9.5 獣の餌食
リサはラミザに対してスポンジの棒を構えた。
対するラミザは、右手から剣を提げて、自然な様子で立っている。
他のメンバーもこのふたりの試合を見ている。というとも、リサが足をくじいて座り込んでいる間に、この戦い以外のすべてが終わってしまったからだ。
「始め!」
安喜少尉の号令とともに、ラミザもリサも走り出す。互いにまず突撃するところはスタイルとして似ている。本来なら、相手の攻撃を誘ってからでもいいのだが。
リサは、ラミザに真正面から棒で薙ぎ掛かる。ラミザはそれを受ける。しかし、そこから反撃に転じることはない。
角度を変えながら、二度、三度、リサは棒の長さを生かして、遠目から当てに行く。ラミザはそれを上手く捌いていく。しかし、あわや当たりそう、というような局面もあった。
いける! そう思ったリサは踏み込み、棒を回転させ、ラミザの胴に当てる。ラミザはこれを防ぎきれなかった。一本だ。
「そこまで!」
安喜少尉の声に合わせ、リサもラミザも自分のスポンジ武器を収める。
なんとかもぎ取った、一勝。ほかの日本人ふたりには勝ったラミザに勝ったのだから、自分だって捨てたものじゃない。リサは思った。
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一同はスポンジ製の武器を元の筒に収めると、剣道場を去って行く。喉渇いたなあとか、アイスを食べようとか、そんな明るい会話が聞こえてくる。
しかし、リサはスポンジ棒を片付けずに、去ろうとしているラミザに後ろから声を掛ける。
「ラミザさん、ちょっと残ってもらっていいかな」
ラミザは立ち止まる。他の仲間たちの声は遠くなっていく。ここに残ったのは、リサとラミザだけだ。
ラミザは笑みを湛える。
「ええ……」
片手で棒を回転させながら、リサはラミザに問う。
「明らかに手加減してたよね。反撃できるところで、全然反撃してこなかった。あと、押し合いになると必ずこっちの勝ちになった。それも、周りには悟られないよう、一応は本気らしいものを演じて」
「そう……」
「あと最後、戦局を支配していたのはラミザさんだ。なのに、防御をわざとしなかった。それで一本が決まった」
「ふふ」
ラミザは笑っている。いったい何がおかしいというのだろう。リサにとっては、わざと負けられるのは、こちらが負けるよりずっと悪い。屈辱の最たるものだ。
「本気で来てよ。みんながいるから気を使ってくれたんでしょう? わたしが全敗するのを避けるために。でも、わたしはそんなの望んでない」
「本気でいいの?」
「本気の本気でいい」
リサがそう答えると、スポンジの剣を持ったラミザがゆっくりと歩いてくる。ラミザは自信ありげに微笑んでいる。
「言質を取ったわ」
リサは、急に悪寒に襲われた。舌なめずりする肉食獣に狙いを定められたような、原始の危機感だ。
ふたりのほかは誰もいない剣道場。互いにTシャツとジャージ姿で向き合って立っている。
「は、始め!」
リサがそう言うと、ラミザが空冥術を使っているかのような速さで跳躍し、一歩で間合いを詰めてきた。
先ほどとは攻守が逆だ。ラミザが攻める、リサは受ける。そればかりだ。リサにはまるで身動きがとれない。
右から来る剣を棒で弾いたと思ったら、すでに左からも来ている。棒という武器の特性上、左右差はないので、そのまま左からの攻撃もいなす。すると次は上から、上空をやり過ごすと突きが、……といった風に、延々ラミザの攻撃が続く。
それも、リサが反応できる速さに押さえてのことだ。空冥術があれば、この程度は突破できるだろう。だが、いまのリサには、ラミザの腕が千本あるかのようにさえ見る。
「じれったい!」
ラミザはリサの棒に強めの衝撃を加える。それだけで、リサは得物を取り落とす。早く拾わなければ。まだ一本は取られていない。
しかし、ラミザはリサに足払いを仕掛け、道場の床に組み敷く。
荒い呼吸。上気した表情。
「ラミザ、さん……?」
「止まらないわ。本気で、食べていいのでしょう?」
いまやリサは肉食獣の餌食だ。人間は元々、自分たちより強力な肉食獣を相手に、武器なしで勝つことはできないのだ。武器を取り落とした時点で、命運は尽きたのだ。
もう、首筋に、牙を、突き立て、られ――。
「何をしているの!」
剣道場の入口から安喜少尉の強い声掛けがあって、それではじめて、ラミザの動きが止まった。
ラミザは驚いたように、しかし惜しそうに、リサの上から退く。
リサは安喜少尉に救われた形になった。
「もう一度模擬戦をしたら、転んでしまったのです」
ラミザはそう弁解した。
いや、あれは転ぶなどというものではなかった。組み敷かれたのだ。リサにはそれがわかっていた。おそらく、安喜少尉にもわかっていただろう。
しかし、安喜少尉はラミザの言うことを疑わないふりをする。
「……そうですか。模擬戦とはいえ、監督者なしでは危険ですから、わたしがいないときに勝手にやるのはいけません」
「はい。わかりました」
妙なものわかりのよさを演じて、ラミザは安喜少尉の前を辞去した。
上体を起こしたばかりのリサは、安喜少尉が心配げに見ているのに気づき、戸惑い、そして、目を背けた。
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帰りのバスでは、リサは窓ガラスに頭をつけて、ずっと外を眺めていた。
延々続く高速道路。頭から伝わってくるエンジンの響き。
リサは、ラミザとは距離を取った。来るときにはラミザはリサの隣に座っていたが、いま、リサはひとりになることを選んだ。
誰にも勝てなかった。リサは悔しかった。それだけじゃない。ラミザの強さはあんなものじゃない。打ち合って初めて、その片鱗を見た。
大川埠頭での海獣タレア戦でさえ、ラミザは手加減をしていた。リサは、いまならそう言える。あれは、リサを――リサの力を表舞台に引きずり出すための策略だ。
それに……、ラミザの、彼女のあの欲望は何だろう。




