第1話『夢とロマンを求めて、いざ瀬戸内へ。』
タヒチといえば、そう青い海、黒い蜘蛛、赤いきつねと緑のたぬき。南海の島々、最後の楽園、それがタヒチ。
そんなタヒチで激動の作品を描きつづけた画家といえば、そう、ゴーギャンだが、そんな生き方に憧れていた一人の男がいたのだった。その男の名こそ、平沼謙二という。
彼は小学校でも、中学校でも、高校でも、大学でも、考えてることはエロ本のねえちゃんのことばかりだった。げーじつってなんだろうと真剣に考えはじめたのが、その集めに集めたそれらの本のレイアウト、構成、色使いにあきれ果て、謙二は、げーじつ家になることを決意したのだ。
そもそも、謙二には友達と呼べる友がひとりもいなかった。話相手がいないという孤独を味わってきた少年時代の謙二の心を癒した唯一のホビーこそ、げーじつだったのだ。
げーじつはすばらしい。謙二はびじつの時間になると、目を輝かせながら、げーじつを楽しんだ。周りの人間には、彼のげーじつのすごさがわからなかったくらいすごい絵だったらしいが。
大学まで進学した彼が、突然本格的にげーじつ家を目指そうと思い出したのは、彼が大学3年の秋のことだった。秋の読書でも堪能しようかと手に取った一冊の小説「俺様、天秤でもなんでも売ります」の中の主人公アドミック・プギャンが最期に言った一言、
『コンドルが飛んどる…』
という言葉が、彼の純粋なバカにスマッシュヒットしたのだ。普通だったら、ここで蹴りを3発くらいかましてやりたいくらいの次元低すぎのギャグをまともに受けたのだ。
彼は、げーじつの拠点として、日本のポリネシア諸島と呼ばれ、かつて平和げーじつ親善大使にもなった平○郁夫大先生が生まれた生口島、そうしまなみ海道に移り住むことにした。ここのとなりの島、因島にもかつてポルノを広めたヤングマンがいたと聞く。そんな、海と島に囲まれたしまなみ海道を中心とした瀬戸内の風景に包まれながら、謙二はあくなきげーじつ家の道と踏み出していったのだった・・
(つづく)