第九話 人魔戦争Ⅲ
邪神。アリシラは確かにそう言ったのだ。
邪神と言う単語を聞き、三人に戦慄が走る。
「………嘘、だろ?」
アリアは、アリシラの言ったことを否定したくてそう漏らした。
邪神と言えば、その発生原因も、その正体も、その行動目的も不明である、謎に満ちた者だ。ただ一つ分かることは無差別に全てを破壊しようと言う破壊衝動らしきものがあると言うことのみ。それ以外は、謎に包まれていた。
それもそのはずで、邪神は過去に一度しか出現していないのだ。その邪神が出現した四百年前は大陸中の被害は甚大で、研究どころではない。なにより研究対象の破片一つ入手ができないのだ。研究もしようがなかった。
未知の領域に存在する邪神。対抗策なども分からず、何が弱点であるかもわからない。そのことが四人を戦慄させるまでに至った。だが、それだけが理由ではないのだ。
一度だけ現れた邪神を倒したのは初代女神アリアと初代アリアの従者である、ロクセント・アドリエだ。しかし、この戦いは完全なる勝利ではなかった。
なにをもって完全なる勝利と言うのかはその時その場の条件によって異なるが、その時の完全な勝利の条件は邪神を倒し、かつ二人が生還することであった。
しかし結果は邪神を倒すことは叶ったものの、ロクセントが死亡するという痛み分けと言う結果に終わった。
圧倒的強さを誇った女神アリアとロクセントの二人がかりでさえ、片方が死ぬと言う結果に終わってしまったのだ。
その事実が、四人に戦慄を覚えさせた大きな原因であることはまず間違いなかった。
だが、アリシラは慄いた顔をきっと引き締める。ここで慄いてばかりもいられないのだ。早急に手を打つには早急な現場指揮が必要になる。
ただ、その顔色が少しばかりすぐれないのはいたしかたないことだろう。
「ここで慄いてばかりもいられないわ。早急に手を打ちましょう」
「…そうだな」
アリシラの言葉につられ、三人も一気に表情を引き締める。
恐怖を抑え込み戦うことに気持ちを持って行くと、アリアは気になったことをアリシラに聞いた。
「アリシラ。お前が最初に反応できたのは、見えたからか?」
先ほど、邪悪な気配を感じたときに、アリア達は同時に気付いたのに、アリシラだけがいち早く気づけたのだ。
あの気配は魔力など乗っておらず純粋な威圧感だ。
いくら危機察知能力が優れていようとも彼我の距離は相当離れているに違いないのだ。感知するにも遠距離であればその個人差はあまり意味をなさないだろう。
それなのに、一瞬とはいえいち早く察知したアリシラには、何かしら別の方法で察知できる手段があったと言うことだ。
アリアはその手段を一つしか知らないし、おそらくそれが答えでいいだろう。
アリアの質問にアリシラは頷いて肯定をしめす。
「あなたたちより一瞬早くだけど《予知》が発動したわ」
「もっと早く発動しなかったのか?」
「いつも言ってるでしょう、フーバー。ワタシの《予知》も万能じゃないの」
アリシラの《予知》はいつ発動するか、どれくらい先の事なのかが曖昧で、しかも本人の意思で発動することが叶わないのだ。
だから、《予知》が早く発動しなかったのを責めても、それはお門違いと言うものだ。
「とりあえず、今はそれどころじゃない。フーバー、私とロズウェルが向かう。異論はないな?」
「ああ。異論無しだ。アリシラは当初の予定通り最終防衛ラインについてくれ」
「了解」
「かしこまりました」
「わかったわ」
それぞれ返事をすると、準備に取り掛かかる。
三人は部屋から退出し、フーバーは伝令に指示を伝える。
フーバーは険しい顔になると、自分のできることの少なさに歯噛みする。
こういう時、駆け回って皆の力になりたいが《王》と言う立場がそれを許してくれない。
座して戦況を動かさなくてはいけないことと、天災に匹敵する災厄にアリアとロズウェルを対峙させなくてはいけないことに苛立ちを覚える。
だが、どんなに苛立ちを募らせようが、フーバーにできることはそれだけだ。
「任せたぞ……死んでくれるなよ……」
もう親しい人間が死ぬのはこりごりだ。
両親の死とバルバロッセの死でそのことは、痛いほど痛感している。しかも、バルバロッセに関しては自分の采配ミスと言うこともあるのだ。悔やんでも悔やみきれない。
二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、フーバーは全神経を尖らせた。
王城の廊下を走りながら三人は作戦会議めいたことをする。
「アリシラ。転移魔法って使えるか?」
「ええ。使えるわよ?」
「それじゃあ、私を邪神の目の前に転移させることってできるか?」
アリアの提案にアリシラは難しい顔をする。
「できなくはないと思うけど、それはおススメしないわね」
「どうして?」
「相手の出方が分からないからよ。転移した先で急に攻撃されることがあるかもしれないでしょう?」
アリシラの言葉に、アリアは確かにと頷く。
「普段の私なら遠視の魔法も使えるんだけど、どういうわけか邪神がいるであろう位置が見えないのよね。肉眼で確認しようにも、ワタシは最終防衛ラインから離れられないし………」
「それじゃあ、邪神のいる範囲の一キロ手前には送れるか?」
「それなら可能よ。でも、相手の出方が分からない以上、やっぱりおススメできないわ」
相手は三人にとって未知の領域《邪神》だ。どんな攻撃手段を有していて、どんな対策を練ればいいのか全く見当がつかない。そのため、あまりリスクの高い作戦は取るべきではない。アリシラはそう考えている。
だが、アリアの考えはそうではない。
「危険は承知だ。相手は邪神なんだ。危険が無い方がおかしい」
「それじゃあ……」
安全策を取るべきだ。そう言いかけたが、その言葉は声となることはなかった。
アリアの目が今までにないほど真剣で、今までにないほど覚悟に満ちているからだ。
「一瞬一秒の躊躇いで誰かが死ぬかもしれない。だから私は私の身を危険にさらすことをいとわない。それに……」
アリアはそういうと隣にいるロズウェルを見る。
「私は一人じゃない。ロズウェルがいる。二人で戦えば、怖いものなんてないさ」
それはアリアの偽りのない本心。一片たりとも疑うことの無い信頼。
ロズウェウルはそれを受け、薄く微笑む。
「私がいればアリア様に負けなどありません」
ロズウェルの言葉を聞くと、アリアは頷く。そして、アリシラの方を見つめる。
「だから頼む。送ってくれ」
その瞳は、まっすぐにアリシラを見つめており、折れることはなさそうであった。ロズウェルも同様に折れることの無い真摯な瞳を向けていた。
「転移してどうするの?」
「一発どでかいのをぶち込んでそのまま畳みかける」
「もし、相手も同じことをしてきたら?」
「私の全身全霊を持って相打ちに持ち込む」
「もし、相手にダメージが無かったら?」
「魔法がダメでも接近ならダメージを与えられるかもしれない。そうなればロズウェルの右に出る者はいない」
「………」
「なんにせよ、分の悪いかけじゃないはずだ」
確かに、アリアの言うことは合理的であるし、今考えられる中で最良の判断でもあるだろう。
折れるのはアリシラの方であった。
「………はぁ。分かったわ」
溜息一つ付いた後了承するアリシラ。
すると、急に走るのを止める。
「さすがの私でも走りながらの転移はきついわ。それに、ジャミングされているようでよく魔力を練らないと座標を固定できないのよ」
アリシラの言葉に納得したアリアとロズウェルもその場に立ち止まる。
アリシラが集中し始めると、膨大な魔力がアリシラからあふれ出す。
その光景を見ながらアリアはロズウェルに言う。
「それにしても、さすが私の自慢のお兄ちゃん。曲がりなりにも神相手に勝利宣言をするとはな」
「当然です。私の役目はアリア様を阻むすべての害悪を退けること。たとえ神であろうと、退けてみせます」
「……ロズウェルがそう言うと、本当にそうなりそうだな」
「なりそう、ではありません。そうしなくてはいけないのです。私が…いえ。私たちが勝たなくては、皆が傷つき命を落としていってしまうのですから」
「分かってるよ」
ロズウェルが言ったことはよく理解している。
アリアとロズウェルが負けてしまえば、その分だけ邪神にあてがわれる兵の数が増える。普通の兵ではものの数にもならないだろう。恐らく、足止めも満足にできまい。それを理解させるには、邪神から漂ってきた邪気は十分すぎた。
だから、死ぬわけにはいかない。皆を死なせないためにも。帰りを待ってくれている人たちのためにも。
「アリアちゃん。そろそろ跳ばせそうだから、準備をしておいて」
「了解した」
アリシラに言われ、アリアも魔法を練り始める。
「我が行使するは神をも貫く雷なり――――」
アリアが魔法を、詠唱をしながら行う。
「キュクロプスは我に雷を、弟らには三叉矛と兜を――――」
それすなわちアリアが行使しようとしている魔法が普通ではないと言うことだ。
「それは魔法の神器。神々すら恐れをなし、神々すら死に至らしめる力――――」
ロズウェルもアリシラも、アリアが詠唱をするときに使う魔法など一つしか知らない。
「ゆえに我は行使する。邪なる神を倒すために。暴君たる神王を倒した、かの最高神のように――――」
「準備ができたわ!!飛ばすわよ!!」
アリシラの言葉に、アリアは言葉に出すことはなく頷いて肯定を示す。
詠唱の途中で喋れないアリアに代わって、ロズウェルが言う。
「お願いします」
アリシラは一つ頷くと、魔法を発動する。
「《転移》!!」
瞬間。二人の足元に魔法陣が展開する。
そうして、ひと際激しき瞬くと、次の瞬間には二人の姿はその場から掻き消えていた。
アリシラは、二人が先ほどまでいた場所を見つめる。
「頼んだわよ、二人とも」
あの二人は、現状況下でのメルリアの最強戦力だ。あの二人が同時に戦って負けたとなれば、アリシラでも邪神に勝てるかどうかは微妙なところであった。
相手が疲弊しているとはいえ、曲がりなりにも神なのだ。勝てる保証などどこにもない。
それに、邪神から感じた邪気からは少しだけ違和感を覚えていた。
何と言うのだろうか。幾ばくかの懐かしさを感じたのだ。
だが、その考えに至るや否や、何を馬鹿なことをと、アリシラは頭を振る。
(今は、考えるよりもやることがあるわね)
考えるのはフーバーの仕事だ。アリシラは自分にできることをするだけだ。
そう考えをまとめるとアリシラは、止まっていた足を動かし、自分の持ち場に向かっていった。
邪神が佇むのは、王都の真正面に位置するレディス荒野であった。
未だ、メルリアの兵すらいないその場所に、突如として魔法陣が浮かび上がり、人影が姿を現す。
その人影はその目に邪神をとらえると、右手を天に突き出す。
「悪しき者を打ち滅ぼし、我が道を光で照らせ――――!!」
雲一つとしてなかった空が突如として暗雲に包まれる。
詠唱の最後の一説を終えると、その人影――――アリアは、天に突き上げた右手を振り下ろす。
「撃ち滅ぼせ!!神罰魔法!!《雷霆》!!」
立ち込める暗雲から極大の雷が邪神に落とされた。




