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第九章 愛すべき人々

ふたつの拘束を解かれ、栄養も量も十分な食事と再開した鍛練でイザークを打ち負かすほどに回復したアデル。 打倒父公爵の一念で、師であるダリウス将軍にも引けを取らない筋力と体力を手に入れたイザーク。 だが、未来の女王としての信念に目覚めたアデルには敵わない。 手合わせのたびに地面に背をつける結末を何度迎えても、イザークは変わらず笑顔だった。 この王国で最も麗しく強い姫と、何度も舞い踊る権利をひとり占めにするに飽きたらず、手合わせのたびに強くなる様子を一番近くで拝見できるのだ。 背中を土で汚す程度では、栄誉の対価としては安すぎる。


「世のご令嬢達の憧れの的を土で汚して、すまないな」

「身に余る御言葉。 イザークめの全ては既に、アデル姫のものでございます」


アデルはその言葉には敢えて答えず、微笑みを返すだけに留めておいた。


女王として生きていく覚悟を決めたとはいえ、それにイザークを巻き込むのか。

今までも、この先も。 自分の人生には波乱しかないだろう。


エテルティの女王として、守るべき人々のために多くのものを切り捨て、殺してゆくだろう。 死んだ後ですら安息はなく、生前に切り捨ててきた者達に償うために魂をすり減らすことになるかもしれない。 自分は、それでいい。 王国の人々を愛し続け、日々の幸福な営みを、命の限り玉座から見守り続ける生き方でいい。


マーリンに望まれたからではない。

アデル自身が、そんな風に生きていきたかった。

だが、その生き方にイザークを巻き込む勇気は、今のアデルにはなかった。


 「俺をもっとも必要する人々の、傍に行きたい」


その願いを聞いたマーリンは、アデルの髪の色を変え、いかなる魔法も受け付けなかった二色の瞳を包帯で覆い隠してから、手を引いて城下町へ誘った。


「ここのソーセージが絶品なんじゃ」


店の常連そのものの言い方で中に誘われたアデルは、城の中では絶対にありえない熱量と活気に飲まれそうになりながら、王国の人々が腹を満たす食堂兼酒場に初めて足を踏み入れた。 ちょうど昼食時ということもあり、老若男女問わず、店は食事や酒を求める人々で賑わっている。 『たらふく亭』という屋号を背負い、料理人や下働きの小僧達を束ねる店主のフランクは、たまにふてくされた顔で現れてはソーセージと飲み物を腹に納めて去っていく珍客と、その手に繋がれた小さな子供の姿を見て目を見張る。


「これ、儂の娘。 儂に似て可愛いじゃろ?」

「これって、あんた……」


姫様じゃねぇかと突っ込みかけて、フランクはどうにか堪えた。 外套を纏い両目を包帯で覆い隠そうと、整った顔立ちと気品だけは隠しようがない。 なにより、マーリンの子供は男児がひとりだけだったはず。 初めての環境で身を固くしているマーリンの娘を気の毒に思ったフランクは「あんたには欠片ほども似とらんよ」と調子を合わせることにした。 姫君の来訪にざわつく厨房を静めたフランクは、ソーセージ二本の注文に一本ソーセージを追加するように言いつけた。 茹で焼きのハーブソーセージが乗った皿を見たマーリンが、ソーセージの本数を見て声を上げた。


「儂には、一度だってサービスしてくれたことないのに!」

「鬱憤が溜まるたびにウチに飲みにきてた爺さんへのサービスはねぇ、金落としてけ」

「あら、辛辣」

「ご主人は、父をご存じなのですか?」

「この爺さんの髪と髭にまだ色がついてた時から知ってまさぁ、賢いお嬢様」


アデルの養育を境に今もなお酒を断っていることをフランクに暴露されそうになったマーリンは、娘に「いい子じゃからお口を閉じて」と言い聞かせ、辛うじて暴露を阻止した。 「お嬢様へのサービスだからな」と言い終えて、いつもの定位置に戻ったフランクの視線の先で、ちょっと齧った拍子に、破ける寸前まで身が膨らんでいるソーセージの肉汁噴射を包帯越しに浴びてしまい苦悶するお嬢様の初々しい姿が見える。


王家印の肥料と堆肥がほとんど無料に近い値段で流通するようになってから、ソーセージに使うハーブがよく採れるようになった。 ソーセージの肉になる家畜を育てるための飼料がよく育つようになったおかげで、質の良い肉が安定して手に入る。


初めて城の外の食堂で食事をする姫君に、返礼も兼ねてサービスして何が悪い。


皿の上に一本だけになったソーセージに慎重にフォークを刺したアデルは、ソーセージの端をマーリンのほうに近づけた。 不思議そうにそれを見つめるマーリン。


「俺はもうお腹がいっぱいだ。 半分はマーリンが食べてくれよ」


 娘からの「あーん」のお誘いに思わず笑顔になったマーリンは、今までで一番おいしそうにソーセージを半分平らげる。 ソーセージが軽くなったのを感じとってから、アデルもまた舌鼓を打つ。 幸せそうに笑いあう二人に、フランクは願掛けの酒断ちの成功を信じて疑わなかった。


「自分の子供さえ妻任せでほったらかしにした儂が、姫君を育てられるものか……」


王妃様の逝去と同時に姫君の誕生が知らされた頃、ソーセージにも手をつけずに悩んだあげくに酒を断ってまでマーリンが願った光景が、今目の前にある。

ごちそうさまでしたと声を合わせて、空になった皿と代金を手にやってきた親子。


「次に来た時は、祝いにとっておきの酒を出してやるよ」


娘の手を引く父親にだけ聞こえるようにフランクが囁くと、楽しみにしとるよ、と返ってきた。 父親に手を引かれながら、こちらに一礼する礼儀正しいお嬢様に礼を返し、フランクは仕事に戻っていった。


家の広さや経済的に余裕のない人々の受け皿として機能している公衆浴場を通り過ぎて、次にマーリンとアデルがやってきたのは、教会だった。 髪の色を元に戻してもらい、包帯を外して正体を露わにしたアデルに、大司教は感激のあまり声を失った。 教会に併設されている身寄りのない人々向けの治療院を手伝いたいというアデルの願いを拒むどころか、その場で女神エテルデアに感謝の祈りを捧げ始めるのだから、大司教がいかにエテルティ王家を大切に思っているかがよく分かる。


大司教直々に教会の中を案内してもらいながら、無邪気な子供達の声のするほうに手を振って応えたアデル。 『たらふく亭』での食事といい、今日は初めてのことばかりだ。 明日から護衛つきで手伝いに入る旨を大司教打ち合わせするマーリンの声を聞きながら、アデルの激動の一日は幕を閉じた。


 翌日から「私が護衛ですけど何か」と言わんばかりに堂々としたイザークを伴って、アデルは盲目ながら教会で縦横無尽に働いた。 教会の清掃から治療院で過ごす患者の清拭まで、修道女達に教わったそばから実践する。 王女様遊びましょう、と無邪気に懐いてくる孤児院の子供達には、代わりにイザークを差し出しておいた。


「俺は目が見えんのでな、このお兄様に遊んでもらうといい。 きっと楽しいぞ」

「は……?」


子ども達を煽って、目が点になっているイザークに「頑張れよお兄様」と囁き、押し出すように送り出すと、子ども達に両手を取られたイザークはあっという間に遊びに連れ去られていった。 頭の後ろあたりに突き刺さる恨みがましい視線に知らないふりをして、アデルは治療院に戻る。


治療院で過ごしている患者は、介助があれば何とか動ける患者から、朝起きる時から夜眠る時まで絶えず誰かの手を必要とする患者まで幅広い。 重い怪我を負ったり病気に掛かったが最後、王族か貴族、富豪の家系に生まれない限り、最後は教会に頼るしかないのが現状だった。


 長く煮込んで柔らかくする必要がある分手間のかかる、寝たきり患者用の食事の準備から支援までは恐縮しながら見守っていた大司教も、アデルが一通り手ほどきを受けてから鼻と口を布で覆って布おむつの交換をしようとした時には、さすがに仰天して止めに入った。


「王女様に、そこまでしていただくわけには参りません!」

「何を遠慮することがある、大司教。 今の俺は手伝いにすぎんというのに」

「王女様の御手が汚れてしまいますから……」

「盲目の俺に、綺麗も汚いも分かるものかよ!」


本来では枷でしかない「盲目」を巧みに使い分け、時には笑い飛ばしながら。 汚れも厭わず、アデルは愛すべき人々に無心で奉仕した。 自分が心を砕くべき人達に、やっと出会えたのだ。 自分にできる事なら、どんな事でもしたかった。


 子供達に遊ばれてげっそりした顔のイザークを引きずって城に戻り、兵士の棟に預けてから、アデルも魔法使いの棟に戻る。 ニーナとマーリンに今日あった事を報告し、城にいるよりも楽しかったと零すと、ニーナは驚いていたが、マーリンは良きかなと笑っていた。 床で寝てもいいから治療院に泊まってみたいと言ったら、さすがに止められたが。 イザークを護衛として萎れるほど振り回し、大司教を感激でたびたび卒倒させながらも、この時のアデルは幸福の絶頂を満喫していた。


自分の異相や噂に苦しんできたアデルにとって、今がまさに人生の春だった。

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