何やら模様のようなものが書かれていた。その模様は、バルバロッセの魂を抜き取ったさいに見せたものと同じであった。
そう。バラドラムが《奪った》と言うのは《抜魂》を使ったと言うことなのだ。
まあ、魂を抜かれてしまえば死んだも同義なので殺したと表現する方でも間違ってはいないだろう。
「まあ、二千人の魂を奪うのも、骨が折れたけどねー」
バラドラムはその時の作業を思い出したのか、少しばかりげんなりした表情で言う。
二千人分の魂を抜きとるのは、いくらバラドラムであっても容易ではない。しかも、抜き取る魂はどれでもいいと言うわけではなかったのだ。
バラドラムが欲していたのは、怨恨、嫉妬、憎悪、愛憎などのおよそ悪感情と呼ばれている、負の感情を強く宿した魂であったのだ。
その負の感情を強く宿した魂を二千人分。容易に手に入れられる数ではない。だがしかし、それはその条件に合った魂を《探せば》の場合だ。その魂を《作る》分にはあまり苦労はない。
魔王軍は、敵軍の捕虜を使い、負の感情を強く宿した魂を作っていった。
男は拷問にかけられ、女は一昼夜毎日のごとく犯された。そうするだけで、すぐに負の感情を強く宿した魂は作られた。
たまに、発狂してしまい正も負も曖昧になってしまった壊れた魂を作ってしまったが、この方法であればコストはあまりかからないので、失敗してもあまり痛手にはならなかった。
拷問好きの奴に男を送り付け、女好きの奴に女を送り付ける。たったそれだけのことをするだけなので、手間はそれほどかからなかった。たまに、男好きの男のところに、男を送り込んだりもしたが、それも差異でしかない。やることは同じなのだから。
なぜ、二千人分の魂が必要だったのかと言えば、邪神の《抜け殻》を満たす必要があったからだ。
実は、邪神は二体目が確認されていた。その二体目は、魔大陸に現れたためにメルリアやクルフトなどはその存在を感知することができなかった。
魔王軍は、これを一万人以上の戦力を用いて討伐。結果、生存者は魔王を含めて百数人程度であった。
その時の魂の抜けた抜け殻を、魔王軍は研究していたのだ。
そうして、二つほど分かったことがあった。
一つは、その抜け殻が負の感情に強く反応を示したことにより、体の一部に負の感情を持つ魂を与えたところ、強いエネルギーが生じたこと。それによって、邪神のエネルギーが負の感情であることだ。
次に、邪神を制御していたものの存在だ。邪神は、負の感情をエネルギーとするがそれを制御しているのは負の感情とは違うものだった。負の感情を取り込むまでは良いが、制御ができないため悪戯にエネルギーを生成して消費するだけであった。
研究が行き詰ってきたころ、転機が訪れる。
当時、勇者のうちの一人を倒した魔人族がいた。その魔人族はいろんな環境の変化による邪神の変化を調べるために、邪神の欠片を肌身離さず持っていた。
そして、勇者を倒したときに、邪神の欠片が強い反応を示したのだ。
そうして、その現象を調べていくうちに邪神を制御するものが何なのかにたどり着いた。
それは、現世に強い未練を残した英雄級の魂であった。その魂がコア、すなわち制御装置となり、負の感情により生成されたエネルギーを制御していたのだ。
ただ、殺戮行為を行うことから、未練はあれどもその未練を成し遂げるために行動するわけではないと言うことだ。
おそらくは、未練のある英雄級の魂は、他の負の感情をこの世に留めるための楔として使用されている。その役割にキャパシティの殆どを持って行かれた結果、感情の無い殺戮行動を繰り返しているのだろう。
この二点をまとめると、つまりこういうことだ。
邪神は、人々の負の感情を操った一人の元英雄なのだ。
つまり、神でもなんでもない、負の感情をまき散らす、救われなかった人たちのなれの果てと言うことなのだ。
「さて、長年研究に使われて少しばかり劣化しているとはいえ邪神は邪神。はたして女神さまは勝てるかな?」
バラドラムはそう言うが、邪神の力は本物であるため、邪神の勝利を疑ってない。例え、魂がいくらか足りない未完成なものとはいえども、十分な戦力を保持している。
バラドラムは余裕の笑みを浮かべると、指示を出す。
「わたしたちもそろそろ仕事に取り掛かりましょう。この戦争…いえ、戦争にすらなりはしないわ。この、殺戮劇を成功させましょう?」
バラドラムの言葉に、部下たちは鬨の声を上げた。




