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最終話『げーじつ家にとって、一番大切なもの。』

謙二は画家として着実に知名度をあげ、40歳という若さで平沼謙二記念美術館が建立されるほどになった。助手の芙美子も、そんな謙二の画家活動を陰から支えながらも、自ら執筆したケータイ小説が大ヒットして、ちょっとした印税で家計を潤していた。



「芙美子さーん? 芙美子さーん??」

謙二はまだ慣れていない新居の中で、芙美子を探すのが大変だった。昔ならば6畳二間のおんぼろ貸家だったのに、今は3階建ての立派な豪邸になったので、広々としすぎていたのだ。

「あ、はーい!なんですか、謙二さん」

謙二の呼ぶ声に気付き、芙美子さんは途中何回かこけながら謙二のいるアトリエに行った。


「なんですか?謙二さん」

「お茶持ってきてくれる?」

「あ、はい。今、持ってきますねー」


謙二は次の二科展に向けて、新しい作品をどうしようかと、アトリエを眺めながら考えていた。そんな謙二のアトリエには、過去自分の手がけてきた作品がずらりと並べられおり、その一つ一つの作品にそれぞれ思い入れがあった。


『奈々』は、謙二が初めてゴリラ画に挑戦した佳作であり、その作品をきっかけに彼の知名度があがったのだ。モデルの奈々は、その後5年後に病気で亡くなってしまったが、彼女が産み残した6頭の子供たちは、今日も元気にゴリラ通信のための認定ゴリラになるために訓練をされているのだという。


『あヽメーテル、俺様を地球の外に連れ出してくれ』については、あの松本零二のソックリさんである松本零次郎さんも絶賛した作品だ。中央の便器のようなオブジェが大宇宙に漂い、ノスタルジックな雰囲気の中に、どこか安堵感を感じさせてくれる。そんな優しい作品だった。


そして、謙二にとって忘れもしない思い出はなんといってもタコだった。お金がないときは、決まってタコ漁にでかけた。そして、それを助手の芙美子さんがありとあらゆる工夫を凝らしてさまざまな料理を作ってくれた。タコの料理にこんなにもバリエーションがあるんだということを世の中に知らしめるきっかけとなった絵も、彼にとっては代表的な作品となった。世界的なオークションで、1000万円にもかけられた『これぞ真蛸のてんこ盛り』は、地元生口島の地域復興にも貢献した名誉ある作品になった。



「謙二さん、お茶をお持ちしましたー」

「あ、そこに置いといて」

「はぁ~い、あ! きゃっ!!!」


がっしゃーん!


芙美子は36歳になってもどじっ娘ぶりが健在で、ほぼ毎日のように湯呑茶碗を壊していた。

「また、壊したのか… もうそろそろさ、ちゃんと持ってこれるようにはなれないのかな?」

「ごめんなさい、本当にごめんなさい!」芙美子は涙目になった。

「いいよ、泣くなよ。僕は、そんな芙美子さんのことが好きなんだから」



次の二科展では、謙二は自身にとって生涯で一番描きたかったものを描きたかった。

夕御飯の準備をする芙美子さんは、いつもように鼻歌を歌いながら、ししゃもの「隆司」とか「シャノアール」やらを焼いていた。


「謙二さ~ん! 隆司とシャノアールとその仲間たちが焼けましたよー」芙美子さんが笑顔で、焼いたししゃもを食卓まで運んだ。そして、近くでとれたわかめたっぷりの味噌汁、ゆず漬けの大根のおひたし、白飯、焼きプリンなどが運ばれた。

「いただきまーす☆」いくつになっても少女の面影が消えない芙美子さんの笑顔をみながら、謙二も夕食のししゃもであるシャノアールを口に運んだ。


「ねえ。芙美子さん」謙二は食事中、芙美子さんに声をかけた。

「なんですかぁ?」芙美子は、加えていた隆司をいったん皿においた。

「あのお願いがあるんだけど」

「お金の相談なら、黄色い看板があるところにいけばいくらでも貸してくれますよ?」

「そうじゃない。…ていうか、黄色い看板で借りたら、それこそ東京スターなんとか銀行におまとめを相談するはめになるだろうに。お金はもうたくさんあるからいいんだ。それより、、」


謙二の相談は、次の二科展に出す作品では女性のヌードが描きたいということだった。

「いいんじゃないですか? それでは、モデル事務所に電話しておきますね」

「ううん、僕が描きたいのは芙美子さんなんだ」

「えっ?! 私でもいいんですか? 謙二さんが望むのでしたら、お受けいたします」



明くる日、謙二はアトリエで大きめのキャンバスを準備しているところに、和服姿の芙美子さんがやってきた。

「ど、どうでしょうか? 和の雰囲気を出したいとおっしゃってましたので、私の母からゆずってもらったものに袖を通してみたのですが…」

「綺麗だよ。芙美子さん」


キャンバスの前方にはベッドが準備されていた。そこで芙美子は身につけていた半衿を肩から下ろすと、徐々に彼女の白い肌が露出していった。芙美子は、顔を紅潮させながらも身につけていたものをすべて、謙二の作品のために脱いだ。


「ちょっと恥ずかしいです…」

「ごめん、でもこれは最高の作品になる。だから、僕を信じてほしい」


制作時間は約6時間にも及んだ。その間、芙美子は休憩中には、ポテチをたべたり、フライドチキンを食べたり、ひねり揚げなどを食べたりしていた。しかし、謙二はトイレにもいかずにただキャンバスに向かってもくもくと描き続けた。それは、本当に全身全霊を籠めた、渾身の作品にするための情熱以外のなにものでもなかった。


「芙美子さん、完成です!」

「ぜひ見せてください!!」

芙美子はバスローブを身につけてから、謙二のところに近づき、描かれたキャンバスを覘くと、そこには芙美子をモデルとした裸婦画が描かれていた。


「これって…」芙美子は思った。


そう。

そこに描かれていたのは、芙美子が17歳のとき初めて描いてもらった肖像画と同じ構図でヌードになっているものだった。背景には、瀬戸内海の青い空や緑の島々が広がり、小さな港には漁船がひしめきあい、その中心に芙美子がいた。その芙美子は、当時のままの幼い笑顔で謙二にそっと微笑みかけている。そんな裸婦画だった。


「僕は初めて君に会ったときから、この絵を描きたかったんだと思う。僕たちが過ごしたこの瀬戸内をバックにね、いつまでも変わらない”美”を残したい。そう思ったら、自然と君の笑顔が浮かんだんだ。ありのままの君を、やっと描くことができた。芙美子さん、今まで本当にありがとう」

「私こそ、本当にありがとうございます!」



謙二と芙美子はその後正式に結婚し、そして二人の子供を産んだ。


画家平沼謙二はその生涯を閉じるまでに、何枚も何枚も同じ瀬戸内の風景を舞台とした自然画を描き続けた。芙美子の方もその後にいくつかの小説を残していった。なかでも、多くの人々の記憶に刻まれた長篇『タコと共に生きた記憶』は、自身の自叙伝として、夫の画家活動を陰から支えたときの奉仕と感謝の思いが綴られていた。



そして、謙二の人生の中で最後の裸婦画となった『芙美子』は、今では平沼謙二記念美術館の最中央部にかけられている。



その作品解説の中で、謙二はこう言葉を遺していた。


”僕はなによりも美しいものを残したかった。

 目では見ることのできない、揺るぎない想いを。


 この島に来て、僕は初めてそんな愛したいものに出会った。

 そして、愛のないところに美がないことを同時に知ったから、

 僕はその思いを永遠に残したくてこの作品を描いたのです。

 

 ぜひ、この絵を見たすべての人に、

 永遠に残る「美」とは何かを感じて欲しいと思っています”




(おわり)

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