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VSすこやか屋上保安会

作者: 緒明トキ

 晴天の候。

 故郷のそれよりよっぽど乾いた空気を吸い込んで、私は笑みを深くした。

 この汚らしい星ともついにお別れだ。そして、エリートとしてのさらなるキャリアアップの道が開けるのだ。

 別れの感慨よりも輝かしい未来へ思いを馳せ、私は金網へと足をかけた。

――のだが。



「おいてめえ! 何してやがるオラァ!!」

「うっ!?」



 巻き舌まじりの怒声と共に脇腹に衝撃を感じ、目の前に白い光が舞う。

コンクリートに叩きつけられて初めて蹴られたのだと気づき、私はむせながら視線を上げる。

 と、人相の悪い金髪男――いわゆる不良が、短い眉の下の目をぎゅっと眇めて私を睨みつけていた。断じて恐怖故ではないが、思わず体がびくりとはねる。

 答えられない私に業を煮やしたのか、不良は私の前にしゃがみこんだ。なんと右手には火のついた煙草を持っている。断じて恐怖故ではないが、思わずひっと息をのんだ。

 男は眉間のしわを深くして、左腕のファンシーな腕章を引っ張って見せながら、胆が据わった私でさえいささか動揺してしまうようなたいへん低い声で言った。


「すこやか屋上保安会だ。屋上ダイブする前に事情話せや、なァ」


――すこやかとは。

 右手の煙草への疑問をはさむ間もなく、私の口からは自動的にいつもよりビブラートのかかった返事が漏れていた。




 私はこの地球の生まれではない。出身はかの有名なゼルフィス星である。

 自分で言うのもなんだが、私はこの辺境の銀河までは数回のワープを要する先進星で英才教育を受けて育ったエリートだ。

 今回は我らが住みよい水資源の多い星を侵略し、観光開発を行うという職務を負って地球へと派遣されている。ここは富裕層向けのエキゾチックなリゾートとなる予定だ。

 五年の調査を経て地球が侵略可能だと判断した私は、今日ワープポイントをこの学校の屋上にセットし、帰還のためにここから飛び降りるつもりだった。

 二階を通る辺りでわが星が誇る先進技術で作り出された精神捕捉ネットが私の精神をキャッチし宇宙船に転送する。

 同時に抜け殻となった地球人男子高校生の肉体も自殺という形で処理できる。まさに一石二鳥のシステムだ。

 そして宇宙船に待機させてある私の体に意識を戻し、ゼルフィスへ帰還。報告会に出席後、故郷の料理を味わって、すぐに地球侵略の用意を整え、再び出発。

 そして私の指揮の下侵略を完了する、という予定だ。

 だからワープポイントの効果が切れる今日の午後五時までに私はここから飛び降りなくてはならない。

――なんてことは勿論機密事項であるので、こんな不良ごときに言うわけにはいかないのである。



「だから何で死にてえんだてめえ。いじめられてんのか? あ?」

「いや、そういうことではなく……とにかく飛び降りさせてはくれないか、死なないから」

「あ? 実質四階だぞここ。いくらなんでも死ぬだろ。馬鹿かてめえ」

「いや死なない。飛び降りるだけだ」

「だからそれしたらもれなく死ぬんだっつの」


 ものわかりの悪いこいつは全く譲ろうとしない。眉間にしわを寄せたまま、じろりとこちらを睨みつけている。

 まさかこんなところで邪魔が入るとは。私は舌打ちをしたい気分を堪えて時計を見た。

 余裕を持って出てきたのに、あと三十分しかない。

 私は明晰な頭脳をフル回転させた。


「じ、実はその、ほら、ここから三階のベランダへ飛び降りられるか賭けをしているんだ」

「ふざけんなモヤシ野郎。無理だからやめとけ」

「モヤシだと!? 私にだって、し、しっかり計算をすればだな……」


 故郷では見目麗しいエリートで名が通っている私は、一瞬自分の体のことを忘れて声を荒げてしまった。

 そういえば今はこの不格好な生き物の体をしているのだったと思い返し、つとめて冷静になろうと息をついた。

 が、不良は訝しげに言う。


「てめえ、この下の階に何の教室あるか知ってて言ってんのか?」

「し、下の階……?」


 私は必死で記憶をたどる。この屋上の真下は確か特別教室棟だ。音楽室や各教科の資料室がある。

 そこまで考えて、私は自らの失言を悟った。

 不良は顔色を変えた私を見てにやりと笑う。不気味なことに、犬歯がやたらと鋭い。


「気づいたみてえだな。この下の階のベランダに辿りつけたところで下は特別棟だ、窓はおろか教室自体閉まってんだよ」

「くっ――!!」

「誰と賭けてるかは知らねえが、そのためだけにわざわざ職員室まで鍵借りに行くようなオトモダチがいるようには思えねえなあ」


 やけに鋭い不良をぐっと睨みつけると、奴は挑発するように眉を吊り上げた。かっと怒りがこみ上げ、私はポケットに手を突っ込んだ。

 「この低能微生物め!」と叫んで充電に地球の電力で三年かかった記憶除去装置をたたきつけてやろうとした瞬間、不良の肩に白い手が添えられた。


「よっちんダメだよー、そうやって脅しちゃあ」

「あ? 凜子、起きてたのかよ」

「だってやかましいんだもーん」


 サラサラの黒髪を揺らして現れたのは、確か今年度の風紀委員長の苑田凜子だ。どこか間延びしたようなおっとりとした口調で厳しいことを言う、特徴的な女子生徒だったはずだ。

 不良と普通に会話していたところを見るに、風紀と不良との癒着を見せつけられた形になるのだろうか。

 これは脅せる! と私は口を開く。


「風紀委員長! 屋上で煙草を吸っている生徒を野放しにしておくなんて言語道断です! 先生に言われたくなければ今すぐ指導してください!」

「ええー、よっちん煙草吸ってんの? 最悪じゃん!」

「あ? 吸ってねえよ」

「よく調べてください! さっき右手に……って、あれ?」


 委員長と二人で不良を見やるが、なんと手には何も持っていない。

 今の今まで煙を上げていたそれをどこへやったのだろう。と、心外だと言わんばかりに不良が目を細めた。


「おいおい、話すり替えてんじゃねえよ。俺が煙草吸ってるかどうかじゃねえ、どうしててめえが飛び降り自殺しようとしてんのかって話だろうが」

「えー、そうなの? 駄目だよ、まだ若いんだから。いじめとかなら風紀も協力するよ」

「や、そ、そうではなく……」


 戻ってきた話題にしどろもどろになった私を見て、不良はにやりと笑った。無論、風紀委員長の視線は私に向いているため、奴の凶悪な面は見えていない。

――どうやったかは知らないが、奴は絶対に持っている。

 私の闘志あふれる顔を見て、風紀委員長は気の毒そうに眉をひそめた。


「そんな苦虫をかみつぶしたような顔しないでよ、大丈夫だから。ほら、わたしもすこやか屋上保安会のメンバーなんだ」


 引っ張って見せた腕章には確かに「すこやか屋上保安会」と縫ってある。

一体なんなのだろう、この団体は。不良と風紀委員長が取り仕切っているのだろうか。

 隙を突いて走って飛び降りることも考えながら、私はおずおずと尋ねた。


「あ、あの……すこやか屋上保安会とはなんなのですか? 委員会とは違うようですが……」

「えー? うんとね、最近の高校とかってさ、危ないからって屋上閉鎖されたり立ち入り禁止にされたりしてるじゃん。でもうちの学校、結構屋上の利用者っていうか、愛用者? が多いんだよね」

「はあ……」

「他の学校みたいに何か問題が起こっちゃったら、うちの学校も屋上閉鎖しちゃうかもって話でさ。よく使う子たちの間でそれはやだなーってことになったのね」


 なんだそれは。

 何度か下見に来たときは誰もいなかったくせにどうして今日に限ってと、思っていたが、どうやら普段から利用者がいるらしい。

 くそ、本部め。何が『屋上はたいていの場合人気がなく好都合』だ。私は舌打ちしたくなった。



「――で、よく使う連中が集まって自主的に屋上の管理をしているってわけだ」



 突然はさまれた第三者の声に、一瞬時間が止まったように静かになった。

 いち早く復活した副会長が驚きの声を上げる。


「うわ、びっくりしたー! どうしたのたっつん、今日当番じゃないよ?」

「英語と地理の二時間をつぶしてきたらもうなんか燃え尽きたわ。よっちんおーっす」

「おっす」


 まさかの新たな侵入者だ。

 表情筋が全部切断されたかのような完璧に無表情の男が、見るからにだるそうに入ってきた。

 内履きをコンクリートに擦り付けるようにして歩いている。よく階段を上がれたものだと私は呆れた。

 たっつん、というらしいその男は、不良のよっちんと風紀委員長と親しげに挨拶をした様子から、どうやら「すこやか」の一味らしい。くそ、敵が増えた。


「おう達也、てめえ二組だったよな」

「そうだよ。二年二組二十二番の超絶イケメンたっつんでーす、よろしくぴょん」


 ぴょんなどと言いながら手はしっかりキツネの形を作っている。エリートゼルフィス星人をなめるな、キツネはコンだというくらい知っている。

 若干いらついたのは不良も同じだったらしい、眉間のしわをますます深めてぎろりとたっつんとやらを睨みつけた。


「知ってるから黙れ。つうかやっぱりこいつと同じクラスじゃねえのかよ、クラスメイト自殺未遂してんぞ」

「え、マジ? 誰?」


 無表情男は首を傾げてこちらを見る。

 私が二組に潜伏しているのは事実だが、たっつんがクラスにいたかはわからない。学ランの襟元につけられたクラス章を見ると、確かに二組となっている。

 お互いに考え込んでいると、たっつんが思い当ったように目を見開いた。


「あー、わかった。えーと、宇野くんだわ宇野くん。無口で影薄めで成績も運動も中くらいの宇野孝司くんだ」

「えっ」


 まさか地味に徹してきた私の存在に気付くものがいたとは、と意外に思っていると、不良のよっちんに「そうなのか?」と尋問するかのように言われる。

 がくがくと頷くと、たっつんは満足げに息を吐いた。


「うん、だよね。宇野くんは俺のことわかんない? ほら、今日英語と地理のクラスつぶしたじゃん、珍解答と先生のお子さんの名前決めちゃいます企画で」


 英語と地理は確かに今日授業があった。その時に騒いでいた男子生徒になら、確かに心当たりがある。

 私は首を傾げながらそいつの名を思い起こした。はや、なんだったか。林? いや、違う。確か――


「…………早瀬?」

「いえーす、二年二組の愛されお馬鹿キャラ、早瀬たっつんでしたー」


 またぴょんぴょんと右手のキツネを見せびらかしてくる早瀬にいらついて視線を逸らす。

 言われてみれば確かに、こんなポーズと共に超がつくほどのハイテンションでクラスの空気を盛り上げる早瀬という男子生徒がいた。今日もそうだった。

 が、私の記憶にある早瀬達也は常にしまりのないにやけ顔で意味もなくけらけらと笑っているような、見るからに頭の軽そうな奴だったはずだ。

 エリートの私も、こいつが普段からは想像もできないような地を這うようなテンションと凍りついたかのような無表情だからわからなかったのだろう。あなどれない。


「達也、こいつクラスでいじめられてんじゃねえのか?」

「え、全然? つか俺は知らないけど。宇野くんいじめられてんの?」

「そ、そういうのではない」

「うーん、じゃあどうして自殺未遂なんてしたのかな?」

「自殺未遂?」


 風紀委員長の言葉を淡々と繰り返して、早瀬は無表情のまま首をひねる。

 私はぎりぎりと歯を食いしばる。どうしてこう、徐々に大事になっているんだ。

 案の定興味を抱いたらしい早瀬は頭をかきながら私の顔を覗き込んだ。


「宇野くんなんか悩み事でもあんの? もしかして好きな女の子とか? だったら俺が協力するけど」

「たっつんは顔広いからねー、そういうお悩みなら任せちゃえばいいよ?」

「そ、そういうことではない!」

「そういうことでもねえのかよ」


 低い声に肩を震わせると、不良がぶつぶつと呟きながら指折り何かを数えていた。


「いじめでもねえし、女のことでもねえ……あとは何だ、勉強か?」

「んー、宇野くんはそんなに勉強熱心な感じではなかったと思うけどな」

「じゃああれか、人生楽しくない感じー? なんとなく感じる倦怠感的なー?」


 こいつらはなにやら私の自殺の要因を考えているらしい。

 が、私はそもそも自殺をするために屋上から飛び降りるわけではない。

 寧ろ出世と帰郷への希望へ満ちたダイブなのである。

――そうだった……。

 それを思い返して、なぜ自分はこんなことをしているのかと頭を抱えた。

 低能な異星人である不良だの委員長だのクラスメイトだのに、なぜ生きるのがつらいのかと慰められるなぞ、エリートの私にとってこんな屈辱があるだろうか。

 そこで私はあることに気づき、はっとポケットに手を入れる。

 そうだ、こんなこともあろうかと、私は三年前から充電しておいた手に入る限り最新の記憶除去装置を持ってきているのだ。

 これは地球でいうライト付きキーホルダー型で、我が同朋によく似たクラゲという生物を模して造られている。

 ぷにぷにの本体を押すと、足の間から人体には影響がない程度の強烈な光が出て、私が設定した範囲――この屋上にいる人間から一時的に記憶を奪うという優れものだ。

 もともと飛び降りる前に誰かにつかまった時に使おうと思っていたものだ。これを使えばこいつらの動きを止められる。

 問題は、この「すこやか」のメンバーが後から増える可能性があるということだ。

 記憶除去装置を使った後でこの不良のような輩が屋上に来てしまった場合、平均的な男子である今の私にとってはたいへん危険な状況となる。

 私は探りを入れてみることにした。


「あ、あの……ちょっと伺いたいんですが」

「どうしたのー? 急に改まって」

「いや、あの、皆さんにご心配をおかけして申し訳ないと思いまして……」

「じゃあとっとと動機吐けやモヤシ野郎」

「はい、俺よっちんが怖くて宇野くんが理由を言えないに一票」

「あ?」

――話が進まない。

 とりあえずよっちんとやらが黙れば万事は解決するような気がするが、大人の余裕で流して質問を続ける。

「あの、すこやか屋上保安会のメンバーはこれで全員なのですか? 随分大事にしてしまったような気がして」


 小さくなって言うと、風紀委員長はきょとんと瞬きをする。


「えー、違うよ。えっとね、あと三人かな」

「三人? ま、まさかこれからまた人が来たり……」

「聞いてどうすんだよ、俺らが帰ってから飛び降りようったって無駄だぞ」


 すかさず噛みついてきたよっちんに脅えたように首をすくめて見せると、委員長は眉を吊り上げた。


「よっちーん、ステイ!」

「ああ!? 怪しいだろうがどう見ても!」

「怪しいかもしんないけど、よっちんが威嚇したら何にもきけないんだって」


 そうだそうだ、黙ってろ! とじとりと視線をやると、よっちんに睨み返された。

さすがの私の背筋にも冷たいものが走る。

 もういっそここで使ってしまうか、とポケットに手を伸ばそうとしたとき、屋上への扉がゆっくりと開いた。

 またか。


「あれっ、先輩方? どうしたんです、こんな時間に」

「ごきげんよう! そろそろ今日も終わるという時にみんなに会えるなんて嬉しいよ!」


――しかも二人か!

 私は天を仰ぎたくなった。

 母なる星、ゼルフィスよ。私にまだ試練を与えるというのか。温厚な私もいい加減腹が立ってきた。

 前を歩く小柄な女子はなぜか電子辞書のケースを眺めたままでのんびりと入ってきた。

が、その後に続く細身の男の足どりは怪しい。

 仰々しいというか芝居がかっているというか、ともかくいちいち大げさなのだ、動きが。

 関わり合いになりたくないという私の意志を知ってか知らずか、風紀委員長は女子の方に声をかける。


「あれっ、ミヨちゃん? どうしたの、夕方に来るなんてめずらしいねー」

「今日は弟の部活が休みなので、家だとゆっくり育成できないんです」

「へえー、大変だね」


 育成とは、と手元を覗き込もうとすると、ミヨちゃんとやらは笑顔のままさっとケースの向きを変えた。

 待て、あれは電子辞書ではなくゲーム機ではないのか。というか電子辞書の育成とは何だ。


「風紀委員長、あれは……」

「あれ? あれはねー、ミヨちゃんの電子辞書だよー。検索すればするほど辞書の精度がよくなるんだって」

「はい、そうなんです。発明家の叔父さんが改造したんです」

「すごいよねー」


 朗らかに微笑みあっているが、よっちんとたっつんの何とも言えない無表情から察するにあれは確実にゲーム機なのだろう。

 風紀委員長が鈍いというだけではない。こいつらは、もしや互いに庇い合っているのか。

 私の顔も自然と険しくなった。

 おそらくつつけば集中的に私がやられるパターンだ。ここは放っておくしかないだろう。

 と、ふと肩に柔らかく手が添えられて小さく体が跳ねる。何事か。


「ねえきみ、どうして僕らはあんな狭い空間に閉じ込められなくてはならないんだろうね……」


 やばそうな方になにやらやばい絡まれ方をしている気がするが、私はあまり関わり合いになりたくない。

 肩に添えられた手に気付かないふりをしながらそっと視線を逸らすと、無表情のたっつんが諦めろというように首を振った。どういうことだ。


「今日はゲーテを読もうと思って来たのだけれど、きみのような……なんというか、極めて凡庸な顔立ちをした青年となら、シュレーディンガーの猫について話し合うのも悪くない。ねえ、どう思う?」

「は……?」


 どう、とは。

 答えかねて、私はとりあえず顔を覗き込んでくる儚げな容姿の男から必死で目を逸らしていた。

というかこいつはどうして片側の前髪だけがやたら長いんだ。ともかくその手を下ろせ、体重をかけてくるな。

 ゲーテくらい自宅で読め。そもそもシュレーディンガーの猫とは初対面の人間同士が語り合うような話題ではないだろう。

 言いたいことは色々とあるが、どれを言うべきか迷っていると、たっつんが無表情ながら気の毒そうに言った。


「来島先輩、超天才なんだけどちょっと異次元に生きてるんだよね。大体の場合自己完結するからほっといていいよ」

「僕はここにいるよ、異次元なんかじゃない。いや、でも確かに僕という存在については色々な定義づけがあるよね、そうなると僕はここにはいないかもしれないな……興味深いね」

「そっすねー」


 たっつんの空っぽな返事に気を悪くするでもなく、額に手を当てながら仰々しく私のもとを離れた来島先輩とやらは、またなにやらぶつぶつと言い出した。

 エリートの私でもああいうタイプの天才にはついて行けない。というかついて行きたくない。

 しかし、これであと三人のうちの二人が奇しくもここにそろったことになる。

 もういっそあと一人おびき出したいものだ。

――と、私の念が通じたのかまたもや屋上の扉が開いた。

 

 そこに立っていたのは、地球人にしてはかなりの美貌を持つ一人の女子生徒だった。

 

 可憐、という言葉を体現したかのような彼女は、階段を上がってきたせいでか紅潮した頬に華奢な手を添えながら扉を閉め、ゆっくりと辺りに視線をやった。

 すると、なぜか屋上が静まり返る。どういうことだ。

 私が内心首をひねっていると、一同を無視して、女子生徒はつかつかと屋上を横切り始める。

 スカートから覗くすらりとした足は細く、それでいてどこか色気を感じさせる。

 無論私はゼルフィスの女性にしか興味はないが、それでも目を引くような独特な雰囲気があった。

 と、来島先輩襲来から少し離れたところに避難していたよっちんが、自分の脇をすり抜けようとした彼女の肩を掴んだ。


「おいてめえ、何して――」

「痛っ」

「あ?」


 よっちんが聞き返すと、可憐な女子生徒は涙をいっぱいに溜めた瞳で不良を射抜いた。

口をぽかんと開けて黙り込んだ相手に、薄紅色の唇を開いてもう一度言う。


「痛いよ、はなして……?」


 途端に緩んだ手をすり抜けて、彼女はフェンスの前までたどり着くと、さっさと靴を脱ぎ始めた。

――いや、待て。何だそれは、納得がいかないぞ。

 私は思わず声を張り上げた。


「おいよっちん、どういうことだ貴様!! 私のことは容赦なく蹴りつけたくせに、女子生徒に少し色目を使われたくらいでやすやすと通すとは!」

「う、うるせえな! 女蹴れるわけねえだろ! つうかよっちんて呼ぶな!」

「顔を赤くしてなんだそのざまは! おい、そいつ飛び降りる気だぞ! 早く止めろ!!」

「ああ!?」


 よっちんは振り返ると、目の前で披露された女子生徒のフェンス跨ぎ、もとい白に水玉のパンツに顔を真っ赤にしてすぐにこちらに顔を戻した。

 ふざけるな。不良の癖に初心だの、今ここでそういう腑抜けた性根はいらない。

 このタイミングで飛び降りなど、私の宇宙船に精神が飛んで肉体が廃棄されるだけ。

 つまり地球人であればほぼ確実に幽霊になるだけだ。それは同時に私の任務失敗を意味する。

 ここまで来てそれは避けたい。

 というかなぜ誰も動かないんだ。不良はともかくとして、来島先輩まで固まっている。

 仕方ない、と私はフェンスの側まで駆け寄ろうとした、のだが。


「来ないで!」

 可憐な声が私を止める。

 見ると、眉を吊り上げた彼女がじっと私を睨みつけていた。

一瞬ひるむも、そこで退く私ではない。


「おい、早まるな! というかお前は誰だ!? すこやか屋上保安会のメンバーか!?」

「すこやか……?」


 愛らしく小首をかしげる様子から察するに、一般生徒のようだ。というかなにやら視線が痛い。

 周りを見やると、信じられないとでも言うような顔でこちらを見つめる面々と目が合った。

 どういうことだ。もしや有名人なのだろうか。

 と、情報通らしいたっつんが口を開く。


「その子、星野ももかちゃんだよ。宇野くん知らないの? 今年ミスコン二連覇で、町を歩けばスカウトとナンパの嵐、惚れない男はないし女の子もメロメロにしちゃうっていう生ける伝説級の女の子だよ」

「うわー、本物見ちゃうとかラッキーすぎて動けなくなってたよー! むっちゃ可愛いー!」

「本当ですね、三次元とは思えないです! まるで二次元から飛び出して来たみたい……!」

「美しさというのは結局言葉にできないものなんだね……彼女はそれを再確認させてくれるよ」

「ちなみにすこやかのもう一人は今日風邪で休んでる合気道部のまつもっちゃんだよ。恥ずかしいお弁当を隠すために昼休みはいつもここで一人飯なんだ」

「あー、まつもっちゃん風邪なんだー」


 朗らかにと意見を交わし合う「すこやか」の面々に対して、星野ももかは表情を曇らせたまま足元をじっと見つめている。

 これは、なんというか、やばいのではないだろうか。


「……おい、その星野が飛び降りようとしているぞ! 全力で止めろ! 今すぐ!」


 私が指さすと、視線は一気にフェンスの向こう側の少女に集まった。

 くそ、私がたどり着けなかった場所にやすやすと行くなんて。

 いや、そんなことを言っている場合ではない。


「えー、あ、まじだー! ももかちゃん、どうしたのー?」

「ど、どうしてあたしがそんなこと言わなくちゃいけないの?」

「別に俺らしかいないから言っちゃってもよくない?」

「たっつん先輩、刺激しちゃだめですよ!」


 わいわいやっている連中を背に、私は星野の動向を見やる。

 戸惑うような様子から、まだ交渉の余地はあると踏んで、じっと言葉を待った。


「……な、なんていうか……」

「なんていうか?」

「ちょ、ちょろくて嫌になったの……」

「……は?」


 恥じらうように目を伏せて、彼女はなにやら不穏なことを言った。

 思わず聞き返すと、「だ、だってね!」とフェンスを掴んで弁明を始める。


「いろんなことが、すごく簡単なんだもん! みんな親切にしてくれるし、道だって電車の席だってテストだって、丁度通れるとか座れるとか解けちゃうとかなんだよ!? こんなのって、こんなのってひどい! つまらないよ!!」


 なにやらものすごいことを言っているが、本人はいたって真面目のようで、涙まじりに続ける。


「人生は友情と努力と勝利なんだよね? 恋とか苦しくて辛くて駆け引きなんだよね? 挫折の後の栄光なんだよね? あたしにはそういうの一つもないんだよ!?」


 ぎゅっとフェンスを握りしめて言う様子は確かに愛らしい。

 だがこいつ、かなりの大物なんじゃないだろうか。私は息をのむ。

 ちらりと後ろに目をやると、すっかり談笑モードだった。ミヨちゃんが朗らかに頷いている。


「あー、星野先輩くらいになると人生超イージーモードなんですね、わかります。ちょろいゲームとかつまらないですもんね」

「可愛い子は可愛い子で苦労とかあるんだよねー、大変だなー」


 委員長、うっとりしている場合ではない。止めろ。

 男どもの方へ視線を向けると、よっちんが星野の表情がよく見えるような位置に移動していた。ふざけるな。


「来島先輩もよっちんもノックアウトってすごいな、ももかちゃん」

「うるせえ、あれは反則だ。てめえは随分と他人事だな」

「うーん、俺は学校祭の公開告白で玉砕してるから結構冷静なんだよね」

「彼女に送った手紙はもう百……いや、千は超えたかもしれないな」

「え、マジすか? それマジだったらやばいんですぐやめた方がいいっすよ、来島先輩」


 駄目だ、使い物にならない。男も女も星野に骨抜きになっている。

 常日頃から周りがこの調子なら、確かにうんざりもするかもしれない。

 多少同情に近い気持ちを抱きながらも視線を星野に戻すと、彼女は両手で拳を握って愛らしく微笑んだ。


「あ、あたし、今日で人生終わりにする! 生まれ変わったらきっと、苦労とか不幸とかそういうのを経て、友情とか愛とかに目覚めるような人生送るんだから!」


 言い切って大きく息をつくさまを眺めながら、反対に私は大きく息を吸った。

 言いたいことは一つだ。



「無茶を言うな低能生物!! 生まれ変わりなんてシステムがあるわけないだろう地球人ごときに!!」

「えっ」



 言うが早いか私はフェンスに向かって突進した。

 凡庸な人間の皮を被っているにしてはいい動きをしていたと思う。

 彼女がきょとんとしているうちにフェンスから身を乗り出してしっかりとその腕を掴んだ。

 そしてすぐに首だけ振り返って援護を要請する。


「おい馬鹿ども! さっさと手を貸せ! 引っ張り上げるぞ!」

「うわー、なんて言うか、だいたーん!」

「フツメンが時々ああいうことするとすごい違って見えますよね」

「ああ……今の彼らは眩しすぎて、僕は近づくことすらきっと許されないんだと、そう思ってしまうよ悲しいことだ」

「ていうか宇野くん、さっきから口調変わってない? もしかしてキレちゃった感じ? よっちんのせい?」

「ああ!? つうか女の腕鷲づかみしてんじゃねえぞ! もっと力抜いてやれ痛そうだから!」

「貴様らあああ!!」


 頼りにならない阿呆どもに期待した自分が馬鹿だった。

 私は奥歯をぐっと噛んで腕に力を入れる。

 しかし、一人で引き上げるのは無理だ。私自身も上半身が屋上から出てしまっている。

 こうなったら、自分から戻ってきてもらうしかない。

 私は身を乗り出して、星野の涙をいっぱいに溜めた瞳を覗き込んだ。


「おい星野、不自由なく生きるのはつらいか?」

「え……う、うん、つ、つまんないし、いやなの……」

「それこそがお前が望む人生の試練だとは思わないのか」

「えっ」


 長いまつげを震わせて、星野が私を見上げる。

 故郷ではぐっとくるスピーチをさせたら右に出る者はないと言われていた私だ、コツは心得ている。


「貧乏人には貧乏人の苦労あり、金持ちには金持ちの苦労がある。お前のその退屈はお前に与えられた試練ではないのか? それを越えて得られる友情も恋も知らない癖に、ここで終わりにしていいのか?」

「っそ、それは……」


 よし、もうひと押しだ。

 逡巡するように視線をめぐらせた星野に、最後の一言を突きつけてやろうと私は口を開いた。



 その瞬間、屋上にあったスピーカーから大音量で五時を告げるチャイムが鳴り響いた。

 


 大きくびくりと体を震わせた星野は、驚いて金網から手を放す。その拍子に、ぐらりと体が傾いた。

 あ、という形に口を開いたまま、咄嗟に伸ばされた星野の手が私の襟首を掴む。

 平凡な男子学生の体が、華奢とは言え健康的な女子の体重と自分の上半身の重みを片手の握力のみ支えられるはずもない。

 そのまま、私と星野の体は宙を舞った。


――まずい。


 星野より一瞬でも早く、張ってあるネットに触れなくては。

 私は咄嗟に星野の体を上へ引く。これで私が先に落ちることができればと思ったが、強く掴まれた襟は放されそうにない。

 このままでは二人一緒に落ちる。それは、エリートの私にとっては屈辱的な、任務の失敗を意味する。

 しかし、この状況では。

――くそ、やむを得ないか。

 私は一度目を閉じて、待機している無人の小型宇宙船へ指令を下す。

 地面に引き寄せられながら、精神捕縛ネットを実体化させろ、と念じる。

 瞼を開けるとすぐに目の端にきらめく糸が見えた。よし。

 弾力性のあるネットに身を受け止められながら、私は頭の後ろが強く引かれるのを感じ、逆らうことなく意識を手放した。




 彼女は、目を覚ますと真っ白な空間にいた。

 一瞬考えてから、そうか天国かと思い当たり、小さく息を吐いた。

 退屈な日々はこれで終わり、苦難と試練に満ちた新しい人生が始まるのだ。

 そこまで考えて、彼女はふと自分の手を見つめた。

 落ちた時、無意識のうちに自殺を止めようとした男の子のシャツを掴んでしまった。

――あの時。

 あの時、確かに自分は死にたくないと思った。彼の言葉が蘇る。


『それを越えて得られる友情も恋も知らない癖に、ここで終わりにしていいのか?』


「……あたしは結局、自分の試練から逃げてただけだったのかな……」


 きっとそうだと彼女は目を伏せる。

 新しい人生に胸がときめかないのも、きっと自分でもわかっているからだ。

 戦いもしなかった人生だった、と。

 彼女は小さくため息を吐く。

――もっと頑張ればよかったな。死ぬんじゃなかった。

 浮かんできた涙を拭って、そういえば彼はどうなったのだろうとふと顔を上げた。

――彼も死んでしまっていたらどうしよう。

 ここにいるかもしれない、と真っ白な世界を見回していると、頭の奥が痺れるような、優しく響くような不思議な声がぽつりと湧いた。


「どうだ、生き直す気になったか」

「え?」

「ふん、運の強い奴め。お前のせいでここ数年来の任務がパーだ。いや……正しくはお前たちのせい、だが」


 男か女かもわからないような声が、コーヒーに一滴ミルクを垂らした時のように、一色だけの世界にぽたりと落ちる。


「この後何年……いや、何十年かかると思っているんだ。今日を逃せば次はいつ本船に合流できるかわからないんだぞ。本部からは任務の継続を言い渡されるし……」


 ぶつぶつと断続的に続く調子からするに、どうやら愚痴を言っているらしい。

 独特の尊大口調に覚えがあった彼女は、恐る恐る尋ねた。


「あ、あの……あなた、あたしと落ちちゃった子、だよね?」


 声はふと黙ってからさらりと答えた。


「ああ、そうだな。どこかの誰かに襟首掴まれて落ちたかもしれんな」


――やっぱり!

 彼女は申し訳ない気分でいっぱいになって身をすくませた。


「あの、ご、ごめんなさい、一緒に死んじゃって……」

「構わん。どうせあそこから飛ぶ予定だった」

「えっ?」


 真っ白な世界で顔を上げると、遠くの方にぼんやりと影が見えた。

 ゆらゆらと揺れているようにも見える。


「あ、あなたも何か、死にたくなるくらい嫌なことがあったの……?」

「いや? 少なくとも私に死ぬ気はなかった。現にこうして私もお前も生きている」

「え、ええええ……?」


 生きているのか、と思わず自分の体を両手で触っていると、ため息を吐くような調子で声が響いた。


「さて、お前が望もうが望むまいがそろそろ地球に帰る時間だ」

「ち、地球に……?」


 では今この場所はどこだというのだろうか。

 混乱している彼女を尻目に、「声」は段々と大きさを上げながら続ける。


「先ほどは遮られたからな、堂々と言わせてもらおう。いいか」


 先ほどという言葉に内心首を傾げていると、声がいったん止まった。

 目の前にすっと一本縦に黒く線が入ったかと思うと、そこから扉のように手前に四角く開き、白い世界に穴があく。

 強くなった光に目を細め、奥の存在を確かめる。



 そこには、二メートル近い大きなクラゲが、神々しい後光を浴びながらふわふわと浮いていた。



 彼女はぽかんと口を開ける。思っていた存在とはだいぶ違う。人型ですらない。

 光を浴びてきらきらと輝くつやつやのボディの中では、見たこともないような不思議な色合いが美しく絡み合っていた。

――なんて綺麗なクラゲなんだろう。

 思わず見とれていると、クラゲがその美しい触手を左右数本ずつ、勢いよく広げて言い放った。


「愚かで矮小なる地球人よ! 私に滅ぼされるまでの泡沫の命で、せいぜい足掻くがいい!!」


 全身に電流が走ったかのような強い衝撃を脳に感じながら、彼女――星野ももかは頬を赤くしてそのクラゲを見つめていた。

――か、かっこいい……!!

 ばくばくと音を立てる心臓を感じながら、彼女の意識は下へ引かれる感覚と共にブラックアウトした。







 馬鹿どもの相手はエリートにそぐわぬ試練だと思わなくもないが、だからこそ乗り越える楽しみがあるというものだ。

 というか、そうとでも思わなければやっていられない。


 アニメの美少女キャラの精巧なキャラ弁をなんとも言えない表情で見つめている精悍な容姿の女子高生・松本小雪を横目で見やって、私はメロンパンにかぶりついた。

 彼女の弁当は毎朝彼女の兄が作っているらしいが、毎日美少女系のキャラ弁にする上に彼女の好みは反映されないという刺激的な一品だ。

 買ったり自分で作ったりすればいいのでは、と思わなくもないが、そこは家庭の事情なのだろう。

 故郷の水の味に近いスポーツドリンクでパンを急いで飲み下して、時計を見る。

 昼休みが始まってから十分と経っていない。間に合ったかと私は安堵の息をついた。

 と、屋上の扉がゆっくりと開く。

 立っていたのは、今ではもう見慣れた少女だった。



「あ、宇野くん! お、お弁当作りすぎちゃったんだ、よかったら一緒に食べない?」



 両手で持っていた重箱らしき包みを持ち上げて頬を染めているのは、「可憐」を体現したような美少女、星野ももかだ。

 来たか、と私は準備しておいたメロンパンの空袋を持ち上げてみせる。


「悪いな星野、昼食はもう済ませてしまった」

「え、そ、そっか……」


 途端に表情を悲しげなものに一変させて、星野はへなへなと弁当を下ろした。

 気の毒そうに私と星野を見比べる松本を無視して、私はペットボトルのふたを閉める。

 と、星野はすぐに顔を上げて微笑んだ。


「あ、でも今日天気いいから、ここで一緒にお弁当食べてもいい、かな?」


 弁当の包みを強く握りしめながら言う。よく見えないが、目もうるんでいるように見える。

 泣かれては面倒だ。私は許可することにした。


「別にいいぞ。松本もいいか?」

「え、ああ、あたしは別に……」

「だそうだ。だが私は今仕事中だ、不用意な接触は控えろ」


 左腕に着けた「すこやか屋上保安会」の腕章を引っ張って見せる。

 ちゃんと見たのかはわからないが、星野はぱっと華やかな笑顔を浮かべて大きく頷いた。


「うん! あ、ありがとう!」

 重たげに弁当を持ちながらやってくる星野から空へ視線を移して、私は小さくため息を吐いた。

――私は何をやっているんだ。




 結局あの後、私は任務の続行のために地球へと戻った。

 かなりの反発力があるネットは、落ち行く私と星野を屋上まで跳ね上げたらしい。

 トランポリンのように屋上に舞い戻った私は、地球時間で一分ほど後に意識を取り戻した。

 そして、フェンスからネットを見下ろして「何あの新素材」と呟いた早瀬を確認したため、私は速やかに記憶の消去を実行した。

 思念によってネットを回収し、例のクラゲのマスコットを強く押すと、屋上が一瞬ぱっと明るくなってすぐにおさまった。

 惜しむらくはやはり充電不足だったせいで数十分の間の記憶は奪えたものの意識は奪えなかった点だろうか。

 「なにこの状況?」と辺りを見回した風紀委員長が言い、「なんだてめえ、なんでこんなとこにいるんだ」とよっちんにロックオンされた私は咄嗟に「すこやか屋上保安会に入りたいんです」などとわけのわからないことを口走ってしまい、今に至る。

 地球侵略を阻止した団体の一味になってしまうとは、我ながらわけがわからない。まあ、敵を知るという意味では効果的かもしれないが。


 そして、問題がもう一つ。

 星野ももかのことだ。




「あ、おいしい! 星野さん、料理上手だね」

「ほ、ほんと? えへへ、今朝二時に起きて作ったんだ」

「二時!? 今朝二時ってなに!?」


 後ろで二人仲良く弁当をつまんでいるようだが、私は絶対にあれに手を出すわけにはいかない。

 星野が目覚めてからわかったことだが、どうも彼女の記憶は消えていなかったらしい。

 翌日の朝に昇降口で遭遇した際、もじもじしながら「あの、宇野くんって肺呼吸なの?」と尋ねられたからまず間違いない。

 彼女は、あの宇宙船でのことを覚えている。

 どうせ忘れるのだからと思って、私は彼女の前で堂々と「私が地球侵略をうんぬん」と宣言してしまっているのだ。

 あの日以来しょっちゅう登下校の際に偶然を装って現れては監視されたり、今日のように弁当を差し入れられたりするようになった。

 この執拗さだ、弁当には毒が入っているに違いない。絶対に箸をつけてなるものか。

 ペットボトルに手を伸ばすと、ふとこちらを見つめていた星野と目が合った。

 びくりと肩を跳ねさせた様子から、また何か企んでいたのかと眉間にしわを寄せて尋問する。


「……なんだ」

「えっ、あっ、いや、な、なんでも……」

「宇野くん、目つき悪い」

「そうか?」


 穏やかに言い聞かせるような松本の声色に、あからさますぎたかと視線を落とすと、星野が小さく笑った。

 なんだ、と今度は言葉にせず視線だけで問うと、頬を染めたまま目を細めた。


「なんていうか、人生楽しいなって思って」


 能天気な調子で花が咲くように笑うと、周りの空気まで色づいたようだった。

 私はなぜかどっと疲れたような力が抜けたような感じがして、溜息まじりに答える 


「それはよかったな」

「うん! う、宇野くんのおかげ! だよ!」

「だってさ。よかったね、宇野くん」

「そうなのか?」


 私のおかげかはわからないが、人間というやつは終わりが見えていれば俄然やる気がでる生物だ。

 おそらく私の侵略までは生きようという感覚で充実した日々を送っているのではないだろうか、多分。

 呆れたような視線を送ってくる松本に内心首を傾げながら、私はスポーツドリンクをあおった。

 星野は相変わらずにこにこと幸せそうで、なんというか、何よりだ。


 と、再び扉が開いて、顔色が悪い男子学生が入ってくる。

 私たちなど目に入らないかのようにぼんやりとフェンスの方へと向かっていく様子は、傍から見て尋常ではないとわかる。

 ふたを閉めて立ち上がった私は、不安げな星野と立ち上がろうとする松本を制して彼に近づく。

 肩を叩くと、驚いたような目でこちらを見上げた。私は左腕の腕章を引っ張って見せる。


「すこやか屋上保安会だ。何か事情があるのなら聞こう」


 戸惑うようにおずおずと頷いた彼に、私は安心させるように小さく微笑んだ。

 言わずもがな私はエリートであり、人心の掌握にも長けている。つまり、この笑顔も計算ずくである。

 背中に感じる(星野の)熱い視線を無視するよう心がけながら、私は目の前の「試練」に取り組むべく頭を回転させた。




 ちなみにこれ以降、星野が「すこやか」に加入したり私の辣腕によって屋上が快適空間になったり嫉妬に狂ったよっちんに会うたび睨みつけられるようになったりするわけだが、地球侵略の目途は結局まだ立っていない。

 今年も正月には帰れないと母に連絡を入れなくてはならないというのが、エリートである私の目下の悩みである。

 マヤ暦に合わせようと思ったら間に合いませんでした作。

宇野くん:宇宙人。エリート。プライドが高く優秀だが詰めが甘い。母星帰還時に屋上を使用。

よっちん:不良。屋上の守護神だが初心。煙草を吸うために屋上を使用。

凜子:風紀委員長。おっとりだが普段はできる子。昼寝のために屋上を使用。

たっつん:クラスのムードメーカー。オンオフで極端。スイッチオフ時に屋上を使用。

ミヨちゃん:ゲーマー。二次元との境に生きてる。ゲームプレイ時に屋上を使用。

来島先輩:電波系天才。おしゃべり好き。考え事をする時に屋上を使用。

まつもっちゃん:合気道部。毎日不本意ながら美少女系キャラ弁。昼食時に屋上を使用。

星野:可憐な美少女。超幸運でもあるが、最近努力家に転向。地球の男に飽きたところ。

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